第九話 当て馬兆し
用を足して手を洗っていると、あからさまに顔色の悪い小柄な女性が駆け込んできた。
鏡越しでわかるほど青い顔をして個室にはいってく。
花嫁候補であるのだろうか…黒いドレスの上に緑のローブをまとって髪はあまりセットしたと思えない感じで垂らしてあった。
トラブル回避の為に他の姫にはかかわらない方がいいと思いながら気になって個室の中を何気なく伺うと
「うぅ…ひっく…私なんかが…ひっく…」
という泣き声が聞こえる。緊張のあまり失敗したか、もしくは押し寄せる緊張で不安に押しつぶされたか。
「もう…だめだ…うっ…帰ろう…とても会うなんて…ヒッくぅ…無理…」
泣きながら呟かれる言葉…
はぁ…こういうのなんかイライラするのよね…。
やらかしちゃったらもう素直に帰れって!思うけど、会う前から帰るってどういうこと?用意してもらった最高の気遣いとおもてなしを無視する気?
背負うものもあってここまできたのでしょ?それが、土壇場になって自分の弱さに負けて他人に迷惑をかけるって?
そいうの、なんていうか私は耐えられない。
臆病になる乙女以前の問題でしょ?
まー本当は帰ってくれた方がいいのよ。ライバルは少ない方がいいに決まってる。でも、あんないい人のアル王子が訪ねてくれるのにその部屋がもぬけの殻とか王子が不憫すぎるでしょう?
あーでも、帰ったら帰ったで連絡がいくだろうからそんな事はないにしろ気分はよくないはず。
真面目に私たちを見ようとしてくれる人なのに。
そう思うとトラブル上等って気分になった。
最悪、国家間の問題に発展してしまったら…妹に土下座でもなんでもして解決してもらう。
いままでもこんな事はなくはなかった…いえ、ありました。運よく大丈夫だったけどね。今のところベルの出番はない。
覚悟は決めて個室の扉をたたく
「ちょっと、あんた!」
内側で泣いていた声はヒッと言って声を潜めた。
「泣いてるの?用を足すんじゃなきゃ迷惑だからでてきなさいよ」
まー他にも個室は沢山あるからここが埋まってるからって、本当は誰も迷惑しないけどね。
でも、泣いてた気配はあわてて中でバタバタしはじめて、ガンとどこかにぶつけた音を立てながら、転がるように個室から出てきた。
「す…すびまぜんでしちゃっ…ううぅ」
とカミながらあわてて出て行こうとする。
その腕をぐっと握ってひきとめる。細く白い腕だった。
深い緑色のローブのフードを被って出てきたので顔が分からなかったのだが、腕を弾いた瞬間フードが取れて濃いブラウンの柔らかい髪がはらりとこぼれる。
「うぇ?」
という色気も何もない声と同時に目が会った時。
この娘…やばいなぁ……と。
正直、これから席に戻れと得しようしている自分を思いっきり後悔した。
涙に濡れ揺れる深い緑の大きな瞳。すこしソバカスが残るバラ色の頬。たぶんさっきぶつけただろう小さなおでこのたんこぶでさえも可愛いと思える。
沢山の人の中に埋もれてしまえば、ぱっと見は平凡な顔立ちだけど、当て馬経験豊富な私は、直観的に彼女の内面の魅力を感じないではいられなかった。
「あの…すみません…あの……」
おどおどする彼女
「はぁ…あなたねぇ。なんでここにいるのよ!しっかりしないさいよ!」
案の定びっくりする彼女
「アル王子とはまだあってないんでしょ?」
ただ驚いてる彼女はコクコクと首だけを縦に振って答える。驚きすぎて声がでてない。
「すっごくいい人よ」
笑うと目がなくなって目じりに皺が寄る。それを思い出しながら口に出すと柔らかな声になった。
やっと、自分が何で問い詰められているのか理解した様で
「聞かれていたんですね…」
と逃げ腰だった態勢をといて、力なく立ち尽くし俯く彼女。
「お節介とは思うし、はっきり言ってライバルは一人でも減ったほうが嬉しいわ。でも、わざわざ時間を作ってくれたこの国に対し約束を破っていいわけないでしょ?あなただって、背負う国があるんじゃないの?」
ローブの胸辺りについている刺繍がとても豪華なので、どこかの王室のエンブレムであると判断した私はそのエンブレムをトントンと指で示す。
すると彼女はエンブレムに目をやりながらさらにうつむき、
「私は、国では…一番美しくなくて……勉強しか能がなかったから…このまま結婚とか考えないでずっと、研究とかできたら…って…他の国の方たちは、みんなきれいで…あなたも、とてもきれいで強くて、優しくて…そんな私が…とか……」
ぶつぶつという彼女の心は不安や劣等感、混乱が渦巻いていた。
ただ、その奥にある憧れや少女のように夢見るかわいい部分がみてとれた。
ここにやってきたのは決して強制されたからだけじゃない、というのが分かった。
「でも…ここにくるって選んだのは、自分でしょ?」
その言葉に彼女はビクッと震えた。
その瞬間、彼女の中にある強さが頭を持ち上げたのが分かった。
すこしづつ混乱が収まってくる。
「あの……勉強ならどこだってできるし、もしピコランダの為に私の力が役にたつのなら…私、こんなですけど魔術の研究はっ」
なにかを必死に思い出しながら言う彼女の口を人差し指で抑える。
「シッ、それは王子にいえばいいでしょ。それにちょっときなさいよ」
鏡の前に彼女を連れて行く。
すっかり乱れてしまった髪の分け目を変えておでこのたんこぶを隠すように前髪を流す。
ポーチに入れておいたブラシで髪を梳く。
「あんた、ハンカチって持ってる?」
あわててローブのポケットから黒いハンカチが出てきた。地味だなぁ…まぁ、ドレスには合ってるけどね。
髪を適当にアップにしてまとめる。
ハンカチをお花のような形にして髪に止めると黒いドレスを着た落ち着いた神秘的な姫が現れた。
タシーがいればもっと完璧なのになぁ。
自分の未熟さにちょっと悔しがっていると
鏡に映った自分を彼女がびっくりしたように触ってる。
「わたし?こんな?わたしですかね?」
純粋な子なんだなって分かる。さっきまでの混乱は落ち着き、不安は残るもの心に余裕ができたみたい。
それが可笑しくて笑いながら言う
「あんたはあんたでしょ?ほら、結構時間食っちゃったわよ、早くいかないと王子がきちゃうんじゃない?これを元に御付の人にちゃんと手直ししてもらいなさいよ!」
そういうと彼女はあたふたし始める
「ご飯の途中で耐えられなくなって…抜け出してしまって、だからまだ時間はあると思います!…あの……ありがとうございます」
あはっ、この娘の私に対する好感度あがっちゃったよ。
「あ!そうだ!」
私は彼女が着ていたローブを脱がして手に渡す。
「これを着るのは帰るときよ!その細い白い肩は見せてなんぼだからね!」
そういってお手洗いをでると彼女も着いてくる。
自分の個室に帰る決心はできたようだ。
彼女の個室はもう一階上にあるというので階段でわかれる。
彼女が私を見送って立ち止まっていたので、シッシッと手で早く上に行きなさいって促す。
パチンと何かにはじかれたみたいに階段を上がる彼女。ちっちゃくて可愛いなぁ素直だし。
なんか、ちょっとウキウキしちゃって自分の個室に戻ってきた。
まだ、タシーはかえって来てなかった
静かに流れる音楽は演者を少しずつ入れ替えながらまだまだ続いている。
そしてやってくる後悔…あーあーあの子が残ったらやっかいだなぁ……なんて弱気になりそうな自分をさっきの自分の言葉が励ます。
何のためにここにいるの!やってみるまで分からない!
とにかく確実に王子の好感度を上げていくしかないのよ。
負けていられるものですか!
今度こそ本命なんだから。
そう気合を入れなおしたところで
「姫、準備できました」
とタシーが帰ってきた。
私は笑顔でうなずき劇場を後にした。