(6)
約束の時間から少し遅れて、木原はやってきた。
きちんとスーツを着ている。
「気楽な間柄だと思うから、先に始めてたんだ。何だよ、えらく畏まった格好じゃないか?」
江島はそう声を掛けて、まずは・・とビールを差し出す。
「遅くなりまして、申し訳ありません。実は・・・」
木原は、そう言い掛けたのを止めて、コップでビールを受ける。
「どこか、面接でもあったのか?だったら、無理しなくて、断ってくれても良かったのに。」
江島は、本気でそう言った。
部下で、まだ再就職の先が見つからないのはこの木原だけだったから、面接の話だけでもあったのなら、そちらを最優先して欲しかったのだ。
「いえ、そんなんじゃないんです。・・・実は、家内の田舎へ身を寄せようかと。それで、急な話なんですが、お別れのご挨拶に。」
木原は、着慣れないスーツ姿をそのように説明した。
「・・・そうか、奥さんの実家にねぇ。・・・確か、和歌山で梅園をされていたんだったよな。」
江島が記憶を辿る。
「はい、・・・・もうこちらでは仕事もないようなので、悩みましたけれど、厄介になることにしました。今まで、家内には苦労ばかりかけていたんで、今度は実家の役に少しでも立てれば・・・と決心したんです。・・・いろいろとお世話になりまして、有難うございました。」
木原は、そう言って、頭を下げた。
「こちらこそ、随分と無理な仕事ばかりさせて、本当にすまなんだと思ってる。それに、再就職の力にもなれずに、本当に申し訳ないと思っている。」
「いえ、班長は皆のために凄い努力をされたと思います。下げたくない頭を二度も三度も下げられて。皆、感謝してますよ。社長は行方知れず、専務の工場長も会社の残務整理で手一杯。誰も、若い連中のことを考えてくれてませんでしたからね。それなのに、班長だけは、必死で走り回ってくださいました。本当に班長の部下でよかったです。それだけが、好い思い出です。」
「・・・・いゃあ、今回のことで、如何に自分に力がないのかってこと、よ〜く分ったよ。俺が仕事が出来ていたのは、皆のおかげさ。・・・・」
江島は、涙が出そうになった。
木原が、入り口の方に向って手招きをした。
「家内にも、今、班長のお宅へ伺って、奥様にご挨拶をさせました。班長にも一言ご挨拶をと、来させましたので。」
その言葉に引き寄せられるように、これまたスーツ姿の奥さんがやってきた。
「班長さんには、いつも主人がお世話になりまして・・・。有難うございました。」
と丁寧に挨拶をされる。
江島は、もう言葉が出なかった。一言でも何かを言えば、涙が溢れ出てくるような気がして、ただ黙って、頭を下げるだけになる。
「では、・・・明日の朝、こちらを立ちますので・・・・。向こうへ行って、少し落ち着きましたら、また改めてご挨拶に伺います。今日は、これで失礼を・・・。」
木原夫婦は、並ぶようにして頭を下げたあと、伝票を持ってそこを離れた。
普段なら、支払を部下にさせる江島ではなかったが、さすがにこのときだけは、もうそれを止める気力も失せていた。
身体が、鉛のように重たかった。
(つづく)




