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(3)

 わたしたちの「異世界生活」というものは、おどろくほど順調だった。


「神子」とやらの地位に置かれたワタルは毎日「お祈り」の時間を過ごさなければならなかったが、それもそう長い時間ではない。


「お祈り」のために質素な食生活を強いられるということもなかったし、周囲の神官さんたちはおどろくほどわたしたちに対して優しかった。


 それはこの世界の変えがたい「システム」に巻き込まれてしまったわたしたちを哀れんでのこととは明らかだったが、無関心だったり、逆に辛く当たられるよりはずっとマシなのは確かだ。


 わたしたちは歴然たる被害者であったのだが、妙に優しい態度を取られると謎の申し訳なさを感じてしまうこともまた、確かだ。


 毅然としていられればいいのだが、どうも上手く行かない。


 それは優しい彼らに対し「ウソ」をついているからだろう。


 その「ウソ」は彼らに害を生すものではないにせよ、多くの世界において忌避されるだろう、近親同士の恋愛という事実を胸に秘めているという現実は、わたしの心をちくちくと苛む。


 しかしワタルはまったく気にしていない風だった。


「だってこんなチャンス、地球がひっくり返ったって起こり得ないことだよ」


 地球はひっくり返らなかったが、地球ではない場所に引き込まれたので、「こういうこと」が起こり得た。


 それはワタルにとっては「僥倖(ぎょうこう)」という類いの出来事なんだろう。


 わたしだってワタルと堂々と……というわけではないにせよ、見た目通りの他人同士のような生活を辞めてもいいという現実は、はっきり言ってうれしい。


 でもそれをおおっぴらに喜ぶなんてことはもちろん出来るはずもないので、それがなんとなく引っかかっているのだと思う。


 あまりにもわたしたちにとって都合が良すぎる展開であることも否めない。


 その「都合の良すぎる展開」に対して支払った代償は大きすぎるとは思うが……。


 だからわたしは、なんとなくこの幸せが壊れたときのことも考えてしまうのだと思う。


 そうなったとき、わたしはどうなるんだろう?


 元の世界に帰れなくって、この異世界でワタルの愛も失くして、わたしはそのとき生きていられるんだろうか?


 ふと気がつくとそんな考えに囚われてしまう。


「この世界がひっくり返ったって、俺がサヨリのことを好きじゃなくなるなんてあり得ないよ」


 ワタルはそう言って朗らかに、安心させるように笑った。


 そうしてから、わたしに軽くキスを送る。


 なんとなく、ワタルからキスをされる回数が増えたような気がしている。


 その裏にはたぶん、不安があるのだろう。


 ワタルもわたしとまったく同じではないにせよ、似たような心理状態にあることはなんとなくわかった。


 わたしがワタルを失いたくないと考えているように、ワタルもわたしを失いたくないと考えている。


 でも、そのためにはどうすればいいんだろう?


「なにがあってもサヨリを好きじゃなくなるなんてあり得ない。まずはそれをよく覚えるように」


 ワタルは教師のようなかしこまった口調で大げさに言う。


 覚えるまでもない、いつだって疑っていなかったワタルの心。


 だというのに、異世界に飛ばされて、くるかもわからない未来をあれやこれやと無駄に思案する。


 それもこれも、なんだかんだで心に余裕があるからなんだろうなとは考える。


「お上手になられましたね」


 神官さんの言葉に、刺繍を縫いつける手を止めずにわたしは「そうですか?」と答える。


 わたしたちが暮らしている石塔が神殿の中心部にあることはすでに述べた通りだが、神殿は女子神殿と男子神殿という風に内部ではふたつに分かれており、総称して巷では「大神殿」と呼称されているらしい。


 ワタルが「お祈り」の時間を過ごしているあいだは、わたしは大抵女子神殿の方にお邪魔して、雑用を手伝っている。


 わたしの立場は「神子」であるワタルの身の回りの世話をする「侍者」だが、「侍者」は「神子」が「お祈り」をする場にはついて行けないので、そのあいだは手持無沙汰になる。


 その時間を使ってわたしは女子神殿で掃除の手伝いをしたり、寄付された物品を選り分けたりといった軽作業をしている。


 ただ、最近はいわゆるチャリティバザーに向けてちくちくと縫い物をしていた。


 今日もちくちくとコンパクトなクシ入れに花と鳥のモチーフを刺繍している。


 わたしははっきり言って不器用ではないが、器用でもない人間だ。


 ただ、家庭科の授業で刺繍をしたことはあったから、一応ひとに渡しても問題のないようなものが作れているという状況であった。


 ここ数日ほど、家庭科の授業に感謝した日もないだろうと思うくらいである。


「サヨリさんは手先がとても器用だと思いますよ」

「わたくしも。神子様のお召し物もサヨリさんが直されているの?」

「ええ」


 ちくちくと刺繍を刺しながらも、向けられるワクワクとした視線に顔を上げられなくて、わたしは面映ゆい気持ちになる。


 神官さんたちは様々な事情があって神殿に入り神に仕えている。


 その身は神様のものらしいのだが、それはそれとして恋愛沙汰にも興味はあるらしい。


 わたしよりずっと大人びて見える彼女らも、聞けばわたしたちとそう年齢は変わらない。


 この年頃の女の子が恋の話に夢中になるのは、世界は違えど変わらないようだ。


「サヨリさんならいつでもお嫁に行けますわね」

「ええ。神子様はお幸せね」

「……だといいんですけれど」


 この世界では女の子がお嫁に行ける条件に針仕事が出来るかどうか、というひとつの基準があるみたいだ。


 わたしはちくちくと刺繍を仕上げながら、やっぱりなんとなく顔を上げられないでいた。


 ――こんなの、お世辞だよ。


 そう思うわたしがいる一方で、もう一方のわたしは踊り出さんばかりに喜んでいる。泣けるほどに、単純だ。


 でも、心で思うだけなら許して欲しいともだれとも知れずに思ってしまう。


 この世界では「神子」に対するアレコレは案外とゆるい。


 外出こそ自由にはできないものの、だだっ広い大神殿内は好きなように闊歩できるし、たぶん望めば大抵のものは手に入る。


 そして――「恋愛」。おどろくべきことにこれも自由なのだった。


 異世界からやって来る「神子」は神に仕える神官とはまた違う立場なので、自由恋愛が許されているらしい。


 それって不公平だとか、「神子」らしくないとか思うひとはいないんだろうかと思ってしまうのは、普通だと思う。


 けれども神官さんたちによると大衆文芸において「神子」の恋愛というのは一大ジャンルを形成しているらしく、そんな発想をするのは変人くらいだと笑われてしまった。


「神子」の「自由恋愛」は「そういうもの」。「そういうもの」として大衆も、神官さんたちも、ハナから受け入れているようだった。


 なので、「わたしたち」は祝福された。


 いともたやすく。


 なんの障害もなく。


 屈託のない笑顔で、「仲がいいのね」と言われる。


 かつてはふたりきりのときにしか見せなかった顔で、仲良くしているだけで、周囲は温かく迎え入れてくれる。


 神官さんたちからすれば、大事な「神子」のメンタルが安定するというメリットもあると思う。


 けれども、けれども。……けれども、わたしはそれだけではないと、思いたい。思いたくなってしまう。


 だって、元の世界なら絶対こんな風に祝福されることなんてなかった。


 呪わしく、おぞましい関係だと罵られて、白眼視され、うしろ指をさされる。


 わたしたち兄妹の関係というのは、そういうもののはずだった。


 けれども世界がひっくり返って――どういうわけか、わたしたちは祝福されている。


 ちょっとからかいを込めて「仲良くね」なんて言われる日々を送っている。


 そんな言葉を受けながら、うれしく思うと同時に、いつまでそれが続くのか、不安だった。


 わたしたちが兄妹だと知っている人間は、この世界にはいないのに。


 なのに素直に現状を喜ばず、罰当たりなことばかり考えてしまっていたから――こんなことに、なってしまったのかもしれない。

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