第144話 聖女様は逃走を図ります
「いや、待って?」
ココは手をあげてウォーレスに「待て」をする。
「私が魔王退治に行くって……会ったことは無いけど、魔王って結構ヤバい奴じゃないのか?」
「そりゃ、魔王ですからねえ」
ココの質問に、ウォーレスもこっくり頷く。
「……なんで私がそんなのを退治しに行かないとならないんだ。その辺りでオークやゴブリンを狩るのと話が違うぞ?」
「その辺りのオークやゴブリンなら普通の騎士でも退治はできますが、魔王ともなると勇者でないと歯が立たないと言われています」
「それなら私の出番はないだろう」
「その勇者の戦いをサポートし、道を指し示すのが聖女です」
ココはウォーレスの話をよくよく噛み締める。
「……そんな話、聖女になった時に聞いてないぞ?」
「その時は確かに言いませんでしたが、あとあと聖女の歴史や役割を説明した時に何度も聞いているはずですが」
「そんなの過去の事例だろう。私がやるとは聞いてない」
「だって、我々だって魔王が復活するなんて思っても見ませんでしたから。聖女の中で魔王を退治したのは初代の聖マルグレードだけですし」
「なんで私(とマルタ)だけ!?」
「くじ運が悪かったと思って諦めてください!」
「いーやーだーっ!?」
「嫌だと言われましても、そういう決まりですから。聖女って、そういうものです」
◆
廊下を走る音がして、教皇の執務室にいきなり聖女が走り込んできた。
「せめてノックぐらいせぬか!」
打ち合わせ中の教皇が叱りつけると、逆に聖女に怒鳴り返された。
「それどころじゃない!」
「いったい何なんじゃ……」
書類を踏んづけながらローテーブルに乗ったココが、教皇の襟を両手で締め上げてがくがくと揺さぶる。
「おいジジイ! 私が魔王退治に行く予定ってどういうことだ!」
「いや、だって……聖女じゃし」
ウォーレスと同じ答えを返してくる教皇の首をキュッと絞める聖女様。
「グエッ!?」
「聖女様、落ち着いて!?」
「落ち着いてられるかぁ!」
机の上にすっくと立ち、ココは宣言する。
「私は行かないぞ! 魔王の場所なんて知らないし、退治についてく義理はない!」
「いや、待て待て!?」
オチている教皇の介抱も忘れて、後を追ってきたウォーレスや会議中の高官たちが慌ててココを取り囲み、説得しようとする。
「聖女というのはその為にいるようなものじゃないか!」
「そんなのを承知してなったわけじゃないわ!」
「聖女の聖なる義務じゃぞ!」
「だったら譲ってやるからおまえ行け!」
何とか説得しようとするが、ココは全く納得しない。
ウォーレスがソファに崩れ落ちている教皇を揺さぶる。
「ちょっと、聖下!? 呑気に寝てないで聖女様に何か言ってやってください!?」
「ジジイが何を言おうと絶対に行かないぞ!」
「あっ、聖女様!?」
ココはそのまま部屋を飛び出して行ってしまった。
◆
ナタリアがココの部屋の扉を叩く。
「ココ様ぁ! ケーキもらってきましたよ? ご機嫌直してくださいよ」
『そんなものに釣られるか!』
立てこもった聖女の説得に、修道院の者たちも手をこまねいていた。
教皇庁から走って帰ってきたココは、その勢いのままに部屋に入ってしまった。
ココが帰ってきたのを見て慌ててナタリアも駆け寄ったけど、それより先に鍵をかけられた。中から重い物を引きずる音がしていたので、おそらくバリケードも築いている。
ウォーレスから事情を聴いて、親しい修道女たちもなんとか部屋から出そうと声をかけているのだけど……。
「ココ様~、しかたないじゃ~ないですか~。聖女の~仕事なんですし~」
『だったらドロシーが修道院長の相手を全部して見せろ!』
「ココ様ぁ、お小遣いあげるから! 大好きな銀貨だよ!?」
『そんなはした金で命かけられるか! そもそも日給銅貨八枚の子供に死んで来いっていうか!?』
修道女たちはすごすごと引き下がり、渡り廊下で待機している教皇とウォーレスに説得失敗を報告した。
「全然話も聞いてもらえません」
「ちょっと~、無理っぽいです~」
「いやあ、安い給料の事を言われちゃうと……」
「そこをなんとか! 聖女が聖務拒否して世界が滅亡なんてわけにはいかないんですよ!?」
「それを我々に言われましても……」
◆
機嫌を損ねて立てこもったと思われている聖女様だが、実は意外と落ち着いている。
意外と落ち着いて、よく考えたうえで逃亡を図っていた。
「全くどいつもこいつも……こんな安い給料なのに、命がけで魔王なんか倒しに行けるか!」
どう考えても損得が引き合わない。
もちろんココとて、長いあいだ衣食住全部見てもらった恩は感じている。
元から貸し借りにはうるさい性格だ。厚遇に報いるつもりはあった。
……だけど、“魔王を倒しに行け”の後出しは許容できる要求水準を軽く飛び越えている。
だからココは冷静に考えて、今晩のうちに“失礼”することにした。
世界は滅亡するかも知れないが、それはもうそう言うことに決まっていたと思って諦めてもらうしかない。
全てが終わるまで、どれぐらいの猶予があるか分からないが……ココはそれまで世界の隅っこで、つつましく生きて行こうと覚悟を決めていた。
部屋の中でココは夜を待ちながら、小汚いカバンにとりあえず使えそうなものを詰めていた。
「むう……現金はこれだけか……」
セシルのせいでそれまでの分を持って行かれたため、金庫を破られてから後の半年分ぐらいしか手元にない。
「まあ、こんな緊急事態になるなんて思っていなかったからな……元々のお金が全部あっても、どっちにしても持っていけなかったか」
金貨に両替されちゃった後のアレ、やっぱり手元に持っていればよかっただろうか。
後は大したものはない。そもそも貧乏人は家財道具を持たないから、カバンに収めるのも街に出られるようなボロ服の着替えくらい。
「くそう、女神の言っていた『私にしかできない事』って、これだったのか……」
先に言え。
はっきり前から分かっていれば、こんな事態になる前に逃げてたのに。
「そうすれば私もさっさと見切りを付けられたし、後釜はきっと喜んで死にに行くヤツが来たはずなのに……」
こんな土壇場じゃ、新しい聖女も決まらないだろう。
「あーあ、生意気だからって腹を立てずに、はいはい言ってフローラに譲っておけばよかった……」
あいつに能力があるかどうかなんて、役割をぶん投げる身にはどうでもいい。
バカみたいな位置にココがいなければ、後がどうなっても構わないのだ。
ココは荷造りしながら夜逃げの計画も練る。
「ウォーレスの事だから、修道院の外は完璧に固めているだろうなあ」
きっと逃亡させないように、聖堂騎士団で包囲しているだろう。
「逃げるんなら夜明け前……日が差す直前のみんなが疲れている時間帯だな」
すぐに塀を乗り越えず、屋根を走って教皇庁から裏側へ廻ろう。この広い大聖堂を完全には封鎖しきれないはずだ。
カバンに金と着替えを詰めて、当座の生活費を稼げそうな靴磨きの道具も一緒に入れておく。
現金と違って受け取っておいた、わずかに持っているアクセサリーの小袋を開けてみたけど……。
「……ダメだな。貧乏人が換金しようとしたら、絶対盗品だと疑われて縛り首だ」
聖心力があれば警邏からも逃げられるけど、魔王を前にして逃亡したらさすがに剥奪されているだろう。
ココは何の力もない、ただのストリートチルドレンに戻る。これからはそのつもりで生きて行かなければならない。
「あ……」
アクセサリーの中に、銀の指輪を見つけて手に取る。
セシルがくれた、聖具に見せかけたヤツ。
一瞬、これだけでも持って行こうかと迷ったけど……。
「……ごめんな」
ちょっと迷って、袋に戻した。
セシルは今も、魔王対策で走り回っている。踏みとどまって戦うセシルがくれた物を、逃げる自分が未練たらしく持っているわけにはいかない。
「……」
震える手で袋に戻して、ぎゅっと唇を噛む。
ヤツの小憎らしい顔がまぶたに浮かんで、目に涙が滲んできた。
ココが逃げたと連絡が入ったら、アイツはどんな顔をするだろうか……。
「怒るかな……」
ココらしいと笑ってくれたら罪悪感は減るけれど、きっとそんなココに都合が良い男じゃない。
“他人に自分の願望を押し付けるな”というのは、常々ココが実力行使で思い知らせてきたことだ。こんな時にそんな自分に甘いことを考えちゃいけない。
セシルの事を考えないようにしながらココは荷造りを終えた。
後は庶民に紛れ込めるように着替えて、脱出の機会を待つだけ。
黙って準備をしていると、ナタリアはじめ世話になった皆の顔が浮かんできてしまう。
「……良くないな」
やりたいようにやってきたつもりでも、八年は長すぎた。深く関係した人間が多くなり過ぎた。
(忘れるな。自分のことが一番大事!)
それを一生懸命念じながらココがぼろい作業着に着替えようとした時……しばらく静かだった扉が激しく叩かれた。
『ココ様ーっ!』
ナタリアだ。
『大変ですーっ!』
大変も何も、魔王が攻めてくること以上に何があるのか。
「うるさいっ! 勇者のお供なんかにならないぞ!」
見捨てていく負い目もあって、思わずきつい言い方で怒鳴り返してしまったココに、ナタリアが叫び返してきた。
『本当に大変なんですーっ! 王太子殿下が……勇者になりました!』
「……なんだと?」
法衣を脱ぎ捨てようとしたココの手が、あまりに意表を突いた言葉に凍り付いた。




