第18話 聖女様は不心得者に神罰を下します
教皇のレターセットを勝手に引き出しから出しながら、ココが口の端を歪めた。
「ああいう自分が一番偉くなっちゃったヤツはな、なんでも自分の思い通りと思っているからグレーゾーンで綱渡りしている認識が薄くなるんだ。野郎、絶対王国法の三つや四つは犯しているぞ。今すぐ役人を店に突っ込ませよう」
「……そういうことを考えていたんですか」
明らかにキレていたココがその場で殴らなかったのは、そんな物じゃ済まさないほどに怒っていたから。
人目が無くなったので遠慮なくブチギレるココの手元を、教皇と一緒にナタリアが覗き込んだ。
「でもココ様、何も出て来ないかもしれませんよ? 家宅捜索は教会の差し金だと思うでしょうし、余計にこじれるんじゃ……」
「心配するな。あいつ、顔が犯罪者だ」
「言いたいことは分かりますが、誤解を生みそうな表現で言わないで下さいよ」
猛烈な勢いで手紙を書くココが、紙面から顔をあげないままにボソッと呟いた。
「おまえら、なんで私が変態に手紙を書くと思う?」
「え? 役所を動かしてほしいからでは?」
「そうだよ。セシルの力で、袖の下を掴まされているかも知れない役所に確実に成果をあげさせて欲しいからだよ」
ナタリアは今一ピンと来ていないようだけど、教皇とウォーレスは意味を理解した。
「おぬし、罪状を捏造させるつもりか? 思い切るのぅ……」
「そこまではいかないと思うけどね。癒着した役人と揉み消しさせないだけで十分だろ」
「王子がそこまでやってくれますかね?」
「私に貸しを作って教皇庁に恩を売って、ついでに野郎のあくどく稼いだ資産が全部国庫に入る。ヤツには得しかない」
「なるほど……」
ココは立ち上がると手紙をウォーレスに渡し、ついでにワイングラスも渡した。
「グッと一息に」
「はあ?」
訳が判らないけど言われた通りに教皇秘書がワインを飲み干したのを見届けると、ココはナタリアを促して歩き出した。
「おまえがさっき私をバカにしたのはジジイと間接キスで良しにしてやる。有難く思え」
咳き込む司祭を尻目に、用事を済ませた聖女様は修道院へと帰って行った。
◆
聖女様から至急の手紙が届いたと聞いて、王太子は上機嫌で手紙を読んだ。なにしろ向こうからラブレターが届くなど初めてのことだ。騎士ナバロはそのように理解していたが……。
「なるほどなあ」
にやけヅラがより深くなった上司に、ナバロは内容を問うた。
「聖女様、何と言って来たんですか?」
答えの代わりに渡された聖女の手紙に視線を走らせ、生真面目な騎士は文字通り掌で目を覆った。
「事態は理解しましたが……ずいぶん色気のない恋文ですな」
「ココらしいだろ」
「少なくとも聖女から王太子への手紙に、“クソ野郎のケツに一発蹴りを入れる”とか“身ぐるみ剥がないと気が済まん”などという文言が入っているとは思ってもみませんでした」
「それがココだ。こういう所が愛おしくてたまらん」
「そんなことばかり言うから、本人から変態と呼ばれるんですよ」
王子は肘掛けにもたれかかると、楽しそうに宙を見つめた。
「さて、どうするか……」
手紙を返したナバロが心持ち顔を引き締めた。
「市中取り締まりの者を何人か連れて、私が行ってきましょうか?」
「ふむ」
セシルは考えた。
それなら話は早いが、ナバロは商店の取り締まりなどしたこともない。門外漢の上官だけが意気込んでも、急造の取締り班が期待するほどやる気を出すかどうか……。
「……“期待”か」
思いついた王子様は改めて人の悪い微笑を浮かべ、腹心の部下へ指示を出した。
◆
ベルクマンの店に、突如取り締まりの役人が踏み込んできたのは夕方前のピークを迎えた頃だった。
顔なじみ、というか馴れ合いの関係だけにベルクマンは鷹揚に出迎えたが……顔色の悪い役人は、焦った様子で問い質してきた。
「ベルクマン、貴様なにをやったんだ!」
「何を、と言われましても……」
ベルクマンこそ、いきなり何を言うのかと訊き返したい。
部下の手前、声を潜めた役人は余裕のない表情で店内を見渡す。
「不正を訴える投書があったとの話でな、ただちに摘発に向かえと言われたのだ」
「ハハッ、何をおっしゃるかと思えば、そんなのは……」
いつもあんたが揉み消して終わりじゃないか、と言いかけた強欲店主へ役人が被せるように言い募った。
「王太子殿下に直々に呼び出されて言われたのだぞ! しかも発生事実自体を確信した様子でな! “何もなかったと報告が上がる事などあり得ない”とまで言及なされた! 貴様何をやって目を付けられたのだ!?」
「はあっ!?」
ベルクマンが目を丸くしたところへ、戸口から新たな叫びが上がった。
「店主はいるか!」
ベルクマンと役人が揃ってそちらを見ると……明らかに役人と分かる男が部下を従えて入って来るところだった。
「私が店主のベルクマンですが……」
恐る恐る名乗り出ると、横柄な中年男が彼を一瞥して通告状を広げて見せた。
「貴様の店が不正を行っていると通報があった。これより家宅捜索を行う! 一切物に手を触れるな!」
「ええっ!?」
なぜ別の役人が同時に乗り込んで来るのか?
「ちょ、ちょっと待て! それは俺が王太子殿下に指示を受けて調査に来たのだぞ!?」
忠告しに来た癒着役人が食ってかかるが……。
「何を言う、俺だって王太子殿下に直命を受けたのだぞ」
「なんだと!?」
そこへ、新しく入って来た男が大声を張り上げた。
「この店の扱い商品に不審な点があると密告があった! 全員動くな!」
「なにぃ!?」
その男の後ろから、さらに役人が登場。
「不正に関所を通した密輸入の疑いで取り調べる! 店主は……」
まだまだ終わらない。
「秤の目盛りをごまかした疑いで……」
「許可された以上に路上へ張り出していると通報が……」
「悪質な廃棄物の不法投棄を……」
次から次へと役人が、全く同じか微妙に違う容疑の捜査だと言いながら家宅捜索に押し寄せてくる。店の入り口には入場待ちの彼らだけで行列ができるほどだ。西大通りで随一と自負する広い店内が、役人と部下で埋め尽くされた。
「どういうことなんだ!?」
状況がサッパリ理解できないベルクマンが叫ぶと、お互いに不審な様子で睨み合っていた役人たちが口々に家宅捜索の名目を叫び返す。
説明されて、それでもサッパリわからない。
ベルクマンだけでなく、その場の者が何となく静まり返ったところで……一人がボソッと呟いた。
「もしかして……誰が成果を上げるかを見ているのかな?」
しばしの静寂。
「……くそっ、手ぶらで帰れるか!」
「冗談じゃないぞ!? 手柄は俺のものだ!」
一人が叫ぶと、一斉に血相を変えた役人たちが怒号を上げながら指示を飛ばし始めた。
「ちょっ、おい、待てったら!?」
ベルクマンがいくら叫ぼうと、誰も聞いてくれない。止める暇もなく役人と部下たちは家宅捜索に走り出した。
自分ひとりが捜査官なら、調べて出て来なければそれは何も問題は無かったと言い張れる。
しかしこれだけの同役が調査に赴き、誰かは手柄を上げることができたなら……見つけられなかったヤツが無能。出世の道は断たれてしまう。
だが、王子の期待に応える事が出来れば……。
高評価か出世街道脱落かの二択に、役人たちの目の色が変わる。
トップは目指さなくとも、落ちこぼれる事だけは絶対嫌だ。そういう習性を持つ官僚たちは、堰を切ったようにありとあらゆる物をひっくり返し始めた。
「や、止めろ! 俺の店が……!」
捜査官たちが後片付けなんか考えもせずに調べた物を投げ散らかしていく。全然別にやって来た連中だから連携なんかしていない。誰かが調べた後も二度三度と掘り返す。
商品はまだしも、帳簿や書類は一度メチャクチャにしてしまえば揃え直すのにどれだけの労力が必要か……だが彼らにしてみれば原状回復は被疑者の責任だ。ベルクマンの苦労など知ったこっちゃない。
「何とかしてくれ! このままじゃ俺の店がメチャクチャになる!?」
陳列棚や什器までひっくり返すのを見たベルクマンが知り合いに縋り付くが、生存競争真っ最中の役人は取り付く島もない。
「こっちはそれどころじゃない! 落ちこぼれて同輩どもに顎で使われるわけにはいかん!」
「おまえの出世なんか知った事かよ!? 俺の店が!」
泣き叫ぶベルクマンの後ろで、頭に血が上っている別の役人が叫ぶ。
「おい、壁を剥がせ! 何か隠しているかも知れん!」
「そんなところに何も入れてねえよ!」
「梯子持ってこい! 天井裏に何人か入れ!」
「どこまで調べる気だよ、おまえら!?」
明日の営業どころじゃない。
役人たちの探索が家宅捜索どころか建物の破壊行為にまで及び、愕然として声も出ないベルクマンの肩を誰かが叩いた。
「……なんだ?」
振り向くと治安維持の警吏が立っている……列を作って。
「ベルクマン、貴様には苦情を申し立てた客にギャングを雇ってけしかけた疑いがかかっている。詰め所まで来てもらおう」
「使用人に限度を超えた体罰をした疑いが……」
「公の場で貴婦人に卑猥な言葉を投げかけ侮辱したと通報が……」
「寄合の席で他の業者を脅迫したと……」
口々に上がる嫌疑。血気にはやる取調官……が多数。
その尋問が二日や三日で終わるとは、ベルクマン自身にも思えなかった。
◆
数日後。
用事を済ませに一旦大聖堂へ出たナタリアが、ウォーレスからの報告をもらって戻って来た。
「ココ様。例の商人の店、やっぱり叩くと埃ばかり出てきたそうです」
「だろうなあ」
「全財産没収に相応しいだけの罪状が簡単に積みあがったそうで……ついでに自白から、彼の行為を見逃していた役人も五人ぐらい捕まったそうです」
「やっぱりいたか」
ココも報告書を見てみた。
「ヤツの今までの態度の悪さに、近所も親戚も誰も助けに入ってくれなかったか。人間、思い上がっちゃいけないな」
「貴族も他人のことは言えませんね……」
遠い目をしているナタリア。それなりに貴族間の付き合いで思うところもあるのだろう。
「ところでココ様」
ナタリアが話題を変えた。
「ん?」
「ココ様もがめつく貯めてますけど、あまりに欲を張り過ぎてこういう事件を起こさないで下さいね?」
「心外だな、ナッツ」
ココはトラブルにかこつけてチクリと言ってきたナタリアに、しかめっつらで傷ついたことを表現した。
「わたしはちゃんとした筋の良い“ケチ”だぞ? あの野郎みたいな“しみったれ”と一緒にするな」
「……あの、素人には区別がつかないんですが」
「困ったヤツだなあ」
困惑するナタリアに、ココは真面目な顔で違いを説明した。
「しみったれと言うのは金を出し渋るくせに自分の為には散財するクズだ」
「はあ」
「ケチは自分のことにも金を使いたくない、自分にも他人にも厳しいストイックな境地なんだ」
「……」
「あの男の間違いはそもそも、喜捨する気もないのに御利益を求めて教会に来たことだな」
沈黙するナタリアを前に、ココは一人納得したようにウンウン頷く。
「必要なコストの計算ってものが出来ていない。店の経費でも教会のお布施でも、どうしてもかかるお金は損失ではなく投資なんだ。払うべき仕入れ費用を不当に出し渋るくせに、自分の贅沢には金をかける。こういう首尾一貫してないヤツはやっぱりダメだな」
「……ココ様ならどうしました?」
「私か? 私だったらお布施がもったいないから、そもそも神頼みなんかせず教会にも行かない。ノコノコとミサなんかに顔を出すアイツは、自分で道を切り開く気概が足りないな」
清々しい表情で“聖女様”は言い切った。
その立ち姿にココのゆるぎない信念を垣間見て。
開いた口が塞がらないナタリアは、諫めるのを諦めた。