第129話 聖女様は論評をします
集計担当から結果を渡されたセシル王子は、注目する人々へ向けて声を張り上げた。
「教皇ケイオス七世殿、四万四千七百五票」
まだ、誰もが無言だ。
そもそも王都に何人ぐらい住人がいるのか誰も知らないため、この数字が多いのか少ないのか分からない。
だから王子が次に発する言葉に備えて、両陣営とも無意識に身体が前のめりになっている。
そんな彼らに視線をやってから、セシルはもう一度紙へと目を向けた。
注目の一言は……。
「大司教ヴァルケン殿……六千五百十二票」
まだ言葉が飲み込めていない群衆へと、王子が高々と投票結果を掲げ……次に、それを一応中立であるモンターノ大司教へ渡す。
モンターノも内容を確認して深々と頷き……やっと理解が行き届いた聴衆が沸き上がった。
「そんなバカな!?」
愕然としているスカーレット派は選挙管理委員会に詰め寄ろうとしてセシルの護衛に押し止められる。
選挙に手ごたえを感じていた彼らにしてみれば、大差での敗北なんて予想外過ぎる。納得できないのも当たり前だ。
「……えっ? 本当に? 勝ったの? うちが?」
勝ったはずのゴートランド派も同じく意外過ぎて、教皇もウォーレスもぽかんとしている。
選挙戦に手ごたえどころか、何も運動らしいものをやっていなくて今までグチグチ後悔していたのに……いったいどうしてこうなったのか、スカーレット派と逆に訳が分からない。
「意外と反対票が入ったなあ……ジジイももっと頑張らないとなあ」
椅子の上であぐらをかいている聖女様は、思っていたほど差が開かなかった結果に不満そうな顔を見せた。
持っている紙をもう一回見直し、セシル王子は自分の発表した内容を反芻した。
「この得票差は意外に開いた、と言ったほうが良いのかな? 俺が見ても何が普通なんだかわからん」
そんなセシルのところへ、ヴァルケン大司教が制止を振り切って詰め寄ってきた。
「納得がいかぬ! こんな数字になるはずがない! 集計に不正があるのではないか!?」
「そうは言われてもな」
王子は財務官僚やモンターノ大司教と顔を見合わせる。
「納得いかねば調べてくれても構わないが……この結果は誓って作為は入っていない。開票所へ持ち込まれた各選挙区の集計用紙は、それぞれ両派の立会人が数字を確認してサインしている。数字を書き換えるところなどないぞ」
「だが、しかし!?」
半狂乱の大司教。スカーレット派もあまりの大敗に「幾らなんでも……」と全く納得していない。
一方のゴートランド派はやっと勝利の実感が追い付いてきて、「日頃の徳の賜物だ!」などと歓声をあげている。
祭壇付近は、もう収拾のつかない騒ぎになりつつあった。
「結局のところ、トニオの勝因は何なのかのう……?」
そんな騒ぎの中でモンターノ大司教は、投票結果を書き込んだ地図を眺めながら呟いた。
立会人代表として両派の間に挟まっている立場もあるし、個人としても理由があるなら知っておきたい。
「それを訊きたいのは私だ! 納得のいく答えを要求する!」
聞き咎めたヴァルケンも叫んだ。
二人の大司教の視線は教皇に向き……それに気づいた教皇も、この結果を予想していたらしい唯一人の人物へと顔を向けた。
自然と皆の注目が集まった、聖女様は……物問いたげな周囲の視線に、肩を竦めてみせた。
「あの選挙戦じゃ、どうやったってこうなる。敢えて言ったら……陰険ジジイの作戦ミスだな」
「どうしてだ!? 何が悪いというんだ!」
詰め寄るヴァルケンに、ココは逆に問い返した。
「おまえ、庶民をバカだと思ってるだろう?」
聖女がいきなり突き付けた氷のような言葉に、聞かれた本人を除く周囲が押し黙った。
付き合いの長いゴートランド派やセシル周辺にはわかる。
ココは微笑んでいるけど目が笑っていない。朗らかな態度の下に、噴火寸前のマグマが溜まっている顔だ。
分かっている人間はそっと二歩ほど距離を取る。普段の調教の賜物である。
それを真正面から受けているヴァルケンは、残念ながらそこまでココについて詳しくなかった。
いきなり異なことを言われて、ムキになって叫び返す。
「そんなことがあるわけなかろう! 私はむしろ、身分低き生まれで立身に苦しんできたのだぞ!? 彼らの気持ちは誰よりもわかる!」
「そっかー……」
ココがコテンと首を傾けた。
「本気でそう思っているんなら無意識かぁ……余計に救いようがないわ、おまえ」
「なんだと!? 何が言いたい!」
いきり立つヴァルケンに対し、ココはその綺麗な顔にうっすらと冷笑を浮かべた。
「おまえが得意げに繰り返していた“塩パスタの話”。あれ、聞いてる貧民たちから笑われていたから」
いきなり特大のダメ出しをされ、大司教がたじろいだ。
「……どういうことだ?」
ココはすぐには答えず、周りを見回した。
ヴァルケン師の“塩パスタの逸話”はウォーレスが語った通り、ゴートランド教の上層部では有名な話らしい。
誰もが知っているようだが、ココが言ったことの意味は分からないようだ。皆、疑問符の浮かんでいそうな様子で近くの者と顔を見合わせている。
理解できた者が一人もいないみたいなので、ココはがっかりした様子でため息をついた。
「教会は今じゃ、上流階級なお坊ちゃんたちの就職先か……こんなんだから、塩パスタなんかで偉そうに貧乏自慢ができるんだな」
聖女様は背筋を伸ばすと、侮蔑を隠そうともせずにヴァルケン大司教を見据えた。
「あのな、パスタを塩で食うしかないから貧乏だって言うけどさ……そんなもの、王都じゃ中流家庭でも持ってるか怪しいぞ」
「えっ?」
……パスタが無い?
「私、街に住んでるときにパスタという物を喰うどころか見たことさえ無かったんだ。考えて見りゃ、当たり前だった」
ココが袖からつまみ出した銅貨を指で宙にはじく。
「そこそこの庶民だって日銭に頼って生きているんだ。あんな備蓄食料を買いだめしておくような金なんて持ってない。これが本当に貧乏人になったら、家にはかまどさえ無いからな?」
役人の何割かが、ハッとした顔をする。民政担当には心当たりがあったらしい。
貧乏人の生活については、陰険ジジイや役人なんかよりココの方が知っている。ココの家でも料理なんかしていたのを見た覚えがない。
だからジジイに言ってやれるのだ。
おまえのは違う、と。
「貧民が市場で出来合いの物を買い食いしているのは贅沢なんじゃない。材料を買って帰ったからって煮炊きができないからだ」
落ちてきた銅貨をキャッチし、ココが蔑んだ目で“自称貧乏人”を値踏みするように眺めた。
「家にいつでも食えるように食料が積んであって、自前のかまどで水と薪をふんだんに使う茹で料理を作る。大した生活レベルの貧乏人だな?」
「……」
「厨房で料理長に茹で方を見せてもらったぞ。深い釜いっぱいの水、おまえ自分で汲んでかまどの番もしていたのか? 使用人が作ってくれていたんじゃないのか?」
ココは椅子の上に立ち上がると、硬直している老人を見下ろした。
「そんな生活レベルを底辺だと思っていたの、きっと教会幹部がみんなボンボンばかりだからなんだろうな……でも、おまえの故郷だって自分の家よりほとんどの住民の方が貧乏だったはずだぞ?」
そんなことは、街に出て民衆の生活を目で見ていれば判る筈なのだ。
「結局おまえ、出世しようと上しか見てないからずっとおかしな勘違いしてたんだよ。そんなヤツのとんちんかんな貧乏自慢聞かされて、挙句に『だからおまえたちの気持ちが分かる!』とか言われた貧乏人たちは失笑するしかないぞ」
ココは椅子から床に飛び降りた。
すたすた歩いて行ってセシルの為に用意されていたティーセットから勝手に一杯いただく。説教してたら喉乾いた。
もう一つダメ出しする点を思い出して、せっかくなので言っておいてやる。
「あと、おまえ二言目には『生活が苦しいのは教皇が悪い』って言っていたけど……あれも悪手だからな?」
「…………なんだと?」
「ここは神権都市スカーレットじゃない。おまえのところじゃ教会が市政を牛耳っているかもしれないが、王都の連中は教会なんて炊き出しをやってるイメージしかないからな? 政治が悪くて生活が苦しいって言ったら、ダメだしされているのは……」
そこで一回言葉を切り、ココはグリンと首を回す。
もの言いたげに見つめられて、セシルが凄く嫌そうな顔で答えた。
「こういう場面で俺に話を振らないでくれるか? いや、マジで」
お茶のついでに茶菓子もいただいて、ココは糖分も補給した。
「庶民は庶民なりにプライドがある。今だけ媚びられたってバカにされたとしか思わない。だから教皇に余計なことはするなって釘を刺したんだよ」
視界の端に今頃納得している教皇が映る。
アイツもやっぱり叩き直さないとダメかもしれない。
「まあ、そういうわけで」
お茶を済ませたココは、言葉もなく立ち尽くす落選候補に言い放った。
「御大層な演説を一生懸命繰り返したところで、おまえの言うことは違和感しかなかったんだよ。そんな独りよがりな本性が見え隠れしているおまえに、市民が投票なんかするもんか、バーカ」
二の句が継げないスカーレット派の様子を見、王子とブレマートンの大司教は頷き合った。
「結論は出ましたな」
「ああ。王国としても異存はない」
セシルが礼拝堂を埋め尽くす関係者たちに向き直った。
「我々立会人は中立であることを女神に誓い、その上で現教皇ケイオス七世の勝利を確認した! 以上を持って、今回の教皇選は終わりとする!」
王子の宣言に続き……初めはぱらぱらと、やがて遠雷のような地響きとともに、広大な礼拝堂は拍手に満たされた。




