第99話 夜食
ネッセタール訪問の目的は、錬金術師から純粋な金属のサンプルを入手することだった。それができたあとの用事はまず、アリバイ作りとしてヴェローニカ様への贈り物の懐剣の発注、そしてフローラとケネスのご両親への挨拶だ。この二人にはずいぶんとお世話になっているのだが、ご実家へは伺ったことがないどころか、お会いしたことすらなかったのだ。いい機会だから、今回ぜひとも訪問したかったのだ。
まずは一昨年にも訪れた工房を訪れる。
「親方、お久しぶりです! ケネスです!」
この工房は、ケネスの働いていたところだ。
「おおケネス、大きくなったな」
親方は嬉しそうだ。親方が私への挨拶より先にケネスに応じたことで、親方がどれだけケネスを大事にしていたかがわかる。私は大事な弟子を引き抜いてしまったので、彼の私に対する心象がよくないのではないかと少し心配していた。親方は私に気づいて、あわててこちらを向いた。
「大変失礼いたしました、聖女様、ようこそいらっしゃいました」
「ご無沙汰しております。はじめにケネスの修行ですが、申し訳ありません。お約束どおりきちんと進んでいるとは申し上げられません」
「いえいえ、ケネスは聖女様のところで大事な仕事をしているのでしょう。ケネスのやりたいようにさせてやってください」
私は正直ホッとした。
「それにしても、ヴェローニカ様といらした貴方様が聖女様になられるとは」
「はあ、なにかのめぐり合わせでそうなったのでしょう」
そう適当に答えておいたが、あのときすでに実は聖女だったとはとても言えない。
「それで聖女様、わざわざそのようなことでこちらに?」
「いえ、今日は一つ注文をさせていただきたくて」
「そうですか、それはまたどんな」
「ヴェローニカ様が一昨年、こちらで剣をお作りになりましたよね。それで今度、私からヴェローニカ様に贈り物として、懐剣をと思いまして」
「なるほど、それでこちらに」
「ええ、こちらなら、ヴェローニカ様の手の大きさや握りの好みなどよくご存知かと」
「はい、光栄なことです」
それから懐剣のデザインの話になった。私はシンプルイズベスト派なのだが、それだと贈り物としてはよろしくないことはいくらなんでもわかる。なのでデザインはフローラに丸投げして、親方とフローラのやりとりを横で微笑んで見ていた。
なお、思考の方は横にいるステファンに集中し、ゆっくり存分に脳内お花畑を満喫していた。つまり形式上親方とフローラの方に目をむけていただけで、視神経からの情報は何も脳に届いていなかった。
「あのさ、聖女様」
フローラがちょっときつめの声で私を呼んでいた。
「は、はい」
「しょうがないな、あのさ、デザイン、これでいい?」
「は、そうね、ステファン、どう思う?」
それに反応したのは親方だった。
「は、ステファン様? ま、まさかステファン王子殿下でいらっしゃいますか? これは大変に失礼いたしました、殿下」
「いえ、今回は身分を隠してご訪問させていただいております。こちらこそ正しく名乗らず、失礼いたしました」
そのやり取りの間、私はフローラに睨まれていた。ネリスは呆れ返ったように天を仰いでいた。
次に訪問したのは私を睨んでいたフローラの実家だ。ネッセタールで一番の商会であるから、建物は美しく大きい。大きいが正面は商売向き、家族は裏から入るということなので、フローラはその裏口から私達を招き入れた。
ご両親との面会はつつがなく終わったが、そのあとフローラがちょっと奥に呼ばれ、うっすらとだがお父様に怒鳴られているのが聞こえてきた。どうやら表からでなく、裏から入れたのを叱られたらしい。でてきたとき、眼がちょっと赤かった。
私はフローラのところに行って謝った。
「フローラごめんね、あんたは私達を、私的な仲間として紹介したかったんでしょ」
「うん、そうなの。父もそれは理解してくれてるんだけどね」
もしかしたらフローラのお父様は、すべてわかっているうえで、フローラの公的な立場を守るために私達に聞こえるように叱責していたのかもしれない。
ケネスの家の訪問は夜にした。お父様のお仕事はやはり鍛冶職人で、昼間のお仕事を邪魔したくなかったのである。街中の小さな家で、もちろん私達全員が入ることなどできるわけもない。お家の中に入ってご挨拶できたのは私とステファン、フローラだけ、あとのメンバーは家の外での挨拶になった。お父様は職人さんらしく無口であり、お母様は饒舌にいろいろとお話された。故郷のベルムバッハのおばちゃんたちと同じ人種で、急に故郷が懐かしくなった。
その夜フローラとケネスには、それぞれの実家にもう一泊してもらうことになった。宿に帰ったのは、かなり夜遅くになった。部屋に入るともうくたくたで、食事に出る気力がない。ところがお腹の方はグウっと音を立てる。
「聖女様、腹が減ったかの?」
ネリスが聞いてくる。
「うん、すいた。でももう、食べに行く気力ない」
私としてはもう、夕食を抜いてでも寝てしまいたいくらい疲れていた。
「では、これはどうじゃ」
ネリスはポケットやらカバンやらから、いろいろと食べ物を出してきた。焼き菓子、ドライフルール、小さいパン、ドライソーセージ、ナッツなど、色々と出てくる。お腹いっぱいになりそうである。どこでどう入手したかわからないし、よくもまあこれだけ持っていたと思う。
「すごいネリス、これだけあれば充分だよ」
「そうか、それはよかった」
「男子、お腹好かせてないかな」
「呼ぶか?」
「じゃ、私呼んでくる。ネリス、お茶用意してよ」
「うむ!」
廊下に出たら、親衛隊のマリカに捕まった。事情を話すと呆れ果てたような顔をされた。男子を部屋に呼ぶのには許可が出たが、マリカとエリザベートが監視するなか夜食を食べる羽目になった。申し訳ないのでマリカとエリザベートにもお裾分けした。ネリスは合計6人で食べても充分な食べ物を隠し持っていたのだ。