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奈々ちゃんの笑顔

 あれから一週間、毎日奈々ちゃんは来てる。


 オレとしては嬉しいけど、真面目に学校はいいのかって心配になる。


 別に行かなくても生きてはいけるよ。だって、オレは行ってない。


 でも、オレは人間じゃないから、人間だったらどうなんだろう。


 奈々ちゃんといるのは楽しいし、寂しさと暇がつぶれていい。ただし、昼寝ができないのがつらいけど。





 ほら、今日も赤い自転車にのって、食パンを一枚ビニール袋に入れてやってきた。


 あの日から、食パンを一枚だけ持ってくるようになったんだ。オレと一緒に食べるためだ。食パンを食べながら奈々ちゃんは言うんだ。




「学校なら給食があるけど。学校には行ってないから。

もう、一か月休んでるの。だから、お昼は食べちゃダメなの。

でも、ワンちゃんと一緒だから、一枚だけならママにも分からないかなって思うの」




 食パン一枚で怒られるわけじゃないだろうけど、学校に行ってないことは、親にバレたらやっぱり気まずいだろうな。


 でも、学校から連絡が行ってるんじゃないのか?


 子供が一か月も学校に来なかったら、学校だって黙ってないだろう。


 まぁ、行ったことないから、よくわからないけど。




「ワンちゃん。パンを持ってきたよ」




 赤い自転車を止めると、俺のそばに座り込む。


 水筒も持ってきてるのは、学校で水筒を持たせるように手紙が来たかららしい。それで、毎朝ママが水筒を持たせてくれるようになったと言う。




「ワンちゃん……」




 奈々ちゃんは、オレを呼ぶと黙ってしまった。




(どうしたの?)




 オレは、奈々ちゃんの顔を見上げて、そう聞いた。


 いつもと同じように、届かぬ声を掛けた。




「え?」




 奈々ちゃんは、びっくりしたようにオレを見た。


 何を驚いているんだろう。




(何を驚いているの?)


「ワンちゃん、奈々ちゃんとお話しできるようになったの?」




 え?


 オレの方が、『え?』だよ。


 何を言っているんだ?




「そうかぁ。奈々ちゃんとお話しできるように、女神様が魔法をかけてくれたんだね」




 女神様がいるなら、そんな魔法より、くさりを外してくれ。




 オレは不思議なことがおきたなと思った。今まで、どれほど思っても、人間と話ができるなんてことはなかった。


 それが、奈々ちゃんとだけは話ができるんだ。


 オレは、ずっと聞きたかったことを少しずつ聞き始めた。




(奈々ちゃんは、学校へ行かないの?)


「うん……。行かない」


(なんで?)




 奈々ちゃんの首筋に汗が流れた。




(暑いんだね。水筒の水を飲んだら?)


「うん、でもこれを飲んじゃったら、後で何もなくなっちゃうから」


(なくなったら、庭の水道から入れたらいいよ。この家の人は誰もいないから)


「いないの? 奈々ちゃんちと同じだね。奈々ちゃんちも誰もいないよ」


(だから、安心して飲んで大丈夫だよ)




 そういうと、奈々ちゃんは水筒を手にして飲みだした。水筒の中から、からからと音がした。




(その中には、何が入っているの?)


「氷と水だよ。ワンちゃんも氷を入れてあげるね」



 

 水筒のキャップを開けて、不器用に氷を取り出そうとするが、うまくいかないらしい。その気持ちだけで十分涼しくなった。


 人間でも、犬にそれほどの優しさをくれる人がいるのだと思うと、犬も悪くないなと思えた。




(大丈夫だよ、奈々ちゃん。オレは慣れてるから)


「でもね、氷を入れたら冷たくなるの」


(奈々ちゃんの氷がなくなるから)


「いいよ」


(じゃぁ、こうしよう。奈々ちゃんが飲み終わって、残ったら一つだけ分けてくれ)


「うん、いいよ」



 奈々ちゃんはにっこりと笑った。


 オレは、風が通るところへと奈々ちゃんを移動させると、寝そべった。


 奈々ちゃんは、こっちの方が涼しいんだねと笑った。




(それで、さっきの話だけどね。学校はどうしていかないの?)


「行きたくないから」


(どうして、行きたくないの? 行けば、友達がいるでしょ? オレみたいに、鎖につながれてたら友達もで

きないけど。奈々ちゃんは自由なんだから)


「友達なんていないよ。学校へ行っても、友達なんていないの」


(どうしてかな……)


「わかんない。それに、学校に行くと嫌なことがたくさんおこるの」


(どんなこと?)


「あのね、靴の中に画びょうが入ってたりする。それで、教科書にマジックで読めないくらいに真っ黒にされたりする。それに、無視されたり……これって、イジメだよね」




 奈々ちゃんは、苦しそうに話してくれた。




(そうだな。それは、イジメだな)




 鎖につながれているオレは自由を知らない。


 自由になりたいと思う。


 けれど、自由のはずの奈々ちゃんは、自由であるために辛い思いをしているのか。




 オレは、今すぐにでも学校へ乗り込んで、奈々ちゃんに酷い事をしている子供に噛みつきたくなった。


 イジメを受ける気持ちがどれほどのものか、イジメている側には分からない。


 こうして繋がれていると、意味も分からず石を投げられたり、棒を振り回してくる子供がいる。怖いから唸れば、もっと酷い事をされる。噛みつけば、飼い主に迷惑がかかる。


 これがイジメでなくてなんになるだろう。


 それと同じことを、この子は毎日受けているのかと思うと、辛くなった。




(親はなんて言ってるんだ?)


「パパとママには言ってないよ。言ったらきっと、怒られるもん」


(でも、ずっとこのままってわけにはいかないだろう)


「うん……。でもね、ママが言うの。別に小学校に行かなかったからって、大したことじゃないって。小学校の勉強ぐらい、教えられるって」


(パパは?)


「パパは、学校は行かないとダメだっていうよ」


(そうか……)




 しばらく黙っていた。


 奈々ちゃんが何を考えて黙っているのか、オレには全く分からない。


 それでも、小さな頭で、まだ何年も生きていない少女が必死に何かを考えている。


 オレは目をつぶって、奈々ちゃんの次の言葉を待った。


 そろそろ、昼だなと思ったとき、少女は目に涙を浮かべて言った。




「学校はね、行こうと思えば頑張れるんだ」




 真っ赤な眼が、オレを見ていた。




「でもね、行きたくないのは、もっと嫌なことがあるからなの」




 小さな少女は、どれほどの苦しみと悩みを抱えているのか、涙が頬を流れ、鼻水が唇を濡らした。


 オレは、少女の涙を舐めてやった。できることなら、少女の苦しみを全部舐めつくしてしまいたかった。




 少女はケイタイを取り出すと、指を動かした。



 

「あのね、パパとママの喧嘩したときの写真なの」




 犬のオレに見せてきた写真には、皿が割れ見たこともないものが散乱していた。人間の家の中には、これほどまでにいろんなものがあるのかと、始めて知った。




「喧嘩するとね、最初は奈々ちゃんの勉強のことで喧嘩するの。でもね、どんどん声が大きくなって、ママがね……パパが捨てた犬のことを言うの。ママが大事にしてた犬を、パパが捨てたんだって。パパは、飼えなくなったから、会社の人にあげたって言ってたけど、ママはパパを許さないって言ってた。……その後は……奈々ちゃんには分からないことで喧嘩になるの。それで、こうやって物をなげるの……」


(すごいね。人間は……)


「どうしたらいいか分からないから、子供電話相談室に電話したの」


(なんだい、それは?)


「困ったことがあったときに、相談に乗ってくれる大人の人がいるところだよ」


(そんなものがあるんだ。犬の相談室はないかな)


「無理だよ。犬じゃ話できないし、電話かけられないでしょ」


(そりゃそうだ)




 わかっちゃいるが、このまま話を続けていたら、奈々ちゃんの心が壊れそうで、少しだけ話を変えたかった。


 そのおかげか、ちょっとだけ笑顔になった。




「電話したらね、大人の人が、喧嘩したら写真に撮って、警察に言いなさいって。子供の話だけじゃ警察は聞いてくれないから、ちゃんと写真を撮りなさいって言われたの」


(それがこの写真か)


「うん……」


(写真を撮って、警察に言ったの?)


「警察に言ったら……パパとママは捕まっちゃう。そしたら、奈々ちゃんは一人になっちゃう……」


(捕まるのか?)


「わかんないけど……警察は、悪い人を捕まえるところだから」


(奈々ちゃんの親は悪い人なのか?)


「悪い人じゃないよ!」


(じゃぁ、大丈夫だろう)


「……でも、捕まっちゃったら……」




 またしても泣き出してしまった。


 オレはちょっと焦った。まるで、オレが泣かせたみたいじゃないか。




(大丈夫だよ。捕まらないから)




 人間世界のことはオレには分からない。分からないけど、とりあえずそう言うしかないじゃないか。




(パパとママが大好きなんだね)


「ママは好き。でも、パパは嫌い。勉強しろってうるさいから」


(なるほどね)




 どうやら、勉強というヤツはつまらないものらしい。




「ねぇ、ワンちゃん。どうしたらいいの?」




 どうしたらって言われても……。




「ワンちゃんは、大人でしょ。どうしたらいいか分かるよね」




 犬としては大人だけど。人間はやったことがない。


 オレはじっと考えた。


 オレだったらどうだろう。




 オレだったら……。


 オレが人間だったら……。


 オレが奈々ちゃんの親だったら……。


 奈々ちゃんの涙を見たら……。




 奈々ちゃんは、黙りこんでしまったオレを哀しそうに見つめていた。


 オレは、目を閉じた。




 翌日も奈々ちゃんはやってきた。


 一度学校へ行ったふりをして、親が仕事へ行った頃に家に戻る。赤い自転車のカゴに、水筒と食パンを一枚、奈々ちゃんの大事にしているいくつかのおもちゃを入れてオレの元へやってくるのだ。



オレは、昨日の答えを奈々ちゃんに話して聞かせた。




(奈々ちゃん、パパとママに奈々ちゃんの本当の気持ちを話してごらん)




 奈々ちゃんは、ぼんやりとオレを見つめた。




(そうしたら、きっと分かってくれるよ。パパとママが喧嘩してることが辛いんだって、泣いても構わないから、本当の気持ちを話すんだよ)


「そうしたら、分かってくれるのかな」


(大丈夫だよ。奈々ちゃんを愛してくれてるんだから、水筒を持たせてくれてるんだ。その水筒がママの愛情だよ。だから、奈々ちゃんが本心を言えば、きっと分かってくれる)




 奈々ちゃんは、水筒を見つめた。




「うん……言ってみる。……でも、怒られたらどうしよう。もっと、喧嘩になったらどうしよう」


(大丈夫。ママの愛を信じて、パパだってママと同じように奈々ちゃんを愛してるんだよ)


「そうなのかな」


(話さなければ分からないだろ。奈々ちゃんは、言葉があるじゃないか。オレに話しているように、パパとママに言ってごらん)




 その日は、折り紙をしたり、絵をかいたりしながら時間をつぶし、一枚の食パンを分け合って食べた。時折、不安を口にしながら、夕暮れが来るまでオレのそばにいた。





 あれから三度夜がきた。


 奈々ちゃんの姿は現れなかった。


 一体どうしたのか、オレには知ることができない。


 誰かに聞きたくても、誰にも聞くことができないのだ。


 オレは忘れようと思った。少女が現れないのは、幸せを手にしたからに違いないと思ったからだ。


 もうひとりで、誰もいない昼間を過ごす必要がなくなったのだろう。


 オレは、少女の幸せな笑顔を思い描きながら、目を閉じた。




 遠くから自転車の音がした。


 あの音は、聞いたことがある。


 自転車の音と一緒に、カラカラと氷の揺れる音が聞こえたように思った。


 間もなく、自転車はオレの前で止まった。




「ワンちゃん!」



 

オレは目を開けた。


そこには奈々ちゃんが立っていた。


そうか、うまくはいかなかったのか。それにしては、奈々ちゃんの顔が晴れやかなのはどうしてだろう。




(やぁ)


「あのね、ワンちゃんの言うとおり、全部話したの。奈々ちゃんの気持ちを泣きながら話したの。そしたら、パパとママが分かってくれたよ。それでね、学校であったことも全部話したら、パパとママが学校に言ってくれて、今は毎日学校に行ってるんだよ」


(そうか、良かったね。それで、今日は何で学校へ行かないの?)


「今日は土曜日だよ。だから、お休みなの」


(そうか、それなら友達と遊ぶのかな?)




 奈々ちゃんは、顔を左右に振った。




「友達とは遊ばない。ワンちゃんと遊ぶの。だからね、折り紙を持ってきたんだよ。それと、ほら! ママに話したらね、持たせてくれたの!」




 奈々ちゃんが嬉しそうに見せてくれたそこには、ビニールに入った二枚の食パンがあった。


それが、オレと奈々ちゃん、ふたりで食べる昼飯だった。




                              fin


最後までお読みいただきありがとうございました。



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