3話
「……は、速い…………」
狭い籠の中で私は誰に言うでもなく呟いた。
あれから……風見先生に別れを告げお父様に挨拶をしてから籠と言う乗り物に乗り込んだ私たちは新たな住処へ行くため出発した。
もちろん私が確認した限りこの籠は鬼が引っ張って移動する、言わば人力車のようなものであった。
そしてそんな乗り物に乱暴に揺られて数十分。
明らかにおかしいスピードで走るこの乗り物に私は慣れる事ができず、未だに恐怖を払拭できずにいた。
そりゃあ私たちの種族は鬼。
人間よりも筋力や体力、寿命なんかも優れているのは当たり前で私でも知っている。
それにすごく丈夫だし。
……それでもやっぱり限度というものがあると思うんだ私は。
この景色の流れ方といい風を切る音といい、燃料で走る車と大差ないってどういう事……?
規格外にもほどがあるよね……。
外の景色を眺めながらそう考え呆れていると不意にか細い声が私の耳に届いた。
控えめに私の太ももの上に置かれた手。
何事かと窓から視線を外し二人を見てみると、そこには涙を浮かべ震えている二人の姿が。
ガタンっと大きく籠が跳ねる度にぎゅっと目を閉じ、その後に恐る恐る目を開けるといったその反応が堪らなく可愛い。
「どうしたの?」
二人の恐怖心を和らげるために頭を撫でながら優しく問いかける。
サラサラとした髪が指の間からこぼれ落ちる感触が気持ちいい。
「「ざ、ざくろ……おねぇ、さま……」」
弱々しく発せられたのは私を呼ぶ声。
そしてガタッガタンと大きく籠が揺れる度に身を強張らせる二人。
揺れが怖いの?と聞いてみれば、どうやら当たりだったらしく二人は小さく頷いた。
「……とても痛くて」
「と、とても怖いのです」
「「……っ!?」」
なんとか伝えようと懸命になって揺れの合間に言葉を紡いだ二人は次の瞬間、舌を噛んだのか両手で口元を覆った。
大きな目に涙が溜まっていく。
ウルウルと光の当たり加減によって輝くそれは今にもあふれそうなほどにいっぱいだ。
あ、こぼれる……そう思った瞬間にぽろっと頬を伝って落ちた涙が二人の着物に吸い込まれていく。
その一連の流れを目の当たりにした私はすぐさま二人を自分の元に引き寄せ、背を撫でた。
思えば私ですらいろんな意味で怖いのに外の世界をあまり知らない二人が怖くないわけがないのだ。
むしろ私よりも幼い分、恐ろしく感じるのであろう事は想像に難くない。
ごめんねと思いつつ腕の力を強めた、その中で二人がモゾモゾと動きだした。
そっと口元から外された手が私の着物を掴む。
そして定位置を見つけたのかいったん動きを止めると今度はそこに頭を擦り付けてきた。
その愛らしい行動に癒されつつ腰の痛みに耐えていると不意に籠が止まり外から低く暑苦しい声が聞こえてきた。
そして荒々しく開けられた扉の先には家を出る前にも会った筋骨隆々としたおじさん。
きっと営業スマイルを浮かべているつもりなのであろう彼の顔は、はっきり言って極悪人面の一言に尽きる。
ていうか存在自体がもうすでに、むさ苦しいし暑苦しい。
……なんか私の中で思っていた世界観が大きく覆された気分だ。
本当に世界っていろんな意味で広いよね。
今まで美男美女の鬼しか見た事がなかったから余計にそう感じるのかもしれない。
そんな男気溢れる彼に会釈をしつつ二人に到着した事を告げる。
「桜雪、雪桃私たちの新しい家に着いたみたいだよ?」
「「私たちの新しい家、ですか?」」
「うん!」
ゆっくりと顔を上げ見上げてきた二人に私は肯定の意味を込めて頷いた。
そして外を見るように促す。
まあ、扉の前に鬼がいるせいであまり見えないのだが……。
それでも、ありとあらゆる面で努力した成果がここにあるんだと思うだけで心が浮き足立ち、笑みがこぼれる。
そんな私の反応を見てか、覚悟を決めたらしい二人は近くにいる鬼を警戒しながらも恐る恐るとした動きで振り返りそして固まった。
そのまま数秒ほど彼を見上げたのち、無言で顔を元の位置へと戻すとさっきよりも強い力で抱きついてきた。
「あー……その、なんだ…………すまねぇな」
「いえ、あの……こちらこそなんだかすみません」
微妙な雰囲気の中、居心地悪そうに頭を掻きながら謝ってきた彼に私も謝罪を返す。
「この顔だからよく怯えられるんだよなぁ」と苦笑しながら言われ罪悪感を感じながらも確かに、と妙に納得してしまった。
うん、性格は良さそうなのに強面ってだけで何もかもが怖く見えるから不思議だよね。
「ほんと、悪りぃな」
「いえいえ。あ、でも一つだけいいですか?」
「ん?なんだ?」
「できればもう少し安全運転でお願いしたかったです」
「は……?」
「だって揺れは怖いし、腰は痛いしで辛かったですもん!次乗る時はそこの所よろしくお願いします」
さり気なく要望を言い、できる限りの範囲で頭を下げると突然おじさんがお腹を抱えて笑い出した。
どこにも笑う要素なんてなかったはずなんだけど……?と首を傾げていると、苦しそうに息を乱した彼が教えてくれた。
「だっ、だってよ……怖い思いをしたのにまたよ、呼んでくれるんだろ?そ、そんな事って……くっ……ダメだ我慢できねぇ……あははははっ!」
途切れ途切れに声を震わせながら言ってのけた彼はもうこれ以上は話せないと言わんばかりに籠の壁をドンドンと叩き始めた。
ずいぶんと豪快に笑う鬼だと半ば呆れていると不意に温かな手が私の頬に触れた。
「あの……柘榴お姉様……」
「ん?」
「あの方ばかりではなく私たちも……その…………」
「「……もっとかまって下さい。お願いします」」
不安気に揺れる瞳で懇願され甘えられる。
よほど壁を叩きながら笑い転げる彼が怖いのか心なしか顔色が悪いように見える。
とりあえず外に出た方が良さそうだと判断した私は二人の頭を軽く撫でた後、手を繋ぎ揺れる籠から脱出した。
そうして私たちが地面に降り立つと今度は二人が私の手を引き件の鬼から距離を取り始める。
きっと怖いであろうに私をその小さな背で庇う様はとても健気でいじらしい。
ていうか可愛いの一言に尽きるよね!
まあ、それはさておき、いつになったらこの鬼は笑い止むのだろうか?
未だに笑い続ける彼の姿に、もはや恐怖しか感じられない。
無意識に一歩後ずさっていたとしても仕方がないと私は思うんだ。
そしてさらに待つ事数分、私がもう無視して家に入ろうかな、と思い始めた頃にようやく落ち着いたらしい彼は目元に浮かぶ涙を指で拭った。
「また呼んでくれんだろ?その時は凍夜で指名してくれ。じゃ、またな!」
「あ、はい。ありがとうございました……」
お礼を言い切る前に走り去っていった凍夜さんを見送ってから私たちは改めてこれから住む家を見上げた。
さして大きくはない木造建築の家。
一応掃除はされているのか古い割には綺麗に見える。
果たして中はどうなっているんだろうかと玄関を開けてみれば何故か布団が山積みの状態で放置されていた。
その他にも日持ちのしそうな野菜や干し魚などが廊下に置かれている。
なんだか必要そうな物をあらかた揃えましたって感じがすごい。
きっとお父様がいろいろと用意してくれたのであろう。
まあ、何はともあれ、これを片付ける前にまずは部屋の確認が先だよね!
そう思い至った私は草履を脱ぎ捨てると二人の歩幅に合わせながら廊下を突き進んだ。




