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『イカロスの翼』

作者: 清村 聖樹


『若さとは常に自信と力に満ち溢れ、決して後ろを振り向か無いことである』



 昔々、ある所にダイダロスという細工の名工がいた。細工物に関して彼の右に出るものはおらず、武器や装飾品に至るまで彼の作る物に勝るものは無く、彼もそれを誉れとし多くの作品を世に残した。

 そんなある時、彼の噂はミノス王の元にも届き、彼の王の名により作り上げた迷宮は彼の稀代の傑作となった。

 王はその迷宮を攻略したものに褒美を取らすと触れを出し、多くの人間が迷宮に足を踏み入れたが攻略できる者は現れず、迷宮から生きて出てくる事は二度となかった。いつしか挑戦者はいなくなり、退屈した王は迷宮に怪物を放ち、その中に生贄と呼ばれる者たちを入れ哀れな彼らの悲鳴を楽しむという残虐な遊びに耽るようになった。

 そんな王の非道を知ったテセウスという青年は自ら生贄として迷宮へと入り、隠し持った剣で放たれた怪物を倒し、入り口から伸ばされた糸を辿り生贄たちを連れまんまと迷宮から逃げ果せたのだ。

 出し抜かれ怒った王はダイダロスを呼び出すと言った。

「余が何に腹を立てているか、そなたはわかるか!? あんな若造に侮られたは確かに腹立たしい! だが、それより腹立たしいのはこれだ!」

 王は怒りに任せダイダロスに何かを投げつけた。慌ててそれを見ると、そこには一振りの短剣と美しい織りの一本の糸だった。

「これが何か分かるか、ダイダロスよっ」

「は、はい……これは、若き日の私の作にございます」

 それはダイダロスがまだ名工と呼ばれる前の時代に創ったものだった。細工の精緻さは無いものの、短剣の刃は鋭く鉄は固く鍛えられ、糸も細い鉄を織り込み刃を使っても一太刀で断ち切るのは難しいほどの強度を誇っていた。

 その作品が今ここにある理由がダイダロスはすぐには理解できなかった。

 王は苦みばしった顔で怒りに任せ叫んだ。

「迷宮の怪物を屠り、あの若造を外へと誘ったのはどちらもそなたの作である。それが腹立たしいのだ! そなたの顔など二度と見たくもない、そなたを迷宮ともども葬り去ってくれよう」

「そ、そんなっ」

「この男を迷宮へ放り込め!」

「ミノス王っ」

 ダイダロスは兵士に引きずられ、短剣と糸、そして自分の助手をしていた息子のイカロスともども迷宮へ閉じ込められ、入り口はもちろん出口でさえもミノス王により破壊され名実ともに迷宮に囚われてしまったのだ。

 自分が創りだした物である、どこにどんな罠があり、どこが安全であるか、目を閉じていても分かる。だが同時に出口を壊された今、この迷宮からの脱出が不可能であることも痛いほど理解していた。

 絶望に打ちひしがれ蹲っているダイダロス、彼の息子だけが物珍しそうに迷宮を見て回っては、父さんこんな物があったよ、父さんこれなんだろう、と興味が尽きないようだった。

 閉じ込められてから数ヶ月が経つと物珍しげに歩き回っていたイカロスも落ち着いたのか、食料集め以外の時間は数少ない屋根の無い場所でぼんやりと空を眺めるようになっていた。

 そしてある日、イカロスは言った。

「父さん、ここから出よう」

 そう言ってイカロスが差し出したのは長い時間かけて集めた鳥の羽を蝋で固めて創った一対の翼だった。

「父さんは諦めてしまっていたのだろうけど、僕は違う」

 イカロスの真剣な眼差しにダイダロスはほんの少しの希望を見出し、息子の創った翼に頑丈な糸を編みこみちょっとの風では壊れないようにした。両の手に翼を持ったイカロスは、迷宮の中で一番高い木に登って翼を広げた。

「いいかイカロス、まっすぐに飛ぶんだ。下へ降りれば霧が邪魔をする、高く上がりすぎれば蝋が溶け出しお前は地に落ちる」

「大丈夫、わかってる。僕なら出来る、やってみせるよ!」

 そう言って空高く飛び立ったイカロス、同じ木の上で遠ざかる息子を見つめることしか出来ないダイダロス。

「……イカロスっ」

 まっすぐに飛んでいた。降りられる丘はすぐそこだった。

 ふと、イカロスが水面を見るとそこに移った光に目を奪われ、空を見上げるとそこには美しく力強い太陽が燦々と輝いていた。

「あぁ、なんと美しいのだろう」

 イカロスは誘われるように翼を羽ばたかせ空を昇っていった。

「何をする気だ? 戻れ、イカロス!」

「大丈夫だよ父さん、蝋が溶ける前に戻ればいいだけだ……大丈夫、僕なら出来るっ」


 “若さとは常に自信と力に満ち溢れ……”


「イカロスよせ! 戻れイカロス、聞こえないのか?! 蝋が溶け始めるぞイカロス、イカロス、イカロスゥゥウウウウ!!」


 “決して後ろを振り向かないことである”


「僕なら、大丈夫、出来るっ」


 蝋が溶け出し、羽根が一枚また一枚と剥がれ落ちていることにも気づかず太陽を追い続けるイカロス。ほんの一瞬でも後ろを振り返れば、避けられた事態だったかもしれない。だが、彼は振り向かなかった。

 組まれた糸から羽根が抜け落ちる


 ひらり ひらり


 太陽の光に照らされ舞い散るさまは美しく、逞しい青年の姿を相まってそれは一枚の絵のようだった。


 そして、最後の羽根がひらりと零れ落ち、青年は初めて自分の身に起きたことを知るだろう。自分が何に挑んでいたのかを……。


 “そして、『若さ』とは往々にして過ちを犯すものである”



「う、うわぁぁぁぁあああああああああああああ!!」

「イカロス!!!!」



 イカロスのさった後に残さたのは、一振りの短剣と息子を失った年老いた男だけだった。

 忘れ去られた迷宮はほんの少しだけ姿を変えた。ありとあらゆる場所にある彫像の数々、生まれたばかりの赤子、元気に走り回る小さな子ども、初めての作品を作って出来栄えにがっかりしている少年……そして、木の幹に刻まれ空高く舞い上がる雄々しい青年の姿、それは何も恐れず勇気に溢れた英雄のようなであった。木が伸び続ける限り青年は地に落ちることなく大空を飛び続けるだろう。

 ダイダロスは深い悲しみの中、短剣で石を砕き削り、思い出をなぞるように生涯息子の姿を型取り続けた。



 そして、これこそが名工ダイダロス稀代の傑作『Labyrinth』である。




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