3話
「こうしてカメさんは勝ちました……お終い」
折り紙で遊び疲れた二人に話していたのは童話で出てくる『うさぎとかめ』だ。
二人のために本を膝に置き、その文字を指でなぞりながら読み聞かせた。
慣れないながらにもなんとか読み終わり、凝り固まった体をほぐすべく体を伸ばすとポキポキと小気味良く背骨の骨が鳴った。
そのまま伸びたついでに体を後ろに倒し仰向けになると見えたのは黒い天井。
薄く照らされた天井を目的もなくぼーっと眺めていると天井の一部に人の顔らしきものが浮き上がっているように見えた。
その人の顔らしきものの目は大きく見開かれ、口は大きく開けられている。
さーっと血の気が引くような感覚がしたが気のせいだと、幻覚だと自分に言い聞かせ目を閉じる。
あれはきっとシミュラクラ現象と呼ばれるものだ。
よって本物のお化けではない!と心の中で唱えるも嫌なドキドキは一向に治らない。
それどころか目を開けるのでさえも、ちょっと怖かった。
「……お疲れですか?」
「……大丈夫ですか?」
天井に浮かぶ顔が怖くて目を開けられないでいると両端から私を心配する声が聞こえてきた。
柔らかくて少しだけ冷んやりとしたものが私の頬や首をくすぐる。
恐る恐る目を開けてみればそこには不気味な人の顔ではなく、可愛らしい子どもの顔と長い髪。
どうやら私の頬ををくすぐってきたのは二人の白い髪だったらしい。
そして私の顔を覗き込むような形で話しかけてきた二人の表情は不安そうだった。
「うん、大丈夫だよ。それより二人は大丈夫?疲れてない?」
「はい、疲れてないです」
「桜雪と同じで私も疲れてないです」
「そっか……それは良かった。で、どうだった?『うさぎとかめ』は面白かった?」
二人を安心させるために笑いかけ『うさぎとかめ』の感想を求める。
まさか二人に不安そうな顔をさせてしまうだなんて……と己を悔やむが、もう遅い。
「はい、とても面白か……っ!?」
「っ……!!」
桜雪の言葉が途中で途切れたかと思うと二人して天井を見上げ動きを止めた。
先ほどまでは和らいでいた目元も何故だか今は強張っているように見える。
それどころか楽しげな色を映していた目は絶望したような暗い色で覆われていた。
あまりの変わりように内心驚くも顔には出さない。
だって何がきっかけとなって私の死が確定されるか分からないからね。
それに下手に反応して何かやらかすよりも無難にやり過ごした方が私的には得策だと思うんだ。
あくまでもそれは私の考え方で、合ってるのかは分からないけど。
それはさておき、何故急に元気が無くなったのかが分からない。
ただ『うさぎとかめ』の感想を求めただけでそうなったとは考えにくい。
それに桜雪は感想を言いかけてたから多分違うと思うんだよね。
にしても……二人して天井の隅を見ているのが気になる……。
まさかそこに何かいるとか言わないよね!?
「…………来ましたね……」
「……そうみたいですね」
淡々とした声でポツリと小さく紡がれた不穏な言葉に私は身を強張らせ飛び起きた。
……何が来たんですか…………。
その天井の隅に何がいらっしゃるんですか……。
そう聞きたいのにその答えが怖くて聞けない。
今も尚、天井の隅から逸らされる事のない二人の目。
薄暗く湿っぽい牢の中で静かな時間だけがただ過ぎていき、痛いくらいの静寂が辺りを包み込む。
それに耐え切れなくなった私は一つ息を吐き、二人の頬に手を伸ばした。
「桜雪……雪桃…………?」
小さな声で二人の名を呼ぶ。
口内が緊張で乾ききっていたせいか少しだけ声が掠れていた。
そっと二人の頬に手を添え、滑らせるようにして何度も撫でると二人は緩慢な動作で天井から目を離し私をその瞳に映した。
そして私を認識した途端に大きくなった目。
まるで私がここにいる事に驚いているかのようだった。
さっきまで一緒に遊んでたのに忘れられていたかもしれないという事実に心が挫けそうになったが、なんとか持ち堪える。
どうしたの?と問えば二人は寂しそうに目を伏せ顔を俯けた。
さらりと二人の髪が肩から滑り落ちる。
二人の小さな手が私の着物を掴んだ。
「……あの方はとても怖いのです」
「痛い事をたくさんされます……」
二人の悲痛な声に頬を撫でていた手が震えた。
「ここにいれば痛い思いをします」
「なのであの方が来る前に早くここから出て行って下さい」
ここまでくれば二人が何に怯え何に絶望したのか、だいたい分かった。
先ほど二人が見ていた天井の隅。
あれは天井の隅を見ていたのではなく、その先にいたある者の気配を感じていたのではないだろうか。
つまり私が恐れていた幽霊の存在ではなかったらしい。
ホッとしたのも束の間、私はすぐに気を引き締めた。
これからどうしようかと目を閉じて考えている時に感じた僅かな衝撃。
何事かと目を開けば二人にぎゅうっと抱きつかれていた。
そして次の瞬間にはトンっと軽く押され、突き放されるようにして二人の手が私から離れる。
そして二人はお互いを抱きしめ合った。
「桜雪、雪桃?」
二人の名前を呼んでみるが反応は返ってこない。
私の声は聞こえているはずなのに、あえて無視しているようだ。
“ここから出て行って下さい”
ふと雪桃が言った言葉が思い出される。
この場所にいれば確実に痛い思いをするから出て行けと、そう伝えたかったのだろう。
多分だけど私を守ろうとしてくれたんだと思う。
私の思い込みでなければだけど……。
それに鬼として力の弱い私がここにいたところで何の役にも立たないだろう。
もし二人が恐れる人物に会ったとして私が何かしようものなら絶対に返り討ちにあって終わる自信がある。
下手したら正当防衛だとかなんとか言って殺されるかもしれない。
全くもって恐ろしいが実際にこの世界はそんな世界だ。
殺されたとしても弱い自分が悪い、という言葉で片付けられてしまう。
…………まあ、殺しに発展するのはごく僅かで鬼のほとんどは殴り合いや力のぶつけ合いで解決するのだが……。
とにかく用心に越した事はない。
「ごめんね桜雪、雪桃。それとありがとう」
ここは二人の忠告に従って一旦部屋に戻ろうと思う。
私は最後にもう一度だけ二人の頭を撫で牢の外へ出た。
そして鍵をかけ、その鍵を元の場所に戻すとオモチャと本を手に持ち後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。
とりあえず部屋に戻り次第、この現状を打破する方法を考えてそれを実現させないと色々とダメな気がする。
おもに私の人生とか、桜雪と雪桃の人格とか……他にも色々と…。
新たな課題を前に私は一人頷くと、一度だけ後ろを振り返った。
その先にあるのはたくさんの鉄格子と闇。
二人の姿は闇に飲まれ、もう見えない。
それを少し残念に思いながらも私は前を向き出口へと向かう。
私の前で小さな炎がユラユラと揺れ、その揺れが周りに映る。
だけれど行きとは違ってもう怖くはなかった。
見た目だけの重厚感あふれる扉をなんとか引き開け、隙間から差し込んだ光に目を細めるもすぐに慣れた私は自室へと駆け込んだ。
はあ…はあ…と私は膝に手をつき乱れた息を整えながら思った。
そういえば色々とありすぎて忘れてたけど私、柘榴お姉様って呼んでもらってなくない?……と。
その事実に気付いた私は畳の上に散らばったオモチャをそのままに、座布団の上に倒れこんだ。
シミュラクラ現象とは三つの点が逆三角形の形に配置されていると脳が勝手に顔だと錯覚してしまう現象の事らしいです。
調べてみて初めて知りました(゜o゜;;