(6)
「俺に任せて。サヨリはただ、俺を信じているだけでいいから」
あのあと、水島さんとなにかしらを話し込んだワタルに、お疲れのことだろうと思いつつ彼女に脅されたことを話した。
するとワタルはそんなことを言って、わたしの肩に手を置いた。
その手は強張っているというようなこともなく、いつものようにふんわりとしていた。
わたしは胸騒ぎを覚えてなにか言おうとしたが、ワタルは珍しくその言葉を聞きたがらなかった。
早々に切り上げて、次の仕事――今度の式典に出席したときの祝辞――に取りかかってしまう。
そんなワタルの態度は初めてだった。
ワタルはいつだってわたしの話を鬱陶しがったことも、テキトーに聞き流すようなこともしなかったからだ。
けれどもそのときのわたしはなにもできなかった。
ただあれこれと頭を悩ませ始めたワタルのために、ハーブティーでも用意しようと立ち上がるのみであった。
しかしもちろん、それではなにも問題は解決しない。
水島さんは頻繁に――ほとんど毎日のように大神殿へやって来ては、ワタルと面会室で話し込むようになった。
すると自然と「そういう」ウワサが流れ始める。
つまり、ワタルと水島さんが親しい関係にあるというウワサだ。
そこにあって、水島さんがなにかしらの「能力」を持っているのではないかという話も飛び出してくる。
よくよく考えれば、水島さんがこの世界にいるということは、彼女も「異界門」とやらを通ったということだ。
「異界門」から神殿へともたらされた人間は神の使いとなる「神子」として扱われるが、そうでない人間は「迷い人」として扱われる――ということをわたしは遅まきながらに認識した。
これはたぶん、はじめに対応してくれた神官さんも話してくれたのだろうが、きっとわたしは聞き流してしまったのだろう。
聞くに、迷い人を保護する法律もあるという。
じゃあ、この前の「水島さん置き去り事件」のときにあんなに悩んだわたしはバカみたいである。
問題は、「異界門」を通った結果だ。
その結果、水島さんには他者を魅了する能力が備わったのではないか?
……というようなウワサまでもが神殿でもひそやかにささやかれ始めていた。
たしかにそのほうがしっくり来る。
水島さんはわたしよりずっと美人だけれど、でも傾城ほどかと言われると、ちょっと首をひねらざるを得ない。
つまり、その美貌だけで片っ端から男たちを手玉に取れる容貌であるかには、ほとんどのひとは疑問を呈しているのだ。
しかし「異界門」の影響を受けてなにがしかの「能力」が備わっていたとすれば、色々と腑に落ちる点は多い。
……そう、ワタルが突然水島さんとばかり会うようになった、という事実も。
ワタルは別に水島さんのことをどうのこうのと語ったりしない。
明らかに魅了されている様子で素敵なひとだとも言わないし、かといって脅迫してくるヒドイやつだとかも言わない。
祈りの時間と水島さんに面会しているとき以外は大抵いっしょにいるわたしからすれば、それは無関心にも見えた。
でも現実にはワタルは水島さんの面会要求にいちいち答えている。
突っぱねてしまえばいいのに、とは言えなかった。どんなことを話しているかわからなかったから。
もしかしたらワタルは水島さんを説得しようとしているのかもしれない。
彼女の旗色は、はっきり言って悪い。
敵を作りすぎているのだ。
神殿内では彼女をよく言う人間は皆無だったし、どうもそれは神殿の外でも同じようだった。――ただし、水島さんの取り巻きの男性たちは除く。
水島さんは上流階級のパーティーにも顔を出しては、男を引っかけているなどという流言飛語が飛び交っていた。
そして引っかけた男に宝飾品を貢がせているとも。
それはウワサにすぎない。すぎないのだが、半ば事実のように語られているのが現実だった。
だからもしかしたら、ワタルは水島さんのことを思ってあれこれと言葉を交わしているのかもしれない。
あるいは、水島さんがワタルを脅迫してどうこうしようと粘っているのかもしれない。
すべては未だ闇の中、であるが。
そういう状況の中でわたしはどうすることもできないでいた。
水島さんのことは不幸になって欲しいとは思えなかったが、しかし色々と思うことがあるのも事実。
このまま自滅してくれればいいのに……などと黒い自分が顔を出すこともしばしばだ。
水島さんの状況は、日に日に悪化していっているように思えた。
そのうち異性関係のアレコレで、刃傷沙汰でも起きないといいんだけれど、などと神官さんの口から飛び出すくらいである。
わたしもワタルの恋人という立場であるため、一応は当事者なのだろうが、そういう意識は薄いと言わざるを得ない。
ワタルからはなにやらシャットアウトされている空気を感じる。
一方で、わたしたちの仲を応援してくれていた神官さんたちからは、同情の目で見られている。
わたしはと言えば特になにも語らず――というか、語れることがなく、被害者扱いされるがままに過ごしている。
そんな中で、また水島さんとふたりきりで会う機会が出来た。
水島さんは毎日決まった時間に行われる「お祈り」の時間を覚えてないのか、はてまた「そんなことしったこっちゃねえ」精神でいるのか、またワタルが祈りの間にいる時間帯に大神殿にやって来たのである。
そしてなぜか面会室で大人しく待つのではなく、わたしをご指名してきた。
なぜなのかさっぱりわからないわたしは、首をひねりつつ面会室へと向かう。
いっしょに掃除をしていた神官さんからは、心配の声をかけられたが、彼女になにを言われても動じない自信があったので、「大丈夫」とだけ言って目的の部屋へと向かった。
「水島さん、敵、作りすぎだよ」
部屋に入っても水島さんは不機嫌そうな態度で無言を貫いたので、仕方なくわたしから声をかける。
それを言葉にした途端、ざわざわとした胸騒ぎがわたしを襲う。
水島さんは、どうして静かに暮らせないんだろう? いや、暮らしたくないんだろうか?
そんな思いがわたしの心の内から湧き出る。
「そんなこと、わかってるわよ」
「なら――」
「でも! 不安なの!」
水島さんはヒステリックにそう叫んだ。
わたしはびっくりして、一歩後ずさりそうになる。
「お金がいっぱいあっても、男がいっぱいいても、不安で不安でしょうがないの!」
それは心からの叫びに聞こえた。
だって、わたしたちにはなんにもない。
今まで親や大人や社会に守られて来たけれども、それが急になくなって、異世界に放り出された。
幸いにもこの世界には異世界人を保護する法はあるようなのだが、それでも不安は残る。
わたしたちはまだ社会を知らない子供なのに、いざというときに頼れる、身近な存在を唐突に失ってしまった。
水島さんはそのことに強い不安感を覚えているのだろう。きっとそれは、彼女をヒステリックにさせるだけのストレスにもなっている。
思えば元の世界でわたしに八つ当たりしていたころの水島さんは、もっと余裕があったような気がする。
わたしに意地悪なことをしたって大丈夫。そういう余裕が彼女にはあった。
けれど、今の水島さんは、まったく、そうではない。
「水島さん……」
水島さんのことをわたしはなにひとつ理解できなかった。
けれども今、彼女の孤独に触れたような気になって、同情めいた心情が生まれて来る。
わたしにはワタルがいて、ワタルにはわたしがいて、互いの心を支え合うことが出来た。
でも、水島さんにはそんな相手はいないんだろう。
「……外で話しましょ。……ここは息苦しいから」
水島さんの言にうなずいて、いっしょに面会室を出る。
廊下に出れば、わたしたちが暮らす大きな石塔が見えた。
さすがに水島さんもいっしょに暮らすなどという戯言を言うだけの余裕はわたしにはなかったが、このときのわたしは、どうにか彼女の心を助けられないかとは思うようになっていた。
「キャーッ!」
わたしはびっくりして、声がした方――水島さんがいる方向へと顔を向ける。
水島さんは、廊下から一段低い場所にある中庭へと降りる階段の下で、地面に膝をついて「キャー」と何度も甲高い声を上げていた。
わたしは彼女がなにをしているのかさっぱりわからず、しかし怪我でもしたのかとあわてて水島さんに近づこうとした。
「助けて!」
「水島さ――」
「助けてーっ! 殺されるーっ!」
半ばパニックに陥っていたわたしも、その瞬間に気づいてしまった。
この場にはわたしと水島さんしかいない。
水島さんは――わたしを階段から自分を突き落とした犯人に、仕立てあげようとしている。
気づいた瞬間に、わたしはどうすればいいのか頭が真っ白になって、思わず廊下――階段の上――から呆然と彼女を見下ろす形になった。
「水島さん?!」
「サヨリさん、どうされました?!」
中庭を突っ切ってワタルが走り寄ってくるのと、廊下の先から神官さんたちがやって来るのは、ほとんど同時だった。
そのときになってようやく、わたしは自分がヤバイ位置に立っていることに気づいたのだが、今さら取り繕うこともできず、どうしようもなかった。
「助けてワタル! 石堂さんが! 石堂さんが!」
ワタルは水島さんを助け起こす。
神官さんたちは怪訝そうな顔でわたしと水島さんの顔を見比べていた。
「どうされたんですか?」
「えっと……水島さんが足を滑らせたようで……」
「ひどい! 石堂さんが急に……急にあたしの背中を叩いて!」
ひどいのはどっちだよ、と心の冷静な部分で突っ込む。
しかし現実にはわたしの心臓はイヤなくらいドクンドクンと鼓動を速めており、顔色が悪いだろうなと思うくらいに血の気が引いている自覚があった。
――これじゃ、まるで今しがた罪を犯したばかりの犯人だよ。
おかしげなこの状況に、笑いが込み上げて来そうになる。
でもこの場で笑ったら、水島さんの言が通りそうなので、必死で抑えにかかった。
「えっと、なんか、動転しているみたいで――」
「ひどいひどい!」
「とりあえず怪我をされているのでしたら女子神殿の方で手当てをいたしましょうか?」
「石堂さんを捕まえてよ! サツジンミスイだよっ!」
神官さんたちの顔に困惑がありありと浮かんでいる。
どうやら水島さんの言葉を信用してはいないようなのだが、彼女をどう扱えばいいのか困っている――そういう顔だ。
「それじゃあ水島さんの手当ては女子神殿の方でお願いしてもよろしいですか? ――水島さん、その話はあとで詳しく聞くから、今は怪我の手当てをしてもらおう? 今はずいぶんと混乱しているようだし、ね?」
その場を収めたのはワタルだった。
水島さんもワタルにそう言われたのでは、わたしを犯人に仕立て上げる計画を一時中断せざるを得なかったようだ。
神官さんたちに連れられて行く水島さんは、わたしを忌々しげに睨みつけたあと、それからもう二度とこちらを振り返るようなことはしなかった。