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「人間というのは、逃げたら終わりですね。
私は、あの倒産時にも、“そんな馬鹿な!”という思いがあったんです。
経理の関係は、工場長の高瀬に任せていました。彼は、アメリカの大学も出ていましたし、経営学の博士号も持っていましたから、“彼に任せておけば絶対に大丈夫”だと信じていたんです。
それが、あの週の頭になって「どうしても金が足りない。銀行もこれ以上貸せないと言っている。社長の責任なのだから、何とか資金を手当てせよ」と高瀬から聞かされたときは、本当にびっくりしたんです。
私は、サラリーマン時代から、営業の仕事しか知りませんでした。
だからこそ、高瀬を招いたのですが、そこに互いに甘さが共存していたんですね。
私は彼に経理のことは任せた、と信じ、彼は彼で、どうしてもと頼まれてきたのだから、自分の守備範囲だけをしっかりとやっておけば良いだろう、経営の責任はあくまでも社長なのだから、との思いがあったようです。
そんな2人に、常に苦言を言ってくれたのが生田さんだったのです。
ですが、・・・・・私たち2人は、聞く耳を持ちませんでした。いえ、持てませんでした。
逃げてたんですね。現実から。
高瀬からその話を聞いて、初めて、自分で金策に行きました。
専務の高瀬が行ってダメでも、社長の私が行けば、銀行も何とかするだろう、そのように甘い考えを持っていました。
でも、現実は、そんなものじゃない。それが、そのことが、ようやくわかってきたのです。
それで、今まで、うるさいだけの存在だった生田さんに、最後の望みをかけてみようと思っていたのですが、それがなかなか言い出せませんでした。
また、こっぴどく叱られるという被害妄想があったんだと思います。
それを考えるだけで、廊下で擦れ違っても、声すら掛けられませんでした。
それまでにも、品質低下の原因は、営業時にとんでもない粗悪な材料で原価を計算して受注するからだとか、社員にやる気が起きないような低レベルの仕事ばかりを受注してきて・・・などと言われていましたから、本当に恐かったんです。生田さんのことが。」
江島は、ただ黙って耳を傾けていた。
それでも、それを語る小出の表情の動きにじっと目を凝らしていた。
そして、静かな口調で言う。
「私もね、生田作業長にしごかれた口ですよ。
言葉だけじゃなくて、手をあげられたこともあります。
でも、作業長には、会社や私に対する愛情のようなものがありました。
殴っておきながら、ご自分の目にも涙を溜める人でしたからね。」
小出は、ついに涙を堪えられなくなって、自分の袖で両目を拭う。
江島は、敢えて、ハンカチの1枚も出さなかった。
「それだけの思いをされた小出さんに、作業長は会社の再建を託したのですよ。
その意味を、よく考えてやってほしいんです。
作業長も、今の小出さんと同じ経験があるのですよ。現実から逃げ出したいという衝動に駆られたことが何度も。
でも、それをその都度、叱って、諭して、共に泣いてくれたのが先代の社長だったそうです。
だから、作業長は、あの会社があのような終わり方をしたときから、必ずや再建してみせるという強い意志があったんだと私は思っています。」
(つづく)




