5話
騒然とした。
それまで静寂の一途を辿っていた屋敷全体が一気に慌ただしくなる。
「……感じた事のない気配ですね」
「初めての感覚です。…………柘榴お姉様?」
ついに始まってしまったプロローグに心臓がバクバクと大きく脈打つ。
それに応じて頭も痛んだ。
じっとりと掻いた手の平の汗が熱を奪っていく。
大丈夫。
私はまだ死んでいない、と何度も心の中で唱えながら平静を装う。
「なかなかに面白そうだね。様子でも見に行こうか?」
「何言ってるんだよ緋神の。見に行こうか、じゃなくて見に行かなきゃなんないの間違いじゃないのか?」
「うん。でもこういうのは楽しんだ者勝ちだろう?……まあ、もちろん柊のの言う通り得体の知れない何かが突然現れた以上、僕たちが動かなくてはならないだろうけどね」
そうこうして徐々に纏まっていく話に……進んでいく物語に落ち着かなくなった私は手を固く握り締めた。
指が汗で滑る。
もちろんこの後は次期当主候補、もしくは確定の攻略対象者たちが揃って現場に向かう訳だけれど……どうしたんだろうか?
桜雪と雪桃が珍しく険しい顔をしている。
「どうしたの?」
つい気になってそう問えば、桜雪が口を開き雪桃が私の手を取った。
「お加減が優れないのでしょう?」
「うん?そんな事はないから、だい」
「大丈夫な訳がありません!」
“大丈夫だよ”と続けようとした私の言葉を遮って雪桃が小声ながらにも鋭く言い放つ。
あまりの剣幕に驚き咄嗟に雪桃を見上げれば今度は目元を手で覆われた。
冷たくて気持ちいい……。
つい反射的に雪桃の手にすり寄ってしまった私に二人がさらに身を寄せてくる。
「とても忌々しい事に、私たちは現当主の代理として今の問題に対応せねばなりません」
「当主候補として来てしまった以上、私たちはどうしても動かざるを得ないのです」
「……ですが私たちは柘榴お姉様から離れたくありませんし、この場に置いて行く事もまたしたくはありません」
「ましてや、より危険な場所に柘榴お姉様をお連れするだなんて考えたくもありませんし、したくもないのです」
「「しかし……」」
そう言って一度口を閉ざした二人が突如私の耳を噛んできた。
何故そこで噛むのっ……!?
「ひゃ……!?」
予想外の感覚に体が大きく跳ね、雪桃による目隠しが外れる。
「……しかし連れて行くか行かないか、の二択であれば、連れて行く方がまだ安心できるのです」
「私たちから離れる事に比べればずっと……。ですがこの状態の柘榴お姉様を連れて行く訳にもいかないのです」
「柘榴お姉様はお気づきではないのかもしれませんが」
「今にも倒れそうなほどに顔色が悪いのですよ?」
「白い肌がいつにも増して白く青いですし……」
「こうして触れてみれば、いつも以上に体が熱いうえに震えております」
憂いを帯びた切ない美声。
それが懇願するかのような響きを纏って再度私の鼓膜を揺さぶった。
「叶うのであればこのまま帰りたいと思うほどに……」
「そう思ってしまうほどに私たちは柘榴お姉様が心配でたまらないのです……」
二人の唇が……吐息が触れる度に走る甘い痺れ。
ぴくりと何度も反応する体に恥ずかしくなり頭を横に振れば、視界の端に何故か目を大きく見開いて驚愕している魁斗の姿が映った。
「こりゃあ驚いたな……。まさかここまで大切にしているとは思わなかった」
「うん?柊のは気づいてなかったのかい?」
「いや薄々そうだとは思ってたんだが……。想像以上だったつーか」
「……柊のは、鈍いね」
「はぁ?どういう意味だよ上条の」
「どういうって…………そのままの意味だけど……?」
え?馬鹿なの?と言外にほのめかして、微かに呆れ果てたような表情を浮かべた紫苑が一つため息を吐く。
そして、彼の眠た気な眼差しが私たちの方へと投げかけられた。
それも早くしてと言わんばかりの雰囲気で。
「あ……」
「「柘榴お姉様?」」
そこで潔く他人からどう見られているのかを理解した私は顔から火が出るんじゃないかと思うくらいに体が火照り熱くなった。
じわりと汗が浮かび上がる。
気付きたくなかった……。
あまりの羞恥心に涙が滲む。
まさかこんなにも注目されているだなんて思わなかった!と内心で叫びながら私は二人を見つめ、急ぎ言った。
「行こう」
「ですが……」
「お願い連れて行って……」
躊躇する二人を前にさらに畳み掛ける。
「だって連れて行く方が安全なんでしょう?」
小首を傾げてそう言えば二人は微かに目を瞠った。
次いで嬉しそうに小さく微笑む。
「そのような可愛らしいお願いをされるだなんて……」
「……やはり柘榴お姉様には敵いませんね。本当に罪作りなお方です」
「じゃあ……」
「はい。ただし、あまり無理はなさらないで下さいね」
「それだけは絶対に守って下さいね柘榴お姉様」
“それでは向かいましょうか”と雪桃が私を抱えて腰を上げた瞬間、他の攻略対象者たちが各々に動き出した。
「やはり神水流のだけは……」
「桜雪、それは後ほど話し合いましょう」
不穏な様子でポツリと呟いた桜雪とそれを嗜めた雪桃。
確かに最後まで睨まれてたもんね……と遠い目になりつつ雪桃の着物を引けば二人は察してくれたのか、一つ微笑を浮かべるとそのまま屋敷を飛び出したのだった。
そうしてたどり着いた先は見るからに不気味な薄暗い森。
青々と逞しく育った木々が……背丈の高い草花が来る者を拒むかのように入り口を塞いでいる。
まるで、森全体に何か意思が宿っているみたい……と、そう勘違いしてしまう程に葉が幾重にも重なって隙間がなかった。
「凄いね……」
「ふふ、そうですね」
「見事なまでに塞がれてますね」
思わず漏れた心の声。
それにクスクスと笑いながら律儀に反応してくれた二人が続けて言葉を紡ぐ。
「少なくとも緋神のは燃やして進んだみたいですが、それも塞がってしまったようですし……」
「また再生されるのも煩わしいので、少しだけ本気を出す事にしますね」
そう言って不敵な笑みを浮かべた二人がそのまま歩みを再開した。
入り口がない、そのはずなのに二人は気にするどころか何も障害物はありませんと言わんばかりに突き進んでいく。
パキパキパキ……と微かに響く華奢な音。
ふわりと白い冷気が辺りを包み込む。
「え……」
二人の細長い指が植物に触れた。
その瞬間、砕け散った植物の欠けらが空中を舞ってキラキラと薄黄緑色に輝く。
綺麗……。
幻想的な光景。
無理矢理開かれた森の入り口と、その先の通路を彩る淡い氷の輝き。
見惚れてしまう程に美しいそれらを前にして圧倒された私は一つ息を呑んで、その光景を目に焼き付けていく。
流石は私の弟。
能力の魅せ方まで知っているだなんて……と内心感動していると不意に体が浮いた。
「わっ……!」
次いでトン……っと木の枝に着地したのであろう軽い衝撃が体に走る。
び、びっくりした……。
突然の出来事に目を大きく見開いて固まる私を他所に二人が小声で現状を確認し合う。
「あの方で間違いなさそうですが……」
「そうですね。しかし、この異様な気配はいったい……」
困惑しているのか、顔を顰めて考え込む二人。
主人公に焦点を合わせているのか、その目は遠くを見据えていて瞳孔は縦に細まっている。
……にしてもこの距離で見えるの凄過ぎない?
私には豆にしか見えないんだけど、と二人の顔を交互に見やれば、それに気づいてくれたらしい桜雪が一つ微笑を浮かべて十数メートル先の枝に移動し振り返った。
白い長髪が艶を帯びて翻る。
「ふふ、どうやら桜雪が呼んでるみたいですね。行きましょうか」
コテリ……と微かに首を傾げて私たちを見つめてくる桜雪に今度は雪桃が笑った。
そのあざとい仕草に、可愛らしい笑みに胸が高鳴る。
いや、もうね……可愛いが過ぎると思うんだ……。
「この距離ならば見えますか?」
「もう少しだけ近づきますか?」
一分もしない内に遠く離れた樹上に降り立った二人が私の顔を覗き込んで問いかけてきた。
期待に満ちた綺麗な顔が視界を埋め尽くす。
「うん、もう大丈夫。桜雪も雪桃もありがとう」
二人の頭を撫でつつ、そう言った私は改めて前を見据えた。
息を飲呑んだ。
美少女がいる。
それも守ってあげたくなるような雰囲気を纏った、とんでもなく可愛い女の子。
桜雪と雪桃も可愛いんだけど、それとはまた違った可愛さなんだよね……。
なんと表現すればいいのだろうか?
萌えとは別の……女の子ならではの柔らかい感じの可愛さ、とでも言えばいいのだろうか?
……うーん、ダメだ。
上手い言葉が見つからない、と一人溜息を吐いてジッと彼女を見つめる。
前世で見覚えのある白いセーラー服。
原作通りのそれに身を包んだ彼女は今にも泣き出しそうな様子で辺りを見渡したかと思うと、ついにその声を響かせた。
「な、んで……なんで森の中に…………。………………ていうかいつになったら来るの?もう三回目なんだけど……」
小さな唇で紡がれた“原作通り”の言葉と、その後に付け足された“あり得ない”言葉。
頭の中が真っ白になった。
「バグ?」と呟きながら首を傾げた彼女に体が否応なしに震える。
もしかして彼女は……。
「「……柘榴お姉様?」」
…………いや、それ以前に今朝のあの夢は…………。
突如として現れた様々な可能性に頭が……心がついていかない。
もし、私の予想通りならば……私は…………ワタシハ……。
心臓が嫌な音を立てる。
……ワタシハドウナッテシマウノ?
一気に絶望の淵に落とされた。




