第145話 聖女様は王宮へ駆けつけます
ナタリアは必死に聖女の部屋の扉を叩いた。このニュースばかりは急いでココに伝えないと……。
へそを曲げているココも、王子が勇者になるなんて聞けば驚いて顔を出すだろうという目論見もあった。
ぶっきらぼうに返事をしてくるココに伝えると、予想通り食い付いてきた。
『セシルが!? なんで!?』
ココの叫び声に、重い物を引きずる音が重なる。扉の前に積んだバリケードを動かして出てくるつもりのようだ。
……しかし、やたらと時間がかかっている。
さっきは怒りに任せて一気に動かしたけど、パニックになった今度は重くて動かないらしい。ウンウン唸っている声だけ聞こえて、しまいには罵声と一緒に蹴りつける音がした。
『……あああ、もう! 誰だっ!? ドアの前に執務机なんか置いたバカは!?』
おまえだ。
待ってられないし手伝うこともできないので、ナタリアはドア越しに説明を続ける。
「王宮で“勇者召喚の儀”を行ったんですが……」
代々途切れずに続く聖女と違い、魔王がいなければ仕事が無い勇者は改めて任命されることは無かった。
したがって今回は初代勇者に続いて二代目ということになる……つまり、聖女の伝承と違って召喚のやり方も形式化されてないし、ちゃんと伝わっていない。
初代の時はそもそも初めてで、試行錯誤して勇者を召喚したらしい。なので、混乱した現場できちんとやり方が記録されていなかったようだ。
あてにならない数百年前の古文書を引っ張りだして、王国はやって見たものの……。
『どうなったんだ!?』
「どうにもならなかったみたいで」
神託も何も、出なかった。
やり直してもダメ。
……となると、次善の策として。
「ビネージュ王家は初代勇者の血統です。つまり、その家系の直系で唯一の男子でもある王太子殿下が……」
『繰り上げ当選で何とかなるものなのか!? 勇者って!?』
ココの悲鳴に、ナタリアも叫び返した。
「分かりません! 分からないからみんな困ってるんですよう!」
祖先が勇者だからって、能力が遺伝しているとは限らない。
いや、どちらかというとセシル王子と言えば……。
「なかには、もう世界は終わりだって気絶しちゃった人もいるみたいで……」
『打たれ弱いな、ビネージュ貴族!? セシルのオヤジは何か言ってないのか!?』
「陛下は、後継ぎに期待していた殿下が魔王討伐に行くと聞かされてまた調子が悪くなり……」
『一度ぐらい役に立てよ!? 国王はオヤジの方だろ!?』
「どうしましょう……!」
ナタリアもどうしていいか分からない。
それでココに自分たちはどうすべきか意見を聞きたかったのだけど。
しばらく黙ったココが、ぽつりと言った。
『……セシルに会ってくる』
それっきり、中から音がしなくなった。
「……あれ?」
◆
大聖堂の門の中では聖堂騎士団が、大騒ぎであちこちへ騎兵を出している。
彼らは大災害などの時に伝令役として早馬を担当したりすることもある。今も各地と連絡を取るため、ひっきりなしに騎乗の騎士が門を出入りしていた。
「トマンソン聖堂より帰還! 返書を至急執事長へ!」
馬を止めた騎士が叫びながら馬の左へ降りた。
入れ替わりに銀髪の修道女が右から乗った。
「ハイヨー!」
軽く煽られた馬がいななき、急ぎ門から出て行く。
後には。
「……あれ?」
出迎えた厩舎番と、馬を盗られた騎士が間抜けヅラを晒して棒立ちになっていた。
◆
「どけどけーっ!」
街を行きかう人々が慌てて道を空ける中、小柄な少女がしがみついた馬が王宮へ向けて街路を暴走する。
机が邪魔で扉が開かないので、窓から自室を脱出したココは大聖堂から王宮へ急ぎ向かっていた。
途中でちょうど手頃な足が在ったので頂いてきたのだが……。
ココは一つ、大事なことで頭を悩ませていた。
「うーん……馬って、どうやったら停まるんだろう?」
走っていくより馬の方が速いかと乗ってきたのだけど、ココは乗馬なんか習ったことが無い。出発するところは何度も見たことがあるのでうまく発進したけど、よく考えたら停めるところは見たことが無い。
「しまった……手間を増やしちゃったかな」
それ以前に、どうやったら安全に降りられるのか?
ココは答えを持っていない。
取りあえずココは馬に囁いてみた。
「おい、ウマ。王宮で降りたいんだ。わかるな?」
分かるわけがない。
「聞いてるか? もうすぐ降りたいんだ。いいか? おまえは門で止まる。おい、分かったか?」
だから分かるわけがない。
反応の無さにちょっとイラっと来たココだけど、ウマ畜生に当たり散らしても仕方ないと思い直した。
「私も聖女だし……気持ちを込めてお願いすれば、四つ足のケダモノでもきっと……」
自分自身でも信じていない理屈で、ココは丁寧に何度も頼んでみる。
「おい、タルタルステーキ。聞いてるか? 私は降りたいんだ。お・り・た・い。わかるか、ニューコンビーフ? ちょっとでいいんだ、ちょっとだけ止まってみようぜ? なあ、馬刺し野郎」
背中に乗っている見慣れぬ人間が何を言っているのか、馬でしかないエメラルド号には分からない。
だが、なにを考えているのかはなんとなく伝わった。
エメラルド号は思った。
“止まったら、殺られる!”
「おいこら、止まれって言ってるだろ! なんでスピードを上げるんだ!?」
「ヒヒーンッ!」
◆
ビネージュ王国王宮の正門では、まだ詳細は伏せられているが緊急事態の報だけは門番たちに伝わっていた。
ピリピリしている中、警戒している彼らのど真ん中へ……。
「暴れ馬だぁぁぁーっ!?」
「何事だ!?」
無人の(に見える)馬がいきなり門へ突っ込んできた。
普通なら繊細な動物である馬は、バリケードがあればそこでいったん足踏みする。
ところが。
「破られたぞ!」
何故かこの馬、絶対止まらないと決意したかのように足を速めて突入してきた。
門の車止めも突破して、門内へトップスピードで駆けこんでいく馬。
「追え!」
「いかん、被害が出る前に止めろ!?」
門番たちが慌てふためいて、暴れ馬を捕獲しようと押さえにかかった。
そんな騒ぎが門から庭園の方へと離れていくのを聞きながら……櫓門の巻き上げてある格子戸にぶら下がったココが、無事に馬から降りられてホッと一息ついた。
「聖堂騎士団の馬は調練をちゃんとしていると聞いたんだがなあ……あんなヒステリー気味のヤツもいるんだ。危ないな」
◆
「おい、セシル!」
ココがセシルの執務室に(勝手に)入っていくと、元気のないセシルが椅子に座っていた。
「……ココか」
「勇者の召喚が上手くいかなくて、おまえがやらされるって本当か!?」
「ああ……ははっ、情報が早いな」
「笑っている場合か!」
セシルは今までに見たこともないぐらいに萎れていた。無理もない。
「……セシル。なんでこんなことに……」
「勇者召喚の儀式をしたんだが……それで新しい勇者が呼ばれないということは、初代の血統で繋げという神意なのではという話になってな……」
「それにしたって! 出来ることとできないことがあるだろ!?」
ココは頭を掻きむしりながら地団駄を踏んだ。
「セシル! おまえ剣の腕は少しは上達したのか? 教官は何て言ってる!?」
「……剣を振る時は……他の人間から五十歩離れろと」
「おまえ、訓練で何したわけ!? 半径五十歩って、飛び道具の間合いだぞ!?」
セシルが勇者になる一番の問題点。
戦闘技術がまるでダメ。
「おまえの命がどうのって以前に、そもそも戦いのセンスも勝てる見込みもないじゃないか……」
「だが魔王討伐って言うのは、剣の腕だけ達者でもダメなんだ」
憂鬱そうな顔で、セシルが“勇者”に求められる条件を語った。
「聖女の聖心力とはちょっと事情が違うが……聖剣は勇者にしか使えない。正確に言えば、選ばれた勇者が使わなければ魔王や幹部である魔王四将にとどめを刺すことができない。ほぼ不死の存在であるこいつらには、勇者と聖剣の組み合わせでないと」
「だけどさ!」
そんなの、その段階まで行き付けなければ何にも意味はない。
その時、ココの脳裏に自分が指名された時の儀式の様子がよみがえった。
「なあセシル。期待してた勇者が召喚できなかったから、おまえで代用って言うけどさ……私が誓詞で聖心力を測られたように、ちゃんと勇者の資格があるか調べなくちゃならないんじゃないか?」
「それはまあ……そうなんだが」
「じゃあ、それで降参しちゃえ! 血筋がお前しかいないって言ったって、試験を通らなかったら子孫と言ったところで……セシル?」
セシルがうつむいたまま、こちらを見ない。
「……」
「……」
ココがそっとセシルの肩に手を置いた。
「セシル? 何をやらかしたのか、私の目を見て言ってみろ?」
王子様は顔をあげないまま……。
「聖女の誓詞にあたる勇者の確認方法は、聖剣を鞘から抜くこととなっていて……つい、うっかり……抜いちゃった」
ココは片方靴を脱ぎ、セシルの頭を思い切りひっぱたいた。
「アホーッ!? おまえは王子のクセに腹芸の一つもできないのか!」
「子供の頃は鞘が抜けなくて安全だから、よく振り回して遊んでたんだ! この期に及んで、まさか抜けるとは思わなかったんだよ……!?」
「それにしたって、あーもう……このバカは何で大事な時ばっかりポンコツに……」
もう、なんて言ったらいいか、分からない。
要領よくやっているように見えて、肝心な時ばかり貧乏くじを引く王子様に付ける薬が見つからない。
セシルが勇者じゃ、どっちにしたって勝てる筈がない。
「セシル」
ココはセシルの両肩を掴んで、顔を上げさせた。
「どっちにしたって、こんなの勝てるわけがない」
「ああ、それは俺もそう思う……だが、どうすれば」
悄然と言う王子に、ココは今までになく真面目に囁いた。
「二人で逃げよう!」




