第126話 僧兵団は活躍します
通称で“南の市場”と呼ばれる露店街は、ビネージュ王都でも最大の規模を誇るマーケットだ。
食品に限っても数百軒の露店が立ち並び、日用雑貨や家具などを扱う商人も数多く出店している。昼下がりの今はちょうど暇つぶしの冷やかし客と夕食の買い物客が入り混じり、一日の中でも一番立て込んでいる時間帯だった。
「あら、何か騒がしいわね」
買い物かごに受け取った物をしまいながら、大工の奥さんは店の前の通りを見た。普通の街区ならメインストリートに当たる太い道なので、混雑してはいるが人混みをすり抜けられないほどの混み具合ではない。
何か騒ぐ声ははるか向こうから聞こえてくる。パニックに陥ったような騒ぎ方だけど、別に喧嘩っぽくはない。
「舞台役者でも通った……にしてはあんまり嬉しそうじゃねえな?」
露店の裏から出てきた八百屋の大将も首を傾げるが、理由がさっぱりわからない。分かるのはとにかく騒ぐ声が一向に収まらないということと……。
「ねえ、なんだか……近づいてきてない?」
騒ぎがこの通りに沿ってどんどん寄ってきているような。
周囲の店主や客たちも次第に気が付き、聞こえてくる方角へ振り返る。
皆の視線が集まったところで……。
「うおおおおお!」
野太い男の雄叫びが聞こえたかと思うと、通りの通行人が奥から順に、
「ぎゃああああ!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
一斉に魂消たような悲鳴を上げて道の端へ寄り始めた。
「?」
どんどん左右に割れる人垣の間に、空間がすっぽり空いて。視界の開いた通りの真ん中を、
「うおおおおおお!」
オッサンが走ってくる。
全裸で。
(注・正確にはビキニパンツは履いてます)
がっしりを通り越してムキムキの筋肉に覆われた、やたらごついハゲオヤジ(注・剃ってます)がこっちに向かって爆走してくるのだ。
十何人も。
居並ぶ通行人は、何を見たかを認識した順に絶叫して腰を抜かしていく。
茫然としている若奥さんと八百屋の大将の前を、何故か顔の上半分だけマスクで隠した全裸マンたちがドタバタ通り過ぎ……、
「まてぇ、変態! せめて、せめて服を着ろ!?」
「とにかくどっか他所へ行け! 頼むから!」
絶望的な表情で自警団が棍棒を振りかざして追いかけていく。
おかしな二つの集団を見送り、やっと我に返った大工の奥さんは……無言のまま卒倒した。
そして八百屋の大将は、
「……きゃーっ!? なんてナイスバルク!」
黄色い悲鳴を上げたのだった。
◆
後ろを振り返ったダマラムは軽く舌打ちをした。
「むう、追っ手がまだ付いて来るな!」
「どうします、団長!」
倉庫街になぜかやってきた自警団が、あきらめずにまだ付いて来る。彼らの情熱が何なのか、ダマラムにはちょっと理解しがたい。
先頭を走る団長はちょっと考えた。
「きっと我々が一団だから、仲間だと思ってついつい本能で追いかけてしまうのだな!」
「おおっ、さすが団長! 見事な洞察力です!」
「むははは、まあな! よし、全員ばらけるぞ! 適当に走り回って振り切るのだ!」
「承知!」
「道に迷いそうですが、どうしましょう!?」
「それは心配ない!」
部下の心配に、ダマラムがニカッと笑って親指を立てた。
「すでに私もわからぬ!」
「なるほど! さすが団長!」
「余計な心配でありましたな!」
「ははは、褒めるな褒めるな! まあこれだけ人がいるのだ、追っ手を撒いたら誰か通行人に大聖堂への道を聞けば良い! 我ら聖職者が聞く分には不審がられることもあるまいて」
「確かに!」
いかれたマッチョどもを追いかける青年たちの方は、前の集団ほどに能天気な余裕は無かった。
「おい、ヤツら別れやがった!」
“謎の暴漢団”あらため“マッチョの変態団”が一斉に散らばっていくのを見て、自警団の一人が絶望の呻きをあげる。
道を走るだけでこれだけの大騒動を引き起こしているのだ。
1ヶ所でこの騒ぎなのに、十数人が別々に走り回ったら……。
「もう自警団の手におえねえよ!? 役人に応援を頼んで来い!」
◆
小さな舞台の前で目を輝かせて並んでいる子供たちに、司会の少女が呼び掛けた。
「それじゃあみんな、声を揃えて呼んでみよう!」
「はーい!」
子供に人気の物語の小活劇は辻芝居としては安定の演目だ。大人向けの複雑なものと違い、大道具も入念な準備もいらない。それに上演時間が短くて固定客がついているとあって、街角でやるには最適だ。
子供たちが司会の誘導に沿って一斉に叫んだ。
「マリオ王子ー!」
その途端、舞台袖のカーテンを突き破って坊主頭のマッチョマンが出現した。
「は~い!」
にこやかに手を振り、そのまま反対側へ駆け抜けていくパンイチオヤジ。
「……」
違う。
これじゃない。
姿が見えなくなるまで無言で見送った子供たちは、ハゲオヤジが視界からいなくなった途端。
「ギャー!?」
一斉にひきつけを起こすほどに泣き叫び始めた。
◆
市場の一角、買い物に疲れた人が休むオープンカフェで。
「キャサリン、これ……僕の気持ちだよ!」
「ああ、ニコラス!」
小さな丸テーブルを挟んで、向かい合った恋人たちが愛を交わしていた。
「やっと一人前だと親方に認めてもらって、真っ先に作ったんだ。最初にできたこれを、君に……!」
「素敵! なんて美しい髪飾りなの……」
職人の彼が恋人に手渡そうと繊細な細工の髪飾りを差し出し、彼女は心のこもったそれを受取ろうと手を伸ばした……そんな二人の間を何やら肌色のモノがあっという間に通り過ぎ、恋人たちの目の前から一瞬でテーブルと髪飾りが無くなった。
ついでに、なにか二人の手がぬめった物に触った気がする。
「……」
何が起こったのか判らない二人の元へ、その“原因”が戻ってきた。
「失敬失敬、逃げまどっていたらうっかり机を跳ね飛ばしてしまった! いや、悪気は無いのだぞ? 許されよ!」
来なくていいのに、わざわざ詫びを入れに戻ってきたマッチョマンが陽気に謝罪する。そのムキムキの裸体は走り回って汗でテラテラだ。
「んお?」
マッチョマンは己の股間に突き刺さった髪飾りに気が付いた。
「これは君たちの物か? ……ははーん? さては今、プレゼントを渡していたところであったか!」
マッチョマンは親切に、パンツに刺さった髪飾りを抜いて女の髪に刺してやる。
「いやいや、まさかこのようなものがちょうどいい場所に飛び出ていたとは! プロテクターが無かったら我が愚息は即死であったわ! ワハハハハ! ……そうだ!」
マッチョは硬直している二人の手を取ると握り合わせた。自分もその拳の上に片手を置き、もう片方の手で空中に聖印を切る。
「愛の語らいを邪魔したせめてもの詫びよ! これで君たちの素晴らしい結婚生活は約束された! ……おっと」
追手の姿に気が付いた有難迷惑なマッチョは、シュタッと手をあげて通りすがりの恋人たちに別れを告げる。
「いやいや、礼は結構! それでは君たち、幸せにな! ワハハハハハ!」
自警団も通り過ぎた後には、いつまでも硬直している恋人たちが残された。
◆
ナタリアの急報を受け、ウォーレスは警備兵を率いて現場へ向かっていた。ココの危機だというので、セシル王子もお供を連れて同行している。
「殿下、わざわざすみませんね」
「何を言う。ココが後れを取るとも思えないが、やはり心配だからな。手勢は多いほうが良いだろう」
そんなことを話しながら急いでいると、道の反対側から物凄く必死な様子で男が走ってくる。どう見ても何か事件があった様子に、セシルが立ちふさがって呼び止めた。
「そこの君! 私は王家のセシルである。何かあったようだが、どうしたのか!?」
「えっ、王太子殿下!?」
名乗りを聞いて驚いた男がその場に崩れ落ちた。
「ああっ、ちょうど良かった! 殿下、お助け下さい!」
「落ち着いて話せ。何があった?」
「は、はい!」
一度黙って深く息を吸った男は、自分が来た方を振り返りながら叫んだ。
「南の市場で無差別テロです! 市場中を全裸のマッチョマンが奇声をあげながら走り回っているのです!」
事件の内容は分かったが、セシルには何が起きてるのかが理解できない。
「自警団はどうした?」
「今必死に追いかけておりますが……その、おかしなマッチョは百人近くいるみたいなんです! 商店の若者も加勢して追いかけていますが、とても間に合いません!」
詳しく教えてもらっても、セシルにはどういう事情なのかさっぱり分からない。
だがとにかく、緊急事態なのは分かった。
犯人どもの目的も頭の具合も全く分からないが、確かに早々に鎮圧しなければならない事案だ。
報告した自警団の男には、警邏の屯所へ王子の命だと説明することを許可してそのまま走らせた。
「すまんウォーレス。俺は市場の事件を何とかしに行かねばならぬ」
「いえ、大丈夫ですよ。こちらは何とでもなると思うので、そちらを優先なさって下さい」
なぜか顔色が蒼くなったウォーレスは、おかしなテロリストに怪訝そうな王子を愛想よく見送った。
◆
指定された現場に着いて呼びかけると、ココがひょこッと出てきた。
「すまんウォーレス、捕まえるつもりが予想外に手ごわくて仕切り直しちゃった」
「いえ、聖女様の身の安全が最優先ですから……それじゃやっぱり、自警団に追われて逃げているっていうのは……」
「うむ、例の僧兵団だ」
ココはあんなのに粘られて逃げ出さなくてはならなかったのが悔しくてたまらない。
「今からでも追いかけようか!?」
リベンジマッチにやる気を見せるココだけど……。
ウォーレスが押し止めた。
「いえ。聖女様、止めておきましょう」
「ダメか? 自警団がまだ追跡してくれているなら、加勢するのも手だと思うのだが……」
「いえ、もうそんな問題じゃなくなっていまして」
ウォーレスが渇いた笑い声を立てた。
「連中と教団に接点があるのを知られたくないレベルの話になっちゃったんです。もしヤツらが捕まっても、教団はもう『知らぬ、存ぜぬ』で引き取りを拒否しようと思ってます」
引き攣れているウォーレスの顔を見たココは、表通りの方を振り返った。
「……逃げてった後、あいつら何をやったの?」
「無差別テロです」
「……?」




