第24話 聖女様はピンチにも動じません
「お姉ちゃん、これあげるー」
「私もー!」
「はい、ありがとうございます」
「落としちゃダメだよー」
「はいはい、気を付けますね」
子供たちが次々に持って来る銅貨を、聖女は微笑みながら首から下げたガマ口財布で受け取った。当代の聖女がいつも持ち歩いているもので、この「聖女のガマ口」は今では慰問の名物となっている。
世界でも有数の高位聖職者である聖女が庶民的な財布で喜捨を受ける。そのギャップが与えるインパクトはなかなかのものがある。
“粗忽者なので、落とさないように”と言って本人は笑っているが……それが本当の理由では無いだろう。相手に立場の差を感じさせず緊張させない為に、敢えてユニークな形で喜捨を受けているのだ。
誰に対しても偉ぶらず、子供にも視線を合わせる聖女……民衆の間に入って行く聖女を象徴する小道具として、ガマ口財布はゴートランド教のイメージ向上に一役買っている……。
「なんて言われているらしいんですけど、本当に落とさないようにしまってるだけですよね」
「銅貨一枚でも落としたら大損害だからな。向こうが勝手にそう思ってるなら、私たちがどうこう言う必要もあるまい」
石橋を叩いて渡る慎重なココは、ポケットに入れといて落とすような真似を許さない。もらった物は確実に有効活用。真正のケチに“これぐらい仕方ない”は存在しない。
◆
見た目でかなり得をしている聖女様は、馬車の窓から顔を出して外を眺めた。
「それにしても、今日はまた遠くへ来たなあ」
単純に距離だけならもっと遠くへ行った事もあるけど、今日の慰問先である山村の教会は僻地にあるという点ではなかなかのものだ。道のアップダウンと景色の変化で凄い遠くへ来た感じがする。
「村自体が先代の王の時に、地域の管理の為に新しく作られた開拓村だそうです」
「山林の保全の為の入植村か。だよなあ、街道から外れているものな」
相槌を打ちながら、ふとココは嫌な感じがした。別に危険を察知したわけじゃないけれど、何か面倒に巻き込まれそうな予感がする。
「どうしました?」
「んー、なんでもない」
頭を振ってココは椅子に座り直した。
◆
ココの予感は到着早々現実のものとなった。
「なんでしょう? 慌ただしいですね」
ナタリアの言う通り、村に着いてみると住民が走り回っている。聖女の歓迎というより別のトラブルで忙殺されている感じだ。
僻地の訪問ということで付いて来た護衛の聖堂騎士が事情を聴きに行き、すぐに現地教会の神官を連れて戻って来た。
「魔物の襲来ですか」
高齢の神官が頷く。
「はい。この付近は森の植生が動物の餌場に向かないので滅多に無いのですが……数匹のオークがこの辺りまで移動してきたらしくて、唯一食料があるこの村が先日襲われたのです。元々大型害獣が少ないので村にほとんど猟師もおらず、駆除を領主様に願い出たところでした」
「なるほど。大きな被害が出ないうちに何とかなると良いですね」
ココがしたり顔で頷くと同時に、遠くで何かが壊れる音が響く。続いて男が叫ぶ声。
「オークが出たぞーっ!」
「……うん、判ってた。だいたいこうなる流れなんだ」
ココたちが叫び声のした方へ駆けつけると、森と畑の境界あたりに灰白色の巨体が見えた。
猪に似た豚鼻に短いが太い牙。無毛の身体は大人の男より頭一つ以上大きいだろうか。間違いなくオークだ。
見た目は全体に贅肉が付いて弛んで見えるが、これは厚い脂肪の層が鎧の役割をしている為だ。実際にはその下で全身の筋肉が発達しているので、人間より二回りほど大きいにもかかわらず俊敏でパワーもある。武器を扱いチームで動く知能もあるので、戦士でも倒すのには苦労する。それが三体。
「オークかあ。実物は初めて見たな……ナッツ、大丈夫か?」
好奇心の強いココは興味津々だが、横のナタリアは青い顔で口元を押さえている。
「無理もありません……特に若い娘さんには恐ろしい魔物ですからな」
老司祭の言葉に、ココ一行の護衛の騎士たちも一斉に頷く。
亜人型魔物の中でオークやゴブリンには雌がおらず、人間の女性を襲って仔を孕ませると言われている。
いくら何でもそんな特殊な繁殖方法では種族として永らえられると思えないが、本能なのか快楽なのか、実際に襲われる事件は報告されている。有名な伝承なので、ナタリアが怖れるのももっともだ。
「大丈夫ですか?」
周りの手前、口調を直して問いかけたココにナタリアが泣きそうな顔で首を横に振って見せた。
「ココ様ぁ……」
「大丈夫ですよ。私がついてます」
縋り付くナタリアをココが優しく抱きしめてポンポンと背中を叩いてやると、ナタリアも少し落ち着いたのか小さな声で泣き言を言い始めた。
「私、私、オークは……」
「うんうん」
「大好物だったんですけど」
……。
「……はい?」
「丸のままだとあんな醜悪な生き物だと思わなくって……現物を見たら吐きそうです」
「……ああ……」
ちなみにオークは家畜化できないのと適度に運動量が多い上に脂がのっているので、肉質の良い高級野獣肉としても知られている。
(そっかー……ナッツも、一応貴族だもんなー……)
変なことからお付きの育ちの良さを実感したココだった。
ちょうど居合わせた以上、ココたちの護衛も戦闘態勢を取った。この村にはそもそも戦える者が少ない。急報を聞いて集まって来た村の男たちも、まともに武器を持っているのは猟師が一人だけだ。後は棍棒や農機具を構えているけど、戦力としては正直勘定できないレベルでしかない。
ココは護衛を指揮する中年の騎士に聞いてみた。
「貴方たちでなんとかなります?」
「正直厳しいです」
聖堂騎士は裕福な組織に属しているだけあって練度も高いが……。
「平時の護衛ということで、少数の人間相手しか想定していませんでした。鎧も着ていませんし支援攻撃担当もいません。剣士だけでは全員で一匹を集中的に狙えばなんとか、というぐらいにオークは手強いです」
「……村の人たちは?」
「戦力に数えるのもおこがましいです」
素人には無理ということだ。
かといって、お手上げで逃げるというわけにもいかない。
「何か注意を逸らす手があれば、奇襲で急所を狙う事もできるんですが」
「注意を逸らす、ですか」
人間の方は数十人集まっているのに、たった三匹のオークは歯牙にもかけずに悠々としている。奴らが一点に集中するような、興味を引くものなど……。
「ん?」
ココは目を凝らした。
「オーク、何かに気を取られていません?」
「え?」
よく見ると、オークたちが正面を向いていない。三匹とも同じ方向を向いて脇見している。
ココと指揮官はオークの視線を追ってみた。三匹がさっきからずっと見つめているのは……。
「……おいナッツ」
思わず素の言葉で呼ぶココ。
「は、はい?」
「おまえちょっとウォルサムの右に移動してみ?」
「なんですか?」
ナタリアがココの左側から、右隣の指揮官のさらに右に移動する。
オークの視線が左……ココたちから見て右に移動する。
「やっぱり」
ココと指揮官は納得して頷いた。
オークはじっとナタリアを見ている。
ずーっと見ている。
明らかに見つめている。
見つめながらハアハアいっている。
「ふええっ!?」
それに気が付いたナタリアがココの左に戻ると、オークたちの首も右に戻る。
慌ててナタリアがまた指揮官の右に移ると、オークたちの首も左を向く。
穴が開くほどみつめられて、困惑の悲鳴を上げたナタリアはココの後ろにしがみついた。
オークは上位個体でないと人語を解さないので、直接話を聞くことはできない。
ただ……彼らはさっきからナタリアを見ながらずっと鼻息を荒くしている。ついでに腰の男性機能をギンギンに誇示しているので、何を考えているかは多分見た目の通りなのだろう。ココが大きく手を振って存在をアピールしても、彼らの視線はナタリアを見たまま微動だにしない。
ココは黙って頬を掻き、ちょっと考えてお付きを見た。
「ナッツ、おまえ一途に愛してくれる男なら見てくれは気にしないほう?」
「一応そのつもりですけど、身体だけが目当ての殿方はご遠慮したいです!」