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その店主が、以前の店のパンフレットを見せてくれた。
「こんな店なんですけれどね、まぁ、いわゆるショットバーって奴です。グラスで、1杯幾らっていう商売なんですけれど。」
「言ってくれるのは嬉しいけれど、俺なんか素人だし、第一、金も無い。やれって言うのが無理な話だよ。」
江島は、見ただけで引いてしまった。パンフレットも閉じてしまう。
「それがね、その店があるビルはね、このビルと同じオーナーさんなんですよ。そのオーナーさんから、どうだ、お前やらないかって、言われたんです。」
店主は引き下がらない。
「だったら、やれば?」
江島は、ヤケクソのように突き返す。
「私は無理ですよ。この店があるんで。・・・でもね、誰かがやってくれるのなら借りてもいいかな?なんて思ったりして。場所が良いもんで。駅前だし。」
「そいつをこの俺にやれって言うの?」
「う〜ん、江島さんなら、お任せ出来るとは思いますけれど、もう人に使われるのってお嫌でしょう?・・・・だから、いっそのこと、江島さんがおやりにならないかな?と思いましてね。」
江島は、その「人に使われるのは嫌」という言葉に異様に惹かれる自分がいることに気がつく。
「この不景気でしょう?後釜を探してるんだけど、なかなかいなくてねぇ。保証金も要らないから、月々の家賃さえ入れてくれれば・・・・。空けてても仕方が無いからって、オーナーさんが言うんです。」
店主は、江島の反応が良いことを見逃さなかった。
「でも、実際に店をやろうとしたら、やはり金が要るだろう?」
江島の関心はその一点に集中する。
「いえ、その点は殆ど心配要らないと思います。だから“居抜き”だと言ったでしょう?」
「その“居抜き”というのは?」
「店にある設備や商品がそのまま残っているって事です。つまり、明日からでも、店を開けようと思えばすぐに出来る状況なんですよ。このカウンターも、椅子も、それから後ろの棚に並んでいる酒類も、殆どこのパンフレットと同じ状態なんです。改めて、仕入れる必要もないんです。」
「だったら、それに掛かった金って、誰が負担したの?」
「それは、前の借主が入れていた保証金を充当していますから、心配はありませんよ。」
どうやら、当初の資金は殆ど無くてもできるようだ。
江島の心が、それで動いた。
「でもさ、俺みたいな素人でやれるのかなぁ?」
江島の心配事が、次のステップへと移動した。
「あははは・・・。あれだけ飲んできた人のお言葉とは思えませんなぁ。酒飲みの心理は、誰よりもよくご存知でしょう?・・・だったら、後は、ウイスキーやブランデーなどの銘柄をしっかりと覚えられたら、それで十分だと思いますよ。」
「簡単な料理ぐらいは出さないとダメなんじゃないのか?」
「ショットバーですから、チーズとか、ハムとか、フルーツとか。切って出せば済むもので構わないと思いますよ。そりゃ、勉強されるんだったら、うちでお教えしますけれど・・・。ほら、前の店のパンフレットに書いてあるメニューもそんな程度ですから、心配は要らないでしょう。」
一杯飲んでの勢いもあってか、江島はやる気になっていた。
(つづく)




