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(2)

 わたしたちがこの異世界ではじめに足をつけた場所は、神殿の中庭だった……らしい。


 そして神官さんから説明を受けてすっかり日暮れを迎えたころに、わたしたちは神殿の中心部にある石塔へと案内された。


 その石塔はとんがった屋根を持つ尖塔でもあったが、言葉からイメージするほど狭苦しい場所ではなかった。


 曰く、代々の神子さまとやらもこの塔で暮らしていたというから、快適さは折り紙つきと神官さんは自信ありげに説明してくれた。


 そしてその言葉に違いはなく、内装は華美ではないにせよなかなかスッキリとしていて綺麗なものだった。


 猫足のドレッサーに天蓋つきでフリル満載のベッドなんかが置いてあるところを見ると、歴代の神子さまは男に限らないのかもしれない。


 天井も高く設けられていて閉塞感はあまりなく、たしかに快適に過ごせそうだと思えるような内装だった。


「ベッドは二階と三階の二部屋にありますので、お好きなほうを」


 神官さんはそう言って塔内を案内してくれた。


 お風呂はないがトイレはあって、しかもきちんと水洗だったのにはちょっとおどろいた。


 お風呂の代わりは井戸での水浴びとなるらしい。


 今の季節ならばまだマシだろうが、これから冷え込めば厳しそうだ……と思っていたら、魔法石とやらで簡単にお湯にできてしまうらしい。


 そういえば魔法のある世界なのだった、とわたしは思いいたる。


 兄さんは科学の代わりに魔法が発達した世界なのかもね、と言っていた。


 神官さんはひと通り説明を終えると、「あとで食事を持って行かせます」とだけ行って石塔を辞した。


 残されたわたしたちは一度顔を合わせたあと、「休もうか」とだけ行って初めて見た本物のカウチソファに並んで腰を下ろした。


 オフホワイトのカウチソファはややくたびれていて、尻があたる部分のクッションが、ちょっとだけヘタれているようだ。


 背中に挟んだクッションを引っぱり出して、「ふわふわだ」と行って兄さんに放って投げる。


 兄さんはわたしからクッションを受け取って、「本当だ」と他愛なく答えた。


「サヨリさ」

「うん?」

「あんまり話聞いてなかったでしょ?」

「兄さんがちゃんと聞いてるからいいかなって。それにわたしの今後に関わる部分はちゃんと聞いてたよ。お風呂とか、トイレとかね」

「それ」

「え?」


 兄さんが真剣な顔をしてわたしを見た。


 わたしはすぐに自分が失態を犯したことに気づいた。


 ここではわたしたちは兄妹ではないのに、わたしは「兄さん」と気軽に呼んでしまったのだ。


「ごめん。気をつける」

「まあ、ふたりっきりのときだから、よかった。うん、これからは『ワタル』ってちゃんと呼んでね?」

「うん。わかったよ。……ワタル」


 兄さんのことをその名前で呼ぶことになる日が来るとは、露ほども思っていなかったわたしは、なんだかそれを照れ臭く思いながらも口にする。


「ワタル」。たった三文字の言葉なのに、なんてことない言葉のはずなのに、なんだかすごく特別な響きに聞こえた。


 そしてその名を呼んだとき、否が応でもわたしは両親のことを思い出してしまう。


 そんなわたしの心情を察したのだろう。ワタルはそっとわたしの髪に指を通して、そのまま優しく頭を撫でる。


 それからワタルのふわふわの髪と同じような、ふにゃっとした笑顔を見せた。


「たぶん、サヨリがいっしょだったから、泣かなくて済んだ」

「……うん。わたしも」


 この苦しみを言葉にするにはまだ時間がかかりそうだった。


 もう二度と両親には会えない。それは、友達と永遠に会えなくなることとはまた違った趣を持って、わたしの心に重くのしかかった。


 その事実は口にするにはあまりにも残酷すぎて、だからわたしたちのどちらも、それを言葉にはできなかった。


 しかし不幸中の幸いと言えるのは、愛する相手とまだいっしょにいられるということ。


 ひとまずはそれを大事にして行こう。


 言葉に出さずとも、視線だけでわたしたちはそう語り合った。


「それと、俺たちのこともヒミツだからね」

「うん。ヒミツね。わかってる」


 なぜあのときウソをついたのかなんて野暮な話にはならなかった。


 わたしたちのどちらもが、元の世界をささやかに愛しながらも、同時に息苦しさを感じていたことは、事実だったから。


 でもこの世界ではわたしたちは兄妹じゃない。単なる同じ年の……男と女。


 少なくともあの神官さんはそう信じている。


 そしてわたしたちは、そういう風に自由に振る舞える。


 それを思うと、苦しい心にとって少しの慰めになった。


「……とにかく、食事を終えたら今日はそろそろ寝たほうがいいね。明日以降は王様への謁見とかあるって言ってたし」

「謁見なんてしたことないよ……大丈夫かなあ?」

「まあなるようになる、としか言えないかな」

「なるようになればいいんだけどね」


 そう言いながらカウチソファを立ち、二階にあるベッドの前に立った。


 天蓋つきのベッドを見ると、反射的にお姫様みたいだと思う程度には、わたしの発想は貧困だった。


 そしてぼんやりとホコリが溜まりそうだなと思いつつ天蓋を見やる。


 明日からわたしはワタルの「侍者」ってやつになる。


 侍者がなんなのか未だによくわかっていないが、神子であるワタルの身の回りの世話をする役割らしい。


 となればこのホコリが溜まりやすそうな天蓋の掃除もわたしの仕事なんだろうか……。


 明日からはいっそう気合を入れなければならなさそうだ。


 掃除は嫌いではないからさほど苦痛には思えないのが、幸いと言えば幸いか。


 ……わたしはそんなことを考え込んでいたが、ワタルはワタルで別のことを考え込んでいたようだ。


「……いっしょに寝る?」

「え?」

「いや、このベッド広いじゃん。クイーンサイズくらい?」

「そうだね……広いね」

「だからふたり並んで寝られそうだなって思って」


 ワタルは眉を八の字に下げて言い訳がましく聞こえる言葉を付け足して行く。


 その様子がなんだか面白くて、また愛らしくて、わたしは思わず口元に笑みを浮かべてしまう。


 笑い声を上げなかったことを、今は褒めて欲しいくらいだ。


「……イヤ?」


 ワタルはついに観念したのか、そうやってわたしを試すようなことをする。


 ワタルが頼みごとをするなんてほとんどないから、わたしはソレに弱い。


 ワタルはそれを知っていて、ここぞというときにその切り札を切って来る。


 今がまさに、そうだった。


「ううん、イヤじゃないよ。……いっしょに寝ようか」

「やった! それじゃ手を繋いで……」

「えっ、そこまで?」

「うんうん。いっしょに寝るんだから、もういいじゃん?」

「うーん……?」


 なにが「もういい」のかわたしにはさっぱりわからなかったが、それに構わずワタルはわたしの背を押してベッドのフチに座らせる。


「まだ食事が来てないよ」

「うん。だからそれまでごろごろしていようよ」

「わたしは寝るとき以外はベッドに上がらないようにしてるの。寝れなくなるじゃん」

「でも疲れてるでしょ?」


 そう言うや、ワタルはわたしの手首ごとわたしの体をベッドに引き倒した。


 突然のその行動におどろきつつも、ドキッとするようなことはなかった。……天井を見上げるまでは。


「サヨリ」


 天蓋を背景に、ワタルの顔が真正面にある。


 ――あっ、押し倒されてる。


 そのことに気づくのに、そう時間はかからなかった。


 そしてわたしの名前のあとからそう間は空かずに、不意のキスが降って来た。


 わたしの下唇をついばんで、ちゅっとわざと大げさなリップ音を立てる。


 ワタルはこういうキスが好きなようだ。


 唇の肉の厚さを感じられるから、ついばむようなキスがいいらしい。いつだったかのキスのときに、そう言っていた。


「サヨリ、これからもずっと俺といっしょにいてね?」


 わたしはワタルの声に、言葉もなくうなずくことしかできなかった。

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