第127話 宣教部長は焦ります
選挙戦の票読みに没頭しているネブガルド司教の元へ、一人の巡礼者がこっそり訪ねてきた。通常なら向こうから代表団へ接触してきてはいけないはずの陰の者だ。
「緊急事態のため、禁を犯して参じました。ご容赦を」
「うむ、よほどのことだな。何があった」
僅かに居住まいを正したネブガルドへ、陰の者は簡潔に事実だけを告げた。
「僧兵団が失敗しました」
「……まあ、予想の範疇か。それだけか?」
僧兵団が成功するとは、そもそも指示した司教自身が思っていなかった。
正直がっかりしたのは確かだが、ネブガルドにしてもその程度だ。期待など初めからしていない。
それぐらいなら、後から聞いても遅くはない。
分かり切った話なので、陰の者が危険を冒して報告するような案件ではない、のだが……?
「はっ、それが……」
男は僧兵団が聖女にしてやられた後の経過をかいつまんで説明する。
初めはバカが失敗した詳細をうんざりした顔で聞いていたネブガルドだが……聖女にいなされた僧兵団の、逃走後の“活躍”ぶりを聞かされているうちに頭痛を押さえる表情になってきた。
そして市場で分散した現在、どのような騒ぎになっているかと言う最新のネタを聞かされるに至って……とうとうネブガルドは机の引き出しからグラスと壜を取り出し、なみなみ注いだキツい火酒をあおり始めた。
とても素面じゃ聞いていられない。
「あのバカどもは、何をどうしたらそこまで話を大きくできるんだ……」
グラスを額に当て、そうこぼす上司に……報告に上がった陰の者は、恐る恐る情報に推測を追加した。
「それで、ですね。僧兵団の進路を観察するに……」
「するに?」
「……どうも、大聖堂を目指しているのではないかと」
「ブッフォッ!?」
訓練された諜報員が思わず顔をガードしてしまうくらい、ネブガルドは派手に火酒を噴き出した。
目の前の床一面に酒を撒き散らし、気管に入った火酒に喉を灼かれて派手にむせながら……血走った目でネブガルドが叫んだ。
「こ、ここ、ここだとっ!?」
「はっ」
言いづらいを通り越して、何も考えたくない顔で陰の者は首肯する。
「迷走しているので進路が読みづらいのですが、ヤツらどうも、大聖堂の尖塔目指して逃げているとしか……」
下町を大混乱に陥れているバカどもが、一目散にここへ逃げてくる……。
「ダメだ! それだけはまずい!」
ネブガルドは血相変えて立ち上がった。
「あのアホどもと繋がりがあることだけは断じて認めるわけにいかん! おい、直ちに接触して進路を本国へ誘導しろ!」
「ええっ!? わ、私がですか!」
「今、この場に、おまえ以外に誰がいる!」
もう手段を選んでいられない。
スカーレット派の証拠を押さえられなければ、後はどうにでもなる……といいなぁ……と思いながら、司教は涙目で厳命を下した。
「適当な白紙を渡して、機密文書の運搬だとでも言って追い立てろ! とにかくゴートランド派に捕まえられる訳にはいかん! すぐに王都の外へ出せ!」
「しょ、承知しました!」
慌てて出ていく諜報員を見送り、ネブガルドはグラスに酒を注ぎ足して一気にあおった。
僅かな時間で疲れ切った顔になった司教は落とすように卓上へグラスを戻すと、頭を抱え込んで呟いた。
「娘一人にちょっと痛い目を見せるだけの話が、なぜこんな騒ぎになるんだ……」
言われた以上の事をやる。
それが精鋭・僧兵団のクオリティ。
◆
「あー、酷い目に遭った……」
半分は自業自得なココが気疲れして大聖堂に戻ってくると。
「二人で聖跡巡りでも、どう?」
「いえそんな、男性と二人でなんて……困ります!?」
「おや? 二人きりじゃなければいいのかな? じゃあ最初は信徒集会からかな?」
「そ、そうじゃなくて!?」
「ふふっ、うろたえる顔も可愛いねフローラ。どうだい、今晩……二人で法悦に酔ってみないか!?」
見るだけでうんざりするものがここにも。
「そういうことを、教会の中でやるなって言ってるだろ!」
ココはスカーレット派の聖女を壁際に押し込んでいるブレマートンの大司教秘書の尻を蹴り上げた。
ジト目のココに、凝りてないヘロイストスがブーブー言う。
「なんだい、ココちゃん? ははぁん……大丈夫、心配しなくても君を忘れたわけじゃないよ!」
「忘れろ! ……つーか、どさくさ紛れにフローラを抱きしめるとか、転んでもタダじゃ起きないヤツだなぁ……」
硬直している聖女を抱きしめ、大司教秘書が首を傾げる。
「何か用かい、ココちゃん? あ、口説かれたいなら順番は守ろうね? お兄さんとの約束だぞ?」
「通りがかりに見つけて、見かねただけだ! なんでコイツ、異端審問官に捕まらないんだろうなぁ……」
「ははは、やだなあココちゃん。異端信仰と腐敗汚職は違うからね?」
「自分で言ってれば世話ないなあ、おい!?」
後からやってきたウォーレスがブレマートン派にアホを引き渡した。
親分に告げ口されても、この秘書はぜんぜん堪えていない。
「もう、ココちゃんたら妬いちゃってぇ」
「おまえ、やっぱりセシルに処刑されたほうが良かったんじゃないのか!?」
この期に及んでも本人が話にならないので、ココはその後ろの大司教たちを睨みつけた。
「このバカに今さら節操なんか求められないと思うけど! せめて教会内の中ぐらいは、ナンパとかさせないようにできないのか!?」
「そうは言ったってさ、どこに可愛い娘がいるかなんてわからないじゃん?」
「可愛い女がいたら場所も相手も気にしないのかよ!?」
へらへらしているヘロイストスに、ココがそうツッコんだら……。
「えっ?」
当のヘロイストスも。
もうお盛んな時期を過ぎてそうなモンターノも。
ブレマートン派では堅物のルブランも。
その他大勢の聖職者たちも。
ブレマートンの代表団たちは綺麗な澄んだ目で、“何のことか分からない”と首を傾げた。
「可愛い子がいたら、とりあえず口説くのは最低限のマナーでしょ?」
「どうしようウォーレス。私、ブレマートンの文化が理解できない……」
「そうですか。私はそもそも彼らが何を言っているんだか、言葉が理解できませんよ」
◆
「まったく、なぜあんなのが司祭の資格を与えられたんでしょうね……ブレマートンの管理体制が信じられません」
同じ位階のウォーレスが怒っているが……。
「向こうは向こうで、『なぜ遊びも知らないウォーレスが司祭になんか成れるんだ?』とか思っていたりして」
立場が違えば考え方も変わるものだ。
ココは路上に座り込んで施しを投げてもらう立場から、馬車の中からそれを眺めて投げてやる立場になった。
“視点が変わる”と物の見え方が違う。
ココはそれを身をもって学んだ。
「冗談じゃないですよ!?」
それを言ったら、ウォーレスがものすごく嫌そうな顔で手を横に振った。
「どこの土地でも同じ基準で任命される。そうじゃないと資格の意味がありません!」
統一した教義と方針を持って、統一した選考基準で公平に資格が与えられる。そうでないならば……。
「それが同じゴートランド教の神官と言えますか!?」
土地や文化の違いを乗り越えて、同じように同じ神を崇めるからこそ世界宗教足りえる。
ウォーレスはそう主張した。
「あのアホ神官が正しければ、ゴートランド教は儀式の最中にナンパかますのがルール化されてます。それがたとえスカーレット大聖堂でもね」
「そうかぁ」
そう言われれば、それも真理な気がする。
目の前の現実に合わせてしまっては、いけないものがあると。
ココは逃げるタイミングを計り損ねて、まだそこにいるフローラを見た。
「スカーレット派でも、やっぱり大聖堂の中でナンパしたりするの?」
あの偉そうな事を言う陰険ジジイが地元じゃ『ヘイヘイ、ねえちゃん茶ぁ行こうぜ!?』とかやってたら、少しだけ見直してやってもいい。
「するわけ無いじゃない!」
フローラが額に青筋立てて怒鳴り返してきた。
スカーレットではブレマートン基準は採用されてないらしい。
「……あのジジイ、地元じゃファンキーなのかとちょっと期待しちゃったのにな」
「あなた、聖職者に何を求めているのよ……」
「あ、そうだ」
ココは立ち去りかけたフローラの背中に声をかけた。
「おい、スカーレットの聖女様よ」
「……棘がある言い方ね。ゴートランドの偽聖女」
言い返してくるのを相手にせず、ココは聞いてみた。
「おまえ、女神と話したりする?」
聞かれたフローラは、それまでの不機嫌ヅラが一転して夢見る乙女のようになった。
「それはもう! 日々の営みの中でも常に、人々を慈しむ女神のご加護は無限に降り注がれているのよ? 私ぐらいになると、朝起きても夕に祈っていても女神様の恩寵が私たちに向けられているのを感じるわ……!」
神の愛を滔々と語るフローラと対照的に、ココは微妙な顔をしている。
「“感じる”ってレベルかぁ……しかも何か他の思念を受信してるっぽいな」
ココの知ってる“女神様”は、二十四時間体制で人類を溺愛するような性格に見えないのだが。
「ん? 何よ?」
「ううん、何でもない。こっちの話だ」
フローラやウォーレスと別れ、マルグレード女子修道院への連絡通路を渡りながら……ココはしばし足を止め、城壁の向こうへ落ちる夕日を眺めやった。
「“資格”の基準はどこでも一緒かぁ……」
だとすると、やっぱりココとフローラは並び立たないわけだ。
未だ混乱の続いている教皇選の投票日は、もうすぐに迫っていた。




