3話
「どうぞ中へ。僭越ながら私がご案内させて頂きます」
そう言って優雅に頭を下げた彼は私たちに背を向けると迷いなく歩き出した。
向かう先は力ある鬼が集う部屋。
歩を進めるにつれ濃くなっていく殺気と力の本流が私の体に纏わり付いてくる。
……苦しい…………。
あまりの息苦しさに袖で口元を覆えば、それに気づいた二人がそっと私に身を寄せてきた。
甘やかな香りがほんのりと鼻をくすぐり、私を包む。
「……大丈夫ですか?」
「やはりお加減が優れませんか?」
少しだけ身を屈め、そう問うてきた二人。
その声音はどこか憂いを帯びていて儚く、表情ですら心配だと言わんばかりに歪んでいる。
「うん?大丈夫だよ」
「……本当、ですか?」
「あまり無理はなさらないで下さいね」
これ以上の心配なんてかけられない、となけなしの気力を振り絞って答えても二人にはバレバレなのか、一向にその表情は晴れない。
今にも泣き出しそうな雰囲気に困り果て、目を閉じ考えあぐねていると不意に体が浮いた。
わ……と微かに声が漏れ出る。
「これなら私たちも安心できますね?雪桃」
「ふふ、そうですね。これならば柘榴お姉様を一番近くでお守りできます」
私を片腕に乗せた桜雪が満足そうに言うと、それに答えるように雪桃が頷きふわりと控えめに微笑む。
……可愛いが過ぎる…………!
美形なのに可愛いだなんて、的確に私の萌えポイントを突いてくるのだから性質が悪い。
「「柘榴お姉様」」
「……なぁに?」
「一つだけお願いがあるのです」
「一つだけ私たちとお約束してほしいのです」
突然二人の雰囲気がガラリと変わる。
「「今から家に帰るまで、決して私たちから離れないで下さいね」」
甘く掠れた声で囁かれたその言葉はいつになく真剣で……。
深く考える間も無く咄嗟に頷いた私に二人は微かに微笑んだ。
「それでは行きましょうか」
スッと目を細めて雪桃が告げると、案内人の鬼がそっと襖に手をかけた。
その瞬間、今まで目を背け続けてきた現実に嫌が応にも引き戻される。
……もう無理…………。
もう逃げ出したい!と浮かんできた涙をそのままに桜雪の首に縋り付く。
そうして私が無様に震えているにも関わらず、目の前の豪奢な襖は静かに開かれた。
「ご歓談中失礼致します。月影桜雪様、雪桃様、柘榴様がご到着されました」
仕切りが一枚なくなった途端に襲いかかってきた濃密な殺気に息が止まった。
苦しい……怖い!助けて!とそれだけが頭を占める。
今までどうやって呼吸をしてきたのかが分からなくなり一瞬で恐慌状態に陥った私は喘ぐように息を取り乱し、逃げ出したい一心で廊下の方へ手を伸ばした。
その反動で涙が一筋零れ落ちる。
「柘榴お姉様、大丈夫ですよ。私たちが付いております。ゆっくり……ゆっくりと息を吸って下さい」
「私たちがずっとお側におります。ですから柘榴お姉様は安心して身を委ねて下されば良いのです。そうして頂ければ……」
「「必ずやお守り致します」」
いつもと変わらない優しい声。
そしていつもと変わらない優しい手つき。
それに少しだけ心が落ち着き、はっ……はっ……と拙いながらになんとか呼吸を整えていると、突然桜雪が動いた。
な、に…………?
「おいおい……いつまで俺を待たせる気だ」
苛立たしげに発せられた重低音。
そして冷たい視線が背中に突き刺さる。
この、声は……と目を見開いた私の耳に一足遅れて、重い物が落ちたような鈍い音が響けば、もう耐えられなかった。
ぎゅう……っと強く桜雪に抱き着き肩に顔を埋める。
「今、私たちの柘榴お姉様を害そうとしましたね?」
「柘榴お姉様を故意に狙い、私たちから奪おうとしましたね?」
二人の殺気を纏った言葉がとある人物に投げかけられる。
「あぁ?それがどうした。弱者が強者に狩られる。当たり前だろうが」
そして不機嫌に返された聞き覚えのある声。
それは、弱者をことごとく嫌い、気に食わない鬼がいれば問答無用で殺すといった性質を持つ非常に危険な人物のもの。
名を神水流祐樹。
【蛛鬼編〜糸編の紡ぎ〜】にて出てくる攻略対象者であり、青系統の色を纏った男らしい見目のイケメン。
そんな彼は忌々しげに舌打ちを一つ零した。
「……面倒だな」
「面倒、ですか?柘榴お姉様に攻撃を仕掛けておいて、ただで終われる訳がないでしょう?」
「柘榴お姉様を傷つけようとした罪は重いですよ?到底、許される行為ではありませんので」
「たとえ私たちに殺されても……」
「たとえ理不尽に壊されても……」
「「文句は言わないで下さいね」」
パキパキパキ……と華奢な音を立てて氷が部屋を侵食していく。
そして、くすくすと愉しげに響く二人の笑い声。
この緊張感漂う殺伐とした空間で異質を放つ二人に誰かが息を飲んだ。
「だいたい、貴方如きの能力で私たちを害せる訳がないのですよ」
「いい加減、身の程を弁えてはいかがです?」
そうして雪桃の左腕がゆっくりと持ち上がった瞬間、後ろから悲鳴を噛み殺した様なくぐもった呻き声が聞こえてきた。
白い冷気が幾重にも重なり落ちてくる。
背後で何が起きているのだろうか?
恐怖で感覚が麻痺してきた頭で考えるも上手く思考が纏まらず、想像すらつかない。
痛い程の寒さで体が震える中、私は恐る恐る身をひねり、そして後悔した。
真っ先に目に飛び込んできたのは鮮明な赤。
自身が生み出した水を二人に凍らされ身動きが取れなくなったのか、太い氷柱が体の至る所に刺さり血を流している。
いや、流していたという方が正しい。
溢れ出た血が全て途中で凍りつき、その動きを止めていたのだ。
あまりにも痛々しく、それでいて凄惨な光景。
苦痛に顔を歪め、許さないと言わんばかりに私たちを睨みつけている。
それも憎悪に染まった瞳で。
「弱者は強者に狩られるのでしょう?」
「それが当たり前なのですよね?」
「っ……ふざけんじゃねぇ!クソがっ!!」
バキッ……と祐樹の左腕が根元から折れ、次いで砕け散った。
床に散乱する凍った肉片が、白い空間で映える様に際立つ。
もう見たくない……!
その一心で固く目を閉ざしたのに、強烈な赤が……氷柱に貫かれた体が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
あれが……あの姿が私の最期であるのだと……。
そう錯覚してしまう程に夢で見た自身の姿と重なって見えたのだ。
きっと彼が死ねば私の心も死ぬ。
そう確信してしまう程に彼の姿が私と重なって離れない。
早く……早く止めないと…………!
死の匂いが鼻を掠める。
早く……早く声を……。
迫り来る死の気配に体が震える中、なんとか声を出そうとしたその瞬間……。
「まあまあ、そこまでにしてはどうかな?」
二人の一方的とも言える暴虐を止める落ち着いた声が突如響いた。