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第5話(第2話after)「第一保健室の芽野先生」

「一号、顔色あんま良くないなぁ。大丈夫か?」


 昼休み、一緒にご飯を食べていた友達に言われた。


「うーん、この季節はどうしてもね」


 朝は割りと調子良かったのだが、昼になるにつれ身体がだるくなってきた。


(5限は体育……どのみち見学か)


 みんなが体操着に着替え始めたタイミングで、僕は第二保健室へ向かった。


 ――のだが、


「――……すぴー……すぴー……――」

「…………」


 ミナちゃん先生はお昼寝の最中だったので、僕はやむなく第一保健室へ行くことにした。


☆ ☆ ☆


 第二保健室があるのは特別教室棟。

 一方、第一保健室があるのは本校舎。


 この二つは対極的な位置関係にあり、少し歩いてたどり着く。

 物置や準備室に挟まれて、閑静な雰囲気の漂う一階の片隅。


 ここが、大多数の(というかほぼ全ての)生徒が利用する、正統にして本来の保健室――第一保健室だ。


 コンコン――僕のノックが廊下に響く。


「は~い、どうぞ~」


 甘い声色の返事……誘われるように、僕は中へ入る。

 室内にいたのは一人。

 デスクで書き物をしている、白衣と眼鏡を着用の女性。


 名前は芽野遥。


 おっとりした人柄と、何よりその美貌から、『めのちゃん』や『ハルさん』の愛称で親しまれ、特に一部の男子生徒からは『白衣の女神』などと崇められている、本校の正式な養護教諭だ。


 芽野先生はサラサラの黒髪をかきあげながら、タレ目がちな瞳をこちらに向ける。


 そして僕と視線が交わると、眼鏡を外しながら、トロンとした笑顔を浮かべるのだった。


「あ~。一号くんだぁ~。いらっしゃ~い」


 ☆ ☆ ☆


「――あはは~、お昼寝しちゃってたんだ。ミナちゃんらしいなぁ」

「はい。なのでこちらで休ませてもらえたらって」

「うん。確かに顔色良くないもんね」


 言いながら、芽野先生は傍らのスツールに手を伸ばし、自分の前に据えた。

 

 そして、ちょいちょいと僕を手招きする。


「ちょっとダルくて……」


 答えながら、僕はそのスツールに腰を下ろした。


 互いの膝と膝が触れ合いそうな至近距離で、向き合う形。

 医師と受診者の関係を思えば、この距離も座り方も普通のことなのだろうけど……僕は緊張を禁じ得ない。


「そっかそっか。熱は?」

「ないと思――」


 言い掛けて僕は息を飲んだ。


「どれどれー?」


 不意に芽野先生が、僕の頬に、指の背でそっと触れてきたのだ。


 しかもそれだけにとどまらない。


「んー、熱はなさそうかなー?」


 なんて言いながら、僕の前髪をかきあげて、自分の前髪もかきあげる。


 そうして互いに露わになったおでことおでこを、くっつけようと身を乗り出してきた。


「!? いやいやいや、おかしいですって!」


 僕は思いっきり体を仰け反らせて逃げる。

 危うくスツールからずり落ちるところだった。


 かたや芽野先生のほうは平然としたもので、


「うん。おかしいねー。普通こんなことしないよねー。……一号くんだからしてあげるんだよ?」


 そんなことを言い出す始末。


「へ? ……あ、え、いや……」


 うろたえ、言葉に詰まる僕。


「んー?」


 と、小首を傾げる芽野先生。

 その意味ありげな微笑みが、かえって僕を冷静にさせた。


「……からかってますよね?」


 僕はなじったが、芽野先生は悪びれるどころかニヨニヨと口元を緩ませる。


「うん。一号くんってウッブウブのテレッテレだから、からかい甲斐あるんだよね~。――あはは、耳真っ赤~。ほんとかわいいなぁ~もう~」


 そう。

 

 普段は猫をかぶり、〝落ち着きある大人の女性〟を装っているようだが、いたずら好きこそがこの人の本性だ。


「……っ。ベッド借りますからね」


 どっと疲れが押し寄せてきて、僕はスツールから腰を上げた。


「あらら、拗ねちゃった? ごめんねー。悪い癖なのー。つい構いすぎちゃうんだよねー」

「そうですか」


 僕はろくに取り合わず、もぞもぞとベッドに潜り込む。


「もう二度とからかったりしないね。一号くんのこと、贔屓にしちゃってたけど、それもやめるね」


 殊勝にも、芽野先生はしょげた様子でそんな反省を口にした。


 しかしここで情けをかけるのもどうかと思い、僕はあえて突き放す。


「はい。そうしてください」

「やだ♪」

「!?」


 すると速攻で態度を翻された。反省したフリだったようだ。


「一号くんのそういうところ、ほんと好きだなー。構うなって方が無理だよー」


 芽野先生はスツールをころころと転がしてきて、ベッド脇で腰を下ろす。

 まさか僕が休んでいる間もちょっかいをかけてくるつもりだろうか。


(本当にこの人、養護教諭なのかな……)


 僕はげんなりして、毛布を深めにかぶった。

 そして芽野先生に背を向けて、だんまりを決め込む。


 忘れていたけど、身体がすごいダルいんだった。


(もう芽野先生のことは無視無視。寝よ寝よ)


「…………」

「…………」


 カチコチという、秒針の音だけが響く室内。


 しばしの静寂が訪れた。


 が、それを破ったのは、やっぱり芽野先生。


「あとね、やっぱりその病弱なところも好き。儚げな感じがさ、萌えちゃうんだよねぇ。運動部の元気な男の子とか、怪我してよく来てくれたりするけど、あんまりピンとこなくて」

「…………」


 勝手なことを。


 僕は僕の虚弱体質が大嫌いだ。


(自分の嫌いなところを好きって言われて、素直に喜べるわけないのに)


 少しだけむっとして、僕はいよいよふて寝に徹する。


 と、


「――あとなによりね、お昼寝の邪魔しちゃ悪いからーなんて理由で、体調悪いのにわざわざこっちにまで来ちゃう、その優しさが好き」

「…………」


 先程までの、からかうような声音とは打って変わって、労るような声音が僕の耳を撫でた。


 ――いや、声音だけではない。


 繊細で柔らかな感触が――芽野先生の手が、僕の頭をそっと撫でる。


「一号くん、きっと今は自分の体質を恨んだり、うんざりしたりしちゃってるよね。……でもね、そんな体質なのに周りへの気配りを忘れない君は、本当に立派」


 乾いた土に水滴を垂らすように、僕の胸に芽野先生の言葉が染み入る。


「それでね、いつか絶対出会えるよ。一号くんのそういうところをちゃんと見てくれる子に――君のことを幸せにしてくれる子に。そうやってね、帳尻が合うように出来てるものなんだよ。だから、大丈夫だからね」

「…………」


 毛布をかぶっていて、背を向けていて、本当に良かったと思う。


 もし面と向かってこんなことを言われていたら、どんな顔をすればいいかわからなかっただろう。


「――今の、遠回しに『私と一緒になれば幸せになれるよー』っていうアピールね」

「……ちょっと感動してたのに、最後で全部台無しです」


 身体がダルいと言っているのに、心拍数が上がるようなイタズラに付き合わされて……。


 こういうことになるからあまり来たくないのだ。


 芽野先生のいる、第一保健室には。

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