(1)
「ご関係は?」
わたしは兄さんを見た。兄さんも、わたしを見た。
顔を合わせるでなく、視線と視線をかち合わせた。
なにを考えているかはわかった。
……わたしたちは、双子である以前に、深く愛し合っていたから。
「……同級生です」
口を突いて出たのは、ウソだった。
「ご学友同士……という風にこちらでは翻訳されましたけれども、間違っていませんね?」
「ええ……そういう認識で合っています」
次に答えたのは兄さんだった。
わたしたちの目の前に座っている優しげな顔をした男のひとは、その答えを聞いてもなんの反応も示さない。
ただただ優しげな眼差しをこちらに向けて、悪意がないことを示そうとしている。
そこに必死な様子はなかったけれども、もしかしたら余裕そうに見えて案外とそういう演技をすることに気を取られていたのかもしれない。
だから、わたしたちの答えに対してさほど反応を示さなかった。
わたしは、そうだと思いたかった。
わたしたちは――わたしと兄さんは、異世界に来てしまったらしい。
学校から帰って、だらだらと余暇をすごしているわたしの耳に兄さんの声が飛び込んで来て――それであわてて兄さんの部屋に行ったら、なにやらわけのわからない光った物体が兄さんを飲み込もうとしていた。
わたしは一瞬頭のヒューズが飛んだが、素早く兄さんの腕をつかんで謎の発行物体から引き出そうとした。
けれどもそれは失敗して、わたしたちは「異世界」ってやつにたどり着いてしまったわけである。
しかも、それが偶然引き起こされた事象とかではなく、「異世界」側による「拉致」みたいなものだったのだ。
けれども優しげな顔をした男のひと――神官、ってやつらしい――曰くその「拉致」は、あらかじめこの世界に組み込まれている「システム」みたいなもので、「異世界」の人間たちが止めようと思って止められるものではないらしい。
実際には「神」の意思がどうのこうの……と説明されたが、ひとまずわたしは上記のように解釈した。
それも、どこまで本気で言っているのか、本当のことなのかはわからない。
わからないが、わからないなりにひとつわかったことは、その「システム」には異世界人を拉致する機能はあっても、返還する機能は存在していないという――ありていに言ってしまうと、クソみたいな事実だけだ。
「帰れないんだってさ」
「……うん」
神官の男のひとは、それはそれは丁寧にそんなシステムの説明をしてくれた。
少し、おっかなびっくりといった風であったのは、演技なのかそうではないのか……。
いちいち疑うのもなんだか面倒くさくなってくるくらい、わたしの精神はちょっとやけっぱちになっていた。
……だから、と言い訳するわけではないのだけれど、神官さんが場を取り繕うように放った質問に、思わずウソをついてしまった。
だって、もう戻れないのだ。元の世界には。
それなら、新世界で人生の仕切り直しを考えたって、別にそれは悪いことじゃないだろう。
神様だって、こんな理不尽な目にわたしたちを遭わせてくれちゃったのだから、ちょっとした罪くらい、お見逃しになってくれたっていいはずだ。
そんなことを、わたしの頭は猛スピードで考えた。
考えて……そしてウソをついた。
双子であるわたしたちが、血の繋がりなんてありませんよ、っていう、ささやかなウソだ。
神官さんはその答えになんの反応も示さなかったのは先ほど言った通りである。
単なる場の埋め草ていどの質問だったのだろう。
深い意味なんて、なかったのだろう。
けれどもわたしたちにとっては、それは大いなるターニングポイントだった。
わたしたちは愛し合っている。
両親の再婚で出来た義理の兄妹とかではなく、わたしたちは正真正銘血の繋がった二卵性双生児。
そして自他共に認める、「似ていない」――似ていなさすぎる、双子だ。
あまりにも似ていなさすぎるため、学校では単に苗字が同じなだけの赤の他人だと思っている人間もいるくらいである。
「二卵性」と言うとなんとなく正反対の双子をイメージするひともいるようだが、血の繋がった兄妹なのだから少しくらい似ていてもおかしくないのが現実だ。
けれどもわたしたちはそうではなかった。
大衆のイメージ通り、まったく正反対の見た目と性格の双子なのである。
知らない人間からすれば他人同士に見える双子――それがわたしたちだった。
兄さんの名前はワタル。明るく社交的で文武両道のスーパーマン。当然友達も年齢問わずたくさんいて、先生たちからの信頼も厚い。そんな人間。
わたしの名前はサヨリ。暗くて地味で引っ込み思案の、クラスにひとりふたりは必ずいるような、そんなやつ。友達は少なくて、先生からは特段強く認識されない。そんな人間。
びっくりするほどわたしたちは正反対だ。
兄さんは外に出て友達と遊ぶのが好きだけど、わたしはそうじゃない。
他人のことをよく見ていて穏やかでやさしい兄さんと、他人に無関心で未だに同級生の名前をちゃんと覚えられていないそういうわたし。
きっと、普通だったらこういう妹を兄は理解できないんじゃないかと思う。
鬱陶しく思ったり、あるいは限りなく無関心でいるのが普通なんだと思う。
けれどもわたしたちは普通じゃなかった。
普通じゃなかったから――愛し合っていた。
兄妹としてじゃない。恋愛対象としてわたしたちは互いを見ていて――そして心を通わせていた。
きっかけはわからない。
「でもきっと生まれる前からそうだったんだよ」――兄さんはそう言って、困ったように笑った。
そう、困った事態だ。
血の繋がりがなければ問題はないが、困ったことにわたしたちはバリバリに血の繋がりがある。
同じ父親と母親のあいだから生まれてきた兄妹で、双子で……つまり、世間的にはまったく認められないだろう感情だということだ。
わたしたちはそれをよく理解していた。
だからだれかにカミングアウトしようなんてことも考えなかったし、あるいはそんな「ヒミツの関係」って空気に溺れる気にもなれなかった。
ただ、穏やかに日々を過ごして行こう。
大丈夫、イマドキきょうだいふたりきりで暮らして行くのなんて、珍しくもないよ。
わたしたちは将来の話になると、そうやってあえて楽観的な未来を話し合った。
この感情は、この関係は、絶対にバレてはならないものだ。
イバラの道を歩いて、白眼視されながら生きるなんてことまでは、考えられなかった。
そう考えるわたしたちをひとは弱いと言うのかもしれない。
けれども単なるどこにでもいる高校生であるわたしたちに、そんな度胸は備わっていないのが、現実だった。
だからわたしたちはそれがバレないように、バレないように、必死で生きていた。
学校では基本的に会話はナシ。本当の他人のように過ごしていたので、わたしたちが兄妹である事実はあまり知られていない。
家でも、普通の兄妹のように過ごしていた。別に仲が良くも、悪くもないそんな感じで。
「でも家を出たらそれも終わりだよ」。兄さんは焦がれるようにそう言った。
両親は共働きだったので、もっぱらわたしたちは親のいない時間をいっしょに過ごした。
初めてキスをしたのもそういう、狭間の時間だった。
そこから先には進めていないのは、まだわたしたちのあいだに躊躇、みたいなものがあるからだと思う。
けれどもいつかそれも消えるのかな、とわたしは思っていた。
……わたしたちはそういうものを上手く隠しとおせている、つもりだった。
チャットアプリの上でだって愛を囁くこともなく、学校でも、両親のいる家でも、わたしたちは普通の兄妹を演じていた。
それを違えるのは家にふたりきりでいるときだけ。
そういうときにだけ、ささやかに愛の言葉を口にして、たまにキスをする。
そうしていればだれにもこのヒミツがバレることはない――。
そう思っていた。
「サヨリちゃん、あのね」
お母さんから渡されたのは、お母さんの母校だと言う女子大のパンフレット。
お母さんは遠くから嫁いで来た人間だったので、その実家の地元にあるという大学は、ここからはずいぶんと遠い土地にある。
お母さんは表面的にはなにがなんでも、という風ではなかった。
けれども一方で、暗にこの大学に進学して欲しいという強い意思も感じた。
いや、わたしが被害妄想的にそう解釈してしまったのかもしれない。
真実は闇の中だ。そのときのわたしはちょっとだけ頭が真っ白になってしまったから。
お母さんは、わたしと兄さんの仲を疑っているのかもしれない。
だから今住んでいる家からそう遠くはない大学へ進学を希望している兄さんから、わたしを引き離そうとしているのかもしれない。
わざわざ女子大を選んだのも、兄さんが追って来れないようにするためかもしれない。
わたしはそのときには適当な言葉を口に出して、大人しくパンフレットを受け取った。
受け取ったけれども、結局そのパンフレットは一度も開かれることはなく、こうしてわたしは異世界ってところに拉致されてしまった。
このことは、兄さんには言っていない。
言おうかどうしようか、迷っているあいだにこんな厄介な事態になってしまったのである。
わたしは神官さんにアレコレと質問をする兄さんを横目に、ぼんやりと元の世界に残されてしまった両親のことを思い浮かべる。
一度に息子と娘が消えて、きっと両親はびっくりして、そして悲しんでいるだろう。
ごくごく普通に愛情を注いでくれた、そういう親だった。
もし、両親が異世界でわたしたちがこんなウソをついたってことを知ったら、どう思うんだろうか。
もし、こんなことになるって未来予知ができたとすれば、もしかしたらわたしは両親に兄さんと愛し合っていることをカミングアウトしていたかもしれない。
そうすれば両親は、わたしたちが消えてもそんなに悲しまなかったかもしれない、と思う。
実の兄妹同士で愛し合う……そんな子どもたちならば、いなくなって安心するかもしれない。
そこまで考えて、わたしは自分で自分の妄想に傷ついた。
神官さんが改めてした説明によると、わたしたちは「異界門」とかいうものを通ってきたということになるらしい。
そしてその門をくぐった人間は、特別な能力を有するという。
けれども神官さんによるとその能力を宿しているのは兄さんだけらしかった。
「異界門」は基本的に一度にひとりしか通れないらしく、わたしは兄さんのおまけで通れてしまったために、なんの能力も付与されなかったのではないか――というのが神官さんの推測である。
「それじゃ、サヨリと俺はいっしょにいられるんですか?」
「それは……ワタル様の御意思次第といったところでしょうね」
「それじゃあ、俺が望めばサヨリといっしょにいられるということでいいんですか?」
「まあ、そうなります。ただ、サヨリ様と同じ地位を……ということには出来ないでしょう。申し訳ありませんが……」
「わたしは別に……」
兄さんが不満そうな顔をしたのを見て、わたしはあわててそんな言葉を付け足す。
先ほどまでの話を総合すると、「異界門」を通った兄さんは「神子」とかいう特権階級に自動的になれるらしいのだが、わたしはそういう風にはいかないらしい。
これには能力の有無が関係していると言うが、神官さんの話を聞いても、わたしにはイマイチ兄さんの特殊能力がどんなものか想像がつかなかった。
曰く、国家繁栄の祈りを神に届けられる能力とのことだそうだが……信心が希薄なわたしには想像ができない。
しかしとにもかくにも、兄さんにはそういう国にとっては喉から手が出るほどに欲しい能力を持っているが、わたしはそうではない、というのは確実なようだ。
だが兄さんはわたしの重要性――主にメンタル面がどうのこうのという話――を神官さんに力説して、それならばとわたしは兄さんの侍者として身の回りの世話をする役割はどうかと提案される。
兄さんはそれでもちょっと不満そうにしていたのだが、とにかく兄さんとは離れたくなかった上に、着の身着のままで異世界に放り出されることも回避したかったわたしは、神官さんの提案を受け入れたのだった。