無題
私は走り出していた。
求めるものも見えずに走って、走って。
求めるものも見えないのに。
姿形さえわからないのに。
手を伸ばしても届かない。届くことなんかない。触れることはない。触れることすら叶わない。触れられる形すら、それは持っていないのだから。
在るかどうかすら危ういものを、私は滑稽に追い続ける。
走り方など知らない。ただがむしゃらに足をひたすらに動かしているだけ。前も後ろもわからないくせに、届こう、届こう、と走り続けているだけ。
遠くですらない。
そこにあるかもしれない。でも見えない。私は盲目ではないのに見えない。見ることを許されていないのだ。
届くことを許されていないのだ。
知って尚、走り続ける。
私を滑稽と笑うか? そのとおりだ。笑うといい。笑ってくれ。私は道化だ。どこまでも道化だ。何もわからないふりをして、全てを知っているふりをして、結局、真実も、偽証も、善も、悪も、囁きも、微笑みも、涙も、手にできたはずのもの全てを走ることしか能のない足で蹴飛ばして、全て無下に、棄ててきた。
私を馬鹿だと笑うかい? 笑うといい。あ、いや、それでは馬と鹿に失礼だ。
私は人ですらなく、動物ですらなければ生き物でもなく、物質でもなく、原子でもない。
日の下に生まれたのに、その下で輝けず、月下に冷めることもできず、凍えも温もりもわからぬくせに、人と人とを求める。
私が求めるものは何か。人との出会いを求めているというこの感情さえも、次の瞬間には嘘へと変わり果てる。
ああ、私は何故こうも人たりえぬ道化へと成り下がったのだろうか。何故この不完全な体と心と世界に息づく矛盾ばかりを見つめる眼を手にしているのだろうか。
この疑問さえ無意味とわかりながら、何故抱くのだろうか。
私は私という存在に疑念しか抱けない。そして私が私に抱く疑念に答えを与える者はない。与えられる者など存在しないことを私は知っている。
この絶望を、空虚を、渇望を、誰が止めてくれるだろう。
私にはわからない。きっとこの世の誰もわかりはしない。
もしも私の疑問に答えが出るのなら、それは私の終わりを示すだろう。
私は、滑稽な私は疑問から逃れるために愚かにも言の葉を紡いだ。
縦横に交わり色を織り成す美しき一反の布のための糸を、紡ぎ続け、瓦解しそうな自分を繋ぎ止めて生きてきたのだ。
細く脆い糸たちを紡ぎ、編み込みのまばらな布を、物語を織ろうとした。織らねば生きてこられなかった。
私は糸を紡ぐことで息をし、布を織ることで心を保った。
息をしなければ体は死ぬし、心が保たねばどちらにせよ死ぬ。
私は糸よりも脆く、人よりも強い何かだった。
簡単にちぎれ、裂かれ、ばらばらになる。かき集めて、また紡ぎ出す。繰り返し、繰り返し。終わらない生、終わらない世。
そう、私が終わるとき、世界もきっと終わる。
人は生き、私は死ぬ。
言の葉も物語も喪えば、私は、私の世界という世界は終わる。
さすれば、私は私という概念から、ひいては世界という概念から解放され、ようやくそこで自由を手に入れるのだ。
しかし、その終わりとやらはいつやってくる?
私はいつまでもいつまでも、布を引き裂いてはそのかすを惜しげに寄せ集め、新たな糸を紡ぎ、息をすることを止めない。
何故だ? そんなにも死が恐ろしいか? そんなにも終わりが嫌か? 何故生きる? 何故紡ぐ? 何故散らす? 何故死なぬ?
ああ、忘れていた。
私は己で己の逝く道を選べるほど強い存在ではない。
生すら、細く脆い糸にすがることでしか得られない愚かで滑稽な道化。
本来なら、存在するはずのない、存在してはならない。
ああ、耐えられない。
世界を、世界よ。終われ。終わってしまえ!
私の紡ぐ、最後の糸で。それを刃で、私もろとも引き裂き、世界から断ち切っておくれよ。
もう、疲れた。
疲れたのだ。
物語を紡ぐことに。
世界を作ることに。
糸を結ぶことに。
もう、息をするのさえ面倒だ。けれど、止めるまで止まらない、全く、面倒な体をしているのだ。
だから、刃で。
世界を、終わらせて、ほしい。
ただひとつ、請い願いたいのは、それだけだ。
最初で最期の願いを、どうか紡がず、断ち切って──
うん、わかったよ。
じゃあ、さようなら。
物語に笑い、物語に泣き、物語に生き。
物語に死すがいい。