第12話 聖女様は正体を明かします
ジャッカル(本名ダニエル)は自分の耳が信じられなかった。
やり合ったのは大分前だが、スパイシー・ココのことはよく覚えている。
貧民で自分の歳を数えるような人間は少ないが、それにしても居なくなった頃でも六、七歳ぐらいのガキでしかなかったはずだ。当時十五ぐらいだった自分の半分ぐらいでしかない。
あの頃にスパイシー・ココといえば、浮浪児の主戦場だった市場ではどの顔役よりも有名だった。
かわいい外見と裏腹に気が強く、かつ万引きやかっぱらいの腕が抜群だった。誰ともつるまなかったから後ろ盾がおらず、すぐに大人に捕まるか縄張り争いで村八分にされて死ぬと思われていたのに……度胸と機転でピンチを全て掻い潜り、二年近くストリートチルドレン界の孤高の女王として君臨し続けた。
ジャッカルは目にしていないが、“退場”した時も大した大物ぶりだったらしい。
その日はたかが浮浪児一人を捕まえる為になぜか捕吏が大挙して押し寄せ、ココも二百人からなる包囲網を縦横無尽に翻弄して、半日も暴れてやっと網にかかったのだという。捕り手は教会の折伏司祭まで応援に呼んで、聖魔法でココを叩き落したと聞くから魔物並みの扱いだ。
あの時他の浮浪児たちは、巻き添えにならないように貧民街へ逃げ込んで避難していた。騒動はそこから遠目に眺めていたけど、見たこともない規模の大捕り物には肝をつぶした。
よほど市場のギルドがココに手を焼いていたのかと……改めてココの厄介さに感じ入ったものだ。
“スパイシー・ココ(舐めてかかると酷い目に遭うココ)”の異名は伊達ではなかったと。
「……そうだ」
そう、ココは七、八年も前に捕まって連行されたのだ。
今頃こんな所でひょっこり丁稚なんかやっているはずがない。
「おめえ、捕まって牢屋にぶち込まれたんじゃ……」
「あー、そうなんだよな」
ココは照れ臭そうに頭を掻いた。
「お勤めがあと四年残っててさ。今日は羽を伸ばしに抜け出してきたんだ」
「抜け……!?」
さらっとココが言った言葉に、ジャッカルたちは驚愕した。
「おめえ、監獄を抜け出して遊びに出てんのか!?」
「監獄じゃ無いんだけど……まあ普通に考えたら厳重に監視されているし、同じようなモノかなあ」
話が要領を得ないが、ココが監視されている生活を未だにしているのは間違いないようだ。ジャッカルはかつての片鱗を見せるココに、昔を思い出して背筋の震えが止まらない。
なにしろ、ココは“殴り合った”なんて表現したが……実際には無鉄砲なジャッカルが狡猾なココの罠にはまり、一方的に殴られたのだ。
「ボス、ちょっといいっすか?」
そこへ横から、酒屋の用心棒をやっているスキンヘッドが口を挟んできた。
スキンヘッドは胡散臭そうにココを横目で眺めた。
「スパイシー・ココの噂は俺も聞いてましたっけど……このガキ、それにしても小さくないっすか? 十かそこらにしか見えな……ぶごぉ!?」
スキンヘッドの話が終わる前に、彼の横顔に木の桶が激突した。何が起きたかと唖然として横を見れば、床に落ちていた桶を投げつけたココが手をはたいている。
「小さいは余計だ」
身長というか成長の話は禁句らしい。その辺りの沸点の低さがまた、昔のココを彷彿とさせる。
「んー、だけど見ないと話が信用できないやつも当然いるよな」
ココは一つ呟くと……目を丸くして見ているギャング団の前で右の掌を床に向け、その手の甲に左手を重ね合わせる。
「おめえ、いったい何を……」
するのかと問おうとしたジャッカルへ、
「滅多にやって見せるものじゃないんだけどな。今日は特別に見せてやろう」
ココはそれだけ言うと、紳士が杖を突くようなポーズで心持ち目を細め……。
光が出現した。
ただでさえ薄暗い倉庫の中。ココの全身から滲み出るように現れた青白い光は明るすぎて、見ている者の目が潰れそうに思えるぐらいにまばゆく輝いた。さらにひときわ明るく閃光を放つ掌からは下に向かって徐々に棒状の物が形作られて行く。
実際にココが光っていたのは数秒程度の短い時間であったろう。しかし見ていたならず者たちには、そのあまりに神々しい光景は何時間も続いていたように感じられた。
気が付けばココの全身を覆う光はいつの間にか収まり、光はココが手に持つ棍棒状の物だけになっていた。
「無詠唱の聖魔法……?」
茫然と見ていた誰かが、ポツリと呟いた。
アウトローの彼らでさえ、その話だけは知っている。
魔法や魔術と呼ばれるものは、名前や術の体系が違っても基本的には発動に準備が必要になる。大掛かりなものは魔法陣の構築、小さな技でも手で印を結んでから発動の鍵となる呪文の詠唱が必要になる。
それをしないで、念じただけで魔法を起動してしまうのが無詠唱。但しこれは莫大な魔力と正しく頭の中でイメージを組み立てられる者にしか使えない。具体的に言えば、ほんの一握りの高位聖職者か……ゴートランド教の聖女だけができるとされている。
そして。
それをやって見せた目の前の少女は、光を放つ前と見た目を一変していた。
安っぽい服は変わらないけど、今のココは夜目にも輝くプラチナブロンドと透き通った白い肌に戻っている。聖魔法……聖心力を発動したさいに、偽装の化粧は浄化の光で剥ぎ取られたのだ。
じつはココが無断外出時に平気で灰や煙脂なんか使うのは、帰って来た時に聖心力で化粧落としするからだったりする。金庫の鍵に続く、聖心力の無駄遣いその二。
精霊が具現化したような楚々とした姿に、伝説の高位魔法。二重の意味で存在に現実感のない美少女は、ニッと笑うと改めて自己紹介をした。
「今はココ・スパイスって名乗っていてな。修道院で聖女やってるんだ」
“小汚い少女”の正体に、驚きで声も出ないギャングたち。
ココは聖心力で作り出した聖なる武具でポンポンと自分の肩を叩きながら、今に至る経緯を説明してやった。
「てなわけでな。あれだけ人数を繰り出して私を捕まえたのは、女神がよりによって私を指名したからなんだそうだ」
当時のココは説明を受けるまで、当たり前だがなぜ自分が教会なんかへ連行されたのかを知らなかった。
知らないどころか聞いても信じず、身の安全が信じられるまで何度も大聖堂から脱走を試みた。もちろん護送中もあらゆる手で逃走を図ったので、ココの移送は聖女の出迎えとは思えないモノになった。
家? から大聖堂へ迎えられる際に檻に入れられて荷馬車で運び込まれた新聖女は、四十三代を数える聖女五百年の歴史の中でココただ一人だ。
ココが栄えある聖女に選ばれて連れて行かれるところだなんて、あの姿を見送った庶民たちの誰が思っただろうか。
でも事実ココは聖女として教会に迎えられ、教皇たちと細かい衝突はあるものの大過なく聖女のお勤めに励んでいる。
「私の方の事情はそんなとこだ」
ココの話が終わってざわつき始めた「広場」一味を前に、ココは軽く肩を回してウォーミングアップを始めた。彼らは話が“終わった”と思っているようだけど、ココの話は“これから”だ。
「うん、それでな?」
また“聖女様”が話し始めたので、ギャングどもの視線が集まる。
それを確認したココは自分の足首を縛る縄を、手にした聖なる武具でつついた。
「そんな激務な私のたまの骨休み。楽しく過ごして満足して帰ろうと思ったら、最後の最後にぶち壊してくれたバカがいる」
ココが手にした光の棒をスッと滑らすと、足首の縄がスパッと切れて地面に落ちた。
「責任者を出せと言いたい所なんだが……ダニエル、おまえでいいんだな?」