第116話 聖女様は意外な事を言われて驚きます
六年に一度開催されるゴートランド教団で最重要のイベント・大陸会議の一番主要部分と言える次期の方針策定会議もほぼ終わった。
策定会議(いわゆる本会議)の前半を丸ごと無駄に過ごして時間が無くなったことに加え、ブレマートン派が降参して政争から降りたことで今年は比較的順調に進んでいる。
……使える日数が半分になって派閥闘争をできる時間が全く無くなり、必死に巻き返してなんとか締め切りまでに間に合いそう……なのを“順調”と呼べるかと言う問題はあるが。
そんな日程では、出席者たちは当然一息つく余裕もない。本会議後半の一週間は昼食でも席を立てないような忙しさで、最終日の今日は誰もかれもが死にそうな顔になっている……ひとりを除いて。
「なんか、見てて思ったんだけどさ」
会議卓に頬杖を突いて朝の準備を見ていたそのひとりが、ぼそっと呟いた。
「はい?」
会議が始まりそうなので退出しようとしていたナタリアが振り返ると、聖女様はピリピリしながら着席し始める高官たちを呑気な顔で眺めている。
「こいつらまるで、課題の締め切り前に悪あがきする学生みたいに見えないか?」
「……わかりますけど、これもっと真剣で深刻ですからね? それと」
「それと?」
「ココ様も出席者ですからね?」
意表を突かれたみたいな顔をして、ココがナタリアを見返した。
「……なんか、私も関係者みたいな言い方だな」
「思いっきり関係者ですよ!」
「私は別に、ここに座って聖典複写をやっているだけなのに」
「ココ様は教団でも上から四人のうちの一人なんですからね!? ちゃんと話に参加しましょうね……!?」
◆
ナタリアに叱られてから四時間後。
「やれやれ、やっと最終日もあと半分か……早いものだな」
ココは会議の席上に配られたサンドイッチの昼食を食べ終えて、お茶を飲みながらこの三週間の思い出を反芻した。
「聖女様は座っていただけじゃないですか……」
疲れはてて目の下のクマが酷いことになっている……そもそも大陸会議の前から酷かったが……ウォーレスが恨めしそうに指摘した。
ゴートランド派の論客筆頭として、計画案の質疑応答のかなりがウォーレスに集中している。練りが甘いところに突っ込んでくる他派の口撃をしのぎ、出された対案に鋭く切り返す日々だ。日中はほぼ神経が休まる暇がない。
そして夜は翌日の為に、提出する素案の最終確認とスカーレット派などの反応を予測して下準備をしておく。文字通り不眠不休の努力が続いている。
そんなウォーレスから見れば、(いろんなトラブル以外で)特に発言もせず座っているだけのココなんて何もしていないように見えるだろう。
だけどココはココで、やれることをやっているのだ。
「おいおい、私だってぼんやりしていたわけじゃないぞ?」
「そうですか?」
「かれこれ三週間も一日中座っているわけだからな。ずいぶんはかどって、ナッツに買い取ってもらう聖典がそろそろ二冊目ができちまう」
「三週間で二冊分も書き写したんですか!? ちゃんと読める文字になってるんでしょうね!?」
やり取りを少し離れて見ていた教皇が隣の執事長に囁いた。
「ウォーレスが精神的にそろそろ限界じゃな。ツッコミどころがおかしいことに気が付いておらんぞ」
「もう三週目も終わりですからなあ」
ジジイどもの感慨はさておき。
今日をこなしたら後の一週間は、管区長たちも復帰して全体会議の後半戦だ。そこで次期方針をお披露目して、妥当かどうかを討議・採決することになる。
現場に立つ司教たちからの質問や修正提案が相次ぐので、それはそれで気が抜けない一週間ではある。
だが教団幹部たちにしてみれば、そこまでくればもう政争後の後片づけの段階と言ってもいい。なので、エリートたちにとっては今日が最終日の感覚があった。
「よーし、あと半日ですよ!」
やたらと砂糖をぶち込んだ茶を飲み干し、ウォーレスが気合を入れて両腕を上に突き上げた。思わずココが振り返るぐらいにバキバキと音が鳴る。
「最後のひと踏ん張りです。頑張りましょうね!」
「その前におまえ、按摩師に診てもらえ」
終着点が見えてきたせいか、やけにハイなウォーレスがニカッと笑ってサムズアップした。
「なあに、あとちょっと! 夕方まで頑張れば大陸会議も終わりです。今日さえ片付けば、いくらでもゆっくりできますからね。そういうのは後日にとっておきますよ!」
「……ウォーレス、その言い方は『旗が立った』って言ってな? そういうことを言ったヤツは絶対次の場面でひどい目に遭うんだ。劇なんかの“お約束”だぞ」
「ははは! 聖女様、そんなのは辻芝居の安直なシナリオだけですって!」
一時間後。
「主要な議題がほぼ終わったところで、非常に重要な提案を致したい!」
会議場に緊急動議を求める、スカーレット大司教ヴァルケンの声が響き渡った。
◆
ヴァルケンの“提案”の内容に、会議場に詰める人々は一様に色を失っていた。
「教皇聖下の解任……!?」
「さよう!」
ヴァルケン大司教が重々しく、かつ勢い込んで肯定する。
「我らがゴートランド教の現況を鑑みるに! 現教皇ケイオス七世の指導下で進められている世俗権力との癒着、またそれに伴う教会組織の使命感の喪失と惰性的な運営は目に余ると言わざるを得ない!」
大司教は巨大組織のお役所仕事ぶりを根本から改善すべきであると主張した。
そして。
「教皇位が終身制であることを考えれば、現状はこの先も改善は望めない。のみならず! 次の教皇が襲位するまで放置しては、教会組織の腐敗が手遅れになるまで進行してしまう恐れも高いのだ!」
そこまで言い切りヴァルケンが着席すると、会場のひそひそ話す声はもう蜂の巣を突いたような喧騒に切り替わった。
トップを糾弾されたゴートランド派は当然、半分気が抜けたようだったブレマートン派も大騒ぎだ。どころか、スカーレット派でさえ聞いていなかった者が驚いて主要幹部に詰め寄っている。
(なんか、とんでもないことになったな~……)
ココは会議場を見回し、皆が混乱しているのを順番に眺めやった。
教皇は隣のジジイと何やら他人に聞こえないように話している。そこへ少し離れた席からウォーレスが駆け付けた。
ヴァルケン大司教は胸を張ってゴートランド派を睨みつけている。その周囲を固めるスカーレット派主要幹部も同じように構えているので、あの辺りは最初からそのつもりだったのだろう。
モンターノ大司教とブレマートン派は寝耳に水の宣言に、ほぼ全員がぽかんと間抜けな顔を晒している。(えっ? 何かの冗談か?)(いや、あいつは何言ってるのか……)みたいな会話が漏れ聞こえてくるので、元々モチベーションが下がっていたのもあって話に現実感がないみたいだ。
三者三様の空気を見て、ココは思った。
(こいつは……面白くなってきやがった!)
ココも教会の俗っぽいところには、ちょっと思うところはある。
巷で聞いていた神官の“真摯に神に仕えている”と言うイメージは、中に入って見ると実態とかけ離れているのは簡単に見て取れた。“使命”より“仕事”でやっているようなヤツは多いし、仕事ぶりに真剣みが感じられないことはいくらでもある。
ただ、どんな仕事でもそうだけど……いつでも最高のテンションで働けるわけじゃないし、人生五十年を常に気を張って生きて行けるわけじゃない。
儀式一つとったって、そうだ。
信徒から見れば滅多に参加できない特別な時間かも知れないが、神官は毎日やってるルーチンワークに過ぎなかったりする。日常生活の一環でしかなければ、慣れと惰性はどうしたって付いて回るだろう。
スカーレット派のジジイの言う綱紀粛正はココにも理解できるけど……。
(確かにゴートランド大聖堂は役所みたいなところはあるからなー……でも、スカーレット大聖堂のやたら規律に厳しいやり方で、やっていけるのかな)
教皇をかばうわけじゃないが、教皇庁は国や貴族ともつながってなくちゃならないし、宗教的な正しさよりも政治的な判断を下さなければならない場合もあるだろう。
なんでも原則論で切って捨てるのは無理がある。
その辺り、突っ込んだ議論になるのだろうか。
ココがワクワクしながら成り行きを眺めていると……。
ゴートランド派とスカーレット派の衝突と言うことで、第三者であるブレマートン派のモンターノ大司教が(いやいやながら)間に入った。
「ヴァルケン師、教皇が生前に引退した例はあるが、解任というのは……」
「前例はないかもしれぬが、規定はある」
「それはそうじゃが……」
ゴートランド以上の超世俗派のトップであるから、モンターノ大司教も“堕落しているから”という理由での弾劾に渋い顔をしている。下手すれば次に滅多打ちにされるのは自分のところだから、当たり前だ。
「しかし、解任を要求するほど度を越しているというわけでもあるまい」
目に余るほどじゃないだろ? というモンターノの言葉に会議場の大方の神官たちは頷いている。
現教皇は歴代の教皇と比べて、特に変わったことをしているわけじゃない。変な話、良くも悪くも平凡な業績なのがケイオス七世と言う男なのだ。
だからゴートランド派もブレマートン派も……一部のスカーレット派も、モンターノの指摘を無意識に肯定していた。
だが、それに対してヴァルケン大司教は厳しい顔で拳を机に叩きつける。
「いいや、私が知る限り……五百年を超えるゴートランド教の歴史の中で、これほど危機感を持つべき事態になったことはあるまい! 今すぐ改善せねば、大変なことになると私は断言しておく!」
「ふむ? ……では、おぬしの懸念を教えてくれたまえ」
鼻息荒いスカーレット派の大司教に、逆に不審げな様子をさらに深めた仲裁者が話の先を促した。
ヴァルケンが大きく首を縦に振った。
「うむ。いろいろ追及すべき問題は多々あると思うが、まず最も問題視すべきは!」
「問題視すべきは?」
いったい何がヴァルケンの危機感を刺激したのか?
そこを聞こうとココを始め一同が一斉に身を乗り出すと……ヴァルケンが憤然とココを指さした。
「このような欲にまみれた金の亡者を聖女として推戴しているということだ!」
……。
「はい?」
皆の注目が集まる中、ココは思わず間抜けな声で返事をした。




