第113話 大司教は頭を抱えます
「メイオール師、さすがにそろそろ帰らないか?」
一緒に飲み歩いていた同僚に言われ、ブレマートン派のメイオール司教はもう夜もかなり更けてきているのに気がついた。
「おお、良い時間じゃな……うむ、ではそろそろ……本命に行こうかのう」
「本命……今日もか!? こうも連日とは……おぬしも好きじゃなあ」
下卑た笑みを浮かべるメイオールに、飲み仲間もさすがに呆れ顔で首を振った。
宣教部長を務めるメイオールの顔は儀式や式典に必ず出席するのでよく売れている。
したがって、いくら秘密を守れるような高級店に行こうと……本拠地ブレマートン大聖堂周辺で、娼館通いはさすがに噂になってしまう。こういう他国へ出張した機会ぐらいしか楽しみに溺れる時間も作れないのだ。
「どうじゃ、おぬしも行かんか?」
帰るどころか……むしろ今から張り切り始めたメイオールに、同行していた司教は呆れたように肩を竦めた。
「さすがにワシも年じゃ。遠慮するよ……今年の大陸会議はゴートランド派に押し込まれているというのに、おぬしも呑気だな」
「なあに、だからこそよ」
単なるスケベジジイの顔に、政治家特有の鋭い嘲笑が浮かんだ。
「このままパッとしない結果になれば、ここのところ大きな業績の無いモンターノが来年の大司教選挙を勝ち抜ける可能性は低い。下手に一緒に右往左往して、ヤツの与党に見られたらどうする」
独裁下のスカーレット、何故か一党にまとまっているゴートランドと違って、ブレマートンは大聖堂の中でも激しい権力闘争がある。
大司教の次のランクの聖職者たちは、それぞれが次の大司教たらんとする野党トップでもある。モンターノが今まで長期政権を引っ張っているのも、次に有力なルブラン副大司教が官僚肌でトップになる気が無いからだ。
三番手にして最大野党のメイオールは、当然来年からの次期を狙っている。
ブレマートン派の劣勢をモンターノ降ろしのチャンスと見て、法衣の政治家は敢えて傍観を決め込もうとしていた。
◆
結局同僚は帰って寝るというので、メイオールは彼と別れて二、三回来た高級娼館へやってきた。
大陸会議でビネージュ王国へ来てから連日色々な店を探索してきたが、この店が一番店にいる女が粒ぞろいな気がする。今日は酒が回っているのもあるし、無理に帰らずに泊ってガッツリ致して行く所存だ。
先日と同じく、亭主が揉み手でメイオールを出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「うむ。今日は、そうじゃな……」
みたところ今日はあまり客がいないようだ。週の中日だから泊りがけの客も少ないと見える……こういう日は、人気の娘も空いているに違いない。
「よし、店の一番二番をまとめて呼んでやろうかの」
「おおっ、豪気ですね!」
「ぬははは、まあな!」
ブレマートン一の性豪とはワシの事よ! とメイオールはうっかり叫びかけ……酒の勢いは怖いなと慌てて口をつぐみ、案内する亭主について行った。
上客用らしい離れの個室でとりあえず出された酒に手を付け、待つ事しばし。
メイオールがじりじりしながら待っていると、軽いノックの音がした。
「おお、待ちかねたぞ! 入って参れ」
客の嬉しそうな返事を聞いて扉が静かに開き……人相の悪い男たちがぞろぞろと。
「……え?」
娼婦のはずが、なぜ男?
ワシ、女の子で注文したよな?
異常事態を前に、メイオールの頭をそんな疑問がかすめて行った。
何が起きているのかわからない老司教の前で、見るからにならず者と言った風情の男二人が仏頂面で挨拶した。
「ご指名どうもー。頭目のジャッカルでーす」
「副頭のエバンスでーす」
口調はまるで駆け出しのかわいい娼婦のようだが……どう見てもギャングの男に、無表情に棒読みでこのセリフを言われると凄い怖い。
「え? え?」
ベッドに腰かけたまま硬直しているメイオールの両側に、二人の男は勝手にドカッと腰かけると馴れ馴れしく肩に手を回してきた。周りを部下らしい連中がグルっと取り囲む。
「お客さーん、今日は踊り子もたくさん用意したんすよ? 頭から二人なんてケチくさいこと言わずにさあ、総揚げしちゃってくれませんかねえ」
「はっ!? えっ!?」
踊り子というか、なんというか。
「そうそう、思いっきりサービスしちゃいますぜ? み・ん・な・で!」
「ワ、ワシはその……!?」
恐怖で舌がもつれるメイオールと無理やり肩を組みながら、コワモテの男は背筋が凍るような微笑みを見せて司教の耳に囁いた。
「ま、こんなところじゃ外聞もあるしさぁ……俺たちのアジト、行こっか? くそジジイが余計な手を入れたおかげで、素敵な秘密の監禁部屋もあるんだぜ?」
◆
ブレマートン派の宿泊している西の宮殿が、早朝から大騒ぎになっていた。
「どういうことだ!?」
モンターノが叫ぶが、ルブランはじめ居残っている少数の者たちは誰も答えられるものがいない。
朝、モンターノが起きてみたら……代表団がいなかった。
別に夜逃げしたとかいう話ではない。昨日もいつも通りに会議が終わって夜遊びに行った連中が、一晩経っても戻って来なかったという話で……つまり、余計にタチの悪い何かが起きていた。
「もう帰ろうと私は言ったのですが……」
帰って来たわずか数人のうちの一人が悄然として、呟くように弁解する。
悪友に引きずられて事件に巻き込まれた幼年学校生みたいだが、彼自身は管区長の上席にあたるベテランの司教だ。
幼子みたいな様子と彼の立場のギャップは普段なら笑ってしまうところだが、当事者になってしまった代表団には誰一人笑える精神状態の者はいない。
「どうなっとるんじゃ……」
モンターノも蒼白になって肩を落とした。
ブレマートンの代表団はどいつもこいつも生臭坊主ばかりで……逆に言ったら、それなりに悪所には慣れのある者ばかりだったはずだ。
それが一斉にヤバい筋のところへ入り込んで、行方不明になってしまう。そこが一番信じられなかった。
早朝に誰も戻ってきていないと発覚した時は、単純に無許可で外泊したとモンターノも思っていた。帰って来ていた僅か三、四人の者に聞いたら、気が緩んで深夜まで遊んでいる様子が手に取るように分かったからだ。
深酒でもして寝坊されてはかなわない。慌てて代表団の従者たちを下町に放って呼びに行かせたら……。
「どこにもいません!」
「街の者に金を握らせて聞き出しましたら、昨夜裕福そうな老人が賭場で負けてギャングに連れて行かれたと……」
「ヤバい筋の店にノコノコ入っていく姿を見た者が……」
次々に報告で上がってくる、愚か者の末路……。
「あの、バカどもが!」
モンターノは掌で顔を覆って呻いた。
「揉め事を起こして埋められるなら、大陸会議が終わってからにしろと何度も……」
モンターノも大概な頭をしている。
ルブラン副大司教もあまりの事に、打てる手が思いつかないようだった。
パニックを起こしている随行員たちよりは落ち着いているが、それは行方不明になった者より大聖堂の立場を心配しているからだろう。
「参りましたね……あと二時間しないで本会議が始まります。それまでに何とかなるものか……」
各派二十名以上の参加者がいる中、今日からいきなりブレマートン派だけが五、六人に……絶対何事かと聞かれてしまう。
モンターノが頼みにしていたヘロイストスが連行されたのは、皆が見ているから今更話題にもならないが……代表団が理由なく集団失踪なんてスキャンダルがバレてしまえば、大陸会議の議題が“ブレマートン派の粛清について”に変更になってしまう。
「ええい、エバーレーンで揉め事を起こしたのならば、顔役から裏の連中につないでもらう手もあるのだが……」
「外国で、というのが最悪ですな。あと数時間では手づるを探す時間もない」
他派にこの惨事を隠すにも、大聖堂の幹部ともなると当然よそにも顔を知られている。ましてや昨日まで顔を合わせていたメンツだ。随行員に法衣を着せて数だけごまかすわけにもいかない。
王都の闇に飲まれた幹部たちを、ゴートランド派にも王国にも相談せずに一時間かそこらで取り戻す。
当たり前だがそんな方法を思いつかず……僅かな数のブレマートン派幹部たちは、二時間先に待っている破滅の瞬間を思って頭を抱えた。
打つ手もなく、八方ふさがり。
対策会議も行き詰っているところへ……従者がただならぬ様子で駆け込んできた。
「大司教猊下!」
「どうした」
見れば、従者の顔色が青を通り越して白くなっている。
「せ、聖女様が……いきなりここへいらっしゃって、猊下にお会いしたいと……」
「聖女が!?」
最悪なトラブルの最中に性悪聖女がアポなしでやってくる。
モンターノはルブランと顔を見合わせた。
タイミングの良すぎる来訪、しかもあの聖女。
これは……会わないという選択肢は、無い。




