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その日の夕刻になって、明子がやってきた。
それも、玄関から入らずに、裏の勝手口から入ってきたらしい。
だから、江島は明子が来たことを知らなかった。
あれから、江島と木原は、図面を順番に捲っていって、そこに書かれた作業長の熱い思いをひとつひとつ感じながら、実際に製品を作るときの工程表をイメージしていた。
木原は相変わらず、その都度、気がついたことをノートにメモしている。
江島は、それぞれの加工に使う工作機器とその具体的な使い方などを考えながら読み取っていた。
だが、それでも、時折、その図面から目が逸れることがあった。
傍に置いた大き目の灰皿が次第に一杯になっていく。
「班長、少しお疲れなのじゃありませんか?この辺りは、私だけでも何とかやれますから、班長は少しお休みくださいよ。また、私の手に負えないところが出てきましたら、必ずご相談しますから。」
木原は、江島の態度に、何かしらの違和感を感じていたようである。
それを「疲れておられます」という言葉で言いたかったのだろう。
江島には、その木原の言葉がズキン!と響くところがあった。
午後の6時半を過ぎた頃になって、夕食の準備が出来たと咲江が声をかけてくる。
「ん?・・・・・そうか、もうそんな時間なんだ。」
江島は、この数時間が僅か30分程度にしか思えなかった。
「木原、今日はこの辺で置こう。また、明日だ。」
「はい。でも、この1枚だけで結合部が終わりますから、これだけはやってしまいます。班長は、先に行ってください。」
「・・・・・・・・・・そうか、・・・じゃあ、先に行くぞ。」
江島は、そう言い残して席を立った。
その後姿を見て、木原は首をかしげた。
「それはそうと、明子と海堂君からは連絡があったのか?何時ごろに来るんだ?」
そう声を掛けながら、食事が準備されていると思ったダイニングへ行く。
「なあ、何時ごろ来るのかって聞いてるんだけど・・・・・・・。」
その言葉は、台所に立っている咲江に投げたつもりだった。
「あらら・・・・。私、そんなにお母さんに似てる?」
台所に立っていたのは、明子であった。
笑いながら振り向いて、小さく舌をペロッと出す。
「何だ、明子、もう来てたのか。・・・えっ!いつの間に?」
「うふふふ・・・・。私は4時過ぎには来てたわよ。たまには、お母さんの手料理、お手伝いしたいじゃない?だから、早い目に来たのよ。」
如何にも嬉しそうに言う。
娘としては、母親と並んで台所に立つことが、そこまで嬉しいことなのだとでも言いたげである。
「お父さん、お食事は応接間に準備してますから・・・・。さっさと、手を洗って、席についててくださいな。」
後ろから、本物の咲江に叱られる。
「あっ!お父さん、うちの人ね、後30分ぐらいで来れるみたいよ。」
その声は、娘の明子ではなく、海堂卓也の妻としての言葉のように江島には聞こえた。
(つづく)




