第131話 女神様は見栄を張ります
ココは詠唱もしなければ、誓詞も使わなかった。ただ床に手を向け、気合の掛け声を一言発しただけだ。
だからココを良く知らない他派の神官の中には、まだ聖心力を見せる前の準備運動の段階だと思った者もいた。
だが。
当代の聖女様は聖心力を発揮するのに、一々手続きなどいらないのだ。
ココの足元を中心に、渦を巻くように光が現れる。
青白い炎のような光は揺らめきながらつむじ風のように巻き上がり……あっという間にココの身長を超え、遥か頭上の礼拝堂の天井にまで突き当たった。
ものすごい勢いで膨らむ光の渦は、上だけでなく横にも広がって周囲の人々をも呑み込んでいく。
「うわっ!?」
「えっ? これ、どういうことだ!?」
居並ぶ神官や役人たちは、自分の髪や衣服が光にあおられて激しくはためいているのに驚いた。肌にはわずかな風さえ感じていないのに、物だけが動いている。
さらに。
顔をあげれば、千人が入れる礼拝堂が隅々まで明るく照らされている。まばゆい光が広範囲に行き渡り、祭壇からはるか離れた正面入り口のドアノブまでがくっきり見えている。
この広い室内が聖女の放つ聖心力によって、神々しくも畏怖を感じさせる青白い輝きに満たされているのだ。
ありえないほどの聖心力。
先日確認したフローラのそれとは、比べること自体がバカらしくなるほどの膨大な量だった。
そして、さらに。
人々が驚く様子を見てケタケタ笑ったココが、柳眉を跳ね上げニヤリとした。
「天国に行ってもないのに女神様に会える機会なんか、まずないんだからな? よそ見をしていて見逃すんじゃないぞ?」
「え?」
ココちゃん、サプライズも用意していたのだ。
ココの言葉が終わらぬうちに、渦巻く蒼焔の光に混じって粉雪のような微細な銀色のかけらが降り始めた。
気が付いた者が天井を見ても、そんなものを振らせるようなものは何もない。
だが、確かに目視できる“何か”が宙を舞っている。吹き上がる聖心力で花吹雪のように降り注ぎ、畏れ惑う人々に触れる前に空中でするりと消えてしまう。
この広い空間を青白く染め上げる幻炎に、光を受けて七色に輝く雪。
さらには、どこからか人の声のような、鈴の音のような音で荘厳な合唱が聞こえてくる。
そんな幻想的な光景に言葉を失う人々の目の前に……今日最大の驚きが顕現する。
「あぁっ!?」
「おい、上を見ろ!」
気づいた者は裏返った声で叫び、つられて見た者は驚愕で固まった。
礼拝堂の広い頭上の空間に、きらめく焔を背景に美しい女性の姿が現れている。
もちろん、人間ではありえない。
穏やかに微笑むその姿は透けていて、背後のステンドグラスが見えているし……人の等身の何倍にもなるのが、祭壇と比べればよくわかる。
見上げる人々が声の出し方を忘れ、異様な沈黙に包まれる中……誰かがぽつりと漏らした呟きが、やけに大きく礼拝堂に響いた。
「もしかして……女神様?」
その後の混乱は言葉にならなかった。
聖職者も王国の者も、先を争って床にひざまずいていく。
それは教皇であろうと王子であろうと、はたまた見習い神官であろうと関係ない。この場に居合わせた老若男女全ての者が、奇跡に立ち会った事に恐れおののき興奮していた。
……そんな中、呼び出した当人だけが渋い顔。
「滅多にない出番だからってライラのヤツ、演出凝り過ぎだろ……しかもなんだよ、あの胸。タオルでも詰めて来たのか? 女神が見栄を張っちゃって何をやってるんだよ、まったく……」
なんというか、女神に会うたびに思う。
あいつ、ホントに女神なのか?
まあもちろん、数々の超常現象を考えれば、それ以外じゃありえないんだけど。
そんな事を思っていたココの独り言だったのに、頭の中に響いてくる余計な声。
『なによお、ココちゃんのメンツが立つように精いっぱい盛り上げたのにぃ』
『本当は?』
『周りの観客にまで姿を見せるのはヤギ飼いの女の子以来七百年ぶりだから、ちょっとイメージ盛ってみました』
『おまえ絶対に聞こえるようにしゃべるなよ!? 残念過ぎる本性がバレたら、明日には信徒が一人もいなくなるからな!?』
『え? せっかく顔出したのにサービスで一曲歌うとか、して欲しくないの? たまの出番なのに、つまんなーい』
呼び出しといてなんだけど、コイツ絶対楽屋から出す前に身だしなみのチェックが必要なタイプだ。こっちが主導権握って行かないと、どこで何されるか分からない。
女神に不用意に借りを作らないようにしようと、ココは固く心に誓った。
「さて」
ココは腰を抜かすフローラとスカーレット派の前に立った。
「見ての通りだ、フローラ。朝に夕に女神様を“感じる”なんてレベルじゃ、そんなの一般人と誤差の範囲だぞ?」
信じられないものを見ている表情で固まっている自称“聖女”様に、ココは思いっきり厭味ったらしいニンマリ顔を見せてやった。
「本当の聖女の私なんかは、夜更かしの茶飲み話にたびたびつき合わさせられてうんざりしているレベルだ」
ココちゃん、可愛く見えるけど野良ネコなのだ。
なめてかかってくるヤツは容赦なく、横っ面を思いっきり殴りつけてやる。
甘く見られたらエサ場は守れないのだ。
「な、な、な……」
女神とココの深い交友関係を明かされて、自称“聖女”は絶句するしかない……と、思ったら。
「なんでこんな奴がこんな力を持っているの!? どう見ても欲にまみれた社会のクズなのに!?」
ここまで追い込まれているのに、大した言いぐさだ。
フローラは半狂乱でなじってくるけど、それについてはココの側も言いたいことがある。
「そのクズにも劣るのがおまえらだよ……おい、ちょっと聖心力を出してみ?」
「な、何よ……!?」
ココを睨みつつもフローラは構えて詠唱をして……。
焦って何度もやり直しをし、最後には己の広げた両手を信じられない様子で見つめてへたり込んだ。
「……なんで、出てこないの……?」
「女神ライラの信徒じゃなくなったからな」
すっごい顔で見てくるフローラに、つまらなそうな顔でココは指摘してやった。
「おまえ、さっき自分で言ってただろ? おまえの信仰が正しくて、それを認めないのなら女神の方が間違ってるって。だからおかしな方向に進んだスカーレット派からの断絶宣言に、こいつら自分の加護下じゃないと判断したライラが……おまえたちを破門しました」
フローラの周りの連中もあわてて確認しているが、おそらく少しでも出せていたはずの聖心力が出てこないようだ。焦った叫びや絶望の呻きが次々に上がる。
くりんと首を傾げたココが、魂の抜けたようなフローラの顔を覗き込んだ。
「神様から直々に異端認定されるなんて栄誉、滅多にないぞ? おめでとう」
茫然自失のフローラが黙ったかと思ったら、今度は我に返ったヴァルケンが叫び始めた。
「なぜだ……我らスカーレットの者こそが、もっとも女神に近かったはずだぞ!? なぜ我らが見捨てられねばならん!? どう見てもブレマートンやゴートランドの方が堕ちているではないか!」
納得できないっていうか、信じたくない気持ちも分からないではない。
でも、自分で蒔いた種なんだから自分で責任もって刈り取って欲しい。
ココは頭をコリコリ掻いた。
「女神ライラに聞いたのさ。『スカーレット派の連中は聖心力が弱いみたいだけど、一番教義にうるさいくせになぜ?』って」
ドストレートにスカーレット派の心を抉るココ様。
「ライラの回答はこうだ。神官が会得する聖心力とは、『自分の弱さを認めて神の加護を願う心』だと」
ココは今度はヴァルケンの顔を覗き込む。
「おまえら、自分たちで勝手な理想の女神像を作り上げちゃって、原則論を振りかざして一番信心があるつもりになってて、教義研究だけで自己完結しちゃってたんじゃないかな」
何とも言えない顔で黙り込む(元職になりそうな)大司教の様子をみるに、心当たりは有るらしい。
ヴァルケンに、自分で口に出す度胸は無いみたいなので。
替わりにココがまとめてやった。
「小手先の文言をいじくり回す事に熱中するまえにさ。おまえたち、無心に神様拝んでおけば良かったんだよ」
返事は無かった。




