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その日から、おおよそ1ヶ月が過ぎたある日の夜。
江島は、ショットパー『スイッチ・バック』のカウンターに立っていた。
数日前から店を開けていたのだ。
7時を回った辺りから、ポツリポツリと客がやってくる。
今夜、最初にやってきたのは、同じビルの3Fにある高級クラブに勤めているお姉さまだった。
「マスター、おはようございます。」
眞子と呼ばれているそのお姉さまは、水商売用の挨拶をした。
江島にはよくは分からないのだが、西陣織だという着物を着ていた。
髪をアップにした襟足が、何ともいえない色っぽさを漂わせる日本美人である。
「いつも有難うございます。・・・・ところで、今日はおひとり?」
江島は、このお姉さまが同伴出勤をするときに、この店を待ち合わせ場所にしてくれていることを十二分に意識していた。
「うん、今日はね、私のお得意様の社長就任のお祝いパーティーがあってね、お付合いもあるし、顔を出していたの。まさか、そんな日には同伴出勤も頼めやしないしね。」
眞子姉さんはにっこりと笑いながら言った。
「ほう、それはおめでたい席に行っておられたんですね、どなたのお祝いだったんですか?」
江島はそんなことには関心は無かったものの、話の流れでそう訊ねる。
「御陵重工の片野専務さん、じゃあなかった、今度は片野社長さん。」
「えっ!・・・・そうなんですか?・・・・片野さん、社長になられたんですか。」
江島は思わず声に出してしまった。
「あら、片野さんをご存知なの?マスター。」
「いえ、お名前だけ・・・・・」
御陵重工では、生田作業長が開発した部品を使って、新型宇宙ステーション事業に乗り出していた。その責任者が片野専務だったのである。
その開発が成功し、アメリカの会社と共同受注が決まったと新聞に載っていた。その功績が、片野を社長へと押し上げたのだが、江島はそんなことにはまったく興味が無かったのだ。
「マスターも隅に置けない人ねぇ。1ヶ月もお店休んじゃって、一体どこのどなたさんと海外旅行に行かれてたの?」
眞子姉さんは、江島が店を休んだ理由を、そのように言って茶化した。
「そんなんだったら男冥利に尽きますが、あいにく、そんな色っぽいことじゃなかったんですよ。棚卸です。」
「棚卸?・・・・だったら、お店でやらなきゃ意味がないでしょうに。」
「人生の棚卸をやってたんですよ。陳腐化したものや、商品価値のなくなったものが一杯ありましてね。それを整理してたんです。」
江島は、そう言ってはぐらかした。
「それって、あちらこちらに男として整理しておかなきゃいけない女性がいたなんて事なのかしら?モテル男は辛いわね。」
眞子姉さんは、そう言って江島が出したブランデーを一口含んだ。
「身辺整理も無事に終わったみたいだし、たまにはさ、マスターと差し向かいってのも、乙じゃない?それとも私とじゃご不満かしら?」
何ともいえない艶っぽい目である。
「私のような不良オヤジを相手になさらなくとも、眞子さんには、素敵な方がおられるでしょうに。」
江島は、いつものようにさらりとかわしにかかる。
「あら、優良なオヤジさんなんて要らないの。不良だからこそ、愛したくなるものなのよ。」
眞子姉さんは、真面目な顔をしてそう言った。
(つづく)




