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江島は、これから自分がどうすべきなのか、どうするのが作業長の遺志に沿うことになるのか、を考えていた。
その一方で、この12年間、俺は一体何をしてきたのだ、という自責の念もある。
男として、父親として、職人として・・・・・そのいずれからも、どこかで逃げていたのではないのか。
ましてや生田作業長の一番弟子と言われていたことへの驕りがあって、それから先に起こったいろいろな不都合にも、「こんな筈ではない」という思いだけで、自分を匿っていただけなのではなかったか。
今、こうして、この12年間にあったいろいろなことをあからさまに示されて、如何に自分が『現実からの逃避』を考えていたかが痛いほど分る。
恥ずかしいのだ。
その逃げていた時間が、一気にタイムスリップした。
そして、12年前の江島が帰ってきた。
それを引き戻したのが、娘の明子であり、作業長直筆の『遺言』である。
ここでやらなきゃ、男じゃない。人間じゃない。
江島は、そうはっきりと意識していた。
『俺でなければ出来ない仕事がここにある。必要とされているんだ。』
作業長が言ったという『秘密兵器』が、そのベールを脱ぐ時が来たのだ。
江島は、ビールのグラスから泡が少しずつ消えていくのをじっと眺めていた。
だが、頭の中ではそんな映像を捉えてはいない。
ただ、その泡が少しずつ消えていくのと並行するように、具体的な考えがひとつずつ仕上がっていく。
あれは、こう。これは、ああ。
いくつものことを、複合させて考えることが出来る江島であった。
33歳のとき、旋盤工の班長という立場になった。
今までは仲間だった人間を統制し、コントロールし、機能的に動かす能力が求められた。
正直言って、辛かった。
職人は、技術者は、自分の腕を磨きさえすれば・・・と思ってやってきていたから、そうした職能を求められることに違和感があった。
その時に、既に作業長となっていた生田が江島に、物事を一方からだけ見るのではなく、あらゆる角度から見ることを教えたのだ。
『それが出来るから班長になったのではない。それが出来るようになるために班長になったんだ。』
作業長はそう言ったのだ。
そんな江島の様子を明子は嬉しそうに眺めていた。
「会社勤めをしていたときのお父さんが好きよ。」
その言葉を繰り返しているような眼差しである。
明子にも、遠く離れていた父親が帰ってきてくれた瞬間なのである。
(つづく)




