6話
「……て…ださい…………く……さま」
ぼんやりとした意識の中で微かに聞こえてきた途切れ途切れの声が私を覚醒させていく。
徐々に大きくなっていくその声は厳しさを増していき、ついに私を起こす声量となった。
「起きて下さいませ!柘榴お嬢様っ!!」
「うわぁっ!!?」
「起きて早々に品のない声を出さないで下さいませっ!だいたい、うわぁとはなんですか。うわぁとは!……はあ…………全く淑女失格もいいところですわ」
目覚めてから早々に淑女失格と貶され目を白黒とさせる私をよそに、見慣れない二十代後半くらいの女性は大袈裟に溜息を吐いた。
まさか知らない方に寝起きから淑女失格と言われるとは思わなかった……。
しかもただ、うわぁっ!と言っただけで。
いろんな意味で人生初の淑女失格に固まり謝罪をしなかったのがいけなかったのか目の前の女性に睨まれた。
「す、すみません……?」
「起床時間も遅ければ謝罪も遅いだなんてこれから先が思いやられますわね。……まあ、今日のところはいいでしょう。わたくし、本日から柘榴お嬢様の家庭教師をさせて頂きます、風見皐月と申します。旦那様より次期当主候補様方と同じ授業をするようにと伺っておりますので、多少厳しいでしょうけれどもよろしくお願い致しますわね」
怖い顔から一転してにこりと微笑むその顔はとても楽しげに彩られている。
まるでこれから先が楽しみで仕方がないといった風だ。
そんな麗しき彼女は薄い緑色の豊かな髪に色気を湛えた金の瞳を持つ気品溢れる女性だ。
そしてどことなく漂うサディスト感が彼女を妖しく魅せる。
ぽってりとした赤い唇を舌で舐めとる様は同性でありながらも見惚れるくらいに艶かしい。
何故こうも鬼一族は美男美女が多いのだろうか……?
そして何故私は鬼一族でありながら美人じゃないのか気になるんだけど……。
一応私だって顔の綺麗な両親の間に生まれた子供なのに……桔梗お兄様や蓮華お姉様も系統は違えどとても綺麗なのに…………。
大人になれば凄艶たる色気を放ち、中性的な美形になる二人の弟だっているんだよ?
それなのに……何故私は普通の顔なのか全くもって解せない。
いや、鬼として力が弱いから故とかだったらありえるけれども。
むしろその可能性の方が大きそうだけれども、なんか腑に落ちない。
……まあ、いくら考えたところで今の顔が変わるわけではないんだけどね。
時には諦めも肝心だけどちょっと複雑だ。
そんなどうしようもない事を考えていると風見先生はおもむろに自身の頬に手をやり首を微かに傾けた。
「……わたくしの顔に何かついてます?」
少しだけ恥ずかしそうに目を伏せ、そう問うてきた彼女は頬からあの艶かしい唇へと指を這わせる。
そして意味もなく唇を指で弾いた。
「……イエ」
彼女から溢れ出る大人の色香に内心慄きながらもなんとか返事を返す。
例え片言になっていようが会話が成り立っていれば問題はない。
問題はないがこれから先の事を考えると早く彼女の色気に慣れた方がよさそうだ。
なんとなくだけど彼女は周りの反応をおもしろがってやっている節がある。
言わば確信犯というやつだ。
全くもってたちが悪い。
そんな彼女に慣れないままではいつまでたっても振り回されっぱなしになるだろうと安易に想像がつくのだ。
正直言ってそんな事態に陥るなど御免被る。
それに私が何も反応しなくなれば彼女もつまらなくなってやめると思うしね。
「さて、それでは自己紹介も済みましたし早速授業を行いましょう……と言いたい所ですけれど、まずはお着替えですわね。用意が出来次第お声がけ下さいませ」
「…………はい」
ちらりと私の乱れた肌襦袢を一瞥した彼女もとい風見先生は私の返事を聞くなり静かに部屋を出て行った。
たったそれだけの動きでさえも美しい。
言うなれば洗練された作法だけで衆目を惹きつけているような感じだ。
これが年の功か、それともただ単に私がガサツなだけなのか皆目見当もつかないが、ただ一つ分かるのは私には到底できそうにもないという事だけである。
それに自分の事は自分が良く分かってるしね。
サッと肌襦袢を新しい物に替え水色の着物を身につけた私は簡単に部屋を片付けると障子を開け声をかけた。
「あの……風見先生」
「用意は……できたようですわね。それでは机へお付きになって」
そそくさと部屋に入って来た風見先生は私が机の前に腰を下ろしたのを見届けてから、その隣に座り本の山から一枚の紙を取り出した。
そしてそれを机に置いた。
「これが柘榴お嬢様が一日にこなす授業内容ですわ。進み具合によっては多少変わるでしょうけれど大まかな日程はこれですので覚えて下さいませ」
にこやかな笑顔と共に告げられた言葉はとても穏やかで優しい。
だが、紙に書かれている日程はその反対で鬼畜そのものだった。
「………………死にませんか?」
「嫌ですわ柘榴お嬢様。誰しも死ぬ気になればどんな事でもこなせるようにできているのですよ?」
……それは風見先生の持論か何かですか?
それとも貴女をその性格にした先人のお言葉ですか?
さして問題はないという風に言い放った彼女に心の中で問うた。
きっと何を言っても上手く丸め込まれるのがオチだろう。
ならば何も言うまい。
「さて、それでは授業を始めましょうか」
そう言いながら机に置かれた教科書の山に私は現実逃避も兼ねて目を閉じた。
まさか一日のほとんどが勉強で埋まっているとは思わなかった。
しかもこれら全てを習得しなければならないなんて……二人を助け出す前に私が先に力尽きそうだよ。
もちろん力尽きる前に癒されに行くつもりだけどね!
そしてゆくゆくは柘榴お姉様って呼んでもらってもう一回抱きついてもらうんだから!
「ふふ、とりあえず今日は初回ですし特別ですわよ?」
口元に手をやりながら上品に微笑んだ風見先生はもう片方の手で私に一冊の本を渡してきた。
「本日の授業はこれ一冊を終わらせる事ですわ。つまり早く終われば授業もそこで終わり……ご理解頂けまして?もちろん今日だけが特別ですので明日以降はもっと厳しくなりますので悪しからず、ですわ」
「え……?」
手元にある厚さ三センチくらいの本を見つめながら私は頬を引き攣らせた。
さすがお父様が呼んだ家庭教師、一味も二味も他の家庭教師とは違う。
ていうか、これを今日一日で終わらせる自信がないんだけど……。
そして明日から増えるかもしれない課題に不安しか感じない。
「ふふ、そんなに心配なさらないで。わたくしが分かりやすく丁寧に手取り足取りきちんと教えて差し上げるのですから、終わらないわけがありませんわ」
そしてその言葉をいまいち信用しきれない私はいったいどうしたらいいのだろうか?
これから先の未来に一抹の不安を抱えながら私はさっき渡された本……教科書を開いた。
にしても家庭教師を用意するってお父様が言ってからまだ一日も経っていないような気がするのは私の気のせい?
ついでに私が寝坊したのは気のせい……だと思いたい。
更新が遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m
突然ですが今日はハロウィンという事で小話を書いてみました!
拙い文章ですがお付き合い頂けますと幸いです^ ^
「「トリックオアトリートです柘榴お姉様」」
無邪気に笑いながら両手を差し出してきた二人の小さな手はふわふわの毛で覆われていた。
そして二人の頭には可愛い白い猫耳が二つ。
「えっと……お菓子をくれないと……」
「…………悪戯しちゃいますよ」
恥ずかしそうにこちらを見上げてくる二人は控えめに私の着物を引っ張ってきた。
さらには二人の長い尻尾が私を逃すまいと脚に巻きついてきた。
さすが私の弟、ものすごく可愛い!
それに耳と尻尾が動くのもなんかグッとくるんだけど!?
ていうか萌えるよ!
「えっと……ごめんね。今お菓子持ってなくて……後ででもいい?」
「今、持っていないのですか?」
「今持ってないのなら悪戯ですね……!」
嬉しそうに微笑んだ二人は私を座らせると桜雪は左腕に雪桃は右腕に抱きついてくる。
そして片手に持った筆で私の首筋をくすぐってきた。
あまりのくすぐったさに暴れそうになる。
だが、それを我慢し二人の悪戯が終わるまで耐えた。
「はあ…はあ…」
「あ……大丈夫ですか柘榴お姉様」
「……ごめんなさい柘榴お姉様」
笑いすぎて息が苦しい。
そんな私の背中を優しくさすってくれている桜雪と雪桃の声は先ほどとは違いどこか沈んでいた。
その証拠に二人の猫耳がペタンと力なく伏せられている。
私は急いで金平糖を取り出すと二人の小さな唇に押し当てた。
「はい、あーん」
素直に口を開いた二人に金平糖を食べさせた。
幸せそうにはにかみ金平糖を舐める姿が異常に可愛い。
そして空いた手で二人の猫耳を触ろうとしたところで不意に景色が変わり、いつもの見慣れた部屋が現れた。
「………………夢かぁ……」
せめて猫耳だけでも触りたかった…。
はあ……と小さくため息を吐いた私は一人寂しく布団に潜りふて寝と称して二度寝した。