「陽はわずか 君の香りに 風音(かざね)吹く 八月葉月の 花びら揺らし」
8月の太陽は、空から雲を拭い去っている。
京都南部にある公園では、木々が乾ききった空間に緑を滲み込ませ悠久の時を繋いでいた。
その一角、か細いばかりの小川のせせらぎの中、ベンチに一人の男が座っている。
男は、白髪をかき上げながら手元のメモの文字を眺め、呟いた。
「陽はわずか・・・君の香りに風音吹く・・・」
公園の近くにある病院の3階、透明な日差しの中、2つの人影があった。
ガラスの中に埋め込まれたように、身動きもせずに。
一人は、ジャージ姿の青年。静かに目を閉じている。
もう一人は、純白の服に身を包んだ女性が、身動きもせず瞼を閉じている。
動きも音もない世界に、1つの想いだけが時を進めていた。
ありがとう、ずっとそばに居てくれて。
何もできない僕に、いつも寄り添っていてくれて。
小さな喜びを二人して楽しんだね。
平凡に移ろいゆく世界を、僕らは指をからめ笑み漂ったね。
白い空から雪が生まれて来るのを二人で待っていたね。
春を紐解く蝶に会い、
互いの瞳に笑顔を映しあったね。
熱い大気を跳ね返すように、
手をつなぎ入道雲に対峙したね。
消え去ったセミの音を懐かしむような深い空に、
夢を画きこんだね。
君が居てくれる事が、僕の全てとなった。
触れずにいても、
感じるだけで幸せだ。
今更のように確信したよ。
視界の外に行ってしまうけど、
それでも、この思いは変わらない。
ありがとう、そばに居てくれて。
何もできない僕に、
いつもエールを贈ってくれて。
僕のすべての愛情と感謝をこめて、
この言葉を贈るよ。
「今まで、ありがとう。
そして・・・幸せになって・・・。」
八月、意識が戻ることなく一人の青年が別れを告げた。
白髪の男の影に二つの影が重なった。
「お義父さん。またここにいらしたんですね。」
「あぁ。」
「もう3年ですね。」
「・・・」
小さい影が、男の膝の上によじ登った。
それを優しく男の手が包む。
「おじいちゃん、またパパの手紙を見ていたの?」
「そうだよ。ほら、パパはとっても優しい字を書くね。」
「うん。優しい字。」
小さな指が、メモの文字を優しく撫でている。
「お義父さん、そろそろ皆さん来ると思いますから・・・」
「そうだな、そろそろ行こうか。」
男は、膝の上の女の子を抱き上げて立ち上がった。
「さあ、帰ろうか。風音。」
「うん。帰ろ。」
8月は、いつものように過ぎていく。
過去からの想いを乗せて。
「陽はわずか 君の香りに 風音吹く 八月葉月の 花びら揺らし」