第165話 王子様は民を心配します
住民が避難をしていない。
守備隊長の報告に、セシル王太子は怪訝そうな顔をした。
「どういうことだ? 籠城戦を決定した段階で、住民は脱出するように伝えさせたはずだが?」
「はい、それで布告はしたのですが……」
恐縮しながら守備隊長が言うには。
「ザイオンの住民……特に中堅層以上の古参の市民が、『長年暮らしてきた街から避難する羽目になったのに補償も無く、遠隔地への引越しの便宜も図られていない』とごねて動かないのです」
珍しくも、あのセシルが呆れて固まっている。
「……魔王軍がまもなく襲来するのは知っているのだよな?」
「はい、それもすでに告知しております。ただ……このたびの戦いではザイオンへ魔物の襲撃が無いものですから、どうも現実感が薄いみたいで……」
通常時でも郊外の畑を荒らしに魔物が出没する地域の為、悪い意味で慣れている。日常のそれより被害が出ていないので、魔王の復活を軽く見ている所があるのだと言う。
「それにしても、国の避難命令に『だったら金を寄こせ』とは……」
あんまりな話の内容に、王太子が呻いた。
都市計画の為に立ち退けとか、大災害で着の身着のまま……というのなら、公の支援を求める気持ちも分からないでもない。
(そう言う理由でも、民の事情なんか斟酌してくれない国もまた多いのだが)
しかし今回のこれは、戦場になる前に余裕を見ての避難勧告。
それに、なにより……。
「王国は“戦場予定地”に勝手に住み着いた開拓民に対して、ザイオンの防衛や税の免除でずいぶん優遇をしてきたはずだが」
元々ザイオン周辺は、魔王復活時に真っ先に焼け野原になる予定の緩衝地帯。
そんな場所で開拓が進んだのも、地の利を当てにしてザイオン“砦”の廻りに民が住み着いたのも、ビネージュ王国にしてみれば“黙認”であって推奨した事実は一度もない。
一向に魔王が復活しないので、民が勝手に畑にしちゃったのだ。
ここはいつかは戦場になる土地。
王国は不安定な状態で仮住まいを続ける開拓民が可哀想なので、今セシルが言ったような温情をかけてやった……と公式にはなっている。
実際は税を徴収してしまうと「居住可能地域」と認めてしまう事になるので、取れなかっただけ。カッコイイ理由を付けて放置してきた、つもりだった。
これは予想外。
「仮の対応で与えられた温情も、数百年甘受していれば先祖代々の特権か……」
セシルが苦虫をかみつぶした顔で呟く。
「それが魔王襲来と引き換えだという事も忘れ去られて、王政府のせいだから追加で寄こせ……だとは」
「どうしましょう……?」
守備隊長が弱りきって尋ねてくる。
付き従う将軍たちも、そういう民治のことは分からないので困惑するばかり。
どうしたものか。
状況を甘く見て魔王軍に踏み潰されるのは住民の勝手だが、予定しているのは籠城戦。立てこもる中に非戦闘員がいると余計な食料を食い潰すし、何をやるにもスゴい“邪魔”。
なにより討伐軍に参加している外国軍に、強情な住民に右往左往している所を見られたくない。
しばらくセシルは黙って考えた。
「……多少手荒だが、仕方ないな。おい、耳を貸せ」
王子様は守備隊長とナバロにこれからやることの指示を出す。そして伝令兵を呼び、工兵隊へと走らせた。
◆
田舎街で唯一の広場に集まって口々に不平を叫ぶ民衆に、守備隊長が街を早く退去するよう繰り返していると……。
広場に走り込んできた兵がラッパを吹き、人々に注目するよう喚起した。
「なんだなんだ?」
皆の視線が集まるところへ兵と一緒にやってきた騎士が……明らかに中央のエリート然とした騎士が、広場を見回して声を張り上げた。
「討伐軍司令のセシル王太子殿下がお着きになられた! 傾注!」
「おおっ!?」
王国に一人しかいない王子様(しかもイケメンという噂)がやってきた!?
これは魔王軍襲来とは別の意味でレアなイベントだ。
今までと違う種類のどよめきを群衆があげる中、慌ててザイオン駐留の守備兵がかしこまり……側近を引き連れた王子が姿を見せた。
こんな辺境の街にいては、王子を見たことのある者などまずいない。
「諸君、ご苦労!」
そこへ現れた、伝え聞いた通りに美麗な若者。
物珍しさで、緊迫していた場の空気が一変する。
騒いでいた市民たちも、毒気を抜かれた顔で初めて見る王族に注目した。
にこやかに笑う王子は今の状況をどう聞いているのか、しきりに頷いて隊長に何やら話しかけている。そして守備隊長と場所を替わり、皆から見えるように台の上に立った。
「諸君! 街の状況は聞いている!」
王子の第一声に、人々も今何を騒いでいたかを思い出した。
(そうだ、王子に直訴だ!)
(守備隊なんかじゃ話にならない。ちょうどいい!)
そう考えた住民たちが声を上げ……ようとした機先を制するように、王子が言葉をつづけた。
「魔王軍がまもなく襲来するのに、誰一人逃げる者がいないとか。踏みとどまって自ら街を守ろうという諸君の心意気は、この私も非常に頼もしい!」
何か、王子が認識の違うことを言い出した。
「諸君も知っての通り、圧倒的な戦力を誇る魔王軍はすでに魔王城を発してこちらに向かっているらしい! 我らも決戦を企図し、できるだけの兵力を集めてきたが……正直この程度の戦力で、奴らに太刀打ちできるとは思えない。だが!」
笑顔から悲壮な決意を滲ませたキメ顔になったキラキラ王子が、こぶしを握って広場を見回した。
「我らはここでできるだけ粘って魔王軍を一日でも長く引き付け、王国の民が逃げる時間を作らねばならない!
我ら討伐軍はここで全滅するだろうが……我らが稼いだ猶予で、諸国が迎撃態勢を整えてくれると信じている!
君たちが市民ながら命懸けで抗戦した事実は、きっと後々まで語り継がれるだろう!」
一旦言葉を切った王子様は、感動の涙を浮かべていた。
……どうもボタンの掛け違いがある。
唖然とした民衆が感動的な演説にぽかんとしている所へ。
郊外から何やら大勢で騒ぐ声。
それに被さるように、何かの道具を使う大きな音。
走ってきた兵士が王子に報告を上げた。
「魔王軍と思われるグレムリンが数頭襲来! 対空部隊が迎撃しましたが、低空を飛来したため発見が遅れて撃墜に至りませんでした!」
「そうか! 我らがザイオンに到着したのが奴らに知られたな……明日にも包囲されるぞ! 全軍急ぎ籠城戦の用意を!」
「はっ!」
再び駆け出す兵を見送り、王子様が市民にもう一度向き直った。
「諸君、聞いての通りだ! 身の回りの整理を整え、文字が書ける者は遺書を書いて一時間後にまたここへ集まってくれ! 預かった遺書は今から出す最後の伝令に王都へ届けさせよう! では、解散!」
一時間後。
続々到着する各国軍へ担当区域の割り振りを指示しているセシルの元へ、守備隊長がやってきた。
「住民は想定通り、一人残らず逃げ去りました!」
「よし、邪魔な場所の民家も壊して補強材料に回せ」
「勝手に壊しちゃって、いいんでしょうか?」
「問題ない。俺が宣告してから逃げたのだから敵前逃亡の扱いだ。残っている物は全部私財没収ってことで構わん」
セシルが設置し直している対空用の弩弓機を顎で示す。
「やつらを脅すために工兵隊に無駄に撃たせているんだ。使った経費の代わりだ」
「はっ!」
◆
「よいしょっと」
大鍋をかき回していたココは手を止め、小皿で味見した。
「塩辛いな、相変わらず……」
あんまりできる仕事が無いので、設営などの時は配給の支度などを手伝っているココ。
食事を作る手伝いをすることが多いのだが、なぜか調理補助どまりで味付けなどはやらせてもらえない。
「いいじゃないか、ちょっと薄いくらい」
“聖女様が作ると水っぽい”と、不評ではずされちゃったのだ。
塩を肉体労働者に合わせた加減で入れたらもったいないし、ベーコンや干し肉なんかダシが出ていれば問題ない。具が足りないと思ったら、スープの水分で腹を膨らませろ。
ココは経費の節減第一でそう思うのだけど、それがなぜか不評なのだ。
「まあいいや。どうせ経費は私の財布から出ているんじゃないし……あっ!」
……まてよ? だったら肉も芋もドカドカぶち込んじゃったほうが良いのか?
かつてココはそれを「しみったれ」と呼んでバカにしていたのだったが。
「なるほど、他人の金をアテにして飯を食うというのはこんなに甘美なものだったのか……これも知らずにイキっていたとは、私も青かったなぁ」
我が身に降りかかってくると、コロっと宗旨替えの聖女様。
明日から、遠慮なくベーコンをぶち込もう。
そう決意したココが炊事班特権で、できたシチューを大皿いっぱい味見していると……。
「ココ様ーっ!」
「ん?」
振り返って見やれば……見慣れた教皇庁の馬車から懐かしい顔、ウォーレスとナタリアが降りてくるところだった。




