第35話 聖女様は教訓を与えます
いきり立つ女に、「でもな」とココは問いかけた。
「男と別れて友達もあてにならない。これはもう今までの連中をスパッと切り捨てて、新しい付き合いを作っていくしかないんじゃないのか?」
「それが失恋女の互助会みたいな職場って言うんじゃないでしょうね」
「ダメなのか」
「当たり前じゃない! 何が悲しくていつまでも傷を舐め合っていなくちゃならないのよ!」
「それもそうか」
この女、なかなか心が強くていらっしゃる。ココが感心していると、女が欄干の上によじ登った。
「だから私はもうこんな(私に)優しくない世界からおさらばしてやるのよ!」
「そこまで前向きだったら、つらい現実のほうを蹴散らせばいいのに」
その強さ、なんで生きるほうに使えないのか。
何と言ってなだめたらいいものか、ココもちょっとすぐには思いつかない。生きる為には色々知恵を絞ったものだけど、死にたがるヤツを引き留めた経験がない。
「あー、えーっと……男や友達はダメでも、家族や職場があるじゃないか」
「そっちはそっちで居場所が無いのよ!」
「あー……」
吐き捨てるように言う女の言葉に、ココは何となく事情を察した。
生い立ちでいざこざがあるとか、いじめに遭ってるとか。それでダメ男に溺れたり、うわべの付き合いと分かっていて友達相手にマウンティングして紛らわしていたわけか。
と納得していたら。
「どっちにもすっごいラブラブで結婚間際だって言いまくってたのよ! ダメになったって言ったらどんな目で見られるか……考えるだけで身の毛もよだつわ!」
「なあ、おまえ自分で自分の首を絞めるのが趣味なのか?」
「何を訳の分かんないこと言ってるのよ。おかしな子ね」
さて、どうしよう。
まったく変なことに巻き込まれてしまった。財布をくれなかった段階でさっさと帰ればよかった。
軽く後悔しながら、ココもどうしたものかと悩んでしまう。
そもそもこの女。前向きに後ろ向きすぎて、本当に死にたいのかがよく判らない。頭に血が上っているだけにも思えるし、死ねば全部きれいに解決するみたいなロマンス物語に憧れすぎかもしれない。
ココの立場としては“死んではいけません!”とか言わなくちゃならないところだけど、本人が本気なら意志は尊重してやりたいとも思うし……なによりココは今自由時間。仕事の延長みたいなことをやってる場合じゃない。ピロシキを買いに行かなければ。
「とりあえずさ、どうしたいか考えをまとめてからでも遅くはないんじゃないか? 今日の所は一旦帰って、美味しいものを食べてゆっくり寝ればいい知恵も浮かぶかもしれない」
後日仕切り直してくれたら、ココも立ち会わなくても済むってものだ。
だけどそれは拒否された。
「ダメよ! 家に帰ったら結婚の段取りがどうなっているのか訊かれるじゃない!」
悲劇的な失恋に酔ってる女が、試験の結果を親に訊かれたくなくて帰れない子供みたいなことを言い出した。
「そこまで進んでたのに破談になったんだ」
「うるさいわねっ!」
呆れたココが思わず漏らしたら、女がいきなり激昂した。不安定な欄干の上に立っているのに、器用に地団駄踏んで喚き散らす。
「なによあんたまで!? だって、あの野郎がすぐにでも結婚したいからお金を貸してって言ってたのよ? それでうまく話をつけて来るって、あいつ言ってたのに……その金で別れるはずの前カノと保養地行って仲良くやってたってどういうことよ!?」
(しまった、いらないところを突いちゃった)
「あああああ、畜生、なんで何もかもうまくいかないのよ! やっぱり一回死んでやり直すしかないわ!」
女は言うなり踏み切る様子を見せる。
それを見たココは、一つまずい事を思い出した。
「ちょっと待って……!」
「死んでやるーっ!」
ココの目の前で、女が欄干を蹴って飛び出した。
「はぁ……結局こうなるのかぁ」
ココはとっさに女の足首に巻き付けたロープを手繰りながらため息をついた。
意識のない人間一人はちょっと簡単に持ち上がる重さじゃないので、苦労して吊り上げた。まだ死んでなかったので、聖心力でショックを与えて息を吹き返させる。
「……グハッ!」
「お、起きたか?」
ココが覗き込むと、女は一瞬呆けて目を見開いたかと思うと……。
「……あ、ああああああ! 痛い痛い痛い痛い!」
「あー……やっぱり?」
思ったとおりの反応に、ココはやっぱりねと頷いた。
「ここの辺り、水が濁ってるから判らないけどさ。実は水深が意外と浅いんだよ」
「あがあぁ、痛い痛いーうぁぁあああああ!!」
「岸から飛び込むぐらいならいいんだけど、橋の上から勢いつけて飛び込んだら溺死するより前に川底に激突して大怪我するかなーって。それを忠告しようとしたんだけど……お姉さん、聞いてる?」
「ぐあぁぁ痛ーいぃぃ痛い痛い痛い! うぎゃああああ!」
「……つくづく人の話を聞いてくれないねーちゃんだなあ」
ココはうんざりしながら掌を光らせた。怪我している辺りに手をかざし、傷口を癒してやる。長期にわたって身体が蝕まれる病気はどうしようもないけど、今傷を負ったばかりの怪我なら聖女の持つ聖心力で治してやることができる。
「ここまで付き合ってやるなんて、意外と私もお人よしだよなあ……」
水揚げしたばかりの魚のように跳ねまわる女に手を当てながら、ココはうんざりと息を吐いた。
「ほら、これでもう痛くないだろ?」
「えっ? はっ? ……えっ?」
混乱している女に話を繰り返して聞かせた。
「というわけで、この辺りで飛び込んでも期待するような綺麗な死に方はできないぞ?」
だからもう諦めて帰れ、と言おうと思ったのに……。
「それならそうって、早く言いなさいよバカ! おかげでしなくて良い怪我をしちゃったじゃない! ったく、ドンくさいわね!」
諭す前に、逆ギレした女に罵倒されてしまった。
ナチュラルに自分本位のことしか考えられないヤツって、どうしてこう何でもかんでも他人が自分に無条件に尽くしてくれると思えるのだろうか。
コイツから見て、きっと人間って張り合う敵か甘やかしてくれる下僕しかいないんだな……。
だから取り入ってくるヒモ男が内心で何を思ってるかなんて考えもせず、疑わずに隙を見せちゃうんだろうなあ……ココはまた一つ、世の中の真理を学んだ。
まあそれはそれとして。
なんで自分の自由時間を楽しもうと歩いていただけのココが、負い目もないのに見ず知らずの女のワガママに従わねばならないのか。
お人好しのナタリア辺りならともかく、貸し借り無しにこだわるココとしては……一方的に振り回されっぱなしなことにムカついてきた。
うん、(無断)外出時間は短いのだ。このおバカなねーちゃんに人の道ってヤツを諭して、さっさとピロシキを買いに行こう。
ココは自分は不幸だとわめき散らしている女の後ろに立った。
「んで、まだ死ぬつもりなの?」
「当たり前じゃない! もうそれしか私に残された道はないわ!」
「それじゃ、手伝ってやるよ」
「はっ?」
演説の最中に何を言われたか、女が理解する間も与えず。
「よっ!」
ココは女を突き飛ばした。
「きゃああああ!」
女は低い欄干を乗り越えて頭から落ちていき、派手に水柱を上げた。
「そして、引き上げっと」
女に括り付けてあった縄の端を聖心力で出した“聖なる釣り竿”に結び付け、軽く何度かアタリを確認してから勢いよく引く。死体のような姉ちゃんが宙を飛び、ココの後ろの路面に叩きつけられた。普通だったら息の根を止めてそうな衝撃だったろうけど、どうせこれから蘇生するから問題ない。
ココは横にしゃがみ込むと、まず聖心力をぶち込んで意識の蘇生。意識が戻って絶叫しながら跳ねまわったら、怪我を癒して身体を治す。
「良し、元通り!」
「“良し”じゃないわよ!? 何すんのよ!」
「だって、死にたいんだろ? ほい次」
「えっ!?」
完治するなり怒鳴ってきた女の胸をココが突き飛ばす。女はそのまま後ろ向きに欄干を乗り越え転落し……派手に水柱と衝突音を立てて川に沈む。
「んで、流れないうちに」
また引き上げる。
蘇生する。
女が絶叫。
怪我の治療。
罵られる。
突き飛ばす。
蘇生と治療の順番を間違えない。これ大事。
五、六回繰り返したら、女が怒鳴り散らすより先に後ずさりながら「待って」と懇願してきた。
「な、なんで川に落とすのよ!?」
なんでと言われても。
「だって、死にたいんだろ?」
「じゃあどうして引き上げるのよ!?」
どうしてと言われても。
「私、これでも聖職者らしいからな。目の前で自殺を試みる者がいたら救助しないわけにもいかないんだ」
「じゃあなんで川に落とすの!?」
「おまえが死にたいって言ってるんじゃないか」
「それならなんで毎回助けるの!」
「だから、私も職業倫理と言うヤツで助けないわけにもいかないんだ」
「どこまで行っても終わりが無いじゃない!」
そう。終わりがない。
でもそれは今この場での話ではなくて……。
ココはやっと会話が成立するようになった女の横にしゃがんで目を覗き込む。
「うちんトコのジジイの話だとな、自殺すると地獄で永遠に死んだり生き返ったりを繰り返すんだと」
「はぁっ……!?」
「それもこんな生ぬるいのじゃなくて、拷問されてスゴいひどい殺され方をするのを延々繰り返すんだって……私もジジイもまだ地獄には行ったこと無いから、本当かどうか知らないけどな」
ココは立ち上がって軽く準備運動をした。
「まっ、今からそっちに行くんだから、軽い予習のつもりで楽しんでくれ」
「た、楽しめって言われても……」
「地獄で味わう本番に比べたら、こんなのきっと全然だぞ?」
ココは何度かエアプッシュのキレを試してみる。まだまだやれそうだ。
「私が疲れて引きずり上げる腕力が無くなったら、いよいよおまえも地獄デビューだ。本場で恥をかかないように、私もできるだけ予行練習に付き合ってやるよ」
怯えてガタガタ震える女に、ココは欄干の脇を指し示した。
「さっ、位置について」
◆
ココが帳面を書いているのを見て、シスター・ドロテアが覗き込んだ。
「あれ~? ココ様~、昨日喜捨なんかもらってましたっけ~」
「うん。勤務時間外だったんだけど、奇特な不信心者からもらってな」
「……不信心者~?」
ココはペンを止めて、ふと考えこんだ。
「人生相談の料金で財布半分って、高いのかな? 安いのかな?」
銀貨二枚と銅貨五枚って命を救った割には安い気がするけど、聖女の給料半月分より多いと考えれば良い値段かも知れない。
その辺りよくわからないけれど……なんかあの姉ちゃんも「もう死ぬ気はないから勘弁して!」とか叫んでいたから、失恋を吹っ切れたみたいで相談に乗って良かった。
何がいいって、相談料を頂戴って言ったらちゃんとくれたのがいい。やけに慌てて出すから地面にぶちまけてくれたけど。
「ふむ……私、悩み相談の才能があるのかもな」
定年退職したら、占い屋をやるのも良いかもしれない。
四年後の選択肢が増えた。
ココはにんまり笑うと、ペンをまた動かし始めた。




