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落ちた花弁と高嶺の花

 俺こと斎藤和人(旧姓:岡本和人)は、広すぎるリビングのソファにどっかり座り、目の前のガラステーブルに広げられた参考書を睨みつけていた。


 高卒認定試験――医者になるためにはまず、大学に入らないといけないらしい。

その第一歩のためにまず中卒の俺はこの試験に合格しないといけないとか…。


 けど…ページを開いても文字が頭に入ってこない。


「マジで何だこれ…数学? 英語? 呪文かよ…」と独り言を呟き、ため息をつく。


 つい数ヶ月前まで、ボロアパートの狭いちゃぶ台で、1人で質素な暮らしをしていた。

母さんは病気で2年ほど入院し、亡くなった。

その亡くなる1ヶ月前くらいに主治医をしていた先生と再婚し…今はその元先生は現義父となり、俺はその人と2人で暮らしていた。


 あの頃は壁は薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくるような家だった。

それが今、義父の医者としての成功を象徴するような、でかい一軒家に住んでいる。

白い壁、でかい窓、ピカピカのフローリング――慣れない豪華さに、いまだに落ち着かない。


 朝から夕方まで建設業でバイトして、仲間達と遊んでから、深夜はコンビニバイト。

2年間は母さんの入院費のために死に物狂いで働いた。

(※ちなみに16だった俺が深夜でコンビニバイトできたのは、そのコンビニは知り合いが経営していたため)


 壮絶な2年間を終えて、今は絶賛ニートしていた。


 俺は地元で名を馳せた暴走族「夜狼」の総長をしていた。


 仲間とバイクで夜の街を走り、絡んでくる奴らとは喧嘩して――そんな日々だった。


 学校にはろくに行かず、中卒のまま。

勉強なんて「意味わかんねぇ」と投げやりだった。


 なのに、なんで今、こんな家で参考書と格闘してるのかというと、夢を見つけたからだ。


 きっかけは、母さんの病気だった。

母さんが重い病気にかかり、完治は難しいと言われた。

そして、その言葉通り母さんの病気は治ることなく半年前に亡くなった。


 自分には何もできなかった。

そばにいることしかできなくて…自分の無力さを呪った。


 その後は義父の家でお世話になることになり、ある時、書斎に置かれていた医者関連の本を手に取った。


 すると、「医者に興味あるのかい?」と義父にそう言われた。


「俺みたいな馬鹿には無理でしょ」と笑ったが、義父は真顔で「そんなことはない。夢に遅いなんてない。本気でなりたいならね」と言い放った。


「でも…俺中卒だよ?」

「なら、今から大卒になればいい」

「…中卒って大学行けるの?」

「高卒認定試験を受ければな。和人が本気なら父さんは全力で応援する」


 笑うことなくまっすぐ目でそう言われた。

だから、暴走族を辞めた。


 副総長の拓海に「後は頼む」とだけ言い残し、あの喧騒の世界から足を洗った。


 そして、現在に至るのだが…。

医者として忙しい義父に頼るわけにもいかないし…。


「でもよ…これ、どうすりゃいいんだ?」


 参考書をパラパラめくりながら、和人は頭を抱える。


 そこに、玄関のインターホンが鳴った。


 …来客?宅配か?


 ドアモニターを確認すると、そこにはなんとも美しい女の子が立っていた。


 …ん?義父さんの知り合いの人か?


 ニートのくせに居留守はできねーよな。


「はーい」

『本日から家庭教師をさせていただく、笹原麻里奈と言います。斎藤和人くんでよろしいですか?』

「…はい?」


 よく分からないまま、彼女を家にあげた。

家庭教師なんて話…聞いてないんだが?


 目の前に立つのは、大学生らしい女の子。

白いブラウスに紺のスカート、肩に落ちる黒髪がさらりと揺れる。


 透明感のある笑顔と、柔らかく上品な声。

この豪華な家にすら負けない、まるで「高嶺の花」みたいな雰囲気。


 それに何より…まっすぐ俺の目を見てくれた。


 俺は一瞬、言葉を失う。

心臓がドクンと跳ね、頭が真っ白になる。


「…あ、う、うす…斎藤和人です…よろしく…」


 こんな見た目だし、いつもなら目を逸らされるのに…。

そうでなくても元暴走族総長で現在ニートとか見下される要素しかねーし…。


 やっと絞り出した声が、情けなく震える。

笹原さんはくすっと笑い、「和人さん…ですね。素敵なお家です。これなら落ち着いて勉強できそうですね」とリビングを見回しながら言う。


「いや…どうですかね…。半年くらい前から住んでるんですけど、まだ慣れてなくて…」とボソボソ呟く。


 それから軽く自己紹介がはじまる。

彼女はここら辺では一番頭のいい大学である、来臨大学に通っている現役の大学2年生らしい。

つまり、学年的には1つ上になる。


 そして、義父と知り合いらしく、俺の話を聞いて自ら家庭教師を名乗り出たとか。

どうやら、彼女は教師を目指しているとか、そういうのも含めて家庭教師を申し出たらしい。


 すると、彼女は隣に座り、鞄からノートを取り出すのを見ながら、さらに動揺する。


「では、早速始めましょう」


 近い。めっちゃ近い。

彼女の髪からほのかに漂うシャンプーの香りに、頭がクラクラする。


 …落ち着け、俺。勉強だろ、勉強と自分に言い聞かせるが、全然勉強モードになれない。


「では…和人さん。まず、どの科目が特に苦手ですか?」


 彼女がペンを手に質問する。

和人は「えっと…全部?」と正直に答える。


 すると、目を丸くし、すぐに笑顔に戻る。「全部…ですか。じゃあ、まずは数学の基礎からやっていきましょう。和人さんなら、絶対できますよ」

「いや、俺、マジで頭悪いんで…それだけは覚悟してもらえるとありがたいです」


 人にがっかりされるのはなれてるけど、慣れてても辛いものは辛いから。


「頭の良し悪しって、実は決まったものじゃないんです。周りの環境とか思い込みによって変わるんです。それに世の中、頭の良し悪しだけではないですから。佐伯先生から聞きましたよ、お母さんのために昼も夜も働いてたって。すごいことですよね。そんな人、なかなかいません」


「…俺にとってはたった1人の家族だったので。今は義父がいますけど」と呟く。


「すごい」なんて言われたの、母さん以外では初めてかもしれない。


「じゃあ、お話はここまでにして…始めましょう。数学…まずはこれ」


 ノートに方程式を書く。


「うわ、何これ…こんなの見たことねぇ…」と呟くが、彼女の「大丈夫、一緒にやればわかりますよ」という声に、なぜか少しだけやる気が湧いてくる。


 笹原さんはまじで教えるのがうまくて、本当に体に染み渡るように内容が入ってきた。

けど、その分容赦もなくて、理解できたら次々進んでいき、頭がパンクしそうになった。


「出来たところは私が帰った後に復習するように」

「…分かりました」

「けど、そうですね…和人くんはゲームは好きですか?」

「ゲームはまぁ…人並みに」

「では、今日の内容について、暗記系については私が作問しておくので、アプリを使って繰り返し何度もやるように。ゲーム形式で遊んで覚えられるのでこれオススメです」と、とあるアプリを勝手に入れられた。


 初対面で俺にビビることもなく、優しい笑顔で接してくれていた。

めっちゃいい子だな。



 ◇


 その夜、勉強を終えた後、俺は自分の部屋のベッドに寝転がり、天井を見つめる。


 ああいうのを「高嶺の花」って言うんだろうな。

それに比べて俺は…。


 携帯を使って調べてみる。


『落ちた花弁』


 まさに自分にぴったりな言葉だと思った。


 落ちた花弁と高嶺の花。

月とスッポンよりかはマシな気がした。



 ◇


 翌日、元の家の近くの元アルバイト先のコンビニで買い物をしていた。


 義父の家から少し離れた、昔よく使った店だ。


 すると、聞き覚えのあるバイクの音が近づいてくる。


 振り返ると、革ジャンに身を包んだ拓海が、ニヤニヤしながらやってきた。


「よぉ、和人。こんなとこで何してんだ? 医者の家で優雅に暮らしてんじゃねぇのか?」


 拓海の言葉に笑みが溢れる。


「…ただジュース買いに来ただけだよ」

「そんな顔できるようになったんだな」

「それどういう意味だよ」

「お前、色々思い詰めてたろ。相談してこないから聞かなかったけどさー。お前の母さんのこととか…お金のことも、結局あんまり協力できなかったから」

「何言ってんだよ。お前らがいたから…俺は頑張れたんだよ」

「そっか。そう思ってくれてるなら嬉しいわ。まぁ、たまには顔出せよな!」と笑って店を出て、バイクに跨る。


 その背中を見送りながら、俺は思う。


 俺の新しい一歩は、始まったばかりだ。

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