第三十三話 当て馬拐かし
ぴちょん……ぴちょん……
規則正しく落ちる滴の音は、残響を残し消えてはかぶさり
ひんやりとした空気をより冷たく感じさせる。
意識は聴覚から戻ってきて、次に戻ったのは感覚。
頬にあたる空気と体の左側が冷たい。
……眠ってしまったのかだろうか?
肩と二の腕が下敷きになるような寝方をしているようで、少し肩が痛かった。だから寝返りを打とうとして腕を動かそうとした時
手首に痛みが走る──縛られている?!
!!!!
意識が急速に覚醒する。
目を開けるが、思考は追いつかず、目を動かすが、辺りは薄暗く視覚からの情報をうまく整理できない。
落ち着いて!──そう思うも波打つ心臓の音が脳内に響く、息が荒くなって呼吸が浅い。
後ろ手に縛られている私は冷たく固い石の上に転がされているようだ。更に足首も縛られて腰にも縄が付いているようで、寝転がってる場所から体一つ分しか動けない。
起きあがろうとしてもがくが、手首と足首の縄もどこかに固定しているらしく、肩が軋んで結局寝転がっているしかないと解った。
痛みが混乱する頭をなんとか現実に引き戻してくれる。
城壁でジフェルを見て、気を失った。
あれは、──たぶん魔術──状況からしたら私はジフェルにつかまったのだろう。
大分、目も慣れてきた。
ここはどこ?
暗い空間を少し明るくしてるのは足側の壁から、細い光の筋が漏れ出てくるからのようだ。
扉になっているのだろう隣には明るい空間があるのだろうか。
今いる場所はそんなに広くなく、私が寝かされているのは寝台のような造りの一枚岩だった。
この空間にはだれの気配もない。
壁は岩肌がむき出しで、洞窟の中のようだ。
ジフェルはどこにいったのか?
耳を澄ますとさっきの水滴と──水が流れる音が聞こえる。
微かに足音が聞こえる頭の方にも扉があり、その明り取りの格子からゆらゆらと蝋燭の明かりが近づいてくるのが分かった。
身構えて睨みつける。
蝋燭の炎が近づき扉がギギギィ−と軋んで開く。
直接みる炎は暗い所に慣れた目に痛い。
蝋燭の向こうの顔がにたりと笑うのが分かった。
「おやおや……お目覚めになりましたかね、ファルゴアの姫君」
まぎれもない、それはジフェルだった
「ここはどこ?」
一番の疑問を口に出す。
「何処?うーむー、今のピコランダが終わる場所、とでも言っておこう新たなピコランダを見ることは姫にはできませんからねぇ」
クククッと喉の奥で笑う
「どういう事?いったい何をいってるの?!私にこんな事をして只ではすみませんよ!!!」
相手は、私が何かを知っているとは思っていないだろう。
それを想定に入れで大声で叫ぶ、外に聞こえるかもしれない事も考慮に入れて。
「ふふふ……大声あげても誰も来ないんですよ?」
やっぱりそうか……猿轡をされていない事でうすうすは気が付いていた。でもここはあえて「うそっ」といって情報を引き出す。
隙があれば、逃げ出してやる。
「ここは、随分深く潜っていますからねぇ」
そう言って上を見渡すジフェル
──深くもぐる?聞こえていた水音は地下水脈?
この国が終わる場所って言ってた、という事は舞踏会の日にここから何かするのだろうか?
「……どうして?……私がこんな目にあうの?」
理不尽にここに連れてこられたようにふるまわなければ。
ジフェルの行動に、城内で気が付いているものが居ないと思わせなきゃ。
──時間稼ぎ。
手紙がラル王子に渡ればジフェルの事をより強引に調べられるはずだ。証拠さえ見つかれば、この場所を見つけてもらえるはず。
そんな意図には気づきもしない勝ち誇ったような声で
「あなたは、運が悪かった。私と目が会ったでしょう?」
細い眼は瞳がどこにあるか分からないほど細められる。
笑っている……のか?
「私が、この時間にあそこにいてはいけないでんすよ?見られたからには、ふふふ……命はとりませんから
あ〜あ〜ん、しん、してくださいね。」
ゆっくりと顔を近づけてくるジフェル。
歯を食いしばって肩の痛みに耐えながら距離を取るため後ずさる。
「でも、ずっとは……ここに閉じ込めておけないはずよっ……夕食までに部屋に……いなければメイドが騒ぎ出すわよ」
必死にもがいて言葉をつぐ私をハハッ!と笑ってジフェルは体を大きく反らす。
蝋燭を持っている反対の右手がローブの内側を探る。
背筋を伸ばした彼のその手にはナイフが握られていた。
虚ろな瞳がこちらを見ている──ナイフが顔の前で光る。
ジフェルはナイフの刃を私の首筋にあてて
「魔術は偉大だよ……お姫さん。」
そう言ってナイフを振りかぶった、
刺される!
と思い痛みに耐える為息を止めてナイフの行先を見る。
ザシュっという縄を切る音がして足の痛みが消えた。
手首は後ろ手に縛られたままだが、固定されているロープも外される。
いひひひっと歪んだ声が響く自由になった足を素早く動かそうとした。
でもすぐに、首筋にナイフが戻ってくる。
恐怖はない、たぶん私を生かしておくつもりではあるのだろう。
殺すつもりならとっくに殺されている。
「私を……どうするつもり?」
右手のナイフは首筋に当てられ、左手で縛られた手首を拘束される。ここは、おとなしく従って時間を稼がなければ。
騒ぐのは、最終手段だ。
脅されながら立ち上がり、光が漏れていた扉の前に連れて行かれる。
「感謝するがいい……田舎の御姫様ぁ、新ピコランダ王の偉業を見せてあげよう」
ねっとりとした息が耳にかかる。
気持ち悪くて顔をしかめるがそれはジフェルには見えない。
呪文が唱えられ──扉が開く。
細かった光が徐々にその光量を増し広がっていくていく。
今度はまばゆい光に顔をしかめる番だ。
目を開けられないほどの光が溢れ出していく。
この光は、どこかで見覚えがあると思った。
その答えは、目が慣れ、この空間にあるモノが認識できた時に思い出した。
「……エンチャントスフィア」
マジックポーション研究所でみた、球体の倍はあろうかと思われる大きなスフィアが眩い魔法陣の光を浴びて輝いている。
球体の中には色とりどりのマナが浮かび躍動している。
背中をぐいっと押される『歩け!』という指示だ。
そのスフィアに向かいおずおずと歩を進めていく。
するとスフィアの台座の周りに、柱が立っている。
その数は6本──等間隔に並び──柱の色が色とりどりで、まるで魔法陣の光のようだと思った時、その柱の光の中に、人がいるのが分かった。
「ひと?!」
慌てて近寄ろうとした私は手首を強くねじられて動けなくなった。
ゆっくりと歩くように促される。
促されて歩いていく先に、馬車の車輪ほどの大きさの白い円形の台座があった。
高さはふくらはぎぐらいの高さで『登れ』と言われる。
ナイフを首元から離さないまままたジフェルが呪文を唱える。
すると背後にクリスタルのような手触りの柱が現れたようだ。
そしてそこから出てきたクリスタルの枷に手首と足首と腰が固定されてしまった。
先ほどから唱える呪文はどうも、同じ言葉の様だ。
彼の声と言葉でこの装置は動いているのだろう。
ただ、発音は魔術式をとっているため私にはそれを発音できない。
拘束されながらスフィアの傍の柱に目を凝らす。
そこには女性が浮いているようだ。
私が立っているような台座の上に、魔法陣が展開し、浮いている女性達。
その女性のドレスの裾が無残にも切り刻まれて、あられもなく足が露出している。
腕はだらしなく体の横にたれて、二の腕に何かが巻き付いているが、それよりも異様なのは、その頭についているものだ。
それは頭の半分を包み込むような形をしているヘッドギアだった。
銅色のそれは顔の半分を仮面のように隠している。
目の部分がまるで蛾が羽を広げているような装飾で、耳まですっぽりと覆っている。
それは後頭部までつながり、そこから幾本かの黒い紐が出ているように見える。その紐はいくつかは顔で唯一露出した唇の中にはいり、またいくつかは背中や胸の服の中を這っているようだ。それが二の腕に巻き付いているものの正体だ。
見るからに異様なその形状は、魔術的な光を湛えて、それ自体が脈動する。
黒い紐も、それと一緒に──ぞわりと動く。
とてもまともな魔術で生み出されるものとは思えない。
禁忌の品……だろうか。
それが6本。
つまり6人がスフィアを取り囲むように配置されている。
胸が上下して息をしているようだ。
まるで深い眠りに落ちてるような状態なのだろうか。
とりあえず生きている事にほっとする。
──そして気がついた。
緑色の光の柱の中に浮かんでいる小柄な女性の髪の色が、濃いブラウンをしている事に。
そして、切り刻まれてはいるが、纏っているローブと思わしき濃い緑色の布に見たことのある刺繍がしてあることに
初日の──初日、劇場であった要注意人物のあの姫だ!!
「なんでここにいるの?!帰ったはずじゃ……」
思わず言葉がもれた
「おやおや、なるべく他国の姫とはトラブルになるから接触しないように注意をうながしていたのにねぇ」
「ここにいるのは……みんな、花嫁候補なの?」
「あなたを含めてまさに……そのとおぉりぃ〜」
歌いだしそうな口調でジフェルはナイフを弄んでいる。
「何を、しようとしているの?これが、魔術なら誰かが感知するはずよ!」
ウハッといってジフェルがわざとらしく噴き出す。
「聞きたいですかぁ?聞きたいんですね?
あなたはいまいち危機感がないようだ。もっと怖がらないと……かわいくないですよぉ。
だから当て馬にされてしまうんですよぉハハっ♪」
くそっ縛られてなかったその顔面にキックを入れてやるのに!
「いい顔だぁ」
そう言いながらしゃがみ込み
──私のドレスの裾を持つ。
嫌悪感しかしない。
すっかり泥やほこりで汚れてしまった淡い桃色のエンパイアロングドレス。その足元ににたりと笑ってナイフを置いた魔術師が、気持ち悪い手つきで足首からふくらはぎを、
……なでる……
その悪寒に顔が歪む、なんとか逃れようと足を動かすけどしっかり固定されている。
その抵抗にジフェルは嬉しそうに声を上げて笑う。
「はぁ〜……この肌触り……すばらしい……もっともっと見たいですねぇ」
そういってドレスの裾にナイフを立て切れ目を入れる。
何?!どうするの?
何をされようとしているの?
……分からない。
気持ち悪い感覚がやっと過ぎ去ってくれてホッとしたのに、ジフェルは見せつけるようにその切った裾を両手で持った。
そして一気に引き裂く!
ピンクのドレスの裾は無残にも破れてその裂け目が太ももをはだけさせる。
思わず息を飲む──「いや」という言葉が喉の奥から上がってくる。
それを言うとまたこいつを喜ばす事になりそうで必死に堪える。
「ほほっ……これはこれは……新ピコランダ王に見てもらって光栄と思いなさい」
そういってさらにドレスはビリビリと破かれていくすっかり両足が露出する。
……屈辱で吐き気がする……
何か言ってやりたいのに、喉の奥がしまったみたいになって目頭が熱くなる。
ダメだ!泣いたらダメ!!!
こんな奴の前で泣くなんて──絶対やだ!!!
目を閉じて、深呼吸をする。
思った以上にいきが震えてる時間稼ぎだ。
……きっと……来てくれる……
優しい夜をまとい冷静に眼鏡を直すあの王子が浮かぶ。
信じて待つそう決めた。だから泣かない!
目を開く
「あんたなんかに……ピコランダが屈するわけない」
強く言い放つ、怒りを込めて睨み返すジフェル笑っていた口元が歪む。
さっきまで上機嫌だった声が途端に低くなった
「7年……7年だよ。」
俯き、まるで泣いているかのように掠れた声が、ボトボトと床に落ちるように発せられる。




