とかげとうさぎ
わたしが、おばあちゃんを殺したんだ――
おばあちゃんは、最後まで笑ってた。
苦しいはずなのに、決して私には心配させないようにして笑ってたんだ。
あの日だって、ベッドから手を振って、行ってらっしゃいって微笑んでいた。
死がすぐそこまで迫ってきてるなんておくびにも出さずに。
そしていつも通りに一日が終わり、月明かりがいつもみたいに木のドアを照らす。
ただいま……
家に一歩踏み入った瞬間にわかった。
ドアを開けると、立ち込めていた冷気がぶわっと髪を揺らした。
「おばあちゃんっ!!」
おばあちゃんは私を送り出した時のままの笑顔を浮かべていた。
せめて少しでも私にお医者さんの知識があったのなら、
おばあちゃんは苦しまずに済んだのかな。死なずに済んだのかな。
そう思うと悔しさで涙がぼろぼろと零れる。
声も出さずに泣いた。涙も声も枯れるほどに泣いた。そして、医者もやってこないこの辺鄙な土地をひたすら呪った。
出来るのは後悔だけだった。
「先生」がやってきたのは、それから一ヶ月後のことだった。
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グラスが爽やかな水色に色付いてゆく。
無秩序な部屋の中でそこだけが、まるでステンドガラスのように輝いている。
薄く湯気の立つそれを口元に近付け、
その柔らかな香りを味わう。
ちろちろと覗くその舌は細長く、先端は二股に分かれている。
グラスの取っ手をそっとつまむその手は鱗にくまなく覆われている。
ちらと窓に目を向けると、鈍色の雲が広がっているのが見えた。
空を静かに見つめるその目は小さく輝くビー玉のようだ。
――今の感情を粉々に砕いて抽出したら、ちょうどこんな色になるだろうか。
彼はそんなことを思った。
毎年このタウルの時期は気分が沈んでしまう。
自身が変温動物であるのも理由の一つかもしれない。
とかく、晴れない心模様であることは確かだった。
コン、ココンッ
突然、部屋に立ち込めた靄を払うかのように、小気味よく木製のドアが叩かれる音がした。
「マロウせんせーっ!!」
可愛らしい声が呼び鈴のように響く。
またあいつだろう。
最近自分の心を占めている懸念の一つはこれだ。
1人ゆっくりと過ごす時間は強制的に終了させられる。
彼はカップを置いてのろっと立ち上がり、ドア越しにゆっくりと話しかける。
「……もう断っただろう。あの話は終わりだ」
「そこをどうかっ!」
「断る」
「せめて1日だけでもっ!」
「ダメだ」
「せんせーっ!」
ドア越しに今にも奴の縋るような目が浮かんできそうだった。
「……取りあえず中に入れ、凍死されたらかなわん」
「やったっ!」
扉を開けた途端に白い塊が部屋の中に転がり込んできた。
ふわふわとした尻尾にぴこぴこ揺れる大きな耳、こちらをキラキラと見つめる瞳は、右が種族特有の赤、左は萌えるような緑だ。
「……」
「おねがいっせんせーっ!」
「っ!やーめーろ!」
すきあらば飛びついて来かねないのでふわふわの毛に覆われた頭を押さえつける。
ーー俺の手からなんとか逃げ出そうと頑張っているこの娘の名前は、ローリエ。
先週のモウルの月、料理中に手を切って
しまったと言って、傷薬を求めてこの店にやって来た。こんな小さな子が料理をするなんて思わなかったが、今まで暮らしていた叔母が亡くなってしまい、今は一人暮らしだそうだ。
薬の効きは上々だったようで、以来懐かれてしまった俺は、どうにも参っている。
「……まだあきめないのか」
「せんせーが良いって言うまで帰りませんっ!」
「俺は弟子は取らないって言ったはずだ」
ローリエの耳が突然ピクっと反応し、ドアの方を向く。
少し遅れてコンコンとノックの音がした。
「……客か。話は後だ。そこの椅子に掛けとけ」
ローリエは大人しく席に着いた。マロウはドアを開いた。そこには中背の男が1人立っていた。 犬人族の男だった。彼はマロウを一目見るとひっと小さく息を漏らした。
「怖がらないでください。私は医者です。」
彼は奥に座っているローリエを見ると少し表情を緩め、もうひとつの椅子に座った。
「今日はどうされましたか?」
「最近喉が痛くて……」
そう言う彼の鼻はすっかりかわいていた。
「分かりました。では少しお時間を頂きますよ」
マロウはそう言って席を立った。