(4)
ところは大神殿から離れた地にある領主館。
巡礼だとかで、かの地を訪れるのに合わせて、昼食会に招待されたワタルに伴われてわたしはその屋敷に足を踏み入れた。
元の世界じゃ海外旅行にでも行って観光地にでも足を運ばなければ見られないような、立派な洋式のお屋敷に、わたしは心の中で眼福だのなんだのと思っていた。
領主様もこちらが年若い人間だからといって嫌味なところもなく、昼食会は和やかなうちに終わったようだ。
わたしは侍者なので同席は出来なかったものの、テーブルマナーに自信がなかったのでむしろ助かったと思ったくらいである。
ワタルはそういう部分は不満なようだったが、衣食住を保障してもらっている手前、そういう文句は心にしまっているらしい。
わたしは特に気にはしていないので、ワタルの不満には申し訳ないけど見て見ぬフリを決め込んでいる。
……だって、わたしにはたいそうな式典に出席したり、なんか立派な言葉を発したり、なんてことは荷が重すぎる。
侍者という立場は引っ込み思案で地味なわたしにはぴったりだと、今は思っている。
なんやかんやもなく、和やかに終わった昼食会の余韻を引いたまま、ワタルは領主様と握手をして別れを惜しんでいる。
侍者であるわたしは停めてあった馬車の御者に用事が終わったことを告げて、正門の前に馬車を回してもらうようお願いしに行った。
こういう、細々とした裏方の仕事も侍者のすることである。わたしは嫌いじゃない。
さっきも言ったように、わたしは表舞台に立つ度量はないので、こういった雑用の方が性に合っている。
馬車を停留させている屋敷の裏手に回る。
その角を曲がるときにだれかがしゃべっているのには気づいていた。
怒っている甲高い女のひとの声と、それにたびたびかき消される低い男のひとの声。男のひとは、どうも女のひとをなだめているらしかった。
「なんで早く言ってくれなかったんですか?! 神子が来るって!」
「いや、それは……」
「おおかたお父様に止められたんでしょう? わざわざ遠乗りに誘って! あのひとはあたしのことが嫌いですものね」
「そんなことはないよ」
「そんなことあるわよ! だって、わたしがねだっても王都に連れて行ってくれなかったんだもの! わたしのことが嫌いなのよ!」
ヒステリック気味にそう叫ぶ女のひと――正確には少女――はそう言って泣き出した。
いや、泣いているフリをした。
わたしにはフリだとわかったが、男のひとにはわかっているのかいないのか、いっそうあわてて彼女を慰め出す。
わたしは、彼女のことを――知っている。
それに気づいたとき、わたしの心臓は一瞬間を置いてから、大きく跳ねた。
水島未亜。ワタルのクラスメイト。
なんで自分のクラスのひとたちの名前をちゃんと覚えていないわたしが、彼女のことを知っているかと言えばそれには事情がある。
まず見た目がすこぶるカワイイ。有象無象の中においてはその容姿は図抜けている。
ただ、水島さんに対してだけは口が悪くなるわたしの友人は、「マイナー誌の読者モデル程度」などと言っていたが。
地味なわたしからすると「読者モデル程度」というだけでも、それは相当に容姿が優れているのではないかと思ってしまう。
そして性格に難がある。はっきり言うと、自己中ってやつだ。自分を中心に世界が回っている……というか、回るべきだと思っている。
そう言い切ってしまえるのは、彼女に文句を言われた経験があるから。
水島さんはワタルに告白して玉砕したらしい。水島さんから言われた文句を繋ぎ合わせれば、の話だけれど。
なにせワタルはひとこともそんなことを言っていないし、学校でも特にウワサにはなっていなかったから。
ウワサなんかになっていたら、たぶん水島さんのプライドは耐えられなかったんじゃないかなとは思う。
だからひっそり告白して、ひっそり玉砕した。
そしてその八つ当たりのターゲットにわたしを選んだ。
なんかひどく理不尽なことを言われた、くらいの記憶しかわたしの中には残っていない。
とにかくひどいことを言われたのはたしかなのだが、ひどすぎたせいなのか、わたしの脳みそは投げつけられた具体的なセリフを忘却した。
なので覚えてはいない。
覚えてはいないが、水島さんへの印象が良くないことだけは確かである。
水島さんは一ヶ月くらいわたしに対して地道に八つ当たりを続け、そしてその虚しさに気づいたか、単に飽きたのかして、いつの間にかそれは終わっていた。
その、水島さんがなぜか今、わたしから数メートル離れた場所に、いる。
まず思ったのは、なんで? ってことだ。
なんで彼女がここに?
それはたぶんきっと、わたしたちと似たような理由であるに違いないということは、すぐに気づけた。
恐らく彼女もこの世界の「システム」ってやつに巻き込まれて、「異界門」とかいうやつを通ってこの地に落とされたのだろう。
次の思ったのは、マズイ、ということだ。
だって、彼女は知っているのだ。わたしとワタルが兄妹だってことを。
知っているからこそ、彼女はワタルに玉砕したあとでわたしを八つ当たりのターゲットに選んだ。
たしかそれを告げられたときに、「よく兄妹だって知っているなこのひと」と思ったことをおぼろげながらに覚えている。
だからマズイ、と思った。
けれどもわたしの足は逃げる方向には動いてくれず、まるで石になったかのようにその場に張り付いてしまった。
仮に逃げられたとしてもどちらにせよ御者を呼ばなければならないのだし、なんの問題の解決にもならないだろうが、ここで行き違っていればまた結末は変わったものになっていたかもしれない、とは思う。
思うが、それはあとで思っただけのことだ。
現実はそうはならなくて、泣いているフリをしていた水島さんは、わたしの存在に気づいた。
最初に見たときは、たぶんだれなのかわからなかったんだと思う。水島さんは、そういう顔をしていたから。
けれどもすぐにその顔はおどろきに変わって、何度かパチパチと瞬きをしたのがわたしにもわかった。
そして次に口を開いた。でも、わたしの名前は覚えていなかったらしい。なんと呼べばいいのかわからない。そういう目をしていた。
そのときになってやっとわたしの足は動きだして、わたしは御者さんの元へと急ぐ。
今ならまだ、他人の空似ってやつで誤魔化せると思ったからだ。
けれども足が動くのは水島さんの方が早かった。
「ねえ!」
水島さんはわたしの腕を乱暴につかんで引っ張る。
わたしはびっくりして彼女の方を振り返った。
「ねえ! やっぱりそうじゃん! なんで無視するの?!」
水島さんの言葉はひとによってはなにを言いたいのかわからないものだっただろう。
けれどもわたしにはわかってしまった。
だって水島さんはわたしを知っていて、わたしも水島さんを知っていたから。
わたしはなんと言うべきか困った。
「人違いです」って言うのもわざとらしい?
「だれですか?」って聞くのが正解?
それとも全部無視してしまったほうがいい?
でも、と迷いが生じる。
もし水島さんがこの異世界に投げ出されてひとり困っていたら……。
もし水島さんが困っていて、やっと見つけた顔見知りのわたしに助けを求めたくて声をかけたのなら……。
そのときは、わたしはどうすればいいんだろう?
無数の考えが湧いては泡のように消えて行く。
なにが正しくてなにが間違っているのか、わたしは未来予知もできなければ心の内も読めないので、それがわからない。
そうしてうだうだと迷っているうちに、わたしが馬車を連れて戻って来ないことを不審に思ったらしい使用人のひとが屋敷の裏手にやって来た。
そのひとは水島さんに絡まれているわたしを見たとき、あからさまに嫌そうな顔をした。
わたしを見て、ではなく、水島さんを見ての反応らしい。屋敷内で会ったときはそんな顔はされなかったから、たぶんそう……だと思いたい。
「いかがされましたか?」
使用人さんは次の瞬間にはわたしの方に目を向けて、ごく丁寧な口調でそう聞いてくる。
わたしはまたしてもどう答えればいいのか悩んだ。
わたしは頭がいいわけじゃないし、舌の回りがいいわけでもない。
そして水島さんはわたしがなにかを言う前に、必死な顔で使用人さんの方を見た。
「このひと友達なんです! どうしてここにいるか知ってますか?!」
「……この方は神子様の侍者の方です。ミア様のご友人だそうですが……他人の空似では?」
使用人さんの言葉があまりに辛辣だったので、わたしはびっくりしてしまった。
けれども水島さんはそんなことにはめげずに、がっつりとわたしの腕をつかんだまま、今度はこちらを見る。
その目とかち合ってしまったわたしは、水島さんの瞳がなんだか少し血走っているように見えて、少々腰が引けた。
「ねえ! わたしたち友達じゃん! そうでしょ?!」
「えっ……ち、ちが……」
友達ではない。少なくとも知人ではあるだろうが、友達ではない。
そう思って「違う」と言おうとしたら、不自然なほどに腕を強くつかまれた。
水島さんのそんな態度に、心の狭いわたしは小心者なりにもムッとしてしまう。
「友達じゃん! ねえ!」
「――違いますっ」
わたしの腕をつかむ、水島さんの手を乱暴に振り払う。
よもやわたしがそんなことをするとは思わなかったのだろう、水島さんはひどくびっくりした顔でこちらを見た。
「すいません。すぐに馬車を回して来ますので」
「私もついて行きますよ」
「すいません。ありがとうございます」
使用人さんから暗に水島さんからガードしますよと提案されたので、わたしはその案に乗ることにした。
水島さんは呆然とした様子でわたしたちを見送った。
なぜか、そのときは水島さんはそれ以上取りすがったりして来ることはなかった。
わたしはそんな水島さんを振り返ることもなく、陰で様子をうかがっていた御者さんに話をして馬車を正門へと回してもらう。
「遅かったけど、なにかあったの?」
「……後で話すね」
わたしは、感情的に動いた結果、水島さんを見捨てるという選択肢を取った。
その事実はわたしの心をちくちくと苛んだわけだが――すぐにその思いも吹き飛ばされるほど、水島さんという人間は、良くも悪くもタフだった。