第171話 建築家は余計な物を出してきます
『これは何事だ!?』
ライドンは回らない頭で困惑していた。
生まれてこのかた、ここまで訳の分からない気持ち悪さに襲われたことがない。
目が回る。
呼吸が荒い。
後頭部が引き攣れたように頭痛がし、何が起きているかは分かるのに深く考えることができない。
身動きすれば自由が利かない。身体の力を制御できない。
つまり、二日酔い状態。
ライドンは酒も聖心力も嗜んだことがない。
しかし、今は体調不良などと言っていられる時ではない。
『ぐおおぉっ!? しっかりしろ、我!?』
立ち上がれ。人間が攻め込んできているのだ。
ライドンは気力で立ち上がった。魔王四将の名にかけて。
そしてそのまま反対側に倒れ、思わず前肢をついて柱を二、三本薙ぎ倒す。
『む、足に来ておる!?』
いけない。このままでは人間に死角を取られる。
視界がチカチカしているが、ライドンはとにかく立ち上がった。
よろけてつんのめり、たたらを踏んで思いがけず前進した。
既にボロボロ剥がれ始めている岩壁へ、強烈なヘッドバットをかます。
人間の攻撃なのか、やたらと岩が降ってくる。
『ええい、我は暗黒龍のライドンぞ! この程度の投石なんぞ、物の数ではない!』
気力で負けてなるものか。
無理やり後脚を踏ん張り、気合を入れるために吠えながら前肢を振るった。
うっかり全力で岩山を叩いてしまい、散弾が洞窟内に飛び散った。
『グオオオオッ! 今、何がどうなっておるのだッ!?』
状況を確認したいが目が良く見えない。
無理やり戦おうとする意識と、悪酔いしている三半規管が相反し……。
◆
「龍が凄い暴れているぞ!」
「これは、天井が崩落するんじゃないか!?」
兵たちの騒ぎを背景に、セシルやココたちは何とも言えない渋い顔をしている。
「うーん、まさか酔っ払って暴れるとは……」
暗黒龍、絵に描いたような急性アル中と化している。
「まさかなー……あんな酔い方をするとか思わないよなあ」
「気分が悪いのなら、おとなしく寝てればいいのに」
元凶コンビが揃って腕組みをしながら他人事みたいにブツブツ言っているところへ、護衛騎士が慌てて割り込んで現実へ引き戻した。
「そんなことを言ってる場合ではありません! どうします殿下!? このままだと、最悪我々も洞窟が崩れるのに巻き込まれるのでは!?」
せっかく追い詰めたけど、それも命あっての物種だ。
「そうだな……仕方ない、一時撤退だ!」
これはさすがのセシルも、ちょっと計算ミス。
「もう少し、慎重に進めたほうが良かったか」
「わっかんないよなー……龍と戦うなんて初めてだものな」
「お二人とも! 早く!」
洞窟は奥の方から、加速度的に崩れ始めている。
入口の方まで波及する前に、ココたちは何とか逃げ出した。
◆
「うーん……」
森林地帯の一角が、大きく陥没している。もちろん魔王城が崩れた跡だ。
縁に立って眺めていたココはセシルを振り返った。
「なあセシル」
「なんだ?」
「……弁償しろって、言われないよな?」
「ここは王国領だぞ? 損害賠償を請求してきたら、不法占拠の罰金と借地料をたっぷりふんだくってやる」
ウォーレスが元魔王城の辺りをじっくり観察して、ため息をついた。
「これ、やっぱり……崩落した跡を掘り返して、確実に死んだか確認しないとまずいですよね?」
「無茶言うなよ……」
あの天井が崩れたがれきがどれほどの重量になるのか……。
「討伐軍十万総出で発掘作業やって、何か月かかるやら」
一人はみんなの為に。
みんなは一人の為に。
王太子、確認作業をビネージュ王国単独でやるつもりは無い。
それにしても。
あの大きさの暗黒龍を倒すのもとんでもない無茶ぶりだけど、その龍が押しつぶされているはずの地面を掘り返すのもできない相談だ。
ザイオンの街どころかビネージュ王宮がすっぽり入る範囲が崩落している。やる前から無理だと諦めたくなる光景に、さすがの王子も初めから逃げ腰だ。
「あれだけの物が乗っかれば、さすがに生きてはいないだろう」
「殿下、お忘れですか? 魔王と幹部は聖剣でとどめを刺さないと死なないんですよ?」
「だからって、おまえ……これを本当に掘り返すのか?」
「私も無茶だとは思いますが……確認しないと倒したことになりませんよ」
王子と神官がああでもないこうでもないと言っているあいだ、しゃがみ込んで陥没痕を眺めていたココが二人に声をかけた。
「あー……二人とも。死体の確認は要らなくなった」
「え?」
『グオオオオオオッ!』
陽光で全身の鱗を黒く輝かせ、がれきの山から這い出た暗黒龍が咆哮した。
◆
「クソッ、あのままくたばっていればよかったのに!」
セシルがつく悪態に、聞こえる範囲の人間が思わず頷いていた。
「とんでもなく頑丈だな」
「そんなレベルの話じゃないですよ」
ウォーレスがセシルの腰を見た。
「やっぱり、聖剣でとどめを刺す必要がある……ってことですかね」
「だが、どうやって?」
龍を“まな板”に載せた状態で、さあどうぞと剣を振るならできるかもしれない。
だが、あの暴れているところへ人間サイズの剣で斬りかかるのはどう考えても……ムリ!
セシルどころかどんな武芸の達人でも、そんなことが可能だとは思えない。
「とりあえず攻撃を続けてはいるが……」
クレーターの縁に超弩弓砲を並べ、遠距離から射撃は行っている。
最初の一斉射で、巨人たちを薙ぎ倒した矢でも暗黒龍の硬い鱗には歯が立たないことが分かった。なので、今は間接攻撃にシフトしていた。
『グオオォッ!? 人間どもめ、尋常に勝負をせよ!?』
龍が喚いているが、取り合わない。
討伐軍は用意した聖水の残りを詰めた容器を矢に括り付け、ライドンの顔目がけて打ち込んでいた。
卑怯ではない。
作戦である。
セシルが難しい顔でこめかみを掻く。
「聖水? も矢もまもなく切れるし、そのうちにヤツも酔いから覚めるだろう。それまでに一回倒れてくれればいいが」
そうでないと、近寄れない。
攻め手が無い。
ライドンが正常になれば、たちまち討伐軍に牙を剥くだろう。
攻守が逆転したら、今度こそ追いまくられて討伐軍は全滅する。
「何か……誰か、何でもいいからアイデアはないか?」
藁にもすがる思いのセシルが見回す中、一人の男が手を上げた。
「ございます」
「おおっ……!」
皆が注目する中、自信満々に名乗り出た男はニヤリと笑い……。
「こんなこともあろうかと! このシャムロック、対暗黒龍用の秘密兵器を用意してございます!」
芝居がかったしぐさで、自分の後ろを指し示した。
◆
「またこれか」
シャムロック老人の必殺兵器を見たセシルの反応は、一言に尽きた。
巨大なクロスボウが一丁、用意されている。
「おまえ、弩弓好きだな……確か、冒険者ギルドの再教育で使った速射できるヤツも」
「そうです、ワシの作品です!」
建築界の大御所が顔を輝かせる。
「クロスボウはいい! 発射に至る手元の機構がたまらない! やっぱりカラクリ細工は男のロマンじゃ!」
「コイツ、使うところを見たくて前線に来ただけだな」
呆れたセシルに言われ、老人は慌ててブンブン首を振る。
「そんな、趣味の為にだなんてとんでもない! ワシは設計者としてのアフターフォローと母ちゃんの横暴から逃げる為、敢えて前線まで出張ってきたんですぞ!?」
「主に後者が理由だな」
シャムロックは兵士に準備させている新型兵器を指し示した。
「ドラゴンともなると巨人用の超弩弓砲では歯が立ちません。そこで!」
今度の兵器は、柱のような矢を射ていた超弩弓砲より更に二回りほどデカい。準備している矢の太さは、もう丸太そのものだ。
「超弩弓砲は聖心力で貫通力を増した矢で串刺しにする、従来のクロスボウと同じ方式でした。しかし、この超々弩弓砲はもう発想が違う!」
シャムロックが矢の先端を見せる。
「この超々弩弓砲では、矢はあくまで推進力を付けるための中間部品にすぎません」
円錐形のキャップをかぶせて尖らせていた巨人用と違い、逆に何か物を載せるように台座になっている。
「先端に聖女様の最強の聖心力を込め、最大加速で龍にぶつけるのです」
「あくまで聖心力の衝撃力を活かすための装置というわけか……」
「そうです!」
つまり、ココの聖心力がものを言う。
シャムロックがココに手伝いを頼んだ。
「聖女様、ちょっとここへお願いします」
「うむ」
手を借りて矢の先端に乗っかり、言われたとおりに寝そべる。
シャムロックがココの背中に何か背負い袋みたいなものを取り付けた。
「よーし、準備完了! よく狙うんじゃ!」
「はっ!」
暴れる龍に向けられる超々弩弓砲。
「チャンスは一度きりじゃ! しくじるなよ!」
「ちょっと待った」
ココは発射シークエンスにストップをかけた。




