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江島には、この店をやり始めてからのジンクスがあった。
最初の客がひとりで入ってきたときは、その日は客が多い。
別に統計をとっているものではないが、しばらく店をやっていると、そうした事実があることに気がついたのだ。
なぜなのか、どうしてなのかは、江島にも分らない。
ここを紹介してくれた居酒屋の店主などに言わせると、最初の客が団体であれば、その日は盛況だというから、店それぞれにジンクスがあるのだろうと思う。
それは、人生にだって同じことが言えるのだと江島は思っている。
店それぞれ、人それぞれ、である。
眞子姉さんは、ブランデーをお替りする。
「お店じゃ酔わないのに、マスターの前だと、すぐに顔が赤くなるのはどうしてなのかしら?」
江島がそれに答えようとしたとき、表のドアが少しだけ開いた。
ドアに取り付けたベルがチリリンと鳴った。
「いらっしゃいませ!」
江島は、カウンターからそう声をかける。
眞子姉さんもドアの方を見る。
どうやら店の中の雰囲気を探っていたようである。
きっと、初めて来た客なのであろう。
ようやくドアが静かに開けられて、その人物が顔を見せた。
入ってくる客を凝視していた江島は、「ん?どこかで見たような・・・」と感じた。
「ああ!・・・・・・・・・・・・・・どうぞ。」
ああ!の後に続く言葉を、江島は全て飲み込んだ。
そして、ようやくのことで「どうぞ」と言えた。
その江島の反応に、眞子姉さんが首をかしげる。
客は、ゆっくりと歩を進めて、黙ってカウンター席に座る。
ただ、眞子姉さんが座っている中央の席から遠く離れた、入り口にもっとも近い席である。
背丈は江島より少し高いぐらいだが、異常なほどに痩せた男だ。
よれよれのブルゾンに、下は薄汚れたジーンズである。
そして、これまたよれよれの帽子を深く被っている。
俗に言うサファリハット、つばの広いものだ。
こうしたショットバーというより、立ち飲み屋が似合いそうな雰囲気をしている。
江島がそっと近づいていく。
それに呼応するかのように、その客は立ち上がって深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。・・・・・・・・」
そして、頭を下げた状態で気がついたのか、慌てて帽子を取った。
その拍子に、白髪が混じった髪が力なくその頭から垂れ下がる。
「ようこそいらっしゃいましたね。」
「・・・・・・」
江島は、男が何かを言いかけたのを遮るように、
「バーボンですね。」
と言うなり、ストレートグラスを棚から下ろしてくる。
江島は一旦“シングル”だけをグラスに注いだあと、何を思ったか、さらに注いで結局は“ダブル”にする。
そして、チェイサーを準備して、客の前にコースターをふたつ並べて置いた。
(つづく)




