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鏡鬼の旋律  作者: 雪りんご
第2章 安寧と迫りし刻限
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2話

 思う存分二人を堪能してから最後に頬を一撫でする。

 肌に吸い付くようなしっとりとした肌触りとプニプニとした感触はやみつきになりそうなほどに気持ちいい。



「それじゃあ行こうか」



 名残惜しくも二人の魅力的な頬から視線を逸らし立ち上がると、後ろから障子を開く音が聞こえた。

 ビクッと大きく肩を揺らした二人。

 きゅ……っと私の着物を掴み、お腹に顔を寄せてくるといった愛らしい行動に私は胸を打たれた。

 極め付けは、たどたどしく呼ばれた私の名前と涙でいつも以上に潤んだ双眸だ。

 そんな可愛い二人の頭を宥めるように撫で、ニヤニヤしていると背中越しに冷ややかな声がかかった。



「……いつまで、このわたくしを待たせるおつもりですの?」



 反射的に振り返ってみれば、そこには柔かな微笑みとともに部屋の入り口に座っている風見先生の姿が。

 さらに言うのであれば、その瞳の奧は全くと言っていいほど笑ってはいなかった。

 これはいろんな意味でヤバいかもしれないと瞬時に理解した私は自身の顔が引きつるのを感じた。



「も、申し訳ございません」

「謝罪は結構ですわ。それよりも早く部屋に入って下さいませ。あまり時間がごさいませんの」



 ツンとした態度で、そう促された私はそそくさと二人を連れて中に入る。

 そして適当な場所に座り、彼女を待った。

 当たり前のように手を握り身を寄せ合う私たちを見て驚いたのか風見先生は目を丸くすると神妙な面持ちになり、その柔らかそうな唇を動かした。



「……ずいぶんと懐かれてますわね…………」



 丁寧な動きで私の前に腰を下ろした彼女が感心したように言う。

 開口一番に何かしらの嫌味を言われるのだとばかり思っていた私は思わず拍子抜けしてしまった。

 いつもならここで「行動が何もかも遅いだなんて亀……いえ、それ以下ですわね」と辛辣な言葉が出てくるはずなのに……。

 内心珍しい事もあるものだなと思うも声には出さない。

 わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はないわけだしね。

 それに理由はどうであれ怒られずにすんだのだ。

 これはこのまま蒸し返さずに本題へ進むべきだと思う……。

 うん、むしろ進むべきだと私はみた。



「それで、時間がないとはどういう事でしょうか?」

「そのままの意味ですわ。御当主様が籠を用意すると仰ってから半半刻(三十分)は経ちましたのよ?わたくしの経験上もう到着していてもおかしくない頃合いですわね」



 頬に手をつき困ったような表情と仕草で言ってのけた彼女は机の上に置いてあった紺色の風呂敷を手に取り私に差し出してきた。



「これは先ほど御当主様が用意して下さったものですわ。中は一ヶ月分の資金だと仰っておりましたわね」



 中の説明をしながらその包みを私の前に置いた彼女はちらりと障子の方へ視線を投げると、もう時間ですわねと小さくため息を吐いた。

 彼女の白い手が私の頭を撫でる。

 何度も何度も往復するそれが気持ちよくて気がつけばその手に頭を擦り付けていた。



「……全てにおいて鈍さを発揮なさる柘榴お嬢様の事ですから、たいていの事は大丈夫なのでしょうけれど……どうにも心配ですわね。何かしらの問題を起こしそうで……」

「え……?」

「本当に……本当に心配ですわ」



 彼女の憂いを帯びた瞳が揺れ、瞼が伏せられる。

 彼女から、“鈍さを発揮する”だの“問題を起こしそうで”だのと聞き捨てならない言葉が吐かれたはずなのに全く気にならないのは、しばらく会えなくなるからだろうか?

 ……それとも気がつかない内にMに目覚めてたとか…………?といろんな憶測が頭の中で飛び交うも、すぐにそれはないなと考えるのをやめた。

 だって痛いのとか嫌だし、いじめられて嬉しいなんて感じた事もないし……ましてやもう一度やって欲しいだなんて思った事もないしね。

 よって私はMではない!

 そう結論付けた私はいつの間にか閉じていた目を開け風見先生の顔を仰ぎ見た。

 そして目をじっと見つめると彼女は慈しむような優しい手つきで私の髪を耳にかけると頬をさらりと撫でてくれた。

 まるで母が子を見守るような……そんな雰囲気で。

 

 お互いに口を閉ざしてから何分経っただろうか?

 静寂が辺りを包み込み、遠くから廊下を渡る足音が聞こえてきた。

 どうやら、お迎えが来たらしい。

 何か声をかけた方がいいのかと逡巡したがそれも次の言葉で杞憂だったと知り安堵したと同時に微妙な心境になった。



「にしても残念ですわね……。わたくしのお仕置きに耐えられる者などそうそうおりませんのに……その相手がいなくなってしまうだなんて……」

「は……?」

「わたくしに電流を流されても怯えなかったのは柘榴お嬢様だけでしたのよ?あえて言うのであれば貴重な存在。そんな打たれ強いお嬢様を手放すのはとても惜しい事なのですわ」



 悪戯っぽく微笑んだ彼女は私から目を離すと今度は私の隣にいる二人に目を向けた。

 興味深そうに見つめられ居心地が悪いのか、それとも驚いたのか二人はびくりと身を強張らせ私の手を強く握ってきた。

 心なしか目が潤んでいるようにも見える。

 本当にいつ見ても可愛い。

 そんな愛らしい存在に頼られ懐かれているかもしれないという事実に萌える。

 ニヤけそうになる顔をなんとか堪えつつ三人を見守っていると外から「入るぞ」と言う掛け声が聞こえてきた。

 その威圧感溢れる声の持ち主はもちろんの事お父様のもので、返事を返す前に開いた障子の奥には、やはり彼の姿があった。



「話は済んだか」

「ええ……とは言い難いですけれど時間は有限ですものね。この続きはまたお会いした時にでもしましょう。それでは柘榴お嬢様、くれぐれもお体にはお気をつけて下さいませね」

「はい。風見先生もお気をつけて」



 深々と頭を下げて感謝の意を伝える。

 頭を下げたと言っても両手は二人に塞がれているので不恰好であった事には変わりないけど……。

 それでも態度で示す事は大事なのだと思う。

 現に風見先生は柔らかく微笑んで一つ頷いてくれた。

 それに手が塞がっている私のためにわざわざ風呂敷を背に括り付けてもくれた。

 本当に感謝をしてもしきれない。

 そして現在進行形でお父様を待たせているという事実が恐ろしい。

 ちらっとお父様の様子を窺うべく顔を盗み見ると彼の金の瞳と目が合った。

 まさか視線がぶつかるとは思っていなかった私は不測の事態に驚き慌てて目を逸らすも、すぐにそれを元に戻した。

 何故ならば先に背けた方が負けだと風見先生から教わったのを思い出したからだ。

 ……とは言っても、私の負けは確実なんだけどね。

 何はともあれこういうのは、けじめが大事なのだ。

 そんな私を見てお父様はふ……っと一瞬だけ笑うと、その薄い唇を動かした。



「お前も大概物好きだな……。来い、おもてに籠を待たせてある」



 呆れと優しさを含んだ声がお父様から発せられる。

 初めて聞いた穏やかな声と初めて見たお父様の笑みに私は素で惚けた。

 室内に入ってきた風が私の頬を撫でる。

 一際強くなった金木犀の香りが私の鼻腔をくすぐり、意識を浮上させた。

 そしてそこで気づいたある問題に私は顔を青ざめさせると急いで立ち上がった。

 さっきまで障子の前にいたお父様の姿がどこにもない!

 二度も待たせるわけにはいかない!と思った私は風見先生への挨拶もそぞろに二人を連れ廊下へ飛び出した。


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