薄っぺらいプライド
家庭に恵まれず、大人への不信感を抱き世の中でうまく生きることができない少年と、家庭に恵まれず自信を失い引きこもりになった少年が、どう生きる道を進むか。
行くあてもなく、河原に腰を下ろして、もうどれくらい経つだろう。
何時間もただ、雲を眺めていた。
何の予定もない。
河原上の道を談笑しながら歩く親子、キャッチボールをする子供たち、誰もここに俺がいることなど気にも留めない。
季節は暖かくなり始め、晴れている今、日差しの下はまだ暖かいが、時折川から吹き上げる風はまだ冷たい。このまま夜をここで過ごそうものなら、寒さに震え凍えることだろう。
酒を飲んで寝てしまえば、このままここで眠り、朝まで寒さに目を覚ますこともなく、楽になれるだろうか。
時間だけは、むなしいほどにいくらでもある。
先に夢もなければ、やりたいものもなく、恐ろしく孤独な時間だけが流れる。
いま、自分の中にあるものは社会に対する不満なのだろうか、それとも、社会の中で思い知った自分の無力さに対する嘆きなのか、すべてを否定し、誰ともわかちあうことなく、孤独に打ちのめされ、空虚に押し潰され、だからと言って、先を考える知恵などない。
家を出たころは、何の根拠もなく自分がビックになると信じていた。何の能力もないのに。
いっそのこと廃人になれたらどれ程楽だろう。邪魔なプライド、そして、醜いほどの心の貧しさ。
「世の中みんなバカばかり。」
と、思えた頃はまだ楽だった。世間の広さを知らないで粋がっていられた。
このところはいつも昔を思い出していた。
そして、たどり着くのはいまの自分。
「あの時」
と、思うことはない。
選択を誤って今に至っているわけじゃない。ただ、何もしなかった。俺に根性がないことを思い知るだけだ。
もう一度生まれ変わっても俺の人生、そう変わったものではないだろう。気長に人生を説いてくれる人間に小学生ぐらいに出会っていたら少しは変わっていたかな。
選ぶ余地などなかった。少なくとも、中学を卒業するまでは、その後のこともすべて、周りが悪かったと考えよう、自分をこれ以上みじめに思わないためにも、そう思いながらもまた、過去を振り返る。
小さな頃―
小学校四年生までのことは、断片的にしか覚えていない。
いつも、家の中ではいさかいが絶えなかった。
「お父さんとこうなるのは、あんたのせい、あんたがいるせいで・・・。」
夫婦げんかの末、母親の矛先は決まって俺に向かう、その金切り声を思い出すだけで、ガラスにつめを立てる音を聞くように、頭の中に不快が走る。
俺とは関係のないところで両親の夫婦喧嘩が起こっても、必ずとばっちりはやってくる。父親は俺を見るだけで腹が立つのだろう。ただ座っているだけの俺に父親のこぶしが向かって来る。何度も何度も、鈍い音、次第に目の前に、黒いインクが落とされていくよう、ポツポツと視界に黒い影が広がり、真っ暗になっていく。その痛みを覚えてはいないが、そのときに口の中に感じた血の味、布団に染み付いた血痕、翌日の朝は食パンをかじろうとしても、食パンの厚みも口が開かなかったことはよく覚えている。
母親が父親の暴力から俺を守ろうとしたことはなかった。
父親に殴られた翌日は必ずあごが腫れ、目はかすみ、昼頃になると耳鳴りにも襲われる。そういう状況のときはいつも、自分の部屋で布団をかぶりじっとして過ごしていた。何かを訴えても、
「あんたが悪いからだ。」
と、言われることがわかっていたからだ。
殴られたあごがうずき、氷で冷やそうとしても
「大げさにしやがって。」
と、言われてしまいだ。
両親は、俺が動けば腹を立てるだけ、痛みがおさまらなくても、鼻血が止まらなくても、俺は布団の中で息を潜めていた。
まだ子供だった俺は、ただ耐えることしかできなかった。
明らかに、近所の人間は気づいていたはずだ。庭もなくひしめきあって家が立ち並ぶ町内の一画の様子は、覗き込まなくてもうかがいしれる。当たらず障らずが近所付き合いというものなのだろう。噂話はしていただろうが、俺が顔を腫らしているとき近所の大人たちは、見て見ない振りをしていた。
そんな中で、俺の目の様子がおかしいと気づいた小学校の教師が母親に連絡をしたことがあった。教師が母親に連絡をしなければ、眼科医に連れて行かれることもなかっただろう。世間体が大事なのだ。
診察の結果、昨夜の父親の気が遠くなるまで続いた俺への顔面パンチが原因で、網膜が剥がれかかり、失明の危険があることがわかった。母親は、眼科医にも、教師にも
「友達と遊んでいるときに、ボールをぶつけたみたいです。」
と、説明した。しばらくは、白目の部分に血の赤い塊が色濃く浮かび、眼帯をつけて過ごした。眼科では、三日後に来るように言われたが、再び眼科医に行くことはなかった。両親が俺の目を心配することはなく、俺は痛みが早く消えるように眼科医にもらった目薬を決められた時間になくなるまで点し続けた。
なぜだかわからないが、父親の暴力を外で口にしたことはなかった。
小さな頃から、母親が俺のあざなどを他人に聞かれると
「ちょっと、転んでね。」
などと言っていたせいか、他人に言うことではないと思い込んでいた。
近所に住む叔母は、俺が父親にひどく殴られていることは知っていたが、母親が、
「この子が反抗的だから。」
と、父親をかばっていたから叔母は、
「お父さんの言うことをちゃんときかなきゃだめよ。お母さんを悲しませちゃいけない。」
と、母親を心配していつも俺を諭していた。
母親は、外では悲劇のヒロインだ。暴力的な夫と、生意気な息子、それを泣きながら回りの人間に訴える。
もし俺が、父親の暴力を誰かに訴えたとしても、俺の言うことより、世の中の人間は母親の言うことを信じて、俺を救ってくれることはないだろう。
誰に訴えても結局は、俺が悪者になって終わるとしか考えられなかった。万が一、俺がアザだらけの顔で警察に駆け込んで、俺の言い分を警察が信じてくれたとしても、父親が警察に捕まることになれば、専業主婦である母親に収入はなく、生活をしていくあてもない。
母親はまた、
「あんたのせいで。」
と、俺を恨むだろう。
何の知識もない子供の俺はただ、あの家で大きくなることを待つしかないのだと思っていた。
それでも俺は、
「親の気持ちは、大人になってから初めてわかる。」
という、よく耳にする世間の言葉を信じて、俺は子供だから親の怒る気持ちが理解できないでいるのではないかと思ったこともあった。
子供の俺は、そんな状態の中でも親に甘えたい気持ちがあって、いい子に変わろうと努力したことだってあった。しかし、その努力が報われることはなく、褒めてもらいたくて家の手伝いをしても、やり方が悪いと親を怒らせることしかできなかった。
夏休みは行き場がなく、よく朝から知らない山道を突き進んで遠出をした。
そして、夕方になると自分の方向感覚だけを頼りに家を目指すという探検ごっこ、家の近くの景色が見え始めると、家並みや住んでいる人の姿、格好は同じでも、ここはもう一つ別の世界かもしれないと期待したが、それはいつもはかない夢で終わる。
「親に叩かれたことがない。」
と、言うクラスメートをうらやましいと思うことはなく、ただ信じられなかった。
親は子供に手をあげるものだと思っていた。
自分の親を本当の親じゃないのかもしれないと思い、いつか本当の親が現れて俺を引き取ってくれるという、ありもしない期待ももっていた。
小学5、6年生のあたりから、徐々に両親を見る目が変わっていった。
月々千円のお小遣いで、毎月380円のマンガ雑誌を買うことが楽しみだった。そのマンガの発売日には毎月、学校が終わると急いで家に戻って、小遣いを持って、片道20分かかるコンビニまで走って行って走って帰る。自分の好きなマンガの続きだけ読んでから宿題にとりかかるのは毎月の恒例だった。
しかしある月は、マンガを買って家に戻ると、昨晩の夫婦喧嘩の苛立ちを引きずっている母親が目の前に立ちふさがり、
「宿題もしないで、マンガなんか買いに行って、」
と、いきなり俺に怒りをぶつけてきた。
俺は仕方なく机に座り、宿題のプリントを机の上に広げるが、好きなマンガの続きが気になり、少しだけ、と机の下にマンガを広げたその瞬間、いつの間にか背後にしのんでいた母親が、すごい剣幕でマンガを取り上げびりびりに引き裂いた。
毎月の俺の唯一の楽しみが、一瞬で消えた。
どうしても、こっそりマンガを見ようとした自分だけが悪いとは思えなかったが、ただ悲しかった。
ある時は、いつも楽しみにしている平日夕方5時半から始まるテレビアニメを消されたことがあった。いつもは、5時半までに宿題を済ませ、5時半からアニメを見て、夕飯は6時からだった。なぜかその日は、5時半から御飯を食べろと言われた。アニメを見たくて、テレビから離れない俺に腹を立てた母親はテレビを消し、俺の食事を下げた。その夜は何も食べずに過ごし、それからしばらくは、テレビを見せてもらえなかった。
俺を見るだけで両親が苛立つこともあったから、なるべく自分の部屋で過ごすようにしていた。何の音もない静かな部屋で、長い夜が続く。時折、テレビを見て笑う両親の声が聞こえてきた。寂しかった。家族で一緒にテレビを見たり、普通に日常の会話をしたりしたかった。寝ようとしても寝付けないことが多くなり、夜中の2時、3時まで時計の音を聞き続けることも多かった。そのせいで朝は起きられず、朝から母親の金きり声で一日がスタートをする。
頭が痛く、鼓動が定まらず、胸を締め付ける。
目が覚めるたび、またいつもの日常が始まることにだるさしかない。
消化しきれない胸の思いにいつもさいなまれ、何かが迫ってくるような胸騒ぎに襲われたり、大きな何かに押しつぶされそうになり、思わず大声を上げたりすることもあった。道に落ちている空き瓶を拾い上げては地面に力いっぱい投げつけ、大きな音を立ててガラスが粉々に飛び散るさまを見ると小気味よくなれた。薄い鉄板の看板を蹴ってへこませたり、そういうことで少しは楽になれたが、いつも胸の中がもやもやし、不快に悩まされ、自分の中にあるいろいろな思い、自分にそんな思いをさせる人間の行動の裏にあるものを考えるようになっていった。
そして、さまざまな矛盾に突き当たる。
親を含む大人の自分に対する態度、そこに愛情は存在しているのだろうか。
不安定な精神状態をコントロールすることもなく、感情に任せてそのまま子供にぶつけてはいないだろうか。自分のストレスを自分より弱い立場の子供にぶつけることで解消していないだろうか。そういうことを繰り返し、感覚が麻痺し、子供にも気持ちがあることさえわからなくなってしまったのだろうか。
俺が父親に殴られるのはいつも夫婦喧嘩の果てだ。言い争いに行き詰まり、両親の押さえ切れないストレスは俺に向かい、俺のすべてに文句をつけ、いろいろな仕打ちを浴びせてくる。
俺は両親の罵り合いが始まると、とばっちりを恐れていつも身を潜めていたが逃れることはできなかった。
「あんたのせいで。」
と、母親はいつも翌日に俺を責めるが、そういうことが起こる日は必ず、父親が会社から戻った瞬間から家の空気はおかしくなっていた。そして、一時間も経たないうちに両親の言い争いが始まっていた。散々母親と罵り合っても気がおさまらない父親は、俺を捕らえると
「その顔はなんだ。」
と、俺の顔さえ気に入らず、難くせをつけては殴り始める。そして翌日からは、ストレスを抱えた母親の感情が俺に向かい、金きり声で小言を並べ、それでも気がおさまらず、食事を与えず、俺の楽しみを取り上げることでストレスを解消していた。
小さい頃からそういうことが繰り返され、大人の虫の居所に、自分が左右されていることに気付く。
そこに、俺に対する思いやりなどかけらもない。
「死ねばいい、こんな親。」
そう思ったことは何度もある。
きっと、殺しても誰にも知られず警察に捕まり、少年院に入るだけで済むのなら、殺していたかもしれない。反対に親も、俺がいなくなれば楽になれると思っていたことだろう。
両親は世間の手前、俺を捨てるわけにもいかず、ただ家に置いているだけ、そんな煩わしい息子だから、反抗をすれば、
「誰のおかげで生活できると思っている、気に入らなければ出て行け。」
と、言うのもしかたのないことなのだろう。
それは俺にとって、一番悔しいことだった。そうしたくても、子供の自分に生活していく力などなく、自分が子供で、何の力もないことが何より悔しかった。子供にかなうことのできない大人の力で押さえつけられ、早く大人になりたいと願った。
いまの状況を打破したいと思いながらも、どうすることもできず混沌としている頃だった。
小学校の頃は、中学生になれば大人に近づき、何かが変わると漠然と期待していた。しかし、中学生になったからといって、行く学校が変わっただけで、何も変わらなかった。俺はただの無力な子供のまま。
中学に入学し、俺の状況を知らない担任が、父親にひどく殴られて歪んだ俺の顔を心配し、声をかけてきたことがあった。小学校のときはいつものことで、声をかける教師などいなかったから、そのとき初めて、小さい頃から父親に殴られ続けてきたことを他人に話した。それは、助けて欲しいと思って話したのではなかった。昨晩殴られた痛みを引きずり、俺の歪んだ顔を心配して声をかけてくれた教師にただ話したくなっただけだった。
何もしてくれなくても、ただうなずいてくれるだけで、俺の心は癒されていただろう。いや、少しは期待していたのかもしれない、大人の力を信じて、俺をいまの状況から救ってくれるかもしれないと。
しかし、教師の口から発された言葉は、俺の中にまだ残っていた大人に対する甘え、信頼をすべて消し去る言葉となった。
「あなたも何か悪いことをしたから、お父さんも叩かれたんじゃない?」
俺は、その場に立ち尽くしてしまった。
担任の言葉が何度も俺の中をこだまする。もちろん、その教師がその後、何か行動を起こすこともなかった。
「世の中に、まともな人間はいない、人と分かり合えることなどない。」
それから俺はとにかく強くなりたくて、少しぼけかけていた祖母をうまく言いくるめ、近所の空手道場に通う月謝を支払ってもらった。
道場に行くことは楽しかった。道場の中でだけは練習に没頭し、心を襲うもやもやした消化しきれない思いから開放され、集中することができた。
いつも、歪んだ心で、他人の言動に反発をおぼえることしかなかったが、師範の注意には素直に従えた。強くなりたいという気持ちが、まっすぐ空手に向かっていった。
中学2年になる頃には、家の状況は相変わらずだが、もう俺の中に親に甘えたい気持ちなどなかった。うっとうしい、かかわりたくない、それだけだった。何かを言い返せばきりのないことを悟り、何を言われても無視して過ごした。
そして空手を覚えた俺は、気に入らないやつがいるとかたっぱしからけんかを仕掛けていくようになっていた。
人がビビる姿を見るのは気味が良かった。偉くなった気がした。
中学三年になる頃には、周りから一目置かれるようになっていた。俺が舌打ちをするだけで、まわりはご機嫌を取りはじめる。
父親が、俺に手を上げることなどもうない。
なぜなら、中学二年のとき、両親が相変わらずのいさかいを始め、その矛先が俺に向かってきたとき、最初は無視して過ごしていたが、その態度にさらに怒りを爆発させた父親が、いつものように殴りかかってきた。俺はそのこぶしをよけ、三発ほど父親の顔面にこぶしをお見舞いしてやったからだ。そのときの父親は情けなかった。俺が力を加減したにもかかわらず、よろよろとその場にしゃがみこみ、かすかに震えていた。
俺は、その側に立ち、しばらく見下ろしていた。
「二度と俺に、触れさせない。」
そう思って、父親が立ち上がり、向かってくることを待っていた。
しかし、父親が立ち上がることはなかった。
その後、父親は俺と顔を合わそうとしなくなった。そのかわり、父親のストレスはすべて母親に向けられ、俺が家に帰ると家中のものがひっくり返り、半狂乱の母親を見ることが多くなった。
結局、父親のこぶしに俺に対する愛情などなかった。自分より弱いものにだけしか向けられない、負け犬のあがきだ。
幼い頃より浴びてきた、逃げたくても逃げることのできなかった父親からの暴力が、父親より強い力を持つだけであっけなく回避できるとは、その程度のものなら、力がなかったときはバットでも持って、父親に向かっていればもっと早く回避できていただろう。そんな弱いやつに小さい頃からいたぶられてきたかと思うと、こんなつまらない親の元に産まれていなければ、俺はもっと楽しい毎日を送れていたはず、自分の不幸を思わずにはいられなかった。
父親とは反対に母親は、俺への対応をこれでもかといわんばかりにエスカレートさせていった。母親は、父親から向けられるストレスがすべて俺のせいだと思い込み、難くせつけては俺に向かってくる。何を言っても無視して過ごす俺に腹を立て、御飯を食べさせないことで俺を懲らしめようとしていた。もちろん小遣いなどももらえなくなっていたから俺は、食料を万引きして調達していた。
母親に対する当てつけもあり、補導されることを覚悟していたが、その頃は補導されず、次第に万引きする物もエスカレートしていった。
罪の意識はない。おどおど緊張しながら万引きをしたのは最初の数回だけだった。最初に万引きで補導されたのは、だんだん警戒心が薄くなっていたそんな頃だった。
「チェッ。」
警察署についてからは動機などを細かく聞かれるが、動機を聞かれたところで答えようがない。どうしても欲しいというわけじゃない。ただ目に付いて、手を伸ばしただけだから、答えようがなく、黙って座っていると
「反省してない。」
と、警官がすごんでくる。
「何を言っても無駄。」
と、相手があきらめるのを待つしかない。
ほかにも、バイクを盗んでは乗り回し、補導されることも多かった。
警察に補導されたからといって、反省することなどない。ただ、未成年ということで、何か起こせば親が身元を引き受けに来ないと帰してもらえないということが煩わしかった。
身元を引き受けに来るのはいつも母親だった。そして、いつも三時間は待たされる。警官があまりの遅さに催促の電話をかけるほどだった。
警察署に入るなり母親は、悪い子供を持ち、自分がどんなに苦しんでいるかを警官に訴える。悲劇のヒロイン劇場の始まりだ。俺に声をかけることなどない。
「自分の息子を悪者にして、今日初めて会う警官に同情してもらって何かうれしいわけ?悲劇のヒロインに酔いしれてんの?」
そんな母親の背中に俺は、心の中で語りかける。
母親は、警察署を一歩出ると悲劇のヒロインから、いつものヒステリックに目を吊り上げているただのクソババアにもどる。
(そう、この人はいつも自分がどう人に見られるかを考えている。自分は良い母親であり、よい妻であるが、それが報われない不幸を切々と周りに訴え同情を得る。外では弱い女を演じているが、家の中では俺を懲らしめる方法ばかりを考えて生きてんだ。)
気に入らないことがあれば御飯を食べさせないことから始まり、部屋でじっとCDを聞いて過ごす俺も気に入らず、俺のいない間に部屋に入ってはCDを捨てる。俺の部屋はいつも母親にあら探しされ、何かものを増やせば必ず捨てる。俺は、大事なものはすべてかばんに入れて持ち歩いていたが、俺が風呂に入っている間にまで、俺の部屋に入り物色を続け、とことん取り上げていく。俺に対して、これでもかといわんばかりに嫌がらせをする母親に対して俺は、母親が捨てない教科書などをすべて捨てることで対抗した。俺の部屋は布団だけとなり、寒い冬にストーブを置かれることもなかった。もちろん、御飯を用意されることなどない。
「いいさ、いくらでも調達できるから。」
万引きを繰り返し、恐喝をしては金を巻き上げて、ゲームセンターで遊んで過ごした。家に帰っても、母親の金切り声が待っているだけだから、毎日のように夜遅くまで遊び歩いた。そして、強い先輩とコネを持ち、自分にハクをつけることに一生懸命になっていた。
悪いことをする仲間が増え、学校にも行かず、昼間から遊んで過ごすことも多かった。たまに学校に行くと、みんなが一目置き、教師も俺には何も言わない。
学校は俺の思い通りになる空間だった。俺にこびを売るやつ、俺を馬鹿にすることができるやつなんて誰もいない。
俺が一番強い、偉いと確信できた俺にとって唯一のときだった。
一緒に遊ぶ仲間に事欠くことはない。しかし、誰と遊んでも物足りなかった。
友達…いや、連れとはゲームセンターで遊んだり、先輩についてオートバイの暴走に加わったり、それなりに楽しかったが、長い時間を一緒には過ごせなかった。
人といると自分との考えの違いや、虚栄心まる出しでうだうだ話しているやつがいると疲れる。一人でいることが好きだった。
その頃は、一人でいることに孤独を感じたことはなかった。
一人でも生きていけると思っていた。
一人になったときの俺の楽しみは、新聞の折り込み広告を見ては、一人暮らしのプランを立てることだった。アパートの家賃の相場、冷蔵庫、洗濯機といった家電の値段、一人暮らしをはじめる際に必要なものを考え、その資金を計算することが楽しかった。
高校進学など考えもしなかった。一日も早く親とのかかわりを断ち、自分の力だけで生きていきたかった。
(学歴をつんだところでなんになる、ネクタイ締めて、一生人に頭を下げて過ごすサラリーマンなんてうんざりだ。俺は高校に行かなくても偉くなってやる。)
世の中を知らず、気力で何でもかなうなんて思っていた。
中学卒業前夜、母親からいきなりアパートの鍵を渡された。
家からは、バスで三十分はかかり、バス停からさらに歩いて二十分、山の中にある木造でぼろぼろのアパートの鍵だった。
(アパートの用意をしてやったから、今後一切の面倒をかけず、家に近寄るな。)
という意味だった。
両親は、俺が家を出ることで、落ち着いた生活が取り戻せると思っていたのだろう。俺にとっても、願ったりのことだ。
中学卒業と同時に先輩の紹介で、土木会社のアルバイトは決まっていたが、アパートを借りて一人暮らしをするには敷金、保証金、最低限の家財道具を揃えるための資金が貯まるまで、半年は無理だろうと考えていたから、両親の思いはどうであれうれしかった。
アパートは木造二階建ての一階で風呂もなく、六畳の和室のへりには、二畳ほどの板の間に流しがあるだけ、玄関の木のドアは朽ちかけ、ひと蹴りすれば外れそうなものだった。
荷物は布団とわずかな衣類だけ、日が当たらない部屋に隙間風も吹き込み、春が近づいているにもかかわらず、アパートにいるときは布団にもぐっていないと凍えそうだった。それでも満足だった。
両親とかかわることのわずらわしさを避け、あてもなく外で時間を潰す必要もなければ、自分の部屋に閉じこもることをしなくていい、一日中、自由に自分の家の中を往来でき、いまはないが、のどが渇けば冷蔵庫も自由に開けることもできる。何時に起きても何時に寝ても、自分の物も自由に置け、テレビを買えば見るのも自由、いろいろなしがらみから放たれ、自由を手に入れ満足感にひたれた。
自分が一人前になった気がした。
仕事は、4月1日から始まった。職種は土木作業員だが、実際はその雑用で、回りの人に言われるまま、資材を持って走り回り、みんなの仕事が終わる頃は現場の掃除と下っ端そのものだ。
朝七時にはアパートを出て、会社のワゴン車に乗り現場に向かった。夜遅くまで遊んだ翌朝でも、仕事はまじめに出た。
給料は一か月で18万円ほどだった。家賃は3万円。昼はコンビニで弁当を買い、夜は俺のアパートに集まる仲間がそれぞれの家から調達してくる食料で間に合った。最初は布団だけだったアパートに、テレビ、冷蔵庫と家財道具を少しずつ増やしていった。
土木作業は、夏は暑く冬は寒いが、そんなことをつらいとは思わなかった。仕事がきつい分、給料を貰う時は、一か月がんばった自分への褒美をもらう気分だった。
自分の力で稼ぎ、自分の力で生活していくことの快感はたまらなかった。
中学時代の仲間はほとんど高校に進学した。その後に中途退学するやつはいたが、高校に進学しなかった者は数人しかいなかった。
進学した仲間は、中学時代同様に俺を崇拝し、俺を慕って、家から食料や家の物を俺のアパートに持ってくる。給料は決して多くはないから、仲間が持ってくる食料のおかげでめし代も浮き、扇風機、皿、タオルなどの家の物も買うまでもなく集まりありがたかった。
しかし、仲間の高校が夏休みになるあたりから、いつも仲間がアパートに集まることがたまらなくなっていった。猛暑の中の仕事でばてて山道を登り、アパートにたどり着いた日でも、アパートの前で仲間が数人たむろをして俺の帰りを待っている。流行のミュージシャンのCDを持ってきたり、バイクの話をするのはいい、高校の中の話になると知らない名前ばかりで全く状況がつかめず、退屈で仕方ない。そして、仲間が口にするのは、学校の教師や親の批判、同じ高校生同士のトラブル、「生意気」「むかつく」そういう言葉を聞いていると、次元の低さに苛立ちを感じずにはいられない。
親に小遣いをもらい、アルバイトをすればそれもまた全部自分の小遣い、親のすねをかじり、甘やかされた環境に居ながら親への贅沢な愚痴をこぼし、いきがり、同じような高校生とトラブルを起こす。自分の家と学校の中だけの狭い世界しか知らずにいきがっている姿をみると、ガキだとしか思えない。
仕事をしていれば、そんなわがままは言っていられない。上の人に何か言いつけられれば、迅速に対応する、反感などは持っていられない。住む世界が違いすぎる。
仲間は、翌日の心配もなく夜遅くまで遊べる。学校があったとしても、授業中に寝ようと、学校を休もうと自由だ。俺は、そうはいかない。猛暑の中の労働に、寝不足はこたえる。そんな仲間の愚痴を聞いていると、同じ時間を過ごすことさえもったいなく感じ始めた。
「俺、疲れてんだ。」
と言っては、仲間を帰らせることが多くなり、だんだん俺のアパートに集まる仲間はいなくなっていき、仕事が終わってから寝るまでの時間を一人でゆっくり過ごせることができるようになっていった。
週末にたまに遊ぶのは、俺と同じように高校へ進学しなかった仲間か、仕事を世話してくれた先輩くらいだった。居酒屋に行ったり、先輩の車で女をなんぱに出かけたり、同じ境遇の人間といるほうが楽だ。人との付き合いも少ないほうが楽でいい。
仕事を始めて三度目の夏。
新しい現場に行くとそこには、去年親会社に入社し、現場の偉い人について研修をしていた大卒の男が現場監督としていた。俺は何年か頑張って働けば、そういう立場に立てると思っていた。高校にも行かず、人より早く働き始めた俺は、人より早く偉くなれると思っていた。
驚いた俺は回りの人に尋ねて、初めて何年頑張って働いても、俺が現場の責任者などにはなれないことを知った。
そういう立場になるには、経験だけでなく、知識や資格が必要であり、いまのまま働いて得られる立場の狭さを初めて知った。
学生は夏休みを迎え、涼しそうに俺が仕事をしている側を歩いていく。カンカン照りの陽射しの中、拭いても拭いても汗はしたたり落ちる。砂ぼこりが汗と混ざり、日焼けした黒い肌はどろどろとなっていく。昼に弁当を買おうとコンビニに入ると、俺の汗の臭いと汚れた作業着に側を通ってあからさまに嫌な顔をする女もいる。遊びに行くとしても、仕事帰りは、シャワーを浴びて着替えなければとても遊びには行けない。
少し前までは、親のすねをかじる学生を馬鹿にし、自分の力で金を稼ぎ、生活をする自分を誇りに思っていたが、高校、大学と親のすねをかじり、遊びながら学生時代をすごしたやつのほうが、仕事のスタート時点から待遇が恵まれていることを目の当たりにして、恨めしく思った。
俺は、三年頑張って働いたが、ただの使いっぱしりの雑用のまま。いつか、人に命令だけをして楽に過ごせるような立場になりたいと思っていたが、そのために専門学校や大学に入ろうとしても、まず高校の卒業資格がない、仕事をしながら勉強していくことも難しい。それも一年、二年で済むことではない。何の考えもなく、高校、大学となんとなく進んだやつと比べて俺は、偉くなろうと思っても、そいつらよりも遠回りをしなければならないことに気づき、空虚に襲われ、仕事に対する熱意も薄れ、やがて、やる気を失っていった。そのため、職場の人に怒鳴られたり、なじられることも多くなっていった。先の希望は失ったが、生活のため仕事は続けなければならない。毎日朝起きて仕事に出かけ、日が暮れる頃アパートに戻る、冴えない変わり映えのない毎日と思うようになっていった。
ある日、寝坊したついでに仕事に行かず、昼過ぎまで寝たが暇をもてあまし、仕事を世話してくれた先輩の仕事場を訪ねてみた。
先輩の仕事場に近づくと
「とろとろすんな、」
と大きな声が聞こえてきた。声のするほうに目をやると、資材を担いで走る先輩の姿が目に入り、俺の足は止まった。その先輩は、中学の頃からけんかが強く、回りから恐れられるほどの人だった。俺はそんな強さにあこがれていた。そんな先輩だから、俺が訪問したら仕事の手を休め、俺と話をするために抜けるくらいのことはできると思っていたが、とても、そんな状況ではなかった。
俺は、先輩の仕事が終わる時間を見計らって、改めて訪ねた。
「どうした、仕事は?」
俺に気づいた先輩は、そう言いながら近づいてきた。
「ちょっと‥‥」
俺が言葉を濁すと先輩は
「居酒屋でも行くか。」
と、誘ってくれた。
先輩と話をしたら、いまの空虚や脱力感から抜け出せるかもしれないと期待していた。俺は、仕事の愚痴を先輩に漏らし、話しを聞いてもらっただけで少しは気が楽になっていた。
「まっ、中卒だから諦めねぇと。」
(諦める?)
先輩の言葉にはっとした。俺はこのままでは終わりたくない。以前聞いた、先輩の憧れていたまた先輩が、中学卒業後大工を目指し、27歳で会社を興した話を思い出して聞いた。
「会社起こした人だっているじゃない。」
「ああ、あの人ね。十年近く修行していたからね。社長になれたのはいいけど、大変そうだよ。仕事を貰うために接待、接待でさぁ、資金繰りで走り回っては頭を下げて回ったり、税金とか訳わかんないことばかりでさぁ、『雇われているほうが気楽でいい。』って言ってたよ。」
自分の範囲を知り、現状で納得をしている先輩を見ていると寂しかった。
アパートに戻ってから、布団に入ってもなかなか寝付けなかった。
(まじめに働いたところで、何も変わらない。歳をとって働けなくなるまで、今のままなのだろうか。俺も先輩のように現状に甘んじて、毎日を過ごすようになるのだろうか。)
仕事に対する熱意を失い、俺より2年も長く働いている先輩に会えば、先にあるものが何かわかり、希望が持て、熱意を取り戻せるような気がしていたが、それはかなわず、2年後も今と変わらない自分でいることしかできないのかと思うと、無気力に襲われるだけだった。
少し前までは、中学の中で周りが恐れるほどつっぱっていたことが俺の勲章だった。
しかし、それは狭い学校でだけでのこと。そんなもの、社会に出れば何の意味もない。世の中に強いやつはいくらでもいる。人より偉くなるための道のりは果てしなく遠い。俺は、その道を進むことさえできないでいる。
熟睡できないまま朝を迎え、仕事に出た。さらに仕事へのやる気を失い、体のだるさからも動きは鈍くなる。仕事場の人間は、昨日の無断欠勤と、俺の仕事への怠慢な態度にいつもに増して風当たりが強かった。
「昨日、無断欠勤して反省もないのか?昨日の分も働くぐらいの気持ちで動け、」
何を言われても無視して、態度も変えず一日を過ごすと、帰るときに普段から偉そうにしているおっさんに呼び止められた。
(めんどくせぇ。)
と思いながらその場に残る。聞く耳など持たず、宙を見ている俺におっさんは詰め寄ってきた。
「あんちゃん、仕事をなめんじゃねえよ。」
おっさんに首根っこをつかまれた瞬間、
(このおっさん、いつも嫌味ばかり言っていたな。)
と思うと一気に怒りがこみ上げ、おっさんの手を払いのけ、殴りかかった。
何発なぐったっだろうか、こぶしが痛くなり、息が切れ、殴るのを止めた。そして、自分の荷物を拾い、その場を後にした。
俺のこぶしに怯えるおっさんの顔を思い出すと、笑いがこみ上げてくる。
(いい気味だ。)
日ごろのうっぷんをあのおっさんにぶつけ、しばらく抱えていたむしゃくしゃした気持ちを吹き飛ばし、晴々とした気分でアパートに向かった。
しかし、アパートに近づく頃になると、人を殴って、あのおっさんへだけじゃない、うさを晴らしている自分に嫌悪感を持たずにはいられなくなった。
(親父と同じじゃねえか。)
今まで人を殴ったことがなかったわけではないが、今までは人を殴るとしてもせいぜい脅し程度の2,3発、それだけ殴れば相手がひるむことはわかっていたから、力任せに殴るのではなく、手加減をしていた。そういう時はいつも冷静だった。
しかし、今回はこみ上げる感情に任せ、何発殴ったのかさえわからないほど殴り続けてしまった。それは社会に出て、周りのやつらに見下され、自分の無力さを思い知らされ、それでも自分の無力さを認めたくなくて、自分より弱い者を殴ることで自分の威厳を誇示しようとしているだけにすぎない。
『弱い犬ほどよく吠える。』
ということなのか、まさに俺は、負け犬根性にどっぷり浸かっていた。
翌朝仕事に行くと、昨日殴ったおっさんはいなかった。そして、上司に呼ばれ、解雇を言い渡された。俺はその上司に頭をちょこっと下げてその場を離れた。
(ま、仕方ねえな。これから寒くなるし、ちょうどいいや。いつまで経っても下っ端で終わるような仕事していても意味ねえし、仕事なんかいくらでもある。)
みじめな負け犬の自分とおさらばし、前に向かって進むいいチャンスだと心を切り替えた。
秋が近づき、朝の風が少し冷たくて気持ちよかった。
しばらくの間、うやむやした気持ちの中で過ごしていたから、その朝の風は、とても爽快に感じた。仕事を辞めたことで、新しい明日が待っているように感じていた。
朝早く、まだ人の少ない町の中、犬を散歩させる人や、ジョギングをする人とすれ違いながらアパートまでのんびり歩いた。
アパートに近づく頃になると、通勤、通学をする者が増え、爽快な風は、いろいろな人に当たりながら生ぬるさを持ち始める。
駅やバス停に向かう人たちと逆行しているとまた心に不安がよぎる。
今日一日の予定を失い、アパートに帰ったところですることなどない。だからといって行くあてもなく、アパートで暇を持て余すことを考えると虚しく思え、コンビニでマンガと求人情報誌を買ってから戻った。
テレビを見ながらマンガを見たり、ゴロゴロしながら一日を過ごした。
昼間をのんびり過ごしすぎると、夜は目が冴え暇を持て余すものだ。
とりあえず、求人情報誌をめくった。求人情報誌は、じっくり見ていると半分も見ないうちに疲れてしまいそうなほどの求人にあふれていた。
(今までの仕事は夏は暑いし、冬は寒くて辛かったからなぁ、今度は絶対エアコンの効いたところだな。)
求人情報誌の掲載量の多さに、この中から好きな仕事を選べると錯覚していた。
翌朝、仕事を辞めたからといって貯金があるわけでもなく、現実問題として仕事には早く就かなければならない、とりあえずめぼしいところから面接をしていこうと改めて求人情報誌をめくりなおした。
正社員の求人には募集要項に当然のように学歴、資格の条件などが書かれてあり、中卒の俺に勤まりそうなところなどなかった。
募集要項に学歴、資格の書かれていないアルバイト求人の中でも時給の高いところを選んでは、面接に向かったがことごとく断られた。
ガソリンスタンドのように大きな声で挨拶をし、愛想を振りまかなければならないような仕事は敬遠していたが、他でことごとく断られ、そういうところにまで足を運んだが、年中人手不足で求人の張り紙を張り続けているようなところにまで断られた。
(なんで?)
思わぬ就職の厳しさを面食らう。
高校生のアルバイトのように短時間のアルバイトなら簡単に見つかったのかもしれないが、自分で生計をたてなければならない俺は短時間のアルバイトで済ませるわけにはいかない。
18歳になったばかりで高校にも行かず、一人暮らしをしていることも信頼が置けず断られた理由のひとつだろう。
(そういえば、いまどき資格の一つくらいは持ってないと就職も難しいって、高卒のやつが就職の厳しさを漏らしてたっけ。)
だからといって、何の資格が何に役立つのかも知らなければ、資格自体何があるのか、どういう方法で取得するのかさえわからないし、やりたいものもない。
資格を取ったり、手に職をつけることで就職が有利になることは俺にもわかる。しかし、資格を取るために専門学校に通うお金もない、手に職をつけるために何年も人の下で見習いとして過ごすことも考えただけでぞっとする。
人より偉くなりたい、俺は人の上に立つのだと思いながらもその頃は、そのために必要な下積みが一年であっても長く思えた。
何かいい仕事がないかと街を歩いている時だった。
「よう、寺西」
名前を呼ばれて振り向くと、昔よくバイクの後ろに乗せてもらっていた先輩が路肩に車を停め、声をかけてきた。この先輩は、イケメンで昔から女には事欠かない人だった。
「すごいですね。ポルシェに乗るなんて、何してるんですか?」
「大したことはしてねえよ。乗っていかね?」
俺は、誘われるまま先輩の車に乗り込んだ。
「今、何してんの?」
「仕事がなくて、困ってんですよ。」
「ふ~ん。そっか、じゃあ、俺助けてくんね?面倒くさい女がいてさ、別れるって言ったら泣き出してさ、毎日家の前で待って困ってんだよ。お前がうまいこと相手してやってくれよ。お前そこそこいけてるから簡単に落ちると思うんだよね。」
女の連絡先と一緒に、先輩は5万円を俺に渡した。
「避妊だけはしろよ。」
そういうと、先輩は俺を車から降ろし、走り去っていった。
俺は、先輩に言われるまま、その女に連絡をし、翌日会う約束をした。
「寺西さんですか?」
現れた女は、いかにも世間知らずといった女だった。
なんで、こんな女が先輩なんかに引っかかるんだろ。そのうえ先輩は、この女に偽名を使っていた。
「リュウさんは、何と言われているんですか?」
女は、連絡が取れない先輩の様子を俺から少しでも聞き出したいようだ。
「ああ、リュウね。君のことで困ってるみたいだね。」
「どうして?」
「そりゃ、家の前で待たれると困るんじゃない?」
「連絡しても、返事もくれないから。」
「そっか、そりゃ辛いよね。でも、我慢しなきゃ、気持ちがどんどん離れていくだけだよ。現に困ってるし。」
女は、ただ泣きながら、先輩への思いを語る。女は美和、お嬢様大学に通う地方出身の19歳。先輩はどうやら女をひっかけようとお嬢様大学の文化祭に行き、美和をひっかけたらしい。
先輩は昔から、いい女を見つけると仲間を外れて女とどこかへ消える女ったらし、バイクを乗り回してはいたが、いわゆるヤンキースタイルじゃなく、細身のジーンズにシャツを着こなすおしゃれな人だった。お嬢様大学に行ったとしても、場違いではなかったであろう。
美和は地方から出てきて、一人暮らしをはじめ、男性経験もなし、そんな女が先輩のような都会のイケメンに声を掛けられれば舞い上がるのも仕方がない。
先輩は、普通の人間なら恥ずかしくて口にできないようなキザな言葉も平気で言える男だ。まあ、それを口先と感じさせないところもすごい。
いつも、背もたれにもたれて、手を組んで左手の親指で顎を支え、薬指で唇に触れたりしながら人の話をじっと聞く、そして、相手を見つめて
「そうだね。」
とつぶやく。
相手が面倒くさい話をしている時は、
「その服似合ってるよ。」
などと言って、話をそらす。人を操ることの天才だ。
しかし、どこか冷めていて、深く人とは付き合わない人だった。だから、美和に本気になられて困っているのだろう。
俺は、先輩の真似をして、美和を優しい目で見つめて話を聞く。
「これ以上、君が傷つくのを見たくないな。俺がそばにいてあげようか?」
美和は簡単に落ちた。
「やっぱりな、お前だったらうまくやると思った。昔から少し冷めてたからな。仕事ないなら、ホストでもやったら?紹介するぜ。俺が今働いてる店、新しい店オープンするんで人捜してんだ。ホストなんか長くできる仕事じゃないし、適当に金稼いで、なんかやれば?お前なら、どっぷり浸かることもないだろうし、安心して紹介できるよ。」
店は、50人ほどの客が入る広さで、ホストは20人近くいた。最初は、先輩ホストのアシスタントをしながらウエイターをこなし、給料は20万と安いが、自分の能力次第でいくらでも稼げるという魅力的な仕事だ。
客は女ばかりで、客の方がホストに気に入られたくて愛想を売ってくる。1~2時間腰掛けては10万の勘定は当たり前、その上、店が終わる頃になると客は寿司や焼肉屋にホストを誘い、俺もそのおこぼれにあずかる。
俺は、ブランド品には全く無知だったが、先輩ホストの指名待ちの客の相手や、面倒くさい客を引き受けたりしているうちに、
「飽きたからやるよ。」
と、高級ブランドの財布や時計を先輩ホストからもらい、ブランドに詳しくなっていった。
客からのチップだけでも1日に5万円も手にすることがあり、あくせく働いてやっと18万円貰っていた生活と全く違った世界の中で、いろいろな価値観が変化していった。
店の中で一番若い俺は、客によくかわいがられた。それが、心地よくさえ思えてきて、甘えるそぶりを見せたり、心にもないおべんちゃらを年上ぶる女の客に投げかけられるようになっていた。それで客は喜び、大金を振舞う。
「ちょろいものだ。」
先輩ホストのように高級マンションに住み、高級外車を乗り回し、腕には金のロレックス。そんな日は、そんなに遠くないと思えた。
俺の夢というのは、人の上に立ちたいとか、偉くなりたいとかじゃなくても、そういうものを身につけて、人にすごいと思われたい、その程度のものだったのかもしれない。
ホストの仕事を始めた頃は、高級な寿司屋やレストランに行くことなど初めてのことばかりで毎日が新鮮だった。それまでとは違う金を手にするようになり、欲しいものもたくさんあって、客をうまく使って金を稼ぐことが楽しかったし、客からのプレゼントもうれしかった。
ドアの朽ちかけたボロアパートから、オートロックのついたまだ新しいマンションに移り住み、エリートコースを駆け上がるような感じさえ受けていた。
しかし、もともと対人関係に希薄な俺はここでも、次第に人と関わることが煩わしくなっていった。
ホストを始めて2年も過ぎれば、寿司屋に行くことなど特別なことではない。客からプレゼントを貰えば、その客は俺に対する独占欲を募らせ、煩わしいばかりだ。高いものをプレゼントしたからといって、人の気持ちが本当に動かせると思っているのだろうか、仕事だから話し相手をしているだけだとわからないのだろうか、本当の恋愛を求めるのならば、こんな店で探すのはおかしいだろう。
店は、その場を楽しむだけのもの、それをより盛り上げるために高いシャンパンを開けたりするものだ。金をたくさん使う客はいいお客で、ホストはそれ以上の関係は望んでいない。お愛想で店外デートもするが、それをしないで済む客が何より最高の客だ。
目に見えた作り話をして、自分を誇示しようとする女が多い。仕事しかない女は、会社の愚痴をこぼし、上司の無能さを嘆き、自分の能力を熱弁する。会社の業績を伸ばしているのは自分の力だと、私はすごいのよと酒が入れば入るほど話は大きくなっていく、結局は、
「すごいね。」
と言ってもらいたいのだ。
何の能力もない女は、見た目を着飾ることばかりに神経を使い、表情を常に作りながら、
「また、好きでもない人に告白されて困っているの。」
と、髪を指に絡ませながら、モテる女をアピールする。
見た目も冴えない女は、自分を卑下した言葉を並び立て、
「そんなことないよ。」
という否定の言葉を待っている。
客は皆、話を作り上げながら、ホストに言って欲しい言葉を誘導している。こちらの返答を最初から用意して待っているのがわかっていて、その通りに答えを返して相手を満足させる、そんな安っぽいゲームの繰り返しだ。
来店する前夜にでも筋書きを考えてくるのか、設定はたいてい裕福な家庭に生まれた娘、友達は男女限らずたくさんいて、有力者の知り合いも多いらしい。ホストに相手にされるには、金があることをほのめかす必要がある。ボロがでないように、生い立ちから、家の間取りまで綿密に考え、信憑性を増すために聞いてもいないことをあれこれと話す。
そうでなければ、とってつけたかのように馬鹿騒ぎをする客。
結局は、だれからも相手にされず、友達と言えるやつもなく、自分の話を聞いてくれる人もいない。何の力もない自分から逃れて、店でそういう恵まれた人間を演じてちやほやしてもらいたいだけなのだろう。
まともに話を聞いてくれる相手がホストだけだから、その筋書きに応えるホストの言葉を自分が誘導していることも忘れて、この世の中で唯一自分を理解してくれる人と思い込み、ほかの女に取られまいと必死になる。
結局は、虚飾した自分をすごいと思ってくれる人、自分に興味をもってくれる相手を求めているだけで、人は自分以上に人を愛することなどありえないだろう。
だから男女は争いを繰り返す。ただここでは、わずかな時間だけでも金をばらまけば自分にとって都合のいい相手をホストが演じてくれるから、金をあまり持たない女も店に来て、たくさんのホストにひざまづかれたいために金策に駆けずり回ってまで来るのだろう。女は、膨らんでいく借金を抱えながらもまた、何かを求めて店に来る。
社会の中で、誰も相手をしてくれないからか、本当にホストを好きになっているからか、なぜ気付かない、金などを注ぎ込んだところで人の気持ちは変わらない。
ホストは、上手い言葉を一言ささやけば、いくらでも金を使う女の足元を見て利用しているだけだろう。もし、ホストに愛情が少しでも芽生えていたとしたら、無理に金を使わせたりしないだろう。
人間の虚しさが丸見えすぎて、俺はほかのホストのように破格のシャンパンを開けさせるなど、無理に売り上げを伸ばすようなことはできなくなっていった。
最初のうちは、何も考えずに店の売り上げに貢献できた。しかし、そんな虚しい客たちをいいようにあやつって、さらにものをプレゼントさせたり、金を使わせていい気になって自慢しているホストを見るのが嫌になっていた。
(うまく人を利用して、自分が賢いとでも思っているのだろうが、世間からあぶれた寂しい女を食い物にするおまえもまた、世間からあぶれた落ちこぼれ。そんな女がいなかったら、おまえがこの世の中でできることなんかないだろ、感謝しろよ。いつまでも、女をだましてやっていけると思うのか、年取ったホストなんて見たことねぇ。店をもてるのはわずかなやつだけ。すぐすぐお前の居場所はなくなる。人を馬鹿にする前に、もっと自分の先を真剣に考えたほうがいいんじゃねぇの。)
と心でつぶやく。先輩が言っていたように長く続けられる仕事じゃない。
ホストを始めた頃は、高級外車を乗り回すホストに憧れていた。今でも、それには及ばないが、ある程度のものは手に入れ、先輩ホストをうらやましく思うことはなくなった。
そのうち、自分の店を開こうか、なんてことも考えたことはあるが、店を運営することの難しさもわかってきた。酒を扱う商売は、面倒くさいトラブルも多く、顧客を維持していくのも難しい。
客にあまり感情を持たれると面倒くさいから距離を置いていると、甘い言葉をささやけるホストに客の気持ちは移っていく。俺は、ホストの仕事が自分に向いていないことを痛感しながらも、昼間あくせく働くことも敬遠し、ほかにできることもないから、働けるだけ働いてとりあえず金を残そうと考えていた。
幸い俺は、あまり大金を客に使わせないこと、甘いセリフこそ言えないが、客の話しを聞き、余計なことは言わずに、客が言って欲しい言葉だけを返す聞き上手に徹していたため、浮き沈みが激しいホストの中で、中盤の位置をキープし続けていた。
ある日のこと、まだ20歳になるかならないかの女が、3人でやってきた。
その中の一人は、いかにも高そうなスーツに身を包み、ホストのエスコートにも慣れている。そこらの女がこれ見よがしにブランド物をつけているのとは訳が違う、細長い外国物のタバコを吸い、金にあふれた生活を送っていることが感じ取れるほど、今まで見たことのない雰囲気を持っている。顔は少しきついが、作り物のようにきれいな顔立ちをしていた。ほかの2人の女は友達というより、手下といった感じだった。ソファーに座り、数人のホストが挨拶に近寄ると
「そうね、まずはシャンパンで乾杯しましょう。」
と、年上のホストたちをも見下ろすように堂々と言った。
そんな、極上の客にホストたちは、自分を売り込もうと必死になっていた。
俺は、いつも以上にテンションの上がった先輩ホストたちの声を背に、その穴埋めるため、ほかの客を相手していた。
突然、グラスの割れる音が店内に響きわたる。振り返るとあの金持ちそうな女が、何かに腹を立ててテーブルの上にあるものを手当たりしだい一人のホストに投げつけていた。他のホストが、その手を掴んで抑えようとする、ホストたちはなだめようと何かを言っている。
しばらくすると明らかに住む世界の違う人間が2人入ってきて、その女に言われるまま、ホスト2人を店から引きずり出し、店の裏で殴る蹴るの暴行が始まった。何が起こっているのかわからない、一方的に殴られる先輩ホストを見て、昔父親に殴られているときに持ったと同じような、胸を押さえつけられるような苦しみに襲われた。自分の中の嫌な気分を押さえつけようと控室に行くと、何やら電話で話していた店のマネージャーが、その現場に向かった。しばらくして店に戻ってきたマネージャーに、殴られてのびている先輩ホストを病院に運ぶように言われた。
殴られたホストは2人とも、自力でタクシーに乗り込むこともできないほどの怪我を負い、他のホストと2人で一人ずつ2台のタクシーに分乗して病院に向かった。2人とも、治療を受けて帰れる程度の怪我ではなかった。
病院の廊下に座っていると、恰幅のいい、力のありそうな中年の男が俺の近くにいたマネージャーに歩み寄る。
「どうだ。」
「一か月は、入院が必要ですね。」
話しの様子から、その中年男性が店のオーナーであることがわかった。
「相手を見極めることもできないうちに、出すぎたようだな。」
二人の話から、あの高慢な女は、裏社会の幹部の女だということがわかった。
オーナーは、今回の事件を丸く治めるため、その筋の会社で、店のグラスをすべて新しく買い替え、店の観葉植物のリースも契約することになったらしい。それはきっと、相場よりかけ離れた額を払うことのなるのだろう。
あの女がタバコを吸おうとタバコをくわえれば、30歳を越した幹部の手下までもが、さっと火を差し出し、「姉さん。」と呼び、何か気に入らないことがあればどこにでも、手下が駆けつけることは有名だったらしい。
あの女が連れていた2人の女の顔を思い出す。騒動の最中も、肩をひそめ座っていた。きっと、そんな裏の社会の力を持つ彼女に逆らうこともできないまま、引っ張りまわされていたのだろう。
あの騒動の原因は、女が未成年と知ったホストが、タバコと酒を止めさせようと法律にのっとった正しいことをしたことだった。未成年に飲酒をさせれば、店も法律を犯したことになる。そんな当たり前のことをして、反対に怒りをかい、一か月も入院しなければならないほどの重傷を負い、法の元に守られることはない。
店は商売を続けていくために、裏の社会の前で、すべての非は店側にあるとし、見返りに切ることのできない関係を結ばなければならなかった。
中学を卒業して、広い社会の中には、自分のかなわない力がいくらでもあることはわかっていた。たとえ、どんなに偉くなったとしてもその上には限りなく偉いやつ、強いやつがいる。この世の中で、人に頭を下げずにわがままに生きることなど到底かなわぬ夢だ。その上、こんな不条理な力を目の前にすると上だけじゃない、横にも下にもいろんな力がひしめき合っていて、ホストをして少し良い物を身につけていても、やはり俺は何もないちっぽけな存在と思い知るほかなかった。
店はその事件以後、人気のあるホストは店を去り、客足は遠のき、開店休業状態が続き、やがて閉店へと追い込まれた。
俺は、他の店に移ってまで、ホストを続けようとは思わなかった。
ホストの仕事を2年もしていたから、無職といえど、しばらく暮らしていけるだけの貯えがあった。
ホストをしながら、自分の無知を痛感することが多かったから、とにかく知識を増やしたい衝動に駆られ、本を図書館に行っては借りていた。
子供の頃はよくわからなかった社会も、大人になって実生活を送るとその仕組みがよくわかって、そのような専門書を読むことは面白いと感じられる。夜空を眺めていると、星座が気になって星座の本を借り、季節の移り変わり、月の満ち欠けを理解して見る夜空は格別だった。小、中学校の間にこんな楽しい勉強をしていたとは、われながら惜しいことをしたものだ。少し前までは、字を読むこと自体なかったが、今では、新聞を読むことさえも楽しく感じている。
ある日、いつものように図書館に行き、天気も良かったのでコンビニでコーヒーを買い、公園のベンチに腰を下ろして本を読むことにした。
その日公園では、噴水やレストスペースの改修工事が始められたところであった。
「おい、そこのガラクタ片付けろ。」
などと呼ばれては、走り回る若い男がいた。
以前の自分と同じように、雑用を言いつけられては走り回る男に目を引かれ、しばらくその様子を眺めていた。
毎日、何の予定もない俺は、それからその公園で本を読むことが日課になった。少し前の自分を思い出させる若い男の仕事ぶりが気になったからだ。
その若い男は、この現場の仕事が初めてらしい。
「おい、」
と呼びつけられては走り回る。時には、命令がうまく理解できなくて怒鳴られていた。最初は返事よく迅速に動いていたが、怒鳴られることが続くと、
(うるせぇなぁ。)
という態度が目に見えて伺える。その男の気持ちがわかりおかしかった。
(おまえ、使い走り以外に何もできないから仕方ないだろう。そんな態度だから余計に風当たりも強くなるんだよ。自分で自分の状況を悪くしていることに気づけよ。)
と、心の中でその男に語りかける。はたから見ると妙にその状況を冷静に見られるものだ。その男の応援団として、毎日公園に足を運んで見てはいるが、己を知らず、世間を知らないからこその男の不満は、かわいそうに思えてくる。
しかし、その立場に置かれれば、俺もそんな悠長なことを言えるほどの器ではないが、面倒くさい争いを避けるために上辺を合わすことくらいの知恵はついてきた。少し前なら、そういうことは弱いやつのすることだと思っていたが、自分の器を知った今、人にたてつくほど馬鹿ではなくなった。
「長いものには巻かれろと」
と言うのは、弱いからではなく、賢いからこそできると思えるようになった。
日増しにその若い男の態度がふてぶてしくなっていったある日、事件は起こった。
セメントを塗ったばかりの上を男が歩いて、足跡をつけてしまったのだ。
どこにでもねちっこいおやじはいるもので、すぐに補修すれば済むものを執拗にその若い男を責める。そのおやじも、その男の日ごろの態度の悪さの積み重ねで、ミスしてもふてぶてしく謝りもしないことに必要以上に腹を立てるのもわかるが、あまりにもしつこく、見ていても不快に思えてきたとき、親方らしき男が、しつこいおやじをなだめ、2人を仕事に戻らせた。
しつこいおやじをなだめながらも、若い男をかばおうとしたその様子に感心したが、その翌日、若い男は仕事に現れなかった。
そんな若い男でもいなくなると仕事の流れは鈍くなり、その中で親方らしき人は黙々と雑用もこなしていた。
あのねちっこいおやじは中堅の職人なのか自分に自信があるらしく、かなりわがままに仕事をしていた。親方は、その男に特に気を使って指示を出していた。他の者も、若い男が抜けた穴をカバーすることはなく、のんきにいつもの仕事を淡々とこなすだけだった。
(上の者も大変だな。下の者がちゃんと働いてくれるように、気を使わなきゃなんないなんて。)
俺が公園を覗くたびに、若い男の穴まで埋めようと動く親方らしき人の疲労は目に見えるようだった。なかなか代わりが見つからないらしい。
そんなことを思いながら、親方らしき人を見つめていると、その男もふとこちらを見た。すると、腰をもみながら近づいてきた。
「あんちゃん、よくここに来ているね。もし良かったら、何日か手伝いに来てくれないか?若いのが辞めて大変なんだよ。」
突然の申し出に驚いたが、その人の苦労を見ていたこともあり、断る気にはならなかった。
「いいよ。どうせすることないし。体もなまっていたとこだから、明日からここに来るよ。」
翌朝、公園に顔を出すと、親方らしき人は喜んで俺を迎えてくれ、他の人にも丁寧に紹介してくれた。一日の仕事が終わると食事に誘ってくれた。
「来てくれて助かったよ。明日もよろしくな。」
と、とても感謝され、人に必要とされたことがうれしかった。
その親方らしき人は、小さいながらも土木会社の社長だった。そんな立場の人に気を使ってもらえていることも心地よく、仕事の中であのねちっこいおやじになじられることもあったが、社長のために腹を立てずにがんばろうと思えた。
周りの人が丁寧に仕事を教えてくれたのは最初の3日だけだった。それからは、段取りが悪いと容赦なく怒鳴られていたが、働く前にその様子を見ていただけに腹が立つことはなかったし、あまりにも俺が執拗になじられていると社長が間に入ってくれたり、気を使って食事に誘ってくれたりしていた。
仕事場に、自分を気遣ってくれる人がいることが心強くて、些細なことに捕らわれなかったのかもしれない。
長い間、親のような年齢の人と話すこともなかったせいか、社長と仕事を離れて話をするときは妙に心が安らいだ。
社長自身も、中学生の息子を持ち、その息子との関わり方に悩むようになっていたため、息子に近い年齢の俺と話ができることがうれしいようだった。
仕事以外の場での社長の話題はめっきり、その息子のことばかりだった。
社長の息子は中学三年生になってから、悪い仲間と遊ぶことが多くなり、仕事が終わり家に戻った時に息子に話をしようと近寄るが、
「汗臭い。」
と、馬鹿にして、社長を避けているという。
その息子が、最近になって警察に補導されることが多くなり、話をしようとしても耳をかさない息子を力任せになぐってしまったという。親子の溝をさらに深くしてしまい、ひどく悩んでいた。
社長が息子のことを思うあまりに手を上げたことはよくわかる。
社長の息子が、親に素直になれないでいる気持ちもわからなくはない。
当然、解決できるような方法を知るわけもなく、社長の話を聞いて、うなずいては、
「今は無理でもきっといつか、社長の気持ちに気がついて、話ができるようになるよ。」
と、言うことしかできなかった。
中学三年で悪いことに興味を持ち始めている子供にとって、親の言うことなど愛情があったとしても、うっとうしいだけだろう。何とかしようとあがけばあがくほど、かえって子供が悪い方向に進むスピードを加速しかねない。
社長は、中学三年の息子が高校進学という人生を左右する大事な時期にいながら、進学する気がないことで余計にあせっているようだが、それが俺と同じように、「家を出たい。」というような、家族に対する不満からでないのなら、親は社会の厳しさや、学歴の重要性、人と違う道を選ぶことはそれだけ、人の何倍も苦労を強いられることになることを伝え、後は、子供の判断に任せるしかない。
子供の人生なのだから。
15歳の子供に、その意味は理解できないだろうが、親が子供のためと無理強いをして追い詰めた結果、子供が意地を張って、自分の本意と反した方向に反抗心だけで進んだとしたら、それは取り返しがつかないことだ。
その果てに困難に直面したときは、親を恨んでその困難を乗り越えることはできないだろう。
しかし、どんな道でも、自分の意思で人と違う道を選択したのであれば、どんな困難に直面しても、自分の意地を持って乗り越えられるかもしれない。そして、親の言っていたことの意味にも気づくことだろう。
親として大事なことは、子供が多少悪いことを犯しても、見捨てることなく、見守っていることが子供に伝わっていれば充分ではないだろうか。
俺が子供の頃に感じたかったもの、望んでいたものを話した。
「俺の息子に、お前のような考えが持てる日は来るかなぁ。」
と、つぶやく社長。
「大丈夫だよ。」
と、俺はつぶやく。
息子をこんなに心配する社長の息子なら、その息子の記憶の中には、たくさんの愛された思い出があるはずだから、きっと、その日は来ると思った。
俺には、その記憶がない。
親が俺に愛情を持っていたことが、わずかでもあったのかわからない。
15歳で家を出て5年が過ぎた。
その間に、一度も親と会ったこともなければ、電話で話すこともない。親が借りてくれたアパートに3年住んでいたが、親が訪ねて来たこともない。そして俺も、アパートを出るときに連絡もしなかった。2年前に一度だけ、母親と町で出くわしたことはあったが、母親は素知らぬ顔で通り過ぎていった。
(迷惑をかけられたくない。)
そんな感じだった。
俺には、社長のように、何があっても俺を大事に思い、心配してくれる人はいないと思うと寂しくなった。
もし両親が、社長が息子を思わず殴ってしまったことを後悔するように、少しでも悪い親だったと反省することがあったなら、いろいろな気持ちを流せるもしれない。
それから2か月が経ち、公園の工事は終わった。
「俺の会社の正社員になれ。保険だってつくし、お前なら、5年もがんばれば一人前に成れるぞ。」
と、社長から誘われた。
その気持ちはうれしかったが、今まで、ちゃんとした人間関係を築いたことがなく、せっかく心安くなれた社長との関係を、長期間一緒に過ごすことで、いつものように面倒くさく感じるようになりたくはなかったから断った。
「気が向いたら、いつでも電話して来い。」
と、社長は残念そうに言った。
また、予定のない毎日を送る生活に戻った。
家で本を読んでいても退屈で、毎日同じ人間と顔を合わせなくてもすむ日雇いの仕事を気の向いた時だけすることにした。日雇いの仕事は、気が向いたときだけでき、面倒くさい人との関わりも避けられる。そういう暮らしを続けても意味がないことはわかっていたが、何をしていいかもわからず、そういう暮らしをしばらく続けた。
仕事が終わると弁当を買って家に帰り、本を読んで寝るだけ。人との関わりを避けてきたから、仕事以外の時間を誰かと過ごすこともなく、何日も人と会話をすることなく過ごすことも多くなっていた。
昔は、そういう暮らしを楽に感じていた。部屋でのんびり過ごしているときに、他人の訪問や電話で自分の時間を邪魔されることが嫌で、人が俺に関わろうとしてくると、
(俺に、かまわないでくれ。)
と、思ったものだ。そして、みんな徐々に遠ざかっていき、誰にも自分の時間を邪魔されることなく、自分だけの世界で生きられることが、どんなに心地よかっただろう。もともとおしゃべりなほうではなかったが、人と何日も話さない日が続くと、
(俺は、ちゃんと声が出せるのだろうか。)
と、不安さえ沸いてくる。
たまに、人と話すと言っても、日雇いの仕事の現場で、
「兄ちゃん、何歳?」
などと聞かれることに答える程度で、会話を楽しむということは、公園の改修工事で知り合った社長と別れて以来、何か月もしていなかった。
社長と暖かい日を過ごしていたからか、人との関わりを全く持たない日々が、今までとは違い寂しく思えた。
昔の仲間が俺を気に掛けることはあるのだろうか。きっとみんな今頃、新しい仲間ができて、俺のことなど思い出すこともないだろう。俺がこの部屋で急に死ぬようなことがあっても、誰にも気づかれず、時は過ぎていくだろう。
今は元気だから良いが、俺は病気になったとき、助けを求める人もいない。親にさえ避けられる俺だ。
人との関わりを全く失い、コンビニや本屋で何人かで騒いでいるやつらを背中に感じると、世の中に取り残されているような気持ちを持たずにはいられなかった。
学校という狭い空間の中では毎日同じメンバーと顔を合わせ、人とのつながりを持とうとしなくても、いつも誰かと触れ合っていられた。
しかし、広い社会に出て、人とのつながりを避けていると、孤独を味わうことは早いが、人との関係を築くことはとても難しい。
一人でいると、年をとったときのことまで考えて、不安に思えてくる。
日雇いの仕事にいつまでもうまくありつける保障はない。もし、病気になって働けなくなれば、そのままのたれ死ぬしかないだろう。
何の能力もない俺を雇ってくれる会社なんてそうあるものじゃない。それでいて、どんな仕事でもいいとも思えず、何か自分にできるものを見つけていかなければならないことはわかっていても、ただ毎日を無駄に過ごすだけだった。
いつものように日雇いの仕事で、大きな病院の前の舗装工事をしていた。
昼になり、弁当を買うために現場を離れようとしたとき、目の前にいかにも気の弱そうな男が立っていた。
「あのぅ、ぼく、覚えていますか?充君…でしょ。ぼく、近所に住んでいた公太です。」
「はあ?」
最初は、わからなかったが、じっくり顔を見るとその面影に見覚えがあった。
公太のことは小さな頃、家が近所で知ってはいたが、俺は近所の幼稚園、公太は保育園に行き、小学校に入ってからも、同じクラスになることはなく、初めて同じクラスになったのは、中学一年生の時だった。
公太は、四人兄弟の長男で、いつも兄弟の面倒を見ていたこと、公太の家の前を通るたび、両親や祖父母に公太が怒鳴られている声をよく耳にしたことを覚えている。
要領が悪くて、鈍臭くて、何をやってもまともにできず、学校でもいつもいじめられていた。俺も、中学一年のときは、公太をよくからかったものだ。いつもおどおどしているから、ついからかいたくなってからかうと、嫌なくせにへらへら笑ってごまかしているから、さらにからかいたくなる。公太をからかって、みんなの笑いものにすることが、その頃の俺の楽しみの一つだった。
公太はいつも、人の目に触れないようにこそこそ隠れようとしていたが、今、俺の目を見て、自分から声をかけている。
(なんのつもりだ。めんどくせぇ、わからないふりでもするか。)
などと、考える俺をよそに公太は、
「お昼休憩今からですか?一緒に食べませんか?」
と誘ってくる。戸惑いながらも、断る理由もなく、公太に誘われるまま、近くの定食屋に入った。
「ぼく、今あそこの病院で、介護福祉士の実習をしているんです。」
空返事をする俺をよそに、公太は話し続ける。
「相変わらずね、人に怒られてばかりなんだ。今日もね、お年寄りの口にうまく食事を運べなくて、お膳をひっくり返されて大変だったんだ。」
公太が、へらへらしながら頭を下げている姿が目に浮かぶ。
「おまえ、年寄りにまで舐められて、そんな仕事して楽しいの?」
俺は嫌味をこめて言ったが、公太はそれに気づきもしないで、話しを続ける。
「ぼくの要領が悪いから仕方ないよ。だから相手に嫌な思いをさせている訳だし、でもね、たまには下手でも頑張っていると、反対に優しくされちゃったりして、人の力になれたって思えるときは、すごく嬉しいんだ。学校に行っていた頃は、勉強なんて嫌いだったけど、今は早く人の力になりたいって思うとね、勉強が嫌だなんて全然思わないんだ。」
俺は、話を半分も聞かずに、目の前にいる公太と、俺が知っている昔の公太を重ね合わせようとしては、合わせられず、何が違うのかを考えていた。
俺の知っている昔の公太なら、あれから高校に進学しても誰かにいじめられていただろうし、社会に出て働いたとしても役に立たず、その果てに家に閉じこもり、陰気に暮らしているという今を送っているはずだ。
人の目を避けることばかり考えていた公太が、目標に向かって積極的に生きていること自体考えられない。ましてや、人にかかわる仕事を選ぶとは、少なくとも、自分から人に声をかけたりできる人間ではなかった。
公太の今に納得ができず、話しをする公太をじっと見つめていると公太は俺の視線にはっとして、
「ごめんね。ぼくばかりいろいろしゃべっちゃって、ぼく、小さい頃から友達なんていなかったから、人とこんなこと話すことがなくて、充君と会えてつい嬉しくて、いろいろ話しすぎちゃった。」
今まで夢中になって話しをしていた公太は、急に恥ずかしそうに下を向いて言った。
話しをする相手がいないのは、状況は違っても今の俺と一緒だ。無愛想に公太の話しを聞いていたことを少し悪いと感じた。
先に何の目標もない俺と、目標に向かって進む公太、中学のときは、学校に来てもいじめられるだけなのに毎日学校に登校してくる公太を見て、
「何のために生きてんの?」
と、思ったものだ。
そんな公太を見て、優越感に浸っていたのかもしれない俺。
公太の今を知り、心にズドンと何かがのしかかる。
(ホームレスにならなけりゃいい。)
などと、先を考えることをやめて、孤独を選び、何もない今の俺、自分を虚しく思わずにはいられなかった。
反対に前向きに生きる公太、いったい何が俺と違ったというのだろうか。
しばらくしてまた公太と出会った現場の仕事に行った。
昼休憩をむかえ、公太が近くにいるのではないかと、あたりを見回したが公太はいなかった。心の中の消化しきれない思いの答えを探して、公太を待っていたのかもしれない。
心の重たさを引きずりながら、仕事を終え、日当をもらって現場を離れようとすると、少し離れたところに公太は立っていた。俺が気づくと公太は小走りで近寄ってきた。
「お疲れさま。」
と、恥ずかしそうに言う。
「ぼくも今、実習が終わって帰るところなんだ。」
公太は、自分から言えなくて、俺からの誘いを待っているようだった。
「晩飯でも一緒に食うか?」
「うん。」
公太は、嬉しそうに返事をした。
俺は、居酒屋に向かいながら、公太に疑問を投げかける。
「このまえ、どうして俺に声をかけてきたの?」
答えに困る公太。
「いや、俺に対していい思い出がないだろうと思うと、ちょっと、不思議に思っただけだよ。」
公太は、少しためらってから、恥ずかしそうに話し始めた。
「会えたことが嬉しかったから。一度も遊んだことはなかったけど、小さいときからずっと、充君がうらやましかった。いつも、たくさんの友達を引き連れて遊んで、強くて、よく公園のそばに住むおじさんに怒られていたじゃない、それでもひるむことなくて、いつも元気で、一度でもいいから仲間に入って、一緒に遊んでみたいなって、思ってた。」
「いや、そんなことじゃなくて、俺、中学のとき、お前に嫌なことしていただろ。」
「ああ、一年のときね。でも充君は他の子みたいに、僕を殴ったり、蹴ったりしなかったから、充君があんまり学校に来なくなってからは、他の子たちに毎日、殴られたり蹴られたり、金をもってこいとか、すごく辛かった。それでも、学校に行かないと親に怒られるし、一日がすごく長かった。充君は中学のとき、ぼくをからかったりはしたけど、そんなひどいことはしなかったし、助けてくれたし・・・。」
中学二年のあたりから俺は、あまり学校に行かなかったが、たまに学校に行くと、公太が何人かのやつらに、殴られたり、こき使われたりするのをよく見かけていた。人助けなどに興味はなかったが、何の抵抗もできないとわかって、一方的に殴っていい気になっているやつらに無性に腹が立った。
その頃は、誰もがけんかっぱやい俺に一目おいていたから、殴られている公太に遠くから、
「公太、肩もめよ」
と言っては、そいつらから公太を引き離したことが何度かあった。
「ああ、そんなことあったな。別に、助けたわけじゃねえよ。お前みたいな弱いの捕まえて、殴ったりして、いい気になっているやつらに腹が立っただけだよ。」
「それだけじゃない、一度、充君がぼくを自転車に乗せて、学校に行ったことがあったでしょ。あれからは、誰もぼくをいじめたりしなくなって、ちゃんと『ありがとう』って、言いたかったんだ。でも、中学の頃は、自分から声をかける勇気がなくって。」
その前日、学校でまた誰かにやられたらしく、うずくまる公太を俺は見ていた。翌日、公太は家の傍で壁に手をつき、足を引きずりながら学校に行こうとしていた。それでも学校に行こうとしている公太に、複雑な思いを抱いた俺は、
「後ろに乗れよ。」
と、公太を自転車の後ろに乗せて学校に行き、始業前の校舎の周りを公太を後ろに乗せたまま、自転車のベルを鳴らしながら何週もぐるぐる走った。それは、公太を殴ったやつらに、今度公太になにかしたら、俺が黙ってはいないと威嚇をするためだった。
たいしたことではないが、苦しんでいた公太にとっては、たいしたことだったのかもしれない。
しかし、そんな昔の自分自身の嫌な思い出を何の屈託もなく話されることに、躊躇せずにはいられない。
公太は俺を警戒することなく、親しみを持って接してくる。
「何で、介護福祉士なんて、目指そうと思ったわけ?」
他人と関わることが嫌いな俺には考えられないことだったし、精神が健全でない患者を相手することだってあるわけだ。本人のためにやっていても、反対に被害妄想に駆られて、いらぬ面倒をかけられることもあるだろう。
人間関係で嫌な思いをしてきた公太が、人間相手の仕事を選ぶことが不思議で尋ねた。
「ぼくの家、おじいちゃんがいたの知ってる?」
「ああ、いっつも、門の前に立って、近所の人にいろいろ文句言ったり、面倒くさそうなじいさんだったな。」
公太は、少し笑った。
「おじいちゃんはお父さんが子供の頃から、あんな感じだったんだって、おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなってから体調崩したんだ。お母さんとおばあちゃんは、ものすごく仲が悪かったから、おばあちゃんが死んだ後、おじいちゃん孤立しちゃって、精神的に参っちゃったのかな、寝込むようになって、お母さんも、おばあちゃんのことがあったから、おじいちゃんに気を使うことができなくて、仕事もしていたし、ぼくはそのとき、仕事も辞めて、再就職も見つからなくて、ずっと家にいたから、おじいちゃんの世話をするようになったんだ。」
それから、公太の今に至るまでの話しを聞いた。
小さな頃から公太の家は、祖母と母親の嫁姑問題で、いつも険悪な雰囲気が漂っていた。公太は、嫁姑問題で家族が抱えていたストレスのはけ口となっていたのだろう。
ストレスを抱える家族にとって、何をやってももとらない公太は、さらに家族のストレスを掻き立てていた。そして家族は、公太に容赦なく、
「お前を見ていると腹が立つ。」
と、叱咤を繰り返す。
公太は、泣いてさらに家族に不快を与えないよう涙をこらえ、口を歪ませ、それをごまかすために辛いときは、へらへら笑っているような顔をすることを身につけていった。
俺は、そんな公太のへらへらした顔が嫌いだった。
嫌なことを嫌とも言えず、自分の感情を顔に出すこともできない公太に不快を感じていたが、今、公太もまた、大人の機嫌の都合の中で振り回されてきたと知ると、自分がしていたことの残酷さを思い知る。
中学になり、学校でのいじめがひどくなっても、心配をしてくれる人もなく、相談をする人もおらず、学校を休んで家にいることも許されず、行き場のない悲しみを長い間抱えていたと思う。
社会に出てしまえば、学校生活、特に高校までの十二年は長い人生を考えればわずかな期間だが、一人で生きていくことはできず、守ってくれる人がいなければ一年一年を辛く、とても長く感じずにはいられないだろう。
世界が狭い分、絶望を感じるのは早い。
わずかな期間ではあるが、周りの環境に翻弄され、その十二年間の過ごし方がその後の長い人生を左右する大事な期間でもある。
公太は高校卒業後、就職をしたものの失敗を繰り返していた。
学生の頃とは違い、社会での失敗は、自分一人のものでは終わらない。その失敗のため、多くの人に迷惑をかけ、会社に損失を与えてしまうこともあるから、周囲の人間もそれまで以上に厳しくなる。
学校の教室の中では、大人である教師だけが疎ましい人間だが、社会に出ると下っ端からのスタートで、自分に指図する人間、その上にもまた誰かいて、果てしなく自分が下っ端であることを思い知る。
そして、社会に出た瞬間から、いろいろな責任がのしかかってくる。
うまく意思表示ができない公太が、必要なことさえどう尋ねていいかわからず、失敗をし、叱られ、信用を失い、会社の中で居場所を失っていったということは察しが付く。
その後、公太は就職活動を始めるが、面接の受け答えですら満足にできず、不採用が続き、職業安定所の人に、
「はっきり、意思表示ができないと、どこも雇おうとは思わないよ。」
とまで言われ、仮に就職が決まったとしても、そこでもまた、前の会社と同じ状況が待っていると思うようになり、自分は社会に対応できないことを悟り、家に閉じこもるようになった。
「これから、どうするつもりなの?」
と、家族に毎日のように追い立てられ、
「社会に、ぼくの居場所なんてない。」
と、心でつぶやく公太。
家の中でも居場所がなく、ただ、家族を苛立たせないように身を潜めて毎日を過ごす中で、風邪をこじらせた祖父が寝たきりとなり、その介護の役目は、公太へと回ってきた。
祖父は病床に伏せながらも、社会になじめない公太を嘆き、
「情けない。」
と、繰り返す。
公太の祖母はよく、近所で公太の母親の陰口を叩いていた。祖父もよく怒鳴っていた難しい人間というイメージを持っている。
その祖母が亡くなって、公太の母親が祖父の介護に献身的になれないのはよくわかる。祖父もまた、家の中で孤立していき、公太に当たるしかなかったのだろう。
「あの口うるさいじいさんの世話なんかよくやったな。」
と、お人よしの公太に言うと
「会社の人間関係に比べれば、おじいちゃんの世話は一対一だし、ぼくができることはそれしかなかった。何をしていいかわからなくても、おじいちゃんが言ってくれるし、それに従えばいいだけだから。」
と、公太は言う。
だからと言って、会社で働くより楽なものなのだろうか。会社には勤務時間があるが、あのじいさんの面倒をみるとなれば、24時間こきを使われたに違いない。
ただひたすら、言われるままに祖父の世話を続ける公太の姿が目に浮かぶ。
「おじいちゃんがね、寝込んで半年くらい経った時に言ってくれたんだ。『お前は優しい子だ。こんな世の中に生まれたばっかりに辛い思いをしてるな。』って、それが、すごく嬉しかった。ぼくは何をやっても鈍くて、相手をいらいらさせてだめだけど、一生懸命やったら、こんなぼくでも認めてもらえるんだって思うと嬉しくて、そういうことでなら、ぼくでも人の役に立てるんだと思って、今の勉強を始めたんだ。」
(おまえでもじゃなくて、おまえだからできたんだろ。)
と、心の中でつぶやいた。
きっと、公太の祖父は、世間の人と同じように、どんくさい公太に腹を立て、思うままに公太をなじっていただろう。
それでも、ただひたすら言われるままに世話を続ける公太にさらに腹も立てたことだろう。
しかし、妻を亡くし、寝たきりとなり、自分では何もできない。孤独で弱い立場になってしまった自分がひどい言葉を浴びせても、嫌な顔をすることなく、世話を放棄することもできたというのに、ただひたすら尽くす公太をみているうち、その優しさに気づき、自分をみじめに感じ始めたのかもしれない。
人になじられても、相手を恨むことなく、自分がだめだと思い込む公太、不器用ながらに一生懸命に世話を続けるその姿に触れ続けていれば、人はそういう公太を馬鹿にする自分の醜さを反対に思い知るだろう。
だから、公太の祖父も公太を思いやる優しい気持ちがもてたのかもしれない。
反対に、祖父の言葉は公太にとって初めて人からかけられた、優しい言葉だったのだろう。
人に初めて認められ、人と心を触れ合わせることができ、やっと自分に自身が持てるようになり、自分の力で夢に向かって歩くことができるようになったのだろう。
その後、祖父が他界し、公太は介護福祉士になろうと歩み始める。
そんな公太に公太の家族も、優しさを持てるようになり、今は普通に家族の一員として暮らしているようだ。
そう、世の中の居心地を良くするのも、悪くするのも、自分次第なのかもしれない。
「おまえさ、いろいろと辛くなかったか?」
中学時代、公太をからかい、暴行を受ける公太を簡単に助けることができたのに、何度となく見過ごしたこともあった。そんな、罪の意識から問いかけた。
「まあね。死にたいと思ったこともあったけど、ぼくには、そんな勇気もなくて、でも今は、その時勇気がなくて良かったって思ってる。あの頃は、何でぼくなんか産まれて来たんだろうなんて思ってた。あのとき死んでいたら、本当にぼくが生まれてきた意味がなかった。今はまだ、人の役に立つことはできないけど、頑張って一人前になって、人の役に立って、ぼくが存在していることを忘れない人ができると思うと、すごく、頑張る気になれるんだ。」
根っからのおひとよしなのだろうか、公太のいじめられ方は半端じゃなかった。いじめたやつらがいなかったら、もっと楽しい人生を送れていただろう。それなのになぜ、周りに憎しみを持って今を過ごしていないのだろう。そう思うと、今の俺と公太との差が、そこにあるように思えてきた。
俺はいつも、周りに対する不平不満ばかりで、社会から遠ざかっていった。
自分自身は何の努力もしないで、社会で生きていくために必要なものを感じていながらも、下積みを嫌い、高校は卒業したいと思いながら年下に混じって勉強をすることも嫌い、何かをスタートさせることもバカらしく、薄っぺらいプライドにこだわり、何もしないまま今に至っている。
もし、その薄っぺらいプライドを持たず、何かをスタートさせていれば、今頃何かを掴んでいたかもしれない、もっと、前向きに生きていただろう。
そのときは長く感じる1年、2年であっても、過ぎてしまえばたいした期間ではない。
人生を無駄に過ごしていることを感じながらも、何もスタートさせることができない。親元を離れ、15歳で社会に出て、誰に邪魔されるということもない人生なのに、自分でだめにしているのかもしれない。
それに気づいていても、やりたいことは見つからず、毎日を無気力に過ごしてきた俺。公太と反対に、進む方向さえ分からず、冴えない毎日を過ごす自分に嫌気がさす。
俺は、人にすごいと思われたい、膝まずかせたい、それは、権力や金を手に入れて、ただ人を見返したいだけのちんけなもの、見た目ばかりで中身について考えることもしなかった。公太はそんな、くだらない見栄を持っていなかった。
「充君なら、2、3年後には、何人か引き連れて、ああいう現場で仕事してそうだね。」
と、昔と変わらない俺の強さを信じている公太は、今の俺を知らずに、俺の未来を期待してつぶやく。
「そんなに簡単には、上には行けねえよ。」
「でも、いいよね。自分の関わった仕事が形として残るんだもん。歩いていて、『これ、俺が作った。』なんて言えるのって、かっこいいよね。」
その無垢すぎる公太といるとたまらなくなった。
過去を振り返るといつも、最後は公太が出てきて、俺を揺さぶる。何かしなければいけないことは分かっている。
このままで終わってはいけないことも、でも、焦るばかりで何も見つからない。何が自分の足を引っ張っているのかも分かっている。俺の薄っぺらいプライドだ。
俺は、人にバカにされて、公太のように、
「一人前じゃないから。」
と、笑ったりできない。
何が賢い生き方か、今はわかっている。頭で分かっていても、行動を起こすことができないでいる。
もうじき、22歳になる。大学に進学した者は、就職に向けて残された学生生活を存分に楽しんでいることだろう。
自分だけが、世の中から落ちこぼれて、真っ暗な深い穴の底で、わずかに漏れてくる光を見上げているような気持ちで、河原に横になって空を見上げている。
そこには、はしごがなく、みんな俺がここにいることに気づかず行き交う。
深くため息をつき、目を閉じて、世の中が動き続けていることだけを耳で感じる。
「充君、」
名前を呼ばれて、現実に戻された。目を開けると、公太が俺を覗き込んでいた。
「充君、ずっと探してたんだよ。あそこの現場にも来なくなったし、」
俺は、起き上がりながら尋ねた。
「それで、何で、俺がここにいるって分かったの?」
「充君、子供の頃からよく、河原で石投げたりしてたから、なんとなく、河原にいる気がして、仕事の帰りにあっちこっちの川沿いを歩いて探してた。」
「何で、俺を探してたわけ?」
公太は少しためらって、目を伏せて言った。
「充君のお父さん、先月亡くなったんだよ。お葬式に行ったとき、充君がいないから、おばさんに聞いたら、どこにいるか知らないって言うし、早く伝えなきゃと思って。」
「あっ、そう。」
俺は、どうでもいいことのように軽くうなずいて、川の流れに目をやった。
「おばさん、あの家で、一人になっちゃったから、充君の連絡先だけでも、ぼくから伝えておこうか?」
小学校6年のとき、父親が事故にあった時のことを思い出した。
夜遅く、病院からの電話で父親の事故を知る。
母親は慌てることもなく、化粧を始め、病院に向かうまでに1時間はかかっただろう。母親と2人で病院に向かい、父親の怪我の状況の説明を受ける。子供ながらに、予断の許さない状況だということは分かった。
父親にひどい目にあわされてはいたが、いざ、そういう状況に直面すると不安に襲われ、手術室に入ったままで、様子のうかがえない手術室の前の廊下のいすに腰掛け、見通せるはずもない手術室の扉を見つめていた。母親は公衆電話に向かい、親戚への連絡を始めた。
それまで平然としていた母親が、父方の祖母に電話をしながら嗚咽を始め、それを見て俺も心細くなって泣いた。
しかし母親は、一通り連絡をし終えると、缶コーヒーを買い、いすに腰掛けて化粧直しを始めた。その母親の様子を今度はじっと見た。
母親から連絡を受けた祖父母が30分もしないうちにやって来た。すると母親は、父親の状況を説明しながら言葉をつまらせ、涙を流す。
それはとても悲痛であるが、先ほどの母親の態度が何であったのか、俺には理解できなかった。
父親は、重傷ではあったが、後遺症が残るほどの怪我でもなく、全治2ヶ月と診断された。
母親は毎日、父親の見舞いに行き、夕方には家に戻っていた。父親のいない家で過ごす母親は、羽根を伸ばしているようだった。時折母親は、妹と長電話をしていた。母親は普段から、妹に電話をしては、父親の愚痴をこぼしていた。
そして、今回の事故のことを妹に話しながら、父親を指して、
「しぶとい。」
と、言うのを耳にした。
俺は、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして怖かった。そして、父親の退院が近づくと、いつものヒステリックな母親に戻っていった。
父親は、母親のそんな気持ちを知っていたのだろうか、母親の本性を知っているのは、父親でもなく、俺だけだったのかもしれない。
いや、父親もまた、母親に対して同じような気持ちを持っていたから、ののしりあいを繰り返していたのだろうか、結局、あの家の中に誰にとっても必要と思う人間はおらず、消えてくれたら楽になるとお互いが思いあっていたのだろう。
母親はいつも、傲慢な夫と、反抗的な息子を持った不幸をいろんな人に語っていたから俺はそれを聞いた他人から説教をされることが多かったが、母親が父親へのストレスを俺にぶつけていたことは誰も知らない。
世間の人の前では、悪いのは一方的に父親か俺で、母親は弱く泣き崩れるだけの人だった。
俺は、そんなことを思い出しながら、公太に言った。
「母さん、いかにもかわいそうだったろ。本当はホッとしてるくせに。」
俺のこの言葉に、公太は引いてしまうだろうと思ったが、父親の葬儀で泣き崩れる母親を見てふびんに思っているであろう公太にあえて言いたかった。
しばらく公太は黙っていた。
「どんな親でも、いないより、いるほうがいいって言うけど、そうとは限らないよね。」
公太は、下を向いたままつぶやいた。俺は、公太のことだから、
「お母さんは、大事にしたほうがいいよ。」
とか、いかにも人がよさそうなことを言うだろうと思っていたが、親に対しての卑屈な思いを持った俺の言葉に、世間一般の常識的な発言ではなく、俺の立場に立った言葉を返してきた。
俺にとっては初めて、俺の卑屈な思いを汲んでくれた言葉だ。
意外な言葉に驚く俺に、公太は言葉を続けた。
「嫌な思い出にいつまでも振り回されちゃいけないよ。嫌なことは忘れて、自分の人生を大事にしなきゃ。」
ドキッとした。自分の心の内を見透かしているようだった。公太が、俺と対等な立場で俺の心を救おうと、勇気を振り絞って、俺に提言している気持が伝わってくる。
公太は自殺したくてもできなくて、俺は父親を殺したくてもできなかった。
公太は、自分が受けた辛い過去を引きずることもなく、前向きに生きているが、俺は心のどこかで、両親に対する卑屈な思いを持ち続け、あの親の元に生まれていなかったら、普通に大学まで行って、普通の幸せを手に入れていただろうと、現状を親のせいにしていじけた日々を送っている。
公太は子供の頃から、俺の気持ちに気づき、俺を見続けていたのかもしれない。
考えてみれば、庭もなく家がひしめきあって立ち並ぶ町の中では、家の前を歩くだけで、テレビの音はまる聞こえ、晩ご飯が何であるか分かるような状況だ。
公太が家族になじられているのは聞き耳を立てなくても、近所の誰もが知っていたということは反対に、俺の家での様子を近所に住む公太が知っているのも当然のことだ。
俺たちはお互いに、不安定な大人たちの中で育ち、その反動で、つっぱった俺と、自分を抑えた公太。その出し方が違っただけで、同じような思いを子供の頃から抱えていたのかもしれない。
その同じ思いを持っていたことを、公太は子供の頃に気づき、俺を見続けていたから、病院の前で働く俺を見たとき、ためらわず、声をかけることができたのだろう。
そう思うと、俺の中で公太のとったいろいろな行動のつじつまが合う。
俺は、家のことを中学校の教師に話したとき、俺の気持ちを全く無視した言葉を返されて以来、だれにも俺の気持ちなど分かることはなく、人と分かり合えることはないと決め付けて、人を馬鹿にし、人を避け、孤独へと向かって行った。一人で、世の中を恨んでいじけていた。
公太は、そんな俺を長い間、会わないときも気にかけ続けていた。
そんな人間が俺にいることなど、考えたこともなかった。
そんな公太が、俺に投げかけた言葉は、俺の何かを解き放つようだった。
きっと公太が祖父に初めてかけられた優しい言葉も、こんな感じだったのかな。
(かっこつけることなかったじゃん。)
俺が、ふっと笑うと、今日は公太から誘ってきた。
「居酒屋にでも行かない?実は、もうひとつ知らせたいことがあるから。」
「なに?」
「実はね、介護福祉士の資格がやっと取れたんだ。他の人より、一年も長くかかっちゃったけど、だから、一緒にお酒でも飲みたいなと思って。」
「もちろんいいよ。よかったな。おめでとう。」
とても素直に言葉が出た。嫉妬心を持つことなく、心から言えた。
自分の夢を現実のものとした公太は、また少し自信をもち、自分の気持ちを表せるようになっていた。
公太となら、もしこれから行き違うようなことがあったとしても、その公太の気持ちを理解しようと努力することができるかもしれない。
公太のように、俺の心を優しくしてくれるやつはいないだろう。
公太がいれば、俺の卑屈なプライドが邪魔することなく、他人との関係もバランスがとれるようになるかもしれない。
そして、公太が鈍くて、人をいらつかせるような人間であっても、俺はそんな公太を嫌ったりはしない。
なぜか、どんな状況であろうと、前向きに進んでいけるように思えてきた。
やわらかい光が、俺の上でゆっくり広がり、暖かく包み込み始めた。
状況に恵まれなくても、周りを恨まず、自分で道を切り開く勇気を持っていただけたら嬉しいです。




