第104話 聖女様はゲームの始まりを感じます
スカーレット派の宿舎に指定されている大聖堂・東の宮殿。
一階の奥まったところにあるシガールームにはまだ煌々と明かりが灯り、明日から始まる次期六か年計画の対策会議の為に十人ほどが集まっていた。
だが、打合せの前に。
「あんの小娘がァァァァァァアアアアアアッ!」
ヴォルケン大司教が全身全霊、魂の全てをつぎ込んで吠えていた。
晩さん会では驚異的な自制心を発揮していたが、元来彼は短気なほうだ。
いや、短気というよりも自制を知らぬというべきか。
規律が何より重視されるスカーレット大聖堂においては、最上位者であるヴォルケンの意向に異論を唱える者はほぼいない。普段は我慢する必要が無いと言ったほうが良いかもしれない。
そんな彼が久しく忘れていた“上の立場からものを言われた”相手が、存在も忘れていた賤民のガキだとは……。
しかも、ヤツめが偉そうに言い放った言葉にそれなりに筋が通っているのが腹立たしい。
「あの信心も常識も無い小娘ごときがぁ……! 奉職五十年にならんとするこの私に向かって……なんだ、なんだあの言い草はぁっ!?」
大司教の発狂せんばかりの激怒ぶりに、周りの者は下手に同調もなだめもできない。元々が気難しい人だけに、変な合いの手は藪蛇になりかねない。
側近たちはお互いに視線で声掛け役を押し付け合い……最終的に、スカーレット大聖堂宣教部長のネブガルド司教に視線が集中した。
元より血色が悪い貧相な中年男が、さらにひきつけを起こしそうな表情で口をパクパクさせる。小刻みに首を振って無理をアピールするが、満場一致で押し付けられてはどうしようもない。
燃えている物置から灯火油を避難させるような任務を押しつけられ、司教は爆発中の火元へ恐る恐る声をかけた。
「だ、大司教猊下……お腹立ちはもっともですが、こんなことは大事の前の小事でございましょう! 我らの粛清計画が進めば、彼の者はどうせ放逐の憂き目に遭うのです」
「わかっておるわ! だが……だが!」
腰巾着に最終的に報復できると言われ、一応気を鎮めたヴォルケン。だが、まだやはり割り切れない部分があってぐちぐち言っている。
ネブガルドは揉み手をしながらそこへもう一押しした。
「良いではありませんか。ヤツがそれも知らずに調子に乗っている姿など、まさに笑止。むしろ今後の吠え面を予想すれば、ヤツのむかつく顔も笑い話のタネではございませんか」
「……そうだな」
世俗に塗れ堕落したゴートランド派なぞに後れを取ってはいけない。
スカーレット大聖堂こそが、この汚れた世の中に唯一燦然と輝く“神の家”なのだ。
であるからには、スカーレットの主であるヴォルケンのメンツに泥を塗ったあやつらは叩いておかねばならなかった。
……という理由を持って生意気な聖女と後ろ盾のゴートランド派を潰さねば、土足で踏みにじられたヴォルケンのプライドが収まらない。
“聖女”が足元が崩れた時にどんな顔を見せるのか。
それを想像して、ヴォルケンはちょっと気が晴れた。
嫌がらせの話で機嫌が(少し)良くなった上司に、周囲の者は一瞬うんざりした顔を見せたが……もちろん、その顔を大司教の視界に入れるようなへまはしない。上位下達のスカーレットで上の批判はご法度だ。
その大司教がのたまった。
「だが、本命の計画の前に何か意趣返しをしておきたいな。ヤツめが辟易するような手をぶつけておきたい」
「はっ……そうですね、それでは……」
司教は手持ちの駒を頭に思い浮かべた。
ここは敵地ということもあり、そもそもの選択肢が少ない。それでもできる事というと……。
「僧兵団をぶつけてみるのは如何でしょうか?」
「僧兵団か……!」
大司教も言われて思い出した。
「……あんなのに任せて大丈夫か?」
僧兵団、ボスからの期待値低い。
「嫌がらせになればいいのです。ピッタリでしょう」
「ふむ」
ヴォルケンも思案し、頷いた。
「よし、こちらの本命までの目くらましになればよいか。ネブガルド、ヤツらに指示を出せ」
「はっ!」
カーテンをわずかに開いて外の星空を見上げたヴォルケンは、あのクソ生意気な聖女の曇った顔を脳裏に思い描き……皮肉気に笑って留飲を下げた。
◆
一方その頃、ブレマートン派の宿舎に指定されている大聖堂・西の宮殿では。
「くぅぅぅぅぅやぁぁぁぁしぃぃぃぃいぃぃぃぃぃっ!」
こちらでもブレマートン大聖堂の総責任者、モンターノ大司教が地団駄を踏んでいた。
衆人環視の中で聖女に踏まれるという前代未聞にして空前絶後のお仕置きを食らった大司教は、当然ながら怒り狂っている。
単純に年下にやり込められたとか、暴行を受けたとかいう問題ではない。メンツをつぶされたというのが、モンターノの仕事に悪影響を及ぼすのが問題だ。
ブレマートン派は非常に合理的であるがゆえに、アテにならない上司と見られると政権が死に体になる可能性もまた高い。対外的に“やり込められる”というのは実益に直結してくるマズい問題なのだ。
同じ部屋で大司教が荒れているのを眺めていた二人の部下は、顔を見合わせて肩を竦めた。
ソファに座って上司の狂乱を眺めていた、顎髭にスキンヘッドの大男が口を開く。
「聖女様の指摘は、残念ながら確かに頷かざるを得ませんな。かと言って、まさか教団のトップスリーをまとめて幼児扱いするとは想像もしませんでしたが」
「アレを想定できた者がおったら、そいつの発想力のほうが恐ろしいわ!」
モンターノが靴音を立てて戻ってきて、スキンヘッド……ルブラン副大司教の前の椅子に勢い良く座る。
「変に筋が通っているから、余計にいかん! これでこのまま何も手を打たねば、我らが屈服したように見えてしまうぞ? 会議の参加者たちにあのとんでもないやり口を納得されては、ゴートランド派が勢いづいてしまう!」
ブレマートンにおいても、もちろん体面は大事だが……それ以上に重要なのは実利だ。
体面は実益を保つための方便。モンターノ大司教はかんかんに怒っているように見えて、一方で損得計算の為に冷静な情勢分析も行っていた。
この辺り、スカーレットとブレマートンではプライドの持ちようが違っている。
「明日からの方針策定会議で、最大限に我らの利益を盛り込まねばならん。元より漁夫の利狙いであったが……ゴートランドとスカーレットの争いに積極的に口を出し、ヤツらから利権を削り取っていく様を見せねばこっちで内乱が起きかねない」
実利最優先であるからには、使えない政権と見なされればモンターノ体制は不満分子にひっくり返される恐れがある。
それを防ぐために、積極的な攻勢に出るべきだとモンテーノは判断した。
「表裏でゴートランド派を集中的に狙え。会議では露骨にスカーレットの“小役人”どもを援護し、苦しいゴートランドが隙を見せたら猫撫で声で要求を押し付けて行け」
「はい」
モンターノはそこで、壁に背中を預けて立ったままのもう一人に視線をやった。
「ヘロイストス、裏口からの侵入はどうじゃ?」
「市中に潜入させている密偵たちから、続々情報が集まりつつあります」
神官というより舞台俳優のような色男、大司教秘書のヘロイストス司祭が話に加わった。彼は女の子を卒倒させそうな甘いマスクに、輝く笑顔を浮かべて頷いてみせる。
「教皇庁の主要幹部への賄賂に使う金品もすでに市中の拠点へ運び込んでいます。今は様々な角度から接触を図っているところです」
「うむ。ゴートランド派を切り崩し、可能ならスカーレット派にも食い込みたい。気を入れて頼むぞ!」
「はっ」
「了解でっす」
腹心の部下たちの返事にモンテーノは重々しく頷き……辺りを見回した。
「ところで……うちの宿舎、なんか静かではないか?」
聞かれた二人は……ココの話題でも見せなかった苦笑を浮かべた。
「久しぶりの出張で、多くの者が歓楽街に遊びに出ておりまして……」
副大司教の弁解を聞き、大司教は半眼になった。
「大陸会議では気を抜くなと言うておるのに……うちの派閥が一番狙われやすいかもしれんな……」
「他派は買収工作まで行わない甘ちゃんだから助かっておりますな」
◆
窓から夜空を眺めていたココは、一筋の流れ星がスッと落ちるのを発見した。
「おいナッツ、流れ星が落ちたぞ!」
「えっ? 本当ですか!?」
ナタリアも横に来た。
「良かったですねえ。流れ星を見るといいことが起こるって聞きますよ」
「そっかあ」
頬杖を突いたココは次が流れてこないか、空の隅々まで星の位置を目で追った。
「じゃあ、私の富くじ当たるかな」
「そんな物、いつのまに買っていたんですか!?」
「いや、私がそんな不確かな物を買うわけないだろ」
「あ、それはそうですね……」
「拾ったんだ」
「……拾った上に当選まで要求するなんて、罰当たりすぎませんか?」
「夢はでっかいぐらいの方が良い」
「夢……?」




