あの夏の向日葵
どこまでも続く青い空、不思議なほどに混じりけの無い白い雲。水田には空に向かって青々とした稲がツンと伸びている。
近くの空港から轟音とともに大型旅客機が飛び立っていく。その大きな機影はやがて大空に吸い込まれるように小さくなっていった。
どこからともなく吹いてきた涼しげな風が頬を撫で、稲を揺らしながら通り過ぎていく。
「ふう、今年も来たよ」
少女は、にこりと笑ってそう話しかける。彼女の目の前には、物言わない巨大な建造物がある。
ゆるくアーチを描いたトンネル型の建造物は、遠くから見れば一見、小さな丘にしか見えない。しかし、近づいてみれば分かる明らかな人工的な建物。
コンクリートで作られたその建物には、いくつものヒビが通っていたり、コンクリートの窪みから草が生えていたりする。
建てられてから60年以上もするこの建物からは、なんとも言えない重々しさと、風格が伝わってくる。
幅は20メートル、高さ5メートル程。ちょうど、お椀を半分に切って押しつぶしたようなその建物の中に、半透明な一機の航空機が鎮座している。
入り口は、その飛行機の一回りほど大きい形で切り抜かれた形をしている為、建物の中がよく見えた。
掩体壕。
それは、60年以上前、この国が戦争をしていた頃に建てられたものだ。
敵の攻撃から航空機を守る為に作られたいわば航空機のシェルターのようなものだった。その役目を果たして66年が経とうとする今まで、その健在な姿でこの地を見ている。その中に鎮座している半透明な航空機は、少女に気づいたのか、だんだんと鮮やかな深緑色に戻っていく。その色こそが彼が生きていた頃の色。
『今年もここに来たのかい?』
「もちろん」
『そうか。でも構わないのかい? 夏休みにここに帰省して来たというのに、こんな所に来て』
「だって、夏休みにしかここに来れないから」
少女は無垢な笑顔でそう答えた。
「今日は、花を持ってきたの」
『ほう、向日葵か。懐かしいな』
落ち着いた声は、少し微笑んでいるように思える。
「いいでしょ。夏らしくて」
『うん。太陽みたいで綺麗だね』
少女は掩体壕の中に入っていき、手ごろな石に腰掛ける。
「いつまでここにいるの?」
『そうだね。今日の夕方には帰ろうと思っている』
半透明な飛行機は静かにそう答えた。
『……帰るまでに。一つ昔話をするとしよう。せっかく君が向日葵を持ってきたんだ』
そして半透明な航空機はゆっくりと語りだした。
それは、彼が生きていた時代、この国が戦争をしていた頃の話。ある夏の出来事。
物資も人数も圧倒的に不利になってきた大戦末期。この国が負けるのも時間の問題となっていた。
軍の総司令部は、どうしてもこの戦争を終わらす訳にはいけなかった。そこで、彼らがとった行動は、爆弾を抱えた航空機を本土目前に迫っている敵艦隊に突っ込ませるという狂った作戦。
だがこの作戦を効果的に成功させる為には、はっきりと目で見て分かる数値的結果が欲しかった。
そのために、とある飛行場に白羽の矢が立つことになる。敵艦隊に一番近いその飛行場総司令部は、ある電報を打電する。
我ラ帝国軍ノ栄光ヲ担フ為、航空機100機ニテ敵艦ニ特攻シ、名誉アル死ヲ以ツテ敵艦隊ヲ滅却スベシ!
飛行場の司令部はすぐさま、航空機と乗員を招集して作戦会議を開く。だが、物量の少ないご時勢。まともな戦闘機を100機も用意するのは無理のある話だった。そこで、練習用の偵察機なども部隊編成に入れ、何とか特攻部隊を作り上げた。
その時の最新戦闘機は時速520km、打って変わって練習用の偵察機はせいぜい時速170kmしかでない。
勿論、若い者たちは鈍足の練習機に回される。
はっきり言って、この練習機で戦地に赴こうものなら、問答無用で敵の迎撃機の良い的になるだろう。
しかし、それでも若者たちは、仲間のために囮となって、死ねるのならそれは本望だ! と口をそろえて叫び、この狂った作戦に参加した。
若者の中にはまだ16歳というあまりにも若いパイロットもいたという。
『今じゃ考えられないことだね。君と同じ高校生ぐらいの子を、戦地に赴かせるんだ。しかも、最初で最後の実戦と言って、敵艦に特攻させる』
「残酷ね……」
少女は、悲しそうにうつむく。
『悲しいがそれが60年前は当たり前の世界だったんだ。こんな作戦を思いついた軍令部の奴らは、いつから未来ある少年をまるでモノのように扱えるほど、偉くなったんだろうね』
半透明な航空機を見つめるように少女は顔を上げる。
「貴方はそのときに死んでしまったの?」
『ああ。僕はその時の特攻作戦でね。さて、話が逸れてしまった。では続きを話すとしようか……』
特攻作戦は部隊が召集された7日後に決まった。
この1週間を利用して、各々の隊員は実家に帰省するものが多かった。だがその中で飛行場に残るものもいたという。浜島悠斗もそうした一人だった。
自由な時間をすごせる最期の1日を、まだ18歳の少年は自分と特攻をともにする航空機を掩体壕の前で綺麗に掃除していた。
「よし。これで綺麗になったぞ」
悠斗は満足そうに頷きながら、雑巾を絞ってバケツの中の水に浸ける。
まともに掃除されることの少ない旧式戦闘機を久しぶりに洗うことが出来た。黒々としたススや汚れが取り除かれて、機体は西日で綺麗に輝いていた。
作られた当時の鮮やかな深緑色に戻った航空機を見て少年はニカッと笑う。
この旧式戦闘機は練習用の偵察機よりも優れているといっても、敵の最新型戦闘機と比べたら圧倒的に劣る。
だが、自分が入隊した時から乗っているこの戦闘機にはとても愛着がわいていた。最近は、空襲や訓練でまともに掃除してやることが出来なかったが、最期の大仕事の前に掃除が出来て本当によかったと思う。
肩をコキコキと鳴らしながら背伸びをした後、掩体壕の中に掃除道具を戻す。
その時ふと、入り口から見える広大な空に目をやった。そこからは、飛行機型に切り取られた赤い夕焼け空は手を伸ばせば簡単に届きそうなところにある。
「明日でおさらばか……」
海に暮れ行く太陽を見ると、ポッカリと心に穴が開いたような喪失感が急に自分を締め付けてくる。
今まで国のために死ねること光栄だと思っていたはずなのに、それが迫ると死に対する怯えが自分を支配してくるようになった。
何かをしていないと自分が自分で無くなるような気がしてならない。
「ハハハ、こんなんじゃ、ダメだな……」
思わずそんな言葉が漏れてしまっていた。
夏の夕焼けを見ただけで、自分の信念が揺れているなんて情けない。これでは、先にこの世を去った親や友人たちに合わせる顔がない。
ふぅと大きく息を吐いて胸いっぱいに夕暮れの空気を吸い込む。
「悠斗?」
ふとそんな声が、掩体壕の外から聞こえてきた。
「か、風音!?」
いきなり目の前に現れた幼馴染の姿に思わずズッコけそうになる。
「何でオマエがここにいるんだ!?」
「沢城さんに悠斗に会いたいってお願いしたら入れてもらえたの」
「沢城少尉か!」
「うん、今日だけなら特別にだって」
全く、沢城少尉には借りばかり作っていると頭を抱えたくなる。あの人は、軍人にしては優しすぎる。自分だって、明日特攻に参加するのに、奥さんと子どもさんに会うために2日しか帰っていない。後の5日は、残った隊員たち一人一人に会って心のケアをしている。
昨日の夜、沢城少尉が俺の部屋に来て、たわいもない世間話をした後、あの人はこう言った。
『若い君たちを、大人の身勝手な戦争に巻き込んでしまったことに私は心から悔やんでいる。本当にすまない』
少尉が一介の練習生に頭を下げて謝っているとは、こちらも慌ててしまう。
その後、沢城少尉は、一欠けらチョコレートを俺に渡してくれた。この時代で、チョコレートなんて俺の給料でもちょっとしか買えない。
これを全員に配って回ったとすれば、今回の特攻のために与えられた特別手当てのほとんどを使ったに違いない。
そう思うと、すぐその場では食べられなかった。そのままチョコレートは食べずに戦闘機のコックピットにしまっていた。
「風音。掩体壕の上に行こう!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! 悠斗!!」
俺は、コックピットにしまっていたチョコレートを取り出すと、風音の手を引き、かまぼこ型をした掩体壕の上に上がって行く。
掩体壕の頂上からは整備された滑走路と広大な大海原が見える。
潮の香りがほのかに漂ってきて、遠くではヒグラシがカナカナと鳴き声が聞こえてくる。
「綺麗ね……」
俺の隣に立つ、風音。その長い黒髪が風になびかないように、紅く染まった空と海を微笑みながら眺めている。
俺は、その姿に見とれてしまった。
「どうしたの? ボーっと突っ立って」
「ん? ああ、悪い悪い。でも、ここからの景色、いいだろ?」
「そうね。この国が戦争しているなんてウソみたい」
風音の視線の向こうには、どこまでも広がっていそうな大海原が広がっている。
「いつか……。いつか平和な世界が訪れるさ」
「だといいわね」
けっして否定はせず、優しげに彼女は微笑む。
「下の飛行機は悠斗の?」
「そう。アイツで明日の作戦に参加する」
眼下の慣れ親しんだ戦闘機に視線を向ける。この部隊に入隊して1年半、大きな空戦には参加したことは無いが、アイツでそれなりの死線を乗り越えてきた。
今では誰よりもアイツの事を知っていると自負している。
故に、敵の戦闘機との明らかな生の憂さにも気づいている。
敵から見れば、取るに足らない的と同じだろう。
悔しいが、それが現在の戦況だ。
「ふう……」
どうしようもないため息が口からあふれ出してきてしまう。
「ずいぶん弱気ね」
俺の視線と表情で内心を読み取ったかのような言葉を風音が投げかけてきた。
「ん? そんなこと無いぞ」
「ウソね。見くびらないで欲しいわね。これでも13年も幼なじみやっているのよ」
どうやらさっきの言葉は、偶然ではなかったようだ。彼女は俺が思っている以上に俺の事をちゃんと見ていたのだ。
「……正直さ。死ぬのが怖いんだ」
「人間だもの、当たり前よ。私だって、死ぬのは怖いわ。でも、私は自分と同じ感情を供してきた仲間が私たちを残して消えていってしまうことも同じくらい怖い」
「風音……」
そうだ。気づけば苦楽をともに過ごしてきた友人たちのほとんどが、もうこの世にはいない。そして、俺も彼らと同じように友人を残して先に逝くのだ。
「悪い……」
「ううん。悠斗は悪くないよ」
特攻隊の隊員は建前は志願兵となっているが、実質半強制的なものだ。いや、正確には逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出せる。
だが、それでは先に逝った友人たちに示しがつかないのも事実だ。
「ねぇ、悠斗。人間って笑うことが出来る唯一の動物なんだって。そして、同時に笑うことを理解して、共有することが出来る唯一の存在なんだって。だからさ、笑えるときに笑っとかないと損だと思わない?」
こちらに振り返って風音はニッコリと笑った。
「……そうだな」
俺はポケットから銀紙に包まれたチョコレートを取り出し、半分に折る。
「チョコ。一緒に食べようぜ」
「いいの? それ高いんでしょ?」
「いいんだ。それに、1人で食べるには量が多いからな」
「そういえば悠斗、甘すぎるの苦手だもんね」
「うるせい!」
そう言って、俺と風音は互いに笑い合いながら、一欠けらのチョコレートを食べた。
甘いチョコレートの味が口いっぱいに広がり、自然と元気がわいてくる。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていくもので、気づけば空には満天の星が敷き詰められていた。
寝転がって、夜空を眺めていた風音が、ふと口を開く。
「悠斗には感謝しても感謝仕切れないほど恩を持たせちゃったわね」
彼女は立ち上がり、俺に背を向け頬をぬぐう。
「……さて、夜も遅くなったし、帰るわね」
「あ、ああ。気をつけて帰れよ。間違っても、田んぼに落ちるなよ!」
「落ちないわよ! バカ!」
「じゃあな」
「うん、じゃあね」
彼女は、夜の飛行場を横切るように家に帰っていく。彼女が見えなくなるまで、その姿を目で追っていた俺の胸の中には、夕焼け空を見た時の喪失感など、いつの間にかにどこかに消えていた。
翌日、長時間の夜間飛行のために俺は昼間から自分のベッドで寝ていた。夕暮れが近くなってきた頃、ベッドから這いずりでて、やけに豪勢な最期の晩餐をゆっくりと食べた。
飛行場に出たときには、空に一番星が見えているような時間帯だった。
戦闘服に着替え、出撃前の式典にでる。そこで、別れの水杯を飲む。隊員の顔は皆笑顔で、笑って会話している。
とうとう、来るときがやってきた。滑走路に入り離陸準備をしていく航空機たち。
鈍足な練習機から飛行場を飛び立っていく。次は、自分たち旧式戦闘機の順番だ。俺は、自分の戦闘機に飛び乗り、計器の最終チェックをする。
「あれ……」
操縦桿の横に1輪の向日葵が置かれていたのだ。
「オマエの彼女が渡してくれってさ」
整備員がニヤニヤしながら俺に向っては話しかけてきた。
「ふっ……。アイツらしいな」
「悠斗! ひと暴れして来い」
整備員は俺に向って親指を立てる。
「ああ! 勿論だ!」
俺はそう答えて、再び計器のチェックに戻る。エンジンの起動準備はすでに済んでいる。
「前離れ、スイッチオフ、イナーシャまわせ」
整備員にそう言って、主スイッチが『断』になっている事を確認する。次第に慣性気動機の回転音が早くなっていくのを耳で確かめる。
ここか訓練で何度もやっている為、体に染み付いているので勝手に体が動く。
「よしここだ! コンタクト!」
主スイッチをいれ、座席右前方にある引手を引く。プロペラがギリギリと回りだすのを確認した後、スロットルレバーを押し込みプラグの点火を待つ。
轟音とともにエンジンに灯がともる。
動力計、油圧計を確かめ、暖気させる。他の航空機と一緒に滑走路に入っていく。
操縦桿を握る手が少し震えてしまう。これは、恐怖に対する振るえなのか武者震いなのか、今の俺には分からない。
徐々に速度を上げていきそっと操縦桿を引く。すると、機体がゆっくりと持ち上がり、だんだんと地面から離れていく。
主脚をしまい、高度をあげていく。離れ行く飛行場を見つめるがそこに風音の姿は見えない。
そうだよな。夜間出撃だし無理も無い。
岬を迂回するように機体を向ける、右に傾きながら機体は旋回していく。
「なっ!」
俺は、驚いた。岬の灯台で手を振る人影があったからだ。
「風音!」
俺は、手を振る幼馴染をコックピットから凝視する。
エンジン音で何を言っているか分からないが、俺は別れの挨拶に機体を大きく横に振った
「……行ってくる」
そう呟いて、スロットルレバーを押し込んだ。速度がぐんぐん上がっていき、岬の灯台が豆粒みたいに小さくなっていく。
本当に、お別れだ。俺は、計器に目を戻し、操縦することに意識を傾けていった。
作戦空域までは、個々の判断でルートを選ぶことになっている。俺は、遠回りの左廻り、右廻りは避け、直進ルートをとることにした。
敵に見つかる可能性は高いが、燃料が節約できる。ここで、節約した燃料を使って、作戦空域で派手に飛び回る予定にしている。
薄い月明かりと計器を元に進路を南にとる。途中で見える島の影を目印にして作戦空域に近づいていく。
目的の作戦空域まであと少しとなった頃だった。俺の戦闘機に寄り添うように1機の戦闘機が現れた。
『悠斗。聞こえているか?』
無線越しに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「沢城少尉! はい、ばっちりと聞こえていますよ!」
『そうか、それは良かった。お節介だが、風音ちゃんとの別れは済ませたか?』
「はい。向日葵を貰いました」
『向日葵か。花言葉は確か、「貴方のことだけを見つめています」だったな。悠斗。大切にしろよ……』
「はい!」
そこで無線が途切れ、沢城少尉の機体が雲の切れ間に消えて行った。
「花言葉か」
俺は、少し笑ってしまった。
まるで花言葉が、俺の背負っていた重い荷物をそっと下ろしてくれた気がした。
「やってやるさ……」
決意を胸に、戦闘機を南の水平線に向って飛ばした。
ここからは、敵のレーダー網をかいくぐる為に海面50メートルの位置で飛行する。
飛行場を出て、三時間。俺の視界に一機の航空機が眼に入った。
「ちっ! 敵機!」
俺はフットバーを蹴り飛ばすようにして機体を横滑りさせる。
目の前から一気に詰め寄ってきたのは、敵の最新型戦闘。その両翼に着いている機関銃が火を噴く。
こっちの行動が紙一重で早かったため、何とか敵の初撃を切り抜いた。すぐそばを敵機が通り過ぎてゆく。
後ろに回りこまれたらマズイ。
操縦桿を起こして高度を上げる。高度が上がるとともに、遠くの様子がよく見えた。水平線が真っ赤に燃えるように輝いている。
どうやら誰かが特攻に成功し、早くも敵に甚大な被害を与えているらしい。
後ろを瞬時に確認し、俺は逃げの一手を打つ、赤い輝きに向って航空機を飛ばす。最高速でかなり劣る旧式戦闘機で逃げ切れるわけでもなく。すぐに敵機が追いついてくる。
激しく機体を振って、敵の射線に機体が入らないようにする。すぐ横を敵の銃弾が駆け抜けていく。
「負けられるか!」
高高度から一転、一気に高度を落とし海面に突っ込むように機体を垂直にさせる。勿論敵も負けじと、俺に喰らいついて来る。
高度計が恐ろしいスピードでぐるぐると回り、速度計はどんどんその針を上げていく。重力を味方に入れた未体験の速度に機体がギシギシと軋む。
海面まであと少しとなった所で、操縦桿をめいいっぱい引き機首を起こす。海面スレスレを俺の戦闘機が駆けていく。
海面ギリギリを飛ぶ航空機を撃ち落すには、自分も海面ギリギリまで進入ないといけないため、相手も直ぐには攻撃してこない。
そうしているうちに、赤い輝きはグングン近くなっていく。
「敵の駆逐艦!」
大きな傾斜をつけ、全長120メートル近くある駆逐艦が海に飲まれている。
「くっ!」
近くを航行していた巡洋艦の対空砲火がこちらを狙ってきた。海面にいくつもの水柱が立つ。前から対空砲火、後ろから戦闘機の機関銃。逃げ道を失っていた。
フットバーを小刻みにけって、右に左にと機体を横滑りさせ敵の銃弾を避ける。
それでも、後ろの戦闘機の機関銃の弾の数発が羽根に穴を開けていく。機体がガタガタと振るえ、燃料計の針が急速に下がり始めた。
「燃料タンクがやられたか!」
この速度なら持って後2、3分。だがこの程度で済んだのは奇跡だった。おかげで、コッチは。両脇に抱えた250kg爆弾を爆破されずにすんだんだから。
機首を上げ爆弾の投下スイッチを押す。涙滴型の爆弾を切り離す。
2個のうち、1個は水中に消えたが、もう一発は巡洋艦の横っ腹にぶち当たってその威力を遺憾なく発揮した。
凄まじい水柱が立ちこみ、巡洋艦のスピードが明らかに低下した。
だが、喜ぶのもつかの間だった。
もうこの時点で、俺の戦闘機は無防備な機体を敵戦闘機の目の前にその体をさらしていたのだ。
俺が、操縦桿を倒すのよりも先に敵の機銃が火を噴く。
凄まじい爆音とともに、見る見るうちに機体に穴が開いていく。頭上を飛び去った弾丸で風防のガラスが飛び散る。
その数個が俺の体を切りつけて、鮮血を散らす。
「くそおおお!」
計器類が異常を指し示し、どれもつかえなくなる。
右の羽根の燃料タンクから火が噴出している。操縦桿が満足に言うことを聞かない。そうしている間に機体が勝手に傾いていく。
海面近くで、なんとか機体を立て直し、巡洋艦の左舷から突っ込む。
この瞬間に俺の頭の中を駆け巡ったのは、彼女の笑顔だった。
……風音。
別れ際に俺には感謝しきれない恩があるっていたけど、俺だって、オマエに貰った恩は到底返しきれないほどあるんだ。
本当に、ありがとう。風音。
次の瞬間、目の前が真っ白になり、まるで太陽に突っ込んだかのような強烈な閃光が辺りを包んだ……。
実験特攻作戦報告書
混合特攻隊。述ベ100機ノ内、89機ガ南ノ海ニテ散ル。内、7機ガ故障ノ為出撃ヲ断念。
残リ3機ハ、戦闘空域ニテ不時着、敵軍ノ捕虜トナル
敵艦隊ノ損傷状況 大型巡洋1隻沈没、1隻大破、後ニ自沈
駆逐艦4隻沈没
敵航空部隊6機墜落
結果
100機ノ特攻機デノ特攻作戦ノ効果ハ予想ヲ下回ル可能性ガ高イ。更ナル戦法ノ変更ガ必要デアル。
『この話はここで終わりだ……』
ふぅと半透明な旧式戦闘機はため息をついた。
「そんな。じゃあ、悠斗さんは……」
『この時、僕と一緒に南の海に散ったよ』
「こんな、悲しい話があったなんて」
『そうだね。ここで終わればこの物語は悲しい物語だね。さて、そろそろ彼女が来るはずだ』
「えっ?」
少女が首をかしげたのとほぼ同時に1人の人影が、掩体壕の中に入ってきた。
『やぁ、久しぶりだね。風音さん』
半透明な旧式戦闘機は少し嬉しそうにそう呟いた。
『そうね。あの日以来だから、66年ぶりね』
長い黒髪を揺らし、半透明な少女は答えた。
「貴方が、風音さん……?」
『あら、昔話を聞いちゃったの? 恥ずかしいわね』
テレ気味に半透明な少女はにこやかに微笑んだ。
「はい。悲しい恋話ですね……」
『そうかしら?』
『おっ、来た来た』
「えっ!!」
掩体壕から見える水田のあちらこちらに様々な航空機が現れていた。赤い二枚羽根飛行機、プロペラが後ろに取り付いた戦闘機、エンジンを2つ着けている、双発機。そして、その中から1人の少年がこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
『悠斗。相変わらず、遅れて来るのね』
そうクスッと微笑む風音。
『悪いな。俺は時間に縛られない男なんだ』
半透明な少年はそうニカッと笑った。
『さあ、行こう!』
半透明な旧式戦闘機がそう号令をかけると、次々と航空機たちが空に向かって飛び立っていく。
『俺たちも行こうか』
『そうね』
『これがこの物語の本当のラストだ!』
半透明な旧式戦闘機に、半透明な少年と少女が乗り込む。
『さようなら!』
命が引き返したかのように半透明なものたちに色が着いていく。
やがて、たくましいエンジン音とともに鮮やかな深緑色の戦闘機は加速していく。 そして、ゆっくりと地面を離れ、空に吸い込まれていった。
広大な空に向かって旅立った、数々の航空機たち。きっと、それ悲劇の特攻への出撃ではなく、永遠に続く楽しい旅なのだろう。
「航空機さん。本当に良い昔話でしたよ!!」
掩体壕に残された少女は、向日葵を片手に夏の入道雲に向ってそう叫んだ。
*********完********
掩体壕とは……
掩体壕とは、航空機を敵の攻撃から守るために戦時中に建てられた格納庫です。
そして、戦後66年経った今でも、高知竜馬空港の西側には7つの掩体壕が当時の姿のまま残っています。
掩体壕の光景は、戦争という歴史的事実を今に伝えるひとつの記念碑として、水田の中で異様な存在感で、平和の尊さをしっかりと教えています。
どうも夏川四季です。
今回、高知県の高知竜馬空港の近隣に存在する掩体壕の話を書かさせていただきました。
夏川自身、戦争がどれほど悲惨だったのかは、知りません。今では、メディアを通して戦時中のことを知ることが出来ますが、その時代に住んでいた人々の価値観というものは、知ることが出来ません。
そんな素人が書いた小説ですが、皆様に何かを伝えることが出来たなら幸いです。