第94話 肖像画
すぐに王都にもどらければいけないのだが、離宮の職員とは一通り挨拶がしたかった。特に工房の様子が気になる。さきほど中庭で見た観測器具は、コンディションがいいものと、すでに傷んでいるものが混ざっていた。木製なので、冬の天候に次々と痛めつけられているのだろう。職人さんという人種は、作ったものを我が子のように思う人もいると思う。心を痛めているのではないかと、心配になる。
「聖女様、おはようございます」
工房を訪れると、皆手を止め、わっと集まってきた。みな笑顔である。知っている顔はすべて揃っている。
「皆さんお元気そうで、何よりです。お作りいただいた器具も観測で痛みがちで、大変でしょう」
すると職人頭のフランツさんが答えてくれた。
「聖女様、申し訳ありません。中庭でごらんになりましたか。木材の発注をまちがえて、一部痛みの早いのがあるのです。もう次のを作ってます」
そういうことであったか、と納得する。フランツさんの案内で、その作成中のを見せてもらう。
「もしかして、少し改良されてますか?」
「はい、観測者の方の意見をお聞きしてやってますので」
「ありがとうございます」
私はふと思いついたことがあったので、フランツさんに告げた。
「フランツさん、どの機材をどなたがお作りになったのか、なるべく正確に記録に残してください。少しでもかかわった方は、漏れなく記録してください。お手間でしょうか、お願いします」
「はあ、なぜでしょうか」
「いずれ観測機器が整えば、国内外に正式に発表することになります。多大な貢献をされた皆さんの名前を、それに入れないわけにはいきません」
「いや、私達は職務を果たしているだけですから」
「それが大事なのです。職務を果たし、我が国の天文学の発展に貢献なされているのですから」
「ありがとうございます」
工房内の制作中の器具、修理中の器具を見て回る。
気付いた。
どの器具にも、装飾がない。無くても機能美で問題はないのだが、そう思わない人もいるはずだ。
ヤニックさんを探した。
みんなの中、後ろの方に笑顔でいた。
「あの、ヤニックさん、器具に装飾がないのですが」
「申し訳ありません聖女様、装飾を入れると完成が遅れますし、下手な場所に入れると強度がおちますから」
「それはそうですが」
横から職人のクルトさんが口を挟んできた。
「聖女様ご安心ください。ヤニックは他の仕事で忙しいですから」
そう言って私を工房の片隅に導いた。
そこには絵がいくつもあり、皆、私の絵だった。星を見ている私、勉強している私、普通の肖像画ではない。そしてすべてに私の横にステファンがいる。ものによっては仲間たちもいる。
「聖女様、お気に入りのものがあれば、王都にお持ち帰りになりませんか」
ヤニックさんがそう言ってくれた。
「全部持っていきたいわ」
「それは困ります。こちらでも飾りたいですから。聖女様のお姿が見えないと、皆、寂しがると思います」
感動した私は、とりあえずみんなが描かれているものと、ステファンと並んでお茶をいただいている絵を持ち帰らせてもらうことにした。星を見ている絵も希望したのだが、それは断られた。
「こちらはミハエル殿下とヴェローニカ様がお気に入りなのですよ。額装して寝室に飾る予定になっています」
ここで気づいた。
「ヴェローニカ様の絵はお描きにならないのですか?」
「あ、そう言えばそうですね」
あんまりやる気のない返事だった。
「ヴェローニカ様のは、いくらでも美しいのがあるでしょうし」
完全にやる気がないので注意した。
「これからのヴェローニカ様は、母として、別の美しさを出されるのではないかしら」
「そ、そうですね」
「ヴェローニカ様は暇を持て余しているようです。将来の国母ですよ。肖像画を描くチャンスです」
「そ、そうですね。お話をお伝えいただけないでしょうか」
「お任せください」
つづいて事務方に挨拶する。ネリーが私についてきてしまったため、色々と迷惑をかけてしまっているかもしれない。
「ご無沙汰しております、ビョルンさん」
「これはこれは聖女様、ご機嫌麗しいようで何よりです」
「皆様のお仕事のおかげです。なにかご不便をおかけしておりませんか」
「ネリーさんのことですか、彼女がちゃんと引き継ぎをしてましたから、大丈夫ですよ」
「そうですか、それはよかったです」
「それにしても、出向という形にしたのはよかったですな」
「ええ、フィリップの意見です」
「ああ彼ですか。それはうなずけますね」
「それは私では思いつかないと?」
「い、いやあ、そんなことは、まったく」
実際問題として私では思いつけないが、一応笑いの要素にしておく。
新しい離宮付き女官のトップがやってきて挨拶した。
「ペギーでございます。以後お見知りおきを」
「こちらこそよろしくお願いします」
ネリーは何か挨拶とか打ち合わせとかあるかと思っていたら、何も言わなかった。
後で聞いたら、先任者が余計なことを言うと後任者が仕事がしにくくなるという。なるほどと思った。