第40話 聖女様は思うところがあって戻ります
マルグレード女子修道院のココの部屋に設けられた「聖女様 家出対策本部」へ、シスター・アデリアが飛び込んできた。
「ココ様がお帰りになりました!」
「おおっ!」
特別に女子修道院へ入れてもらっているウォーレスやナバロが感嘆の叫びを上げる中、アデリアを押しのけるように身なりの悪い灰色髪の少女が入ってきた。ひどい恰好をしてはいるが、ココだと思ってみれば確かにココだ。
遂に帰還した部屋主を、彼女の席に座っていたセシルが笑みを浮かべて出迎えた。
「おおココ、気づくのが早かったな。俺も二日続けて詰めていた甲斐があっ」
王子様が言い切る前にココの飛び蹴りが決まった。
小気味よく吹っ飛ぶ王子様。
「キャーッ!?」
「ココ様!? 王子になんてことを!?」
ナタリアやアデリアが悲鳴を上げるが、そんなことは構わずココは床に倒れたセシルの首を締め上げた。
「セシル、おまえなんてえげつないことを考えやがる……!」
「何の話だ」
「この貼り紙だ! おまえのことだ、貧民街で文字が読めるのは私だけだと思って貼りまくったんだろ!」
ココが壁からちぎり取ってきた貼り紙をちらりと見て、セシルが机の上においてある小袋を指した。
「もちろん俺はちゃんと約束を守る男だ。“自ら出頭したら銀貨十二枚をやる”、きちんと用意してあるぞ」
「そっちじゃない! いや、もちろん報奨金はもらうけど、そっちじゃなくて!」
ココは握り潰していた貼り紙を広げた。
「“もし二十五日までに帰ってこなかったら、回収した私の貯金を没収する”ってところだ!」
王子の考えたのは飴と鞭。
もちろん硬軟織り交ぜてに見せかけて、本命は脅迫のほうだ。
セシルが部下を使って貧民街にばらまいたのは、ココにしか通じない呼びかけだった。
「二十五日までに至急戻られたし。
自主的に出頭したならば銀貨十二枚を報奨として渡す。
それまでに帰らなかったらすでに回収した貴殿の貯蓄を没収するものとする」
意図的に宛先も差出人もないこの貼り紙。例え他に文字を読める人間がいたとしても、主語が判らないのだから意味はさっぱり分からなかっただろう。
「むろん、そっちも本気だ。二十六日のミサに聖女が出席しないと非常に困ると、教皇猊下やウォーレスが言うのでな」
「回収したってどういうことだ!? 私は思いっきり厳重に護呪を掛けたんだぞ!? あの結界はジジイでも破れないはずだ!」
「ココ様、どれだけ強固なのをかけているんですか……」
ナタリアの呆れた声にも構わず、ココは掴んだセシルの襟を揺さぶるが……王子様は余裕の笑みで顎をしゃくった。
「もちろん俺はできもしないことをブラフで書くような男じゃないぞ。そんなバカなと思うなら確認して見ろ。もちろんおまえを騙して開けさせてから回収なんてせこい真似はしない」
「……いったい何をやったんだ」
ココが警戒しながらも立ち上がり、金庫の護呪を解いた。そして扉を開くと……。
確かにセシルが宣言したとおり、ココの貯金棚は空っぽだった。
そこには瓶一つ、いや硬貨一枚入っていなかった。
「な……」
ココは空っぽの棚を……正確にはその奥を見て茫然自失している。
「言ったとおりだろ?」
目を丸くしたココが、油の切れたからくり人形みたいにがくがくと揺れながら振り返った。開いた口が塞がらないと言う顔だ。
その顔に、してやったりとセシルが胸を張る。
「保管庫が頑丈だと思って油断したな、ココ。俺の頭脳の勝利だ」
「あ、あ、あ……」
「あ?」
「アホかおまえはっ!? 私の貯金を盗むために後ろの建物破壊するか!?」
ココとて、普通の棚だったら壁に穴をあけられる可能性も考えただろう。
しかしここはマルグレード女子修道院の中でも最も奥まった部屋。ココが貯金箱に使っていた保管庫は石室とでもいうべき構造で、建物と一体化した壁は後ろも横も人間の横幅ぐらいある石積みだった。しかも大聖堂の城郭の中にはまり込んでいる修道院だから、その後ろから掘り進めるのも城攻めに匹敵する苦労がいる……はずだった。
だからココは木製の扉だけ厳重に聖心力を流していたのに……。
「いや、なかなか大変だった。国軍の工作兵を動員してなんとか一日がかりで後ろの石組みを破壊したんだ」
「なんでそこまでやるんだよ!?」
「前の扉が開かなかったから」
「出さなきゃいいだろ!? 差し押さえるんなら扉の前にレンガで壁作るとかさあ!?」
「……おおっ。ココ、おまえ頭イイな」
「おまえ実は底抜けのバカなんだろ!?」
ココがガックリと崩れ落ちて床に手を突いた。
「どうすんだよ、これ……修道院の一番奥が侵入し放題じゃないか……」
「それこそ煉瓦と漆喰で詰めるか」
呑気なことを言う王子様がココの後ろから覗き込む。
「……それともこのまま扉をつけて、俺とおまえだけが鍵を持ってる秘密の通路にでもするか? 聖女と王子が人知れず逢瀬を重ねる魔法の小径、なんちゃって」
ココの低空廻し蹴りが炸裂し、脛を強打した王子が呻きながら床に転がった。
「それで、私の貯金はどこへ行ったんだ!」
ココに再び胸ぐらをつかまれて、王子が待機していた役人を手招きした。
「大丈夫、ちゃんと保管しているから。ただ……」
王子に呼ばれた役人は、小さなカバンしか持っていなかった。
「おまえの貯金、少額硬貨ばかりでそのままずっと保管するのはスペースの無駄だったんでな。財務に命じてきちんと在り高を計算させた。それで金額が確定できたので……」
王子の言葉に合わせて役人が取り出したのは、金貨が詰まった容器が二つと、おそらく端数の銀貨銅貨が入った麻袋一つ。そして一番小さい袋はアクセサリーか。
「持ち歩きしやすいように両替しといてやった。金貨だけでこんなになったぞ? おまえ随分貯め込んだな」
「アホーッ!!」
「心配するな。両替手数料はサービスだ」
王子のツボを外した言葉に、血相を変えた聖女様はもう絶叫。
「そうじゃない! この金は街の市場で使えるように、敢えて銀貨までしかなかったんだよ! 金貨なんかどこで使えるんだよ!? こんなので貯蓄してたら、使う時に両替商に幾ら抜かれるんだよ!?」
金貨なんか使える店は宝飾商か問屋ぐらい。高額決済用の貨幣なのだ。普段の買い物で使いたかったら、両替商に少なくない手数料を差っ引かれるのを覚悟して銀貨銅貨に崩してもらうしかない。
「そうだったのか」
わざとらしく目を見開いて驚いたセシルは、役人に手を振ってココの貯金をカバンに再び収めさせた。
「使いどころも無くて保管場所もない。それじゃ部屋に置いておいても、盗まれる心配だけが残って枕を高くして寝られないだろう」
「両方おまえのせいじゃないか……!」
「うむ。俺も責任を痛感しているところだ。なので」
セシルが巻いた紙を取り出し、開いてココに見せた。
「俺が責任もって預かり、国庫で保管しておこう。はい、これ預かり証書な」
「お、おま、これ……」
すでに書かれていた預かり証書。
セシルが思いっきりイイ笑顔で、文面を見て硬直しているココに笑いかけた。
「どうせ聖女の任にある間は使えないんだろ? ちゃんと四年後まで安全なところで保管しておいてやるよ」
ココ・スパイス。聖女の任期明けまで王太子の魔の手から逃げられないことが決定。
そして正式に結婚の打診が来るのが判っていて、その前に行方をくらますこともできなくなった。
聖女の力もなくなり、教会の庇護下でもなくなったココが婚約を受け入れずに貯金を返してもらえる可能性は……どう考えても、ゼロ。
「安心して職務に励みたまえ、ハハハ!」
真っ白に燃え尽きたココの肩をセシルが嬉し気に叩き……聖女様は今度こそ言葉もなく、膝から崩れ落ちた。