9話
「桜雪……雪桃……?」
吐いた息が白く染まる。
そして二人の力によって急激に下げられた気温が私の体を蝕む。
パキパキパキ……と遠くから聞こえてきたのは氷が広がっていくような、それでいてひび割れるようなそんな曖昧な音で。
ゆっくりと冷気と言う名の白いベールが幾重にも重ねられるようにして霧が濃くなっていく。
カタカタとあまりの寒さに体を震わせていると“くすくす……”と色気を含んだ笑い声が鼓膜を揺らした。
「ずいぶんと震えていらっしゃいますね?」
「そんなにここは冷えますか?」
ぎゅう……っと二人に抱きつかれる。
「私たちが柘榴お姉様に触れ」
「柘榴お姉様と熱を共有している」
「「それでもまだ寒いと仰いますか?」」
至近距離でそう問われ、いきなりの事に呆然としていると二人は再度口を開いた。
「ふふ……ならば、もっと触れ合って温めなくてはなりませんね」
「……ですがその前に柘榴お姉様には聞かなくてはならない事があるのです」
「「もちろんお答えして頂けますよね?」」
優しく纏わり付いてくるような囁き声で私を誘導しようとする二人に“待って”と声をかけるも、喉が張り付くほどに冷えたこの空間がそれを許してくれない。
ていうか声を発する度に引き攣って痛い。
肺までもが凍りそうな冷気に思わず顔を顰めるとそれに気付いた桜雪が恍惚とした表情で私の喉に触れた。
「それでは柘榴お姉様、あの男はどなたですか?」
「あの……柘榴お姉様のお顔を真っ赤にした男の事ですよ?」
「しら……な…………けほ……」
「ふふ、お顔を真っ赤に染め上げたお姿は大変可愛らしかったですが……」
「それが私たちではなくあの男であった事に殺意すら覚えます」
にこっと口元だけで微笑した二人の細長い指が私の指を絡め取る。
いつの間にかオッドアイに戻っていた二人の瞳がスッと細められ薄暗い色が灯ったのを見た瞬間嫌な予感が頭を過ぎった。
遠くでいくつもの氷が割れる音が響く。
「あの薄汚い男に私たちの柘榴お姉様が汚されてしまいましたし……」
「柘榴お姉様の初めても奪っていきました」
「……ああ、もうダメですね雪桃」
「そうですね桜雪、私も同意見です」
「「やはりあの男……邪魔ですね」」
いっその事殺してしまいましょうか、とでも言わんばかりに首を傾げた二人の手が私の右太ももに置かれる。
するりと着物の隙間から入り込んできたそれらが私の肌を撫でた瞬間、ものすごい痛みに襲われた。
「っ……!?」
目の前がチカチカするような突然の痛みに息が詰まる。
いったい私の身に何が起きたのだろうか?
突然のことに頭が処理しきれない。
涙のせいで視界が歪む。
そんな中、二人はうっとりとした表情で自身の唇を舐めるとそのまま私の手の甲に口付けた。
「「あの時のお約束を柘榴お姉様は覚えておいでですか?」」
「ずっと私たちを見ていて下さると……」
「ずっと私たちと一緒にいて下さると……」
「「そう……仰っていましたよね」」
「まさか……それを破るおつもりですか?」
「私たちを捨てるおつもりですか?」
ちゅ……と甘やかな音が再度私の耳に届く。
二人が唇を落とした先は目尻。
吸い付いてくるような感覚と柔らかな感触に肩が震えた。
「ふふ、とても甘いですね」
「病みつきになってしまいそうです」
「はぁ……」と二人の口から零れ落ちた色気のある吐息。
いつもとは違う妖しくも艶かしい雰囲気に圧倒されていると、不意に二人が身を起こした。
そして桜雪が私の右脚を両手で恭しく持ち上げ、雪桃が壊れ物を扱うかのように着物を捲る。
「柘榴お姉様ご覧下さい」
「とてもお綺麗ですよ」
そこにあったのは火傷の跡。
どことなく二輪の花が寄り添っているように見えるその場所に二人は在ろう事か唇を寄せてきた。
恥ずかしい……!
普段誰にも見られる事のない場所に顔があるというだけで無条件に羞恥が込み上げてくる。
何度も何度も音を立てて口付ける二人。
いつの間にか痛みは薄れ、代わりにゾクゾクとした何かが太ももから脳へ送られる。
もう無理っ……!とあまりの恥ずかしさとよく分からない感覚に目をぎゅっと閉じると目尻から涙が伝った。
そして、そのせいでよりいっそう感覚が敏感になり今更ながらに寒い事を思い出した。
「ああ……そうです柘榴お姉様」
「先ほどのお話の続きですが……もちろん」
「捨てるだなんて……」
「破るだなんて……」
「「そのような事仰いませんよね?」」
ゆっくりとやってきた抗いようのない眠気に意識が朦朧とする中、最後に聞こえてきたのは縋り付くような悲しさを纏った声だった。
……というような事があってから二人は私を家から出したがらなくなったんだよね…………。
娯楽品は本とか刺繍とかそういったもののみ。
正直言ってかなり暇だけど実際に死にかけたわけだし今は大人しくしているのが現状だ。
それに、家にいる事自体が苦だと思った事もないしね。
気持ち的にはけっこう楽だったりする。
ただ暇なだけで……。
まあ、それはさておき、まさか告白されただけであんなに怒るとは思わなかった。
いや、告白されただけならまだ救いはあったかもしれない。
あの時二人の目の前で抱きしめられたりなんかしなければ、反応も違っていた事だろう。
だって二人して、私が取られると思ったらしいのだ。
連れ去られてしまう、どこか遠くに行ってしまうと不安に駆られたらしいのだ。
意識を失って目を覚ました後で二人に涙ながらにそう告げられ謝罪されたのだから間違いない。
それにしても……帰ってくるのが遅い気がするんだけど…………私の気のせいだろうか?
二人が家を出て行ってから軽く二時間は経ったと思うんだけど、と障子を開け空を見上げる。
やはりおかしい。
念のため地面に置かれた日時計を確認してみれば、それは確信に変わった。
いつもなら一時間足らずで帰ってくる二人が帰ってこない。
それが意味するのは?
嫌な予感が頭の中を過ぎる。
思わずじっとしていられなくなった私はその予感を振り払うかのように家を飛び出した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
乱れる髪をそのままに走り続ける事数分、目の前に見慣れたエコバッグを見つけた。
あれは私が数年前に前世の知識を用いて作製した物だ。
当然見間違うわけがない。
それに地面には私が二人に頼んだ野菜が転がっているのだ。
あの落し物が誰の物であるかなんて一目瞭然だ。
「嘘……でしょ…………」
無意識の内にこぼれ出た声は酷く掠れ、瞬く間に風にかき消された。
暖かい日差しが降り注いでいるのに体の震えが止まらないのは二人の姿が見えないからに他ならない。
さらに震える声で二人の名前を呼んでも返事が返ってこないのは言うまでもなく……そこで私は悟った。
悟ってしまった。
止まらない寒気と震えをそのままに私は地面を蹴った。
その日、二人はいなくなった。