第87話 結婚式
結婚式の朝、寝室からカーテンを開けると見事に晴れ上がっていた。ちょうど一年前は戦地で怪我をしていた。苦しい日々だったが、今朝の青空を見るとすべてが嘘のようである。文字通り骨を折った甲斐があったわけだ。
隣国ヴァルトラントは王の名代としてオクタヴィア姫を寄越してきた。護衛に捕虜であったヘルムート殿が同行している。ものすごく出世したようで美しい制服を着用しているし、恰幅も良くなった。昨日少し会話を交わしたが、ユリアにしっかり食べさせられていると言っていた。
「聖女様のおかげで出世できました」
「どういうことでしょう」
「あまり思い出したくはないのですが、聖女様に拷問していただいたおかげで、それに耐え抜いたものということで」
「私、拷問などしておりませんが」
「死を選ぶ私をこの世に引き止めていただき、感謝しております」
それを横で聞いていたオクタヴィア姫は目を白黒させていた。そしておずおずと話しかけてきた。
「聖女アン様、和平交渉において、我が国の負担をなるべく少なくするようご意見されたとのこと、感謝しております」
「とんでもありません、姫。戦争の原因が食糧不足であったことは明確でしたから、過剰な賠償要求は、再びの戦争を意味いたしますから」
「それだけでなく、その後我が国にご支援をいただいていると存じております」
「私としては、お国とは友好的にお付き合いさせていただきたいと考えております」
「そのことなんですが、ヴァルトラント国王は私オクタヴィアがノルトラントの王立女学校に留学させていただいたらどうだろうか、と申しておりまして」
素晴らしいお話である。と思ったらフローラに脇腹を突かれた。確約をするな、というサインだろう。
「そのお話はまた後日、いたしましょう」
第三騎士団玄関の車寄せに、美しく磨き上げられた真っ白な馬車が用意された。天蓋の無い、オープンタイプである。ヴェローニカ様の美しい姿を国民に見せるには最高だが、箱型になっていないので車両の剛性が心配である。馬車の底を覗き込んだら、通常の馬車より相当補強されているのが見て取れた。
「聖女様、馬車の点検に余念がないのじゃな」
ネリスはそう勘違いしてくれた。
「ネリス、聖女様はどうせ屋根がないから馬車の強度が不足するとか考えてたんだよ」
ヘレンの指摘を私は黙殺した。
ヴェローニカ様が真っ白いドレスでお姿を現した。ヴェール越しにも美しいお顔がわかる。
私はヴェローニカ様が乗車するのを手伝い、同乗するエミリア女官長もついでに手伝った。
私は騎乗し、馬車の前に出る。横にはネリスが来る。今の私は第一王子に嫁ぐヴェローニカ様の護衛なのだ。魔物とか敵意とかを感知するレーダー役だ。馬車の後ろにはフローラとネリスが付き、フローラは防御魔法をかけっぱなしにする。
騎士たちのバンザイの声に送られ、出発する。
王都への道中、そして王都に入ってからも「ヴェローニカ様!」とか「おめでとうございます」とか声がかかる。これだけ人気のある女性が王室に輿入れするとはめでたいことこの上ない。道の両側はいっぱいの人である。
私は任務に忠実に、敵意がないか、挙動不審の者がいないか周囲を探るのに忙しかった。
民衆がなにか動揺している。敵意も感じないし、どこにも変な挙動の者もみあたらない。
すっと陽が遮られた。
見上げるとルドルフが飛んでいる。
眼があった。
「ワオーン」という声が轟いた。
「私のときも、来てね」
と思ったら、またも「ワオーン」という声がした。
宮廷教会の正面に馬車をつけ、ヴェローニカ様を送り出す。
ヴェローニカ様のヴェールが玄関の中に消えたところで、私は大急ぎで着替えに走る。正確に言うと、人目があるところでは早足、建物の中はダッシュである。
ある部屋に入ると、ジャンヌ様、マリアンヌ様、ネリーが待っていた。
そのまま3人がかりで真っ裸にされる。
濡らした手ぬぐいで全身を拭き上げられ、下着から何からすべて新品に着せ替えられる。最終的に聖女の正装を着込む。もちろんこの日のために新調したものだ。
最後にネリーがぱぱっと化粧してくれて、部屋を追い出された。
大礼拝堂の横から入る。すでに神官長により儀式が進んでいた。しばらくして、呼び出された。
神官長に入れ替わり、新郎新婦の前に立つ。神官長が目一杯儀式を引っ張っていたはずなので、余計なスピーチなどせず、とっとと大事な仕事をする。
誰が気をきかせたのか、ステファンがすぐ横に寄越された。
ミハエル殿下には借りがある。借りというか、勝手に恨んでいた。神様はそんな私にも力、そしてこの世界における役割をくださった。その力を今こそ使い、この世界における役割を一つ果たそう。
「神様、ミハエル殿下にご加護を。できれば良いお子を。ヴェローニカ様には幸せなご家庭を。どうかお願いいたします」
繰り返し繰り返し祈った。
気がついたら、着替えをした部屋にいた。ステファンが肩を抱いていてくれた。
「あ、気がついた」
ステファンと目があった。
「いい式だったよ」
その一言で私は自分の任務が果たせたことがわかった。安心してもう一回気を失ってしまった。