第173話 聖女様は人生を諦めます
セシルがシャムロック老に声を掛けたら、何かのトラブル対応を打ち切って慌てて発射体制に入った。
「さんっ、にぃっ、いちっ、撃てっ!」
(おいおい、大丈夫かよ……?)
拙速に撃とうとするので、失敗するんじゃないかと王子が冷や冷やしながら見ていたら……焦った射撃班は、照準をミスするどころじゃない物凄いことをやらかしてくれた。
老人の早口のカウントダウンに合わせ、龍の動きに必死に合わせていた兵が引き金を落とす。
バンッ!
機械で無理やり巻き上げられていた弦が解放され、超々弩弓砲はあっという間にほとんど丸太みたいな矢を空中へと撃ち出した……作業が終わっていない聖女を載せたまま。
「ココーッ!?」
「ぎゃーっ!」
セシルは思わず名を呼び、ウォーレスが悲鳴を上げる。ナバロは今何が起こったのか理解ができず、大きく口を開けたまま固まっている。
その中でどうかしている老人が一人、
「行けーっ! そこで聖女パンチじゃーっ!」
脳天気に応援して、はしゃいでいる。自分のうっかりミスで重大インシデントを起こしてしまい、ショックでおかしくなったらしい。
トンデモミスをやらかしたジジイを吊るし上げたいところだが、今は老人の責任を追及している時ではない。
「ココーッ!」
叫ぶセシルの見ている前で、縄でつながった矢に急制動がかかり、失速した矢は発射機を巻き添えに眼下の森へ落ちて行った。
ココは一人、生身で空中に放り出されている。
背負っている袋を開いたらしく、バッと大きな布が風をはらんで膨らみ、そのまま弾けた。
本物の落下傘ならともかく、ココが思い付きで袋を広げたぐらいではダメだったらしい。
そしてココは背負い袋の残骸をひらひら引きずったまま暗黒龍へと飛んでいき……。
「あっ」
その間の抜けた叫びをあげたのは誰だったのか……。
ちょうど顔を向けたライドンの口の中へ、ココは勢いそのままに吸い込まれていった。
◆
ライドンはくらくらめまいがする中、無理やり立ち上がって吠えた。
周囲がすっかり明るい。どうやら魔王城から外へ出てしまったようだ。どうやって出たかは覚えていない。
『だが、都合が良い! 魔王城の中で人間どもと戦って、洞窟を壊すといけないからな!』
洞窟を壊してしまったら魔王軍を再興して魔王様をお迎えするのに困る。
上手いこと人間どもを外に追い立てたようで、ライドンは満足した。
しかし、頭の中にかかった靄はいまだ晴れていない。
『ぐおお、何だこのどうしようもない気持ち悪さは! いっそ内臓ごと吐き戻してしまいたいわ! いったい、これは……これはなんなのだ!?』
二日酔い。
そんな有り様のライドンがフラフラする足元で無理やり踏ん張り、周囲の邪魔なものを崩していると。
崖の上で人間どもが何やら騒ぎ、さっきから鬱陶しく撃ってくるヤツのデカいのを構えているのが見えた。
『ふん? 面白い! 魔神の祝福を受けた我ら魔王四将が、いかにデカくしたとはいえ弓矢で死ぬと思うておるのか!?』
(そもそもあの程度、我が強靭な鱗を貫くことさえできはしまい)
密かに防御力に自負心のあるライドンは、敢えて受けて人間どもの意思をくじいてやろうかと考えた。
そこでいったん足を止めて、敢えて動かないことで誘ってやる。
ライドン、悪酔いが足に来ていて、自分が小刻みにステップを踏んでいることに気が付いていない。
人間どもがデカいヤツを発射した。
何かミスがあったのか、間抜けなことに矢と弓がまとめて下に落ちていく。バカにもほどがある。
代わりになぜか……発射係が巻き込まれたのか、小さい人間が飛んできた。
『ふっ、奴らの前で食い千切って見せしめにしてやる!』
仲間がむごたらしく死ぬのを見れば、調子に乗っている人間どもも震え上がるだろう。
ライドンはタイミングを計り、飛んでくる人間に向かって口を開けた。
◆
瞬きするほどの時間の間に、ココは吸い寄せられるように暗黒龍の口内へ飛び込んだ。
「くそぉぉぉぉっ!?」
ココが口に飛び込むのと同時に、噛み千切ろうと上の歯が勢いよく降りてくる。
(冗談じゃないぞ!?)
真っ二つは嫌だ。いくら何でもそんなの蘇生のしようがない。
(方向転換……間に合わない!
ブレーキをかける……空中だぞ!?
前歯を掴んで勢いを止める……どれだけのスピードで飛んでいると思っているんだ、私!? 止まれるわけがないだろう!)
あらゆる方法をわずかコンマ数秒の間にいくつも考えては否定し、迫る上あごの下でココは“正解”にたどり着こうとあがく。
そして。
(ベストじゃないけど……仕方ない!)
もう上下ともに触れる位置まで来た龍の前歯を掴むと、飛んでいる勢いそのままに身体を……完全に歯が閉じ合わされる前に、さらに奥へと押し込んだ。
ココは間一髪で五体満足のまま舌の上に載る。
そしてそのまま、勢いよく喉の奥へと流れて行った。
◆
ガチンと歯が打ち合わされる音が頭骨内に響いたが、何故か歯ごたえのある物を噛んだ感触が無い。
『?』
不思議に思った次の瞬間。
『グホッ!?』
結構デカい塊が喉に押し込まれた!
勢いがついていたこともあり、そのまま思わず喉を鳴らして飲み込んでしまう。
『なんだ? もしや飛んできた人間か?』
食道を押し広げる感触が分かるぐらい大きなものを丸呑みしてしまい、のどに詰まったようで水が飲みたくなったライドン。
……しかも最悪なことに、本当に途中で引っかかったらしく胃まで落ちて行かない。喉の途中で何かが詰まり、圧迫感と不快感がある。
『ええい、やはり叩き落せばよかったか』
おかしな塊は咳をしても唾を飲んでも下がらない。
『くそう! 計算違いであったわ!』
◆
飲み込まれてしまった方は、計算違いどころではなかった。
「畜生っ!」
狭い肉の壁に押し包まれて、もがくココ。
せめて口の中で止まれば、何か刺激して飛び出そうとも考えたのだけど……タイミングが良過ぎて、喉も通り過ぎて腹に近い所まで入り込んでしまった。
食道の途中はヌルヌル滑るし、幅が狭くて身動きが取れない。
蠕動するから口へ上がることもできない。
胃まで落ちれば動けるかとも思ったけど、悪いことに落下傘の紐がライドンの歯の辺りに引っかかったらしい。ココは変な所で止まってしまって、それ以上落ちもしない。
聖心力で身体を覆って、ライドンの負の精気に侵されるのは防いでいるけど……。
(このままで、どれだけ持つかな……)
聖心力が無ければ、息さえできない。
せめて落下傘の残骸からリリースされれば、もう少し何とかなるのかもしれないけど……。
食道の途中に引っかかっているココにも、ライドンが激しく暴れるのが分かる。セシル達討伐軍が助けようとしても、これだけ元気なトカゲ野郎をココの息がもつうちに倒すのは不可能だろう。
(これは……ダメかな)
今までさんざん危ないところを前に進んで切り抜けてきたココだけど、今度ばかりは脱出する手が思いつかない。
(どうせどこかで罰が当たってロクな死に方をしないだろうと思っていたけど……まさかドラゴンに飲み込まれて腹の中で溶かされるなんて事になるとはなあ……)
さすがのスパイシー・ココもビックリだ。
そうこうしているうちに、呼吸も苦しくなってきた。龍の食道粘膜は殴ろうが蹴ろうが一向に手ごたえはない。
何もできず暗黒龍の栄養になるのを待っている状態で、ココはつらつらと外に残された連中の事を考えた。
(ナッツは泣いてくれるかなあ……)
危ないからザイオンの街に置いて来たけど、最期になるならもう一度顔を見ておきたかった。息苦しい教会生活で、なんだかんだ快適に暮らせたのはナタリアが間に挟まってくれたことが大きい。
(ドロシーやアデルにも、ちゃんとお別れ言えなかったや)
まさか王都を出発した段階では、自分がこんなところで死ぬとは思っても見なかった。
(教皇やウォーレス、修道院長は泣いてくれるかな……)
散々迷惑をかけたりかけられたりだったけど、付き合いは長くなった。葬式くらいはあげてくれるだろう。
(それに、セシル……)
あのポンコツ王子は、この龍と魔王を自分抜きで倒せるだろうか。
正直ココが抜けた段階で、討伐軍にドラゴンを何とか出来る気がしないのだが……それを先に逝ってしまう自分が心配しても、何かしてあげられる訳でもない。
(……思えば、孤児にしてはいい人生だったかな)
市場でかっぱらいを続けていたら、あと一年二年の命だった気がする。
教会に拾われて簡単な仕事をするだけで、八年も衣食住に苦労しない生活を送って来れた。
並の庶民には望めないような教育も受けさせてもらったし、給金が少ないと不平は言ったけど聖女の待遇自体は悪くなかった。
こうして考えてみると、ココの人生は意外と悪くない。
これで死ぬなら、それはそれで。
せっかく貯めた給料はもったいなかった気がするけど、金なんかどうせ全部、泡のように儚く消えるものだ。
あれは聖女を引退した後の、長い人生で生活に困らないように貯めたもの。その老後が無くなったんだから、有っても無くても同じことだ。どうせならセシルが有効活用してくれると嬉しい。
(……あれ? 意外と私、執着して無いな?)
あんなに大事にしていたお金だったのに。
ぼんやりし始めた頭の中で何かが引っかかり、ココは回らない頭で考えてみる。
余計なことを考えずに、素直に根っこを直視したのが良かったかもしれない。
ココは守銭奴を十年も続けてきて、初めて正直な気持ちに気が付いた。
(ああ……嫌いだわ、お金)
そうだ。
本当は憎んでいたのだ。
金が無いことが、死んでもいない両親を次々奪い去ったのだ。
まともに稼ぐ手段が無いから、恨みを買いながらパンを盗んで生きてきたのだ。
貧民だ万引きだと、そのせいで後ろ指を指されてきたのだ。
そして……それでも生きて行くために縋り付かざるを得なかったのだ。
老後の面倒を見てもらう必要もなくなったのだから、ココがアイツらの行く末を死の間際にまで気にしてやる義理はない。
もういいや。
先の無い自分には、もう山ほどの小銭があっても意味のない話だ。
やっぱりセシルに有意義に使ってもらおう。
「だけど、その為には」
ココは知らず知らず思ったことを口に出し、獰猛な笑いを顔に浮かべていた。
セシルに魔王を討伐して、無事に手柄を持って帰ってもらわないと。
「さんざん私も食い逃げしてきたけれど……」
人間、やっぱり貸し借りはちゃんとしておかなくちゃいけない。
「私、食い逃げされるのは許せないんだよなあ」
このトカゲ野郎には、ココを食った代金をちゃんと払ってもらわねば。
気力を取り戻したココは、今までで最も強烈な聖心力を放出しながら手をかざす。
出てきた“聖なる物干し竿”を左手で水平に持つと、右手に“聖なる肉切り包丁を顕現させた。
「ははっ、二個同時なんて初めてだな。やればできるもんだ」
左手に力を籠め、“聖なる物干し竿”をできる所まで伸ばしてやる。無理やり押し広げられた龍の食道の中で、ココは右手のエモノを振りあげて叫んだ。
「さあて、いっちょう代金の回収をさせてもらおうか……このスパイシー・ココ様のお値段は高いぜ? トカゲ野郎!」




